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第百四十六記録【またボクにBite Me】




 十一月三十日、日曜日。午後一時。

 ハワイ別荘、私の自室。


 昨日の大樹との海デート(と夜の濃厚なベッドでの運動)の心地よい疲労を腰の奥に少し引きずりつつも、私は鏡の前で真剣な面持ちになっていた。


 今日は、あの完璧主義の管理者・ユンジンとのデート日なのだ。

 私は姿見の前で、ベージュの落ち着いたワンピースと、純白の軽やかなリゾートワンピースを両手に持ち、唸り声を上げていた。


「どっちがいいと思うー?」


『裸で行きなさいよ』


 広いキングサイズベッドの上でゴロゴロとだらしなく転がっている明菜が、黒の髪を指でくるくると弄りながら、鼻をほじる勢いで適当に答えた。


「んなことできるか!」


 私はワンピースをベッドに投げつけ、悪魔にツッコミのミサイルを撃ち込んだ。


『自分でそれぐらい決めなさいよね〜』


 明菜が気だるそうに起き上がり、指に挟んだ三枚のタロットカードをパラッと扇状に広げて見せた。


 清楚と知性を示す、【THE EMPRESS(女教皇)】。

 選択と恋愛を示す、【THE LOVERS(恋人たち)】。

 そして、誘惑と抗えない欲望を示す、【THE DEVIL(悪魔)】。


『今日のデート相手は、あの潔癖で完璧主義のユンジンなんでしょ? だったら、あえて露出を控えて『清楚(女教皇)』にいったほうが、アッチの支配欲(悪魔)が刺激されて燃え上がって……そのままホテルにGO! になるかもしれないわよ♡ 知らんけど』


 明菜が、無責任かつ的確にオスの本能を解説して煽ってくる。


「んー、じゃあ……白にする!」


 私は白のリゾートワンピースを選び、鏡の前に座って髪をコテで少し巻き、メイクをササッと済ませた。


「でもさー、もう十一月も終わりなんだよね」


 メイクブラシを置き、ハワイの青空が広がる窓の外を見つめた。


『そうね、早いもんよ』


「そろそろ、五人の中から一人を決めなきゃ……だよね」


 パパとの約束の期限は、もうすぐそこまで迫っている。


 誰にしようかなー。

 決まらない……ほんとうに決まらない。


『そんなものは、残りのユンジンとレオと旅行に行ってからでいいんじゃないかしら?』


「そりゃあそうだよ! だっていま決めたら、まだ旅行に行ってないあの二人が不利だもん」


 私は強く頷いた。


『それに、ギリギリまで決めなかったら、全員から沢山抱いてもらえるもんね♡』


「そうそう! ギリギリまで……って、何言わせんだよ!」


『フリードリヒ・ニーチェは言ったわ。「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ」ってね。……アンタ、すっかり五股を楽しむ強欲な怪物ヒロインに育っちゃったわねぇ』


 私は返す言葉もなく、引きつった笑いを浮かべた。


「アハハハ……いってきまーす」


 私は逃げるように部屋を飛び出した。

 今日の私の装備は、大人ヘルシー×ハワイ映えを意識したスタイル。


 風に揺れる軽やかな素材の白のリゾートワンピースに、足元は華奢なストラップサンダル。首元には細いゴールドのネックレスを光らせ、小さめのショルダーバッグを斜め掛けにしている。


 リビングで待っていたユンジンは、シンプル大人カジュアルの極みだった。

 パリッとした白シャツは腕まくりされ、男らしく筋張った前腕を見せつけている。カーキのショートパンツに、足元は清潔感のある白スニーカー。胸元にサングラスをかけ、腕にはシンプルな高級腕時計。


「おまたせ」


「全然まってないよ」


「じゃあいこっか!」

 


 午後二時。

 私たちは、ハワイ最大のショッピングモール「アラモアナセンター」へとやってきた。


 ユンジンに腰に手を添えられ、スマートにエスコートされながら、広大なモール内のハイブランドのコスメショップへと足を踏み入れる。


 店内が広いため、周囲の客を避けるように、自然と二人の距離がゼロ距離に近くなる。彼の微かな香水の匂いが、私の鼻腔をくすぐった。


「マリコ、この色はどうかな。君の白い肌には、少しオレンジ味のあるコーラルピンクが映えると思う」


 プロのモデルとしての確かな審美眼を持つユンジンが、テスターのリップを手に取り、私の唇に優しく、指の腹を使って直接ポンポンと色を乗せてくれた。


「んっ……どう? 似合う?」


 私が上目遣いで尋ねると、ユンジンが一瞬息を呑み、ダークブラウンの瞳を黒く、熱く揺らした。


「……あぁ、完璧だ。誰にも見せたくないくらいにね」


 どっひゃー! その殺し文句いただきましたー!!

