第六十六記録【実行委員長はつらいじぇ】
七月九日、月曜日。
午前七時。
九条家、ダイニングルーム。
「パパ……いいえ、九条壮一郎社長」
私は焼きたてのクロワッサンを両手で掴み、睨みつけるように父を見据えた。
バターの芳醇な香りが漂っているが、今の私には戦いのゴングのようにしか感じられない。
「ん? どうしたんだい?」
パパは優雅にワイングラスを傾け、中に入っているドロリとしたグリーンスムージーを喉に流し込んだ。
朝から健康志向アピールか。そのくせ夜は脂っこい中華ばかり食べてるくせに。
「ほんっとに、ほんとーーに私が実行委員長になるの!?」
バンッ!
私はテーブルを叩き、椅子から立ち上がった。
衝撃でカトラリーがチャリと音を立てる。
「ゴクッ……ぷはぁ」
パパはスムージーを飲み干し、立派な髭に緑の液体をつけたまま、ニタリと笑った。
「もちろんだよぉ♡ まりちゃんがリーダーになって、みんなーで協力して最高のサマーフェスを作ってね♡」
甘ったるい猫なで声。
背筋に悪寒が走る。
「……っ!」
これ以上話しても無駄だ。
私はクロワッサンを口に押し込み、鞄をひっ掴んだ。
「絶対これが終わったら、特別監視室で引きこもってやるんだからね!」
捨て台詞を残し、私はダイニングルームを飛び出した。
黒塗りのリムジンの中。
車内は静寂に包まれている。
運転席の直之は、いつものように無言でハンドルを握っていた。
「はぁ……」
深いため息が漏れる。
窓の外を流れる景色は、いつもと同じはずなのに、今日はどんよりと曇って見えた。
「お嬢様……お疲れのご様子ですね」
バックミラー越しに、直之が心配そうに声をかけてくる。
「まぁね〜。最初はさ、働かなくていいとか言ってたのに……いつの間にかこんなに働くことになったもーん。詐欺だよ、詐欺」
シートに深く沈み込み、天井を見上げる。
『パパはアンタを立派な経営者にしたいのかもね〜』
隣の席で、明菜がコンパクトを開き、真っ赤なルージュを引いていた。
鏡に映るその顔は、楽しそうに笑っている。
それ、マ? だとしたらホントにありえないし。期待されるような成果なんて出せないから、やめたほうがいいよね。
『あら? アンタ自分が思ってるより仕事はできる方よ?』
彼女は唇を合わせて「んぱっ」と音を立てた。
『ナポレオンも言ってるわ。「リーダーとは、希望を配る人のことだ」ってね。アンタ、無自覚に希望(という名の餌)を男たちにばら撒いてるじゃない?』
……喜んでいいのか、なんなのか。
「壮一郎様も、きっと何かお考えがあるのでしょうね」
直之がハンドルを切りながら、ポツリと言った。
「現におっしゃってました。『まりちゃんにはセンスがある』と」
「直之もそんなこと言うのー?」
「直之も? ということは?」
「……いまのなし。センス……ねぇー」
私はふてくされて、窓の外へ視線を戻した。
広報ブランディング部。
午前十時。
私はセイラさんのデスクの前に座っていた。
机の上には、過去のサマーフェスの資料が山のように積まれている。
まるで要塞だ。
「セイラさ……あっ、チーフ」
「セイラでいいわ。なにか質問?」
彼女は綺麗な顔で、淡々と答えた。
「あっ、いや質問というか……セイラさんはこのサマーフェスに、もちろん毎年参加というか、してるんですよね?」
「そうね。私達広報ブランディング部もサマーフェスのプロジェクトに関わることは義務付けられてるから。……けれど、今回のように私達がメインとなってプロジェクトを進めるのは初めてね」
彼女はマグカップに入ったアイスコーヒーを一口飲んだ。
氷がカランと音を立てる。
「ロボットフェスティバルかー」
私は資料の表紙をペラリとめくった。
無機質なロボットの写真が並んでいる。
あのオイル臭くて、人間に興味なさそうなロボット開発部の連中にアイデアを求めても、きっと灰色の回答しか返ってこないだろう。
「やっぱ、ロボット開発部の人間と話すのが手っ取り早いですよね」
「そうね、それが一番だわ……。一条さん、確か剣崎さんと親しいのよね?」
セイラさんの眼鏡がキラリと光った。
「親しいというか……」
キスした中で、恋人以上の中ですなんて言えない……。
「親しい、ですね……。映画の話、よくします」
「映画? 彼の趣味?」
「はい、サメ好きのオタク野郎で……」
「手伝いますぅ〜♡」
甘ったるい高音のアニメ声が、会話に割り込んできた。
ふわふわに巻いたミルクティーベージュのボブヘア。
きあらに間違いない。
「黄倉さん」
セイラさんが眉をひそめた。
「邪魔よ」という言葉を飲み込んだような顔だ。
「猫の手を借りるほど忙しくないから、大丈夫よ」
だが、きあらは食い下がらなかった。
私の手を両手でぎゅっと握りしめてくる。
手汗がすごい。
「えぇ〜!? きあらもこのプロジェクトに関わりたいなぁ〜♡ だって一条さんとお仕事したいんですも〜ん!」
えぇ〜、茉莉子はお前と仕事なんかしたくないですも〜ん。
心の中で即答する。
だが、そう言えるなら言ってるが、言えないのが私、九条茉莉子である。
