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第六十九記録【自分勝手で何が悪い?】




 二つの影が重なっているのが見えた。

 恭弥が、壁に手をついてへたり込んでいる。

 その胸元に、きあらがしなだれかかっていた。


「んっ……♡ 恭弥様ぁ……無防備すぎぃ……」


 粘つくような甘い声。

 きあらの両手が恭弥の頬を包み込み、強引に唇を重ねる。

 恭弥は抵抗する素振りも見せず、ただ人形のようにされるがまま。


 「……最低!」


 絞り出した声は、自分でも驚くほど震えていた。

 目の前が真っ白になる。

 その声に反応したのか、恭弥が虚ろな目を開けた。

 焦点の合わない瞳が、私を捉える。


 「……まー、ちゃん……?」


 名前を呼ばれた瞬間、私の理性が弾け飛んだ。

 これ以上、見ていられない。


 踵を返し、アスファルトを蹴る。

 全速力で走り去る私の背中に、湿った夜風が突き刺さった。

 最悪! 最低! 大嫌っい!



 七月二十八日、土曜日。

 午後十時。


 部屋は漆黒の闇に沈み、モニターの青白い光だけが私の顔を照らしている。

 瞳に生気はない。死んだ魚のような目で、画面を見つめる。


 せっかくの休みなので私はいつも通りにネトゲをプレイしている。

 MMORPG『モンスター・ハンティング・オンライン』。

 画面の中では、巨大なレイドボスが崩れ落ち、ファンファーレが鳴り響いていた。


 『ギルマス流石っす!』


 『神回避!』


 『火力おかしいw』


 チャット欄を流れる称賛の嵐。

 私は無表情のまま、高速でキーボードを叩く。


 『みんなのおかげだよー! お疲れ様! ^^』


 画面上の「私」は明るく振る舞っているが、リアルな私は抜け殻だ。

 心拍数は一定。感情の波形はフラット。


 『ゲーテは言ったわ。「愛は理想であり、結婚は現実である」ってね』


 不意に、モニターの横から明菜が顔を出した。


 『恭弥ひとり減っても問題ないんじゃない?』


 彼女の言葉を無視し、手元にあったボトルを掴む。

 パパのコレクションから勝手に拝借したヴィンテージワイン。


 ラッパ飲みで喉に流し込む。

 芳醇な香りと渋みが広がるが、今の私にはただのアルコール水溶液でしかない。


 「なんで、こんなに胸が痛いの?」


 空になったボトルを床に転がす。

 コロン、と乾いた音が響く。


 「……ただの婿候補なのに」



 日曜日。

 午後二時。


 ワインの空き瓶が転がる床。

 私はベッドの上で大の字になり、天井の木目を数えていた。


 サイドテーブルには、直之が運んできた私の好物である大好きなチーズフォンデュが置かれているが、とうに冷え切り、固まっている。


 ブブッ。

 スマホが震える。

 画面には、凪、レオ、ユンジン、大樹からのメッセージ通知が溜まっている。

 すべて既読スルー。返す気力もない。


 『恭弥だって傷ついてると思うわよ?』


 また突然明菜が現れて話しかけてきた。

 宙に浮いた悪魔が、腕を組んで見下ろしてくる。


 なんで? 私が五股してるから?


 『そうよ! 逆の立場になって考えてみなさいな』


 彼女は私の顔の前に降りてきて、指を突きつけた。


 『自分以外とキスしたりセックスしてるってわかってても、好きでいるなんて……とんだ拷問よ』


 ズキン。


 昨日の恭弥のキスシーンがフラッシュバックする。

 あの時感じた、胸を引き裂かれるような痛み。

 それを、彼らは毎日感じているのか?


