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第七十三記録【愛すべきは悪友】




 八月十日、金曜日。

 午前十時。サマーフェス屋外特設会場。


 ジリジリと肌を焦がすような太陽光線が、広大なアスファルトの広場に降り注いでいる。

 一ヶ月以上に及ぶ、泥臭くて果てしない苦労の日々。


 無数のテントが立ち並び、巨大なステージが天を突くようにそびえ立つその光景を見渡し、私は額の汗を手の甲で拭った。

 通気性の良いポロシャツに、履き慣れたスニーカーというガチ装備。

 日焼け止めの匂いと、熱せられたコンクリートの匂いが鼻腔をくすぐる。


 いよいよ、明日が本番だ。


「恭弥! ロボットの動き、バッチリじゃん!」


 メインステージの中央。

 私は、タブレット端末を片手に自律型ロボット(K-09)の最終テストを行っている恭弥に駆け寄り、親指を立ててみせた。

 ウィーン、ガシャッという規則正しいモーター音が、彼の指示通りに軽快なステップを踏んでいる。


 「当然だ。オレの組んだアルゴリズムに死角はない」


 恭弥がタブレットから顔を上げ、ずり落ちた眼鏡の中央を中指で押し上げる。


 「それより、まーちゃんは少し休め。顔が赤い。心拍数と発汗量が異常値だぞ」


 呆れたような口調だが、その視線は私の体調を正確にスキャンし、気遣ってくれているのがわかる。


 「平気平気! このイベントが終わったら、死ぬほど休むことにする!」


 私は彼の広い背中をバシンと景気良く叩き、立ち止まることなく次のエリアへと走り出した。


 「あっ……おい。また泊まりに来いって、言いそびれた……」


 『あらあら♡ サメオタク君、残念でした〜』



 靴底に伝わるアスファルトの熱を感じながら、ステージの横へと移動する。

 そこには、巨大なジャングルジム風の足場が組まれていた。


 カンッ、カンッ!


