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第六十七記録【国際交流と、帰り道のチェックイン】



 七月十二日、木曜日。

 午後二時。

 表参道の交差点から一本路地に入った場所。


 周囲のブランドショップに負けず劣らずの存在感を放つ、全面ガラス張りの複合ビルがあった。


「ここだよ」


 レオのエスコートで、私たちはシースルーエレベーターに乗りこむ。

 ボタンが押され、浮遊感と共に地上の景色が遠ざかり。

 一階、二階……と上がるにつれ、視界が広がっていく。


 チン。


 軽やかな音と共に、五階で扉が開いた。


 「わぁ……」


 思わず声が漏れた。

 エレベーターホールなどなく、扉が開いた瞬間、そこはもう光の洪水の中心だった。

 天井まで届く大きな窓から、初夏の日差しがたっぷりと降り注いでいる。


 「どうぞ、プリンセス」


 レオに導かれ、私たちは道路側に大きく張り出したオープンテラスの席についた。


 五階という高さは絶妙だ。

 眼下には、表参道を彩るケヤキ並木の緑が、まるで美しい絨毯のように続いている。

 地上を歩く人々がミニチュアのように見え、都会の喧騒が心地よいBGMに変わる場所。


 「めちゃくちゃいい雰囲気のカフェだね……」


 私は手すり越しに下を見下ろし、感嘆のため息を漏らした。

 青空がどこまでも高く、風がそよぐたびに緑の匂いと、微かにコーヒーのアロマが運ばれてくる。


 「ウッド×スチールのミニマルな内装……。昼下がりのデートにぴったりだろ?」


 向かいの席で、レオがウインクを飛ばしてきた。

 今日の彼は、ライトグレーのスーツにノーネクタイ。

 開襟したシャツから覗く鎖骨が、妙にセクシーだ。


 「ちょっとレオ、真面目にやってよ。これ仕事なんだから」


 私は店員が準備してくれていたおしぼりをいじりながら釘を刺した。

 今日はサマーフェスの海外ゲストをもてなすためのリサーチだ。決してデートではない。


 「真面目だよ? ゲストを楽しませるには、まずホストが楽しまないと」


 レオは優雅に脚を組み、身を乗り出した。

 甘い香水の香りがふわりと漂う。


 「それに……君とデートできるなら、名目が仕事でも構わないよ」


 耳元で囁かれる甘い言葉。

 心臓がドキンと跳ねる。


 「ば、バッカじゃないの!?」


 私は顔を真っ赤にして、視線を逸らした。


 「怒った? こわーい」


 彼は茶化すように笑い、楽しそうに景色を眺めた。



 店員が現れ、テーブルの上に次々と料理が運ばれてきた。

 色鮮やかな前菜、メインの魚料理、そして宝石のようなデザートたち。

 これは決して私が食べたいから頼んだわけではない。リサーチだ。あくまでリサーチなのだ。


 「レオはこういうところによく来るの?」


 店内を見渡すと、客層は落ち着いた大人が多く、外国人観光客の姿もちらほら見える。


 「僕? 来ると言われたら来るかもしれないな。カフェの雰囲気が好きなんだ」


 「カフェの雰囲気ねぇ〜」


 「君もセレブなんだからわかるだろ? 小さい頃から慣れ親しんでる場所って、落ち着くじゃん?」


 レオがおしぼりで手を拭きながら言った。


 「いや、まぁ確かに……んーでもうちは」


 タヌキもあんまりこういうところ好きじゃないし……そもそも家族で出かけるとかなかったな。


 ママは弟を産んで、一緒に天国へ行ってしまった。

 お兄ちゃんは私が小6の時に、事故でいなくなった。

 私のそばにずっといたのは、スキンヘッドの直之だけ。


 優雅なカフェとは無縁の生活だった。


 「茉莉子ちゃん?」


 心配そうに覗き込んでくるヘーゼル色の瞳。


