第六十記録【花嫁にダブル・エスコート】
視界が、不意に滲んだ。
絶望の淵に現れた二人の騎士。
恭弥とレオ。
彼らの姿を見た瞬間、張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れ、安堵と喜びが熱い塊となって喉の奥から込み上げてくる。
「あ……」
溢れそうになる涙を、慌てて指先で拭う。せっかくのメイクが崩れてしまう。
「まーちゃん!? 泣くな! えっと、ハンカチ……ハンカチは……!」
恭弥が目を白黒させ、白衣のポケットをまさぐる。
普段の冷徹な科学者の面影などどこにもない。ただのパニックになった青年がそこにいた。
対照的に、レオは口元に握り拳を当て、肩を震わせていた。
「ククッ……君ってやつは。最高のタイミングで泣くんだね。計算かい? それとも天然?」
意地悪く、けれど優しく目を細める。
『よかったわねー』
背後から、甘い香りが漂った。
明菜が私の肩に顎を乗せるようにして、耳元で囁く。
『ここまでしっかり男達と絆を深めてきて成功じゃない? まさか、あの変人たちが自主的に助けに来るなんてね』
からかうような響き。
でも、私は素直に頷いた。
うん。成功、なのかな。
ゲームの攻略フラグが立ったとか、好感度が上がったとか、そんなデータ上の話じゃない。
胸の奥がじんわりと温かい。
リアルでこんなに、誰かに助けられ、愛されたことなんて――今まで、一度もなかったから。
しかし、感傷に浸っている時間は残されていない。
開演までのカウントダウンは止まらないのだ。
恭弥が中指で眼鏡のブリッジをカチャリと押し上げ、冷静さを取り戻す。
「さて、状況は把握した。新郎役が不在なんだな? ならば、論理的に考えて適任はオレだ」
彼は私を見下ろし、早口でまくし立てる。
「まーちゃんの身長にヒール高七センチを加算した場合、並んで歩く際の骨格バランスが黄金比に最も近くなるのはオレだ。数値的根拠がある」
「やだなぁ、恭弥」
レオが優雅な仕草で割って入る。
彼は呆れたように肩をすくめた。
「君の笑顔は『実験成功』の顔だよ? 結婚式に必要なのは愛と営業スマイルだ。大勢の観客を魅了するなら、僕の方が適任に決まっている」
バチバチッ。
二人の視線が空中で火花を散らす。
一歩も引かない。
ちょ、ちょっと! ここで争うな! 時間が!
右には冷徹な知性、左には甘美な毒。
どっちを選べばいいの?
私がオロオロと視線を彷徨わせていると、二人の前にふわりと明菜が降り立った。
彼女は私の目の前で、一枚のカードを空中に描くように提示した。
【THE CHARIOT(戦車)】
二頭の黒と白のスフィンクスが、一台の戦車を引いている絵柄。
『戦車は、相反する二つの力を御してこそ前に進むのよ』
明菜が不敵に笑う。
『マキャベリも言ってるわ。「チャンスは、それを掴む準備ができている者にのみ訪れる」ってね。……どっちか一つなんて、ケチなこと言わないで。欲張りなさいよ、ギルドマスター』
その言葉に、脳内で雷が落ちたような衝撃が走る。
そうだ。
私は強欲な女。
選べないなら――。
私は顔を上げ、二人を睨みつけた。
「二人とも! 聞いて!」
私の剣幕に、言い争っていた二人がキョトンとしてこちらを向く。
「スーツに着替えてきて。今すぐ!」
「……わかった。まーちゃんが言うなら」
「違うよ恭弥、シンデレラは僕に……」
レオが言い終わる前に、私は両手の人差し指を、それぞれの鼻先にビシッと突きつけた。
「どっちも!!」
私たちはバックヤードを駆け抜けた。
衣装部屋からあらかじめ用意されていたメンズモデル用のスーツをひったくり、二人に押し付ける。
彼らが簡易更衣室へ飛び込むと同時に、私はドレスの裾を抱えて舞台袖へと急いだ。
重いドレスが足に絡みつく。
息が切れる。
でも、足取りは羽が生えたように軽かった。
舞台袖に到着する。
ステージからは、司会者の進行アナウンスが聞こえてくる。
私は大きく深呼吸をした。
音がした後ろを振り返る。
カツ、カツ、カツ。
二つの足音が、同時に近づいてくる。
やっぱチートだわ……。
「お待たせ、シンデレラ」
飄々とした、甘い声。
見上げると、そこにはライトグレーのスーツを着崩したレオが立っていた。
明るいグレーが、彼の金髪とヘーゼル色の瞳をより一層輝かせている。
本物の王子様だ。
「こ、こういう服は着ないから似合ってるかはわからないけど……どうだ?」
少し恥ずかしそうな、硬い声。
隣には、ダークネイビーの細身のスーツに身を包んだ恭弥。
いつもの白衣も眼鏡もない。
アッシュグレーの髪を少しかき上げ、露わになった端正な顔立ちが、ネイビーの知的な色気とあまりにもマッチしすぎている。
こいつら、似合いすぎてるぞ……。
破壊力が凄まじい。
思わず拝みそうになるのを堪え、私は二人の間に立った。
「行くよ」
「「ああ(うん)」」
私は右腕を恭弥に、左腕をレオに絡ませた。
二人の体温が、ドレス越しに伝わってくる。
『Next is... The Concept Greed & Pure.』
アナウンスと共に、重厚なカーテンが開く。
光の洪水。
数千の視線。
私たちは、光の中へ踏み出した。
純白のランウェイ。
右手に「冷徹な知性」、左手に「甘美な毒」。
その中央で、私は顎を上げ、堂々と微笑んだ。
前代未聞の、両手に花婿。
「キャァァァァァァッ!!」
会場の空気が爆発した。
悲鳴に近い歓声が、地響きのように押し寄せてくる。
特に女子社員たちのボルテージが最高潮に達しているのがわかる。
眩しいスポットライトの中、私は最前列に座る二人を見つけた。
青崎セイラと、黄倉きあら。
きあらは口をポカーンと開け、扇子を取り落としていた。
セイラさんは眉間に深い皺を寄せ、悔しそうに唇を噛んでいる。
見たか!