「け、けど黄倉さん、この前のウェディング企画の際、ドジしてモデル事務所に別日の連絡送りましたよね? しかも当日の朝に」
私はチクリと釘を刺した。
これなら逃げ出すだろう。
「ごめんなさぁ〜い! あれはきあらだけのミスじゃないというか、なんというかぁ〜」
彼女は人差し指を顎に当て、横目でセイラさんをチラチラと見た。
「そ、それは……」
セイラさんが気まずそうに目を伏せる。
確かにあの時は、セイラさんも一緒になって嫌がらせしてたのはわかってる。
でも、チーフはパパの前で誠意を見せてくれた。
それに比べて、お前は違うでしょ。
「うーんでも、申し訳ないけど……」
私が断ろうとした瞬間。
「わかった! じゃあ、きあらは過去のサマーフェスをわかりやすくまとめるお仕事するね!」
彼女はパッと明るい笑顔を見せ、くるりと背を向けた。
「琴音! 由依!」
名前を呼ばれ、二人の女性社員が立ち上がった。
琴音と呼ばれた女性は、ガリガリで今にも折れそうだ。ちゃんとご飯食べてるのかな。
対して由依と呼ばれた女性は、マシュマロボディ……というか、健康診断で引っかかりそうな体型。
「行くよ〜!」
二人はきあらの背後に金魚のフンのようにつき従い、資料室へと消えていった。
「はぁ……」
セイラさんが大きくため息をついた。
「じゃあ、ロボット開発部とのコンタクトは一条さん、任せてもいいかしら?」
「はい、わかりました」
私は縦に首を振り、地下二階にある――ロボット開発部へと向かった。
エレベーターが開くとすぐに独特の匂いが鼻を刺す。
ツンとしたオイルの匂いと、微かな焦げ臭さ。
電子音が不規則に響く、相変わらずの異空間だ。
でも、もう慣れたものだ。
無機質な廊下を歩き、白のドアが見えてくる。
自動ドアが開くと、そこには白衣とツナギを着た、交わりそうで交わらなそうな二人がいた。
「あっ! 恭弥ー!」
私は手を振った。
「あれ? 大樹?」
「まーちゃんか。待っていたぞ」
恭弥が無造作ヘアーを前髪からかき上げる。クソ……本日もカッコいいな。
「やっほー! 茉莉子ちゃん! いま丁度、恭弥と会場をどうするか話してたんだ!」
大樹が人懐っこい笑顔で手を挙げる。こっちもかよ……並ぶなよ、イケメンが並ぶと空間が捻れる。
「恭弥? 一応先輩なんだから、剣崎先輩と呼べ」
「んまぁ、そんなこと気にすんなって!」
大樹はバシバシと恭弥の背中を叩く。
恭弥が嫌そうな顔をするが、大樹はお構いなしだ。
『まだ抱いてないサメ男と、抱いたゴリラ男が一緒だなんて……皮肉ねぇー』
二人の背後で、明菜が飛び回りながらケラケラと笑っている。
いまその話をするなー! そんな「恭弥だけまだ」とか可哀想なこと言っちゃったら、恭弥が泣いちゃうでしょうにー!
すると突然、恭弥が私の肩を掴んだ。
「オレのK-09を主役にしろ」
「え? なに? K-POP?」
「違う、K-09だ!」
彼は血走った目で訴えてくる。
「簡単に言うと、最新型の自律歩行AI搭載ロボットだ。こいつの性能を見せつければ、サマーフェスは成功間違いなしだ」
「わかったわかった、落ち着いて」
私は彼の興奮を抑えるように、ポンポンと肩を叩いた。
「ステージは頑丈に組むぜ! そのためには俺もいくつか設計図を考えてきたんだ! 見てくれよ!」
大樹がタブレットを突き出してくる。
画面には、複雑な骨組みの図面が表示されていた。
「どれどれ〜……ジャ、ジャングルジム?」
私達三人はあれやこれやと話し合いを始めた。
噛み合っているのかどうかはわからないが、とりあえず熱意だけは伝わってくる。
これでいいとしよう。
午後十二時十五分。
お昼休み。
私は久しぶりに直之の高級焼肉ランチが食べたいと思い特別監視室へ戻ろうと、廊下を歩いていた。
監視室に行くには、あまり人が出入りしない四十四階で降りてから、専用のエレベーターに乗り換えなければならない。
「焼肉♪ 焼肉♪」
鼻歌交じりに歩いていると、突然右手を握られた。
「ひゃあ! 誰だコラ!!」
私は条件反射で振り返り、威嚇した。
そこにいたのは――。
「口が悪いぞ、マリコ」
黒髪のセンターパートから覗く顔面は、まさに韓流アイドル。
金貨の騎士、ソ・ユンジンだった。
整った顔立ちに、少し呆れたような笑みを浮かべている。
「ユ、ユンジン!? なんでここにいるの?」
「はぁ? 今朝メッセージ送っただろ。昼休みにここで会いたいって」
「へ?」
慌ててスマホを取り出す。
通知を確認すると、確かにユンジンからのメッセージが入っていた。
フェスのことで頭が侵食され、完全にスルーしていた。
「ごめん、全然見てなかった……」
「別にいい。こうして会えたんだ」
彼は私の手を握ったまま、甘く微笑んだ。
きゅん♡
そのセリフを聞いた瞬間、胸がときめいてしまう。
「ランチ、まだなんだろ? 一緒に食べよう。……ボクの手作りだけど」
彼は少し照れたように頬を赤らめ、風呂敷包みを差し出した。
んぁぁぁ! 可愛いんだよ! 赤らめんなよ! ド畜生がぁぁぁ!