 「あぁ! ごめん! ボーッとしてた。さぁ食べよ食べよ!」


 私は慌てて笑顔を作り、話題を変えた。

 机に並んでいるのは、絶対に二人で食べ切れない量だ。

 残ったら直之へのお土産にしよう。彼ならきっと喜んで平らげるはずだ。


 私はジャスミンティーとエスプレッソを合わせたラテを一口飲んだ。


 「ん〜っ! ジャスミンの華やかな匂いとミルクがいい感じに混ざってて美味しい!」


 「じゃあ僕はこっちをいただこうかな」


 レオが口に運んだのは、ローズマリー、タイム、柚子ピールをブレンドしたオリジナルドリンク。


 「うん、これなら海外のお客様にも喜んでもらえそうだ」


 彼は満足げに頷き、次にフォークを手に取った。

 海老とアボカドのライムセビーチェを突き刺す。


 「はい、あーん♡」


 「や、やめてよ! 恥ずいじゃん!」


 周囲の視線が痛い。

 美男美女カップル(自称)への注目が集まっているのがわかる。


 「いいから……食べてくれなきゃ、今日の夜寝るまで電話してもらうよ?」


 うぐぐぐ……。


 この男、初期設定だった時はあんなに意地悪で、どこか掴めない感じだったのに……。

 今は五人の中で一番面倒くさい男になりやがった。

 まるで熊だ。ハチミツじゃなくてメープルシロップばっかり舐めてる、甘々カナディアン・ベアーだ!


 私は羞恥心を抑えつつ、口を開けた。


 「あーん……」


 パクッ。


 プリプリの海老と、濃厚なアボカドが口の中で踊る。


 「美味しい?」


 「うん、とっても」


 「よかった」


 ニッコリと肩をすくめて笑うその顔は、夏の紫外線より強力だ。

 直視できない。


 『あらあら』


 空いている椅子に、明菜がふわりと舞い降りた。

 手にはいつの間にかレモネードを持っている。


 『これが「外交特権」ってやつ? 職権乱用もここまでくると清々しいわね』


 彼女は呆れたようにストローを回した。

 私たちはその後、夕方までリサーチという名のデートを存分に楽しんだ。

 いや、違うデートじゃない。



 午後六時。


 会社に戻ると、フロアは夕暮れのオレンジ色に染まっていた。

 残業している社員が数名、パソコンに向かっている。


 その一角で、凪とアカネちゃんがデスクを並べて話し込んでいた。


 「ここはこうすると……」


 「なるほどぉ〜! すごいわかりやすいです!」


 凪が画面を指差し、アカネちゃんが熱心にメモを取っている。

 距離が近い。

 二人の影が重なりそうなくらいだ。


 「お疲れ様」


 私が声をかけると、二人が同時に振り向いた。


 「あ、茉莉子ちゃん! おかえりなさい! 凪くん……ううん、雨宮さんに資料のまとめ方、教えてもらってたの」


 アカネちゃんが花のような笑顔を見せる。


 「お疲れ様です、茉莉子さん。……遅かったですね」


 凪が少し拗ねたような視線を向けてくる。


 「ちょっと時間かかっちゃって」


 「やっぱり俺も行けばよかったな」


 「だね、二人でそう言ってたんだ」


 アカネちゃんが自然な仕草で、凪の肩に触れた。


 ズキン。


 胸が痛む。

 嫉妬? いや、焦り?

 凪とアカネちゃんのツーショットに、得体の知れない不安が込み上げてくる。


 『ホホホ♡』


 明菜が机の上に座り込み、数枚のカードを展開した。

 逆位置の【THE LOVERS(恋人たち)】と、【THREE of SWORDS(剣の3)】。

 心臓に剣が突き刺さっている不吉なカードだ。


 『アタシのだーいすきな三角関係を示す組み合わせ♡ 茉莉子ちゃーんよかったわね』


 なにがよかったわね……だよ! このインチキ占い師!