私は彼女たちに向けて、慈愛に満ちた聖女の微笑みを向けた。
脳内では、中指を立てて高笑いをしている。
m9(^Д^)プギャー。
最高の「ざまぁ」だ。
ふと、カメラのフラッシュが焚かれた。
ランウェイのサイド、カメラマン席。
黒のスーツを着て、一眼レフを構える男と目が合った。
そこには凪がいた。
ファインダー越しではない、肉眼での一瞬の交錯。
彼の瞳が、揺れていた。
少し、ほんの少しだけ寂しげで。
そして、燃えるような嫉妬を含んだ、熱い瞳。
ドキン、と心臓が跳ねる。
でも、歩みを止めない。
ランウェイの先端まで歩ききり、恭弥とレオと共に、最高のポーズを決めた。
ショーが終わった。
会場は割れんばかりの拍手喝采に包まれていた。
私は再びステージの中央に立った。
今度は、一人で。
最前列の中央。
パパが満面の笑みで、手が腫れそうなほど拍手をしている。
その隣には、山のように大きな直之。
彼はシルクのハンカチで目元を覆い、「お嬢様ぁぁぁ……ッ!」と号泣していた。周りの来賓が少し引いているのが見える。
出入り口付近では、明菜がシャンパングラスを高く掲げていた。
『お疲れ様♡ よくやったわね』
彼女の口の動きが、そう言っていた。
誇らしいなにかを成し遂げるって、こんなに楽しいんだ。
胸がいっぱいになる。
アカネちゃんが小走りでステージに登ってきて、私にマイクを渡してくれた。
彼女の目も真っ赤だ。
私はマイクを握りしめ、深く息を吸った。
「皆様、本日はお忙しい中、『九条グローバル・ブライダル事業部 新作ドレス発表会』にお越しくださいましたこと、誠にありがとうございます」
経営者の娘として、背筋を伸ばし、凛とした声を響かせる。
深く頭を下げる。
一呼吸置いて、顔を上げた。
「この企画をするに当たって、私は沢山のひ人達に力を貸していただきました」
パパを見る。直之を見る。
カメラを降ろしてこちらを見つめる凪。
袖で見守ってくれている恭弥とレオ。
そして、隣にいるアカネちゃん。
「正直に話すと、今日を迎えるまで、何度も何度も挫折しました……。会場手配、メディア対応、モデル選定、当日の進行管理……」
言葉が詰まりそうになるのを堪える。
視線を、セイラさんに向けた。
彼女は腕を組み、負けを認めるように穏やかな顔でこちらを見ていた。
「ですが、イベントが成功した今、私はチーフに感謝を述べたいと思います。青崎チーフ、私と緋色さんに、この大きな企画を任せていただき、ありがとうございました」
嫌味ではない。本心からの言葉だった。
この試練がなければ、私はここまで強くなれなかった。
もう一度、深く頭を下げる。
ワァァァァッ!!
今日一番の拍手が、会場を揺らした。
今の私は、強く、そして綺麗だ。
確信と共に、私はマイクを置いた。
拍手の余韻に包まれながら、舞台裏へと下がる。
緊張の糸が切れ、ドッと疲れが押し寄せてきた。
恭弥は極度の緊張から解放されたのか、「水分補給!」と呟きながら、小走りで給水所へ向かっていった。
「はー……早くこのドレス脱ぎてー……」
私は重たいスカートを持ち上げ、独りごちながら歩き出した。
コルセットが苦しい。早く私服に着替えたい。
その時。
グイッ。
左腕を掴まれた。
「……!」
振り返ると、レオが立っていた。
ライトグレーのスーツが、薄暗いバックヤードでも発光しているように見える。
「とってもよかったよ、さっきのスピーチ」
「あ、ありがとう……」
「流石は僕の見込んだ女の子だ」
彼は目を細め、掴んだ腕を引き寄せた。
距離が縮まる。
彼の整った顔が、私の耳元に近づいてくる。
「……あとで、お仕置きだね」
低く、甘さを含んだ声が鼓膜を震わせた。
ドクン!
心臓が大きく跳ねる。
お仕置き?
なんの?
レオは意味深に微笑むと、パッと手を離し、優雅に歩き去っていった。
その背中を見送りながら、私は呆然と立ち尽くした。
……お仕置きって、なにすんだよ……。
成功の喜びとは別の、甘く危険な予感が、背筋を這い上がってきた。
【明菜先生の研究メモ】
被験者データ No.002
・氏名:九条茉莉子
・職業:広報ブランディング部(下女卒業・エース候補)
新規獲得アイテム
・【トロフィー(名声)】:社内での評価が爆上がり。
・【セイラの信頼(?)】:少なくとも、敵ではなくなったわね。
・【レオの執着】:一番厄介なものを拾っちゃったかもね。
【明菜の分析ログ】
お見事。
論理と虚飾、二つの相反する男を従えてランウェイを歩く姿は、まさに「女帝」そのものだったわ。
でも、気をつけて。
光が強ければ強いほど、影も濃くなる。
嫉妬したカメラマンに、お仕置きを宣告した王子様。
……祭りのあとは、静かになんて終わらせてくれそうにないわね?