 金属を叩く甲高い音が響き渡る。


 「茉莉子ちゃーん! どうよこのステージ! 頑丈に組んだから、象が乗っても壊れねぇぞ!」


 見上げると、黄色いヘルメットを被った大樹が、太陽を背にしてニカッと笑っていた。

 日に焼けた太い腕に、玉の汗が光っている。


 「象は乗らないけど、安心感がすごい! 大樹、ありがとね!」


 鉄骨を伝ってヒョイヒョイと降りてきた彼は、私の頭に大きな掌を乗せ、ポンポンと乱暴に撫で回した。

 埃っぽさと、男らしい汗の匂い。


 「茉莉子ちゃんのためだからな!」


 「パパに聞かれたら、東京湾に沈められるかもよ」


 私は冗談めかして彼の頬をムニッとつねり、すぐさま踵を返した。


 「あっ!……んな走って行かなくても」


 『筋肉バカも、すっかり茉莉子に釘付けね。わかりやすい男』



 次に私は容赦ない日差しから逃れるように、VIPエリアの大型テントへと滑り込む。

 張り巡らされた冷房設備から、ひんやりとした冷気が全身を包み込んだ。

 高級なコーヒーの香りと、微かなミントの香り。


 「やあ、シンデレラ。海外ゲスト向けのヴィーガン対応メニューも、例のカフェの協力を得て完璧に仕上がったよ」


 ケータリング業者との打ち合わせを終えたばかりのレオが、優雅な足取りで近づいてくる。

 涼しげなリネンシャツの胸元が、相変わらずけしからんほど開いている。


 「さすがレオ! 仕事早すぎ!」


 「君の役に立ちたくて、少し無理したからね。……本番が終わったら、たっぷりご褒美を……」


 甘い声で顔を近づけてくる彼の手を引っ掴み、私は勢いよく上下に振った。


 「わかった、ご褒美ね! オッケー!」


 それだけ言い残し、私はテントの出口へと向かってダッシュする。


 「あっ……ご褒美を『あげるね』って言いたかったんだけど……」


 『嘘つき王子様も、今やただの茉莉子中毒者ね♡』



 午後一時三十分

 プレハブ建ての委員長控室。


 「あー、疲れた〜」


 パイプ椅子にドサリと腰を下ろし、ペットボトルの水を一気に煽る。

 冷たい水が、食道を通って胃の腑に落ちていく。

 足を投げ出し、目を閉じた。


 「マリコ、お疲れ様」


 静かにドアが開き、心地よいフローラルの香りが室内に流れ込んできた。

 目を開けると、ユンジンが柔らかい微笑みを浮かべて立っている。


 「ユンジ〜ン、お疲れ」


 「顔が疲れてるね。せっかくのフェイスが台無しだ、ボクが手直しするよ」


 彼が私の前に膝をつき、パフにパウダーを含ませる。

 手慣れた、羽のように軽いタッチで肌を整えられると、魔法のように疲労感が薄らいでいく気がした。


 最後に、彼はポケットから小さな箱を取り出し、キラキラと光る金のイヤリングを私の耳たぶにそっと着けてくれた。

 金属のひんやりとした感触。


 「明日の本番、これを着けて頑張って。……ボクの幸運のお守りだから」


 「可愛いー!」


 手鏡を覗き込み、目を輝かせる。

 失いかけていた体力が、急速にチャージされていく。

 私は弾かれたように椅子から立ち上がった。


 「ありがとう! 明日の本番よろしくね!」


 ドアノブに手をかけ、振り返らずに部屋を飛び出す。


 「次、いつ二人で会える? って言いたかったんだけどな……」


 『もうここまでくると、清々しいほどの悪女ね♡』



 確認、確認、確認を終え。

 気づくと空がオレンジ色に染まっていた。


 すべての設営が、ほぼ完了。

 西日が、巨大な鉄骨のシルエットをアスファルトに長く伸ばしている。


 私は両腕を高く上げ、大きく深呼吸をした。

 夕暮れの風が、火照った肌の熱を奪い去っていく。


 いよいよ明日本番かぁー。長かったような、短かったような。

 このフェスが終わればお盆休み。凪との旅行が待っている。

 旅行以外は絶対に家で引きこもってゲームばっかしてや……。


 「まりちゃ〜〜〜ん!!」


 感傷に浸る間もなく、地鳴りのような叫び声が鼓膜を揺らした。


 「よくここまで頑張ったねぇぇ! パパ感動して涙で前が見えないよぉぉ!」


 視界の端から、高級スーツを着た男――九条壮一郎が、大粒の涙を撒き散らしながら猛牛のように突進してくる。


 ドスッ!


 凄まじい質量と暑苦しい体温に包み込まれた。


 「ちょ、みんな見てるから離して!」


 照れ隠しで、パパの広い背中をベシベシと叩いて引き剥がす。

 「だってぇ〜」と鼻をすするパパの背後。

 そこに控えていた凪と、ふと視線が交差した。


 夕日に照らされた彼は、いつものクールな秘書の顔を崩していない。

 しかし、私を見つめるその瞳は、信じられないほど優しく、深い温度を帯びていた。


 彼が、小さく唇を動かす。


 『よ、く、が、ん、ば、り、ま、し、た』


 音のない言葉。

 胸がギュッと締め付けられる。

 私は唇を噛み締め、誰にも気づかれないように、小さく頷き返した。


 ――――


 午後六時三十分。

 ステージ裏、機材テント。


 太陽は完全に沈み、会場は紫色の帳に包まれていた。

 テントの中は蒸し暑く、ビニールの匂いと埃っぽさが充満している。


 『なにか面白いことないかしらーって……あら?』


 天井付近をフワフワと漂っていた明菜が、ふと視線を下に向ける。

 誰もいないはずの機材テント。

 そこに、ひっそりと忍び込む小柄な影があった。


 きあらだ。


 彼女の右手には、鈍く光る金属――ニッパーが握られている。

 視線の先にあるのは、恭弥が組み上げたメインロボットの複雑な配線群。

 これを切断し、明日のショーを台無しにしようという算段か。


 彼女が配線に手をかけ、刃を差し込もうとした、その瞬間。


 バチッ!