 「……そうかも。そうだよね……」


 私は弱々しく呟き、視線を逸らした。

 自分がどれだけ残酷なことをしているのか、突きつけられる。


 『だから早くあのサメオタクは忘れなさい』


 「無理……」


 枕に顔を埋める。

 布越しに、情けない声が漏れた。


 「そんなことできない。だって私、恭弥のこと……こんなに好きだもん」


 涙がとめどなく流れる。

 私はせっかくの休日を泣くことに活用した。



 七月三十日、月曜日。

 午前九時。

 ロボット開発部、ラボ。


 気まずいけれど、やっぱり仕事は仕事だ。

 覚悟を決めるしかなかった。

 大丈夫、仕事の話をするだけだから。


 私は攻撃的な赤のプリーツミニスカートを翻し、戦場へと足を踏み入れた。

 戦闘モードだ。舐められてたまるか。


 自動ドアが開き、恭弥がのっそりと現れる。

 顔色が悪い。二日酔いだろうか。


 「おはよう……まーちゃん」


 「おはようございます」


 氷点下の声で返す。


 「なんだ、やけに機嫌が悪いな」


 「誰のせいでしょうか……」


 「?」


 恭弥が不思議そうに首を傾げた。

 なるほど。酔ったせいにして誤魔化す気か。

 へぇー、すごいね。やるじゃん、男のくせに。


 「黄倉さんのこと好きなら好きでいいけど、私とは終わらせてよ!」


 堪えきれず、言葉が口をついて出た。


 「は? 君は何を言っているんだ?」


 恭弥が腕を組み、眉間に青筋を立てる。

 その横柄な態度に、私の血管もブチ切れそうだ。

 私も負けじと腕を組み、睨み返す。


 「しらばっくれるんだ〜。凄いね、科学者のくせに平気で嘘つくんだ」


 「オレは何も覚えていない! 昨夜のメモリは完全に欠損している!」


 「覚えてない!? キスしといて!? 最低!!」


 私の絶叫がラボに響き渡る。

 周囲の研究員たちがドン引きして遠巻きに見ているが、知ったことか。


 「あのなぁ……君はなにか勘違いしている、オレはそもそもあんな女に興味はない」


 「だったらなんでキスなんかするのさ!」


 「だからそれは……はぁ〜もういいまーちゃんと話してもなんの意味もない」


 意味もない? そうですか、そうですよね。

 どうせ私なんかわからず屋の阿呆とでも思ってるんでしょうね!