ここで勝手に【スキル・選択肢シミュレート発動!】
私の視界に、ゲームのような半透明のウィンドウが表示された。
【ユンジンとのランチか直之の高級焼肉ランチどっちにする?】
▶ A:一緒に食べたいとユンジンのお弁当を食べる
(キスというデザートつき/ あわよくばそれ以上も♡)
▶ B:ごめん……私用事があって……
(A5ランクの肉を摂取/ 代償としてユンジンが悲しむ)
▶ C:お腹いたい!ちょっとトイレ
(意味不明/選択した場合変人と思われる)
私は迷った。それはもう、とにかく迷った。
脳裏に、スティーブ・ジョブズの言葉が浮かぶ。
「点と点は、あとからつながる」
いや、やめろ私よ……明菜に感化されすぎてるって……。
悩んだ挙句(約十秒)、私は決断した。
▶ A:「ユンジンと一緒に食べたい」
私達は使われていない会議室でのランチを食べることにした。密会というなの愛のランチ。
ブラインド越しの光が、二人を柔らかく照らしている。
「ほら、マリコがこの前サムギョプサル食べたいって言ってたから」
ユンジンは嬉しそうに弁当箱を広げた。
そこには、綺麗に焼かれた豚バラ肉、サンチュ、キムチ、特製味噌など、サムギョプサルスターターセットが完璧に詰め込まれていた。
「覚えててくれたの!?」
私は目をキラキラさせて見つめた。
「あぁ。デートしたときに食べたいって言ってたのに、ボクは勝手に店を予約してたから」
数週間前の土曜日にデートしたときの話だ。
そんな些細なことを覚えていてくれて、今日持ってきてくれるなんて。
私はワクワクしながら箸を持ち、サンチュに肉を巻いて頬張った。
「ん〜っ! 美味しい!」
「よかった」
彼に見守られながら、私は夢中で食べた。
それはそれは美味しそうに。
「ん〜♡ お腹いっぱい! ごちそうさま、ユンジン」
「お粗末様でした」
二人きりの空間。
満たされた食欲の次は……。
私はモジモジと、若干のキス待ち態勢に入った。
すると、ユンジンが口を開いた。
「今年のサマーフェス、広報ブランディング部でやるんだって? それも、実行委員長がマリコだって聞いたよ」
「そうなの……。なんか成り行きっていうか、パパに頼まれちゃってさ」
私は紙コップのお茶をすすった。
「なんだか、すっかり仕事に板がついてきたな」
クスクスと、擦れた声で笑うユンジン。
「笑い事じゃないからね〜。今から胃がキリキリしてほんと……夜も眠れるよ」
「アハハハ、ごめんごめん」
彼はさらに笑い、椅子から立ち上がった。
そして、私のすぐ前に立つ。
見上げると、彼の整った顔が近づいてきた。
「じゃあ、頑張れるように」
なんてキザなセリフ。
彼の唇が、私の唇に触れた。
ちゅ。
優しい口づけ。
優しすぎて、「違う違う、そうじゃない」と鈴〇雅之のように歌いたくなるが、これもこれでいいと思った。
彼の指が私の頬を撫で、口づけが深くなる。
そのあとは、鍵をかけた会議室で、お昼休みの残り時間をたっぷり使って営んでしまった。
【明菜先生の研究メモ】
被験者データ No.002
・氏名:九条茉莉子(兼・サマーフェス実行委員長)
・職業:広報部員(五股中の魔性の女)
現在のステータス
・魅力:SSR(ランチの女王)
・性欲:A(会議室の扉はロック推奨)
所持アイテム
・【ユンジンの手作り弁当】:サムギョプサル味。愛情とニンニクたっぷり。
・【実行委員長の腕章】:重い。物理的にも精神的にも。
【明菜の分析ログ】
仕事のストレスを男で発散するなんて、立派なキャリアウーマンになったものね。
でも、会議室は防音じゃないから気をつけなさいよ?
それにしても、あの理系男子たちとの共同作業……。
火花が散るのは恋の炎か、それともショートした回路か。
楽しみねぇ♡