 『アタシはただの悪魔キューピットだって何回言ったらわかるのよ〜。物覚えの悪い人間ね』


 彼女は口笛を吹きながら、アカネちゃんを見つめた。


 『とってもいい子だけど……もしかしたら緋色アカネが一番怖い女の子なのかも〜♡』


 ケラケラと笑う明菜。

 そんなことないもん! アカネちゃんはいい子だもん! 悪魔よ去れ!!


 私は無理やり不安を振り払い、二人の輪に入る。

 ただのスキンシップ、スキンシップだから。

 悟られないように女優モードをONにして私は仕事を始める。

 フェスの進行確認。


 凪も私のだもん。

 アカネちゃんにだってあげないもん。



 午後九時。


 「じゃあ、また明日ねー」


 エレベーターホールでアカネちゃんと別れ、私は凪と共に地下へ降りた。


 「じゃねーお疲れ様」


 「送りますよ」


 凪がスマートキーでロックを解除した。

 目の前には黒塗りのセダンが静かに鎮座している。


 「いつものスクーターは?」


 「茉莉子さんを送って、それからもう一度会社に戻るから。心配しないで」


 ふーん、二人きりになりたいのか〜そうかそうかなら仕方ないな〜。


 「じゃあ、送ってもらおうかなー」


 私は助手席に滑り込んだ。

 革のシートがひんやりと背中を包む。

 運転席に乗り込んだ凪がエンジンをかける。


 「出発しまーす。」


 「はーい!」



 車内は静かで、流れる街灯の光が私たちの顔を交互に照らしていた。


 「……レオさんと、楽しかったですか?」


 ハンドルを握る凪が、前を向いたまま尋ねてきた。


 「まぁ楽しかったよ、でも仕事だよ、仕事。……すっごい歩かされて疲れたけど」


 私はわざとらしく首をコキコキと鳴らし、ふぅと息を吐いた。


 「お疲れ様」


 「ありがとう〜」


 信号待ちで車が止まる。

 凪が私の方を向き、そっと肩に手を伸ばした。


 「疲れ、溜まってるね。肩、ガチガチじゃん」


 彼の手が、凝り固まった筋肉を揉みほぐす。

 指先の力が、心地よい。


 「俺、マッサージ……得意なんだ」


 その言葉の響き。

 ただの労りではない、湿った「含み」を持っていることに、私は気づいた。


 マッサージ……? どこでするつもり?


 「でも、凪の家に寄ってから帰ったらもっと遅くなるよ?」


 「そうだね。……じゃあ」


 青信号に変わり、再び車が発進する。

 しかし、車は私の家とは違う方向へ舵を切った。


 凪がハンドルを切りながら、ニヤリと笑った。

 犬歯がキラリと光る。


 「ホテル、行こう」


 「えっ?」


 ドッヒャー!

 その直球すぎる誘いに、私の思考回路はショート寸前だ。

 このまま銀河の果てまで飛んでいきそうな気分。



 そして車は吸い込まれるように、きらびやかなネオン街へと消えていった。


 私たちは、「夜のマッサージ」という淫らな名目のもとに、日付が変わるまで深く、激しく愛し合ったのだった。

 テヘ♡



 【明菜先生の研究メモ】


 被験者データ No.002

 ・氏名:九条茉莉子

 ・状態:背徳の秘書課外活動(チェックイン済み)


 新規獲得アイテム

 ・【レオとのリサーチ資料】:表向きの成果物。中身はほぼデートの記録。

 ・【ホテルのアメニティ】:証拠隠滅のための高級メイク落とし。


 【明菜の分析ログ】


 アパートでの「生活感セックス」もいいけど、ホテルでの「仕事終わりセックス」も捨てがたいわね。


 あの秘書君、ハンドルを握ると性格変わるタイプ?

 いいえ、貴女の手綱を握りたくて必死なだけよ。


 ……それにしても。

 あの子の視線、気づいてた?

 純真な笑顔の裏に潜むもの。


 女の友情ほど、脆くて怖いものはないのよ♡

 

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