 これ以上ここにいたら、何をするかわからない。

 私は憤慨(ふんがい)して踵を返し、ラボを飛び出した。


 エレベーターに乗り込み、地上階のボタンを連打する。

 怒りで指先が震えていた。

 箱が上昇するにつれ、少しずつ冷静さが戻ってくる。


 やってしまった。完全に子供の喧嘩だ。



 地上に出ると、真夏の太陽が容赦なく照りつけてきた。

 このイライラを鎮めたい、誰かに会いたい。

 そんな思いで私は歩きだした。



 午前十時。

 サマーフェス会場設営現場。


 炎天下の中、ヘルメット姿の大樹が鉄骨を組んでいるのが見えた。

 汗に濡れた筋肉が、光を浴びて輝いている。


 私は日陰にあるベンチに座り込み、差し入れのスポーツドリンクを握りしめた。

 ペットボトルの冷たさが、熱った掌に染みる。


 気づかれたいけど気づかれたくない。

 何がしたい、九条茉莉子よ。

 すると。


 「おーい! 全体休憩!」


 大樹の号令をかける声が聞こえた。

 彼が私に気づき、走ってくる。


 「茉莉子ちゃーん♡」


 両手を広げ、勢いよくハグされた。

 汗と体温の熱気が一気に押し寄せてくる。

 不快なはずなのに、なぜか今はそれが心地よい。


 「俺の可愛い彼女ちゃん、何しに来たんだ?」


 「なんか大樹に会いたくなった……それと恭弥と喧嘩した」


 こんなこと、他の人に言うべきじゃないってわかってる。

 大樹だって、私のこと好きな一人だ。

 恭弥と喧嘩したなんて話、聞きたくないはず。


 「……なんだよ、だからシケた面してんのか」


 ハグをやめ、彼はタオルで汗を拭きながら私の隣に座った。


 「だって……先週の金曜日に……」


 私はポツリポツリと事情を話した。

 キスを目撃したこと、そして今朝の大喧嘩のこと。


 大樹は豪快に笑い飛ばすかと思いきや、真剣な顔で黙り込んだ。

 うぅ、マジな顔してる……怒られそう。

 「会いに来てくれたのに、俺と楽しい話してよ」って言われるかも。



 ゴシゴシ。


 不意に、大樹の手が私の頭に乗せられた。

 少し痛いくらいの強さで、髪をかき混ぜられる。


 「あいつは不器用なだけだ。……悪気があってやったわけじゃねぇよ」


 「そうかな……。そんな風に見えなかった。なんかすんなり受け止めてたし」


 「俺あの四人の中じゃ、恭弥とは一番関わりがあるんだよ。もちろんレオさんみたいに同期入社とかじゃないけど。ほら、ロボットの組み立て手伝ったりさ」


 大樹は遠くを見つめながら言った。

 本当に真面目で、見ている感じ一番筋が通ってるのはあの男だと。


 「だからちゃんと話して、仲直りしてこい。……茉莉子ちゃんが笑ってないと、俺も調子出ねぇよ」


 「大樹……」


 なんでそんなに優しいの?

 私の胸の奥が、温かいもので満たされていく。

 自然と口角が上がった。


 「あっ! 笑ったー!」


 大樹が白くて太陽のような眩しい笑顔を見せた。

 私の頬をムニムニと指で挟む。


 「じゃあ相談料ってことで、キスしていいか?」


 「なんでそうなんのさ……」


 「だって〜、好きな女と触れ合いたいって思うのは人間の本能だぜ!」


 親指を突き立て、決まったみたいな顔をしている。

 正直言ってることハチャメチャだけど、大樹に会えて私も気持ちが軽くなった。


 「もう、少しだけだよ?」


 「やったー!」


 彼は少年のように歓声を上げると、私に唇を重ねてきた。

 しかも、結構濃厚なやつ。

 白昼堂々するキスじゃないんだけど。


 「元気ビンビン!! んじゃあ俺、仕事戻るわ!」


 唇を離すと、彼は手を振り、足早に現場へと戻っていった。

 その背中は、どこまでも大きく、頼もしかった。


 『恭弥と仲直りする前に違う男とディープなんて、すごーい♡』


 どこからか悪魔の声がする。

 横、下、正面……いない。

 まさか……。


 上を見上げると、木の枝に足を組んでこちらを見ている明菜がいた。

 しかも、またキスしているところの写真を撮っていたのか、現像された写真をヒラヒラと指で挟んでいる。


 『アンタの恋愛事情を他の女が知ったら、きっと驚くわよ。なんてご都合主義で自分勝手な女なのかしらって』


 仕方ないじゃん。婿探しだし……五人のこと好きになっちゃったんだもん。


 『「仕方ない」とか「婿探し」とか理由をつける女、九条茉莉子……。可愛い顔とスタイルと欲望に素直な性格は男ウケ抜群♡ でも女ウケは最悪……きっとアンタは嫌いなキャラランキングで余裕の一位になれるわね♪ おめでとう』


 嫌味ったらしく拍手を送る悪魔。


 どう思われようが、別に関係ない。

 私はベンチから立ち上がり、スカートの砂を払った。

 だってこれは、私と彼との問題だもん。


 【明菜先生の研究メモ】


 被験者データ No.002

 ・氏名:九条茉莉子

 ・状態:嫉妬による回路ショート(修復中)


 現在のステータス

 ・話術:C(逆ギレにより低下中)

 ・メンタル:B(大樹のハグにより回復)


 新規獲得アイテム

 ・【パパのヴィンテージワイン(空)】:やけ酒の証拠。怒られるのは後回し。

 ・【大樹の激励】:器のデカさを見せつけられた。筋肉は裏切らない。


 【明菜の分析ログ】


 恋の病には、筋肉が一番の特効薬ってことかしら?

 それにしても、あの大樹って男……。

 豪快に見えて、意外と繊細なところまで見てるわね。


 さて、エネルギーチャージは完了。

 次はどうする? 実行委員長さん♡

 

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