 強烈な光が網膜を焼き、テント内の照明が一斉に点灯した。


 「……やはり、貴女でしたか」


 「きあら先輩。それ、何に使うつもりですか?」


 入り口を塞ぐように立っていたのは、腕を組んだセイラと、冷ややかな視線を向けるアカネだった。

 二人は、きあらの不穏な動きをずっと監視し、現行犯で押さえるタイミングを計っていたのだ。


 「ち、違うのぉ! これは、えっと、配線が絡まってるかなーって思って……!」


 きあらはニッパーを背中に隠し、引きつった笑いを浮かべて後ずさる。


 ――――


 ザッ、ザッ、ザッ。


 そこへ、わざと足音を高く響かせながら、私がテントの中へと足を踏み入れた。

 私は逃げ場を失ったきあらの前に無言で立ち塞がり、彼女の手からニッパーを乱暴にひったくった。


 カチャリと金属が鳴る。


 「一条さん、ちがっ……」


 彼女が言い訳を紡ぐより早く。

 私は右手の指を弾き、彼女の広い額に向かって、思い切り中指を振り抜いた。


 パチンッ!


 「いったぁぁぁい!」


 乾いた破裂音が響き、きあらが両手で額を押さえてしゃがみ込む。

 怒りのビンタではなく、渾身のデコピン。


 「痛い? 当然でしょ!」


 私はしゃがみ込んだ彼女を見下ろした。


 「これだけみんなが……恭弥だって、寝る間を惜しんで、油まみれになって作ったロボットなんだよ!」


 パチンッ!


 容赦無く、もう一発。


 「アンタのしょうもないプライドのせいで、台無しにさせない! 文句があるなら、本番を大成功させてから言いな!」


 私は彼女の鼻先に人差し指を突きつけた。


 「実行委員長命令! 今すぐ手伝いなさい!」


 テントの中に、私の怒鳴り声が木霊する。


 ビンタで追い出すのではなく、デコピンという「対等な喧嘩」の手段を選んだ私の行動に、きあらの中でピンと張り詰めていたプライドの糸が、プツリと切れる音がした。


 「……うぅっ、だってぇ……」


 彼女の目から、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。


 「一条さんばっかりチヤホヤされて、ズルいんだもん……! ぐすっ……手伝えばいいんでしょ! やってやるわよぉぉ!」


 彼女は子供のように大泣きしながら立ち上がり、テントの外でオロオロしていた取り巻きの二人を怒鳴りつけ、機材の整理や床の掃除を全力で手伝い始めた。


 その背中を見送りながら、セイラさんとアカネちゃんが、ふっと柔らかく笑う。


 「二人とも……な、なに?」


 「別に……頼もしくなったわねと思って」


 「いまの茉莉子ちゃん、とってもカッコいいよ」


 二人の素直な称賛に、私は顔を真っ赤にして頭を掻いた。


 あっ、そういえば……。

 きあらにだけ、私が九条茉莉子だという正体を明かしていない。


 私はニヤリと笑い、モップをかけながら泣いているきあらの背中へ向かって駆け出した。


 「きあらせんぱーい! 私、実は……!」



 【明菜先生の研究メモ】


 被験者データ No.002

 ・氏名:九条茉莉子

 ・状態:実行委員長(覇王色の覇気)


 新規獲得アイテム

 ・【五人のサポート】:それぞれの強みを活かした、愛情たっぷりの最高バフ。

 ・【改心した悪女】:泣きながら床を磨くきあら(戦力追加)。


 【明菜の分析ログ】


 「許すことは、最高の復讐である」ってね。

 ビンタで追い出すんじゃなくて、デコピンで強制労働させるなんて……アンタ、すっかり人の使い方が上手くなったじゃない。


 男たちとの絆も確認できたし、女の敵も味方につけた。

 いよいよ明日が本番ね。


 ……完璧すぎる布陣。逆に、波乱の予感がしないでもないけど?

 

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