 完璧超人の彼から不意に漏れ出た、独占欲を滲ませた「男の顔」。


 私の心臓が、肋骨を突き破りそうな勢いで跳ね上がる。


 リップを購入した後、今度は私が彼の香水を選ぶ番になった。


「これ、すっごくいい香り! ユンジンにぴったり!」


 私は自分の手首に、爽やかなシトラスと深みのあるウッディ系が混ざった香水のテスターを吹きかけ、ユンジンの鼻先に自分の腕を突き出した。


「うん、悪くないね」


 ユンジンが、私の手首に顔を近づけて静かに息を吸い込む。その伏せられた長いまつ毛がエロい。


「なんか、すっごくエロい香りするよね!」


 私が素直な感想を漏らすと、ユンジンが呆れたように眉を上げた。


「基準、そこ?」


「あったりまえでしょー! こんなイケメンなんだから、フェロモン振り撒かなくちゃ!」


 私が堂々と主張すると、ユンジンはクスリと柔らかく笑った。


「君が選んでくれた香りなら、今日から毎日つけるよ」


 ま、毎日って……アンタさんそんな簡単に毎日いうたら……。

 って、もういないし。


 気づけばユンジンはお会計を済ませ、こちらを見て微笑む。


 私たちは購入したばかりのリップと香水をお互いにまとい、イチャイチャ度が最高潮に達した状態で、次の目的地へと向かった。

 


 アラモアナセンターから、ハワイの公共交通機関「ザ・バス」に乗って、カカアコ方面へ移動する。

 時間にして約十分の距離。


 ガタゴトと揺れる車内。

 席が空いていなかったため、私たちは立っていた。


 ユンジンが私を庇うように壁側に立たせ、その長い腕を私の頭上の窓枠についてガードしてくれる。

 いわゆる、自然な壁ドン状態だ。至近距離の彼の胸板に、鼓動が早くなる。


「なんか……こういう普通の路線バスに乗るの、学生のデートみたいで新鮮かも」


「バスなんて普段乗らないから、余計だね」


「ねぇ、ユンジンは学生のころバス通学だった?」


「うん、バス通学だったよ」


「まさか……当時付き合ってた彼女と、一番後ろの席で、あんなことやこんなことを……」


 私が目を細めてニヤニヤと尋ねると、ユンジンは呆れたように息を吐いた。


「アハハハ! 残念ながら、学生時代は全くモテなかったんだ」


「嘘だぁー! 嘘をつくなー! こんな国宝級の顔面が放置されるわけないでしょ!」


 私は信じられず、思わず大きな声を出してしまった。

 車内の数人の乗客の視線が、一斉にこちらに集中する。


「んむっ!」


 ユンジンは慌てて、大きな手で私の口をガシッと塞いだ。


「いきなり大きな声を出すな。びっくりするだろ」


「ご、ごめん……」


 私が塞がれた手の下でモゴモゴと謝ると、ユンジンは目を細めた。


「まぁ、今のは可愛かったから許す」


 彼が至近距離で優しく微笑み、私の頭をポンポンと撫でた。


 バスを降りると、そこはカラフルな壁画ウォールアートが街中の至る所に描かれた、おしゃれなアート地区「カカアコ」に到着。


「わぁ! あの壁画すっごい可愛い! ユンジン、写真撮って!」


 私はモンスターの絵が描かれたウォールアートの前に立ち、ユンジンにスマホを渡した。

 彼がスマホを構え、プロのカメラマンばりの真剣な顔で構図を決める。


 モデルポーズを決めるかと思った?

 フフン……残念でした!


「とおっ!」


 私は、ゲームでよく使う『ビクトリーポーズ(片足を上げ、両手でピースを作るダサいポーズ)』を全力でかましてみせた。


「……すごいポーズだな……」


 ユンジンが、シャッターを切りながら心底ドン引きした声を出した。


「はいはい! 次はユンジンの番だよ!」


 私が強引にスマホを奪い返し、ユンジンを壁の前に立たせる。

 逆に私がユンジンを撮ると、ただポケットに手を入れて立っているだけで、完全にファッション雑誌の表紙のような完璧な一枚に仕上がってしまった。


「被写体のスペックが高すぎる……同じ人間とは思えない」


 私はスマホの画面を見て、思わず舌を巻いた。


 その後は写真を撮り終え、歩きながら自然に会話を弾ませたり、寄り道で可愛いローカルの雑貨屋を覗いたりした。


『あらあら、完璧な「おしゃれカップル」の絵面じゃない。絵に描いたような王道デートね』


 明菜の声が響く。


 王道デートかぁ……。そうかもね。ていうか、ユンジンとならいっつも王道デートみたいになってる気がする。

 大樹みたいなアスレチック感もないし、恭弥みたいなオタク全開でもない。


『まぁ、彼ってとくに強烈な『変態性』がないからじゃない?』


 そ、そんなことないもん! モデルだってできるし、料理だってプロ並みに上手いし!


『でも、それってデートで楽しむことになにか関係あるかしら?』


 うっ……な、ないです。


『けれど、そこがユンジンのいいところ……なのかもね。安心感ってやつよ』


 明菜の珍しく的を射た分析に、私はユンジンの広い背中を見つめながら深く頷いた。

 


 カカアコにある、オープンエアのおしゃれなカフェ「SALT」周辺のテラス席。

 歩き疲れた私たちは、冷たいアイスコーヒーを買って向かい合って座っていた。


 ハワイの心地よい海風が吹き抜ける中。

 テーブルの上で、ユンジンが私の手をそっと握ってきた。


 長くて綺麗な指が、私の指に絡まる。


「マリコ。……今日はボクのわがままな買い物に付き合ってくれて、ありがとう」


「ううん、私こそ。すっごく楽しかった。ユンジンのエスコート、完璧すぎ」


 私が笑顔で答えると、ユンジンは少し真剣な顔になり、私を真っ直ぐに見つめた。


「このハワイでのボクの仕事がほぼ完了して、ようやく少し先のことが考えられるようになったんだ」


 私はコクンと頷き、彼の手を握り返した。


「このプロジェクトが終わって、日本に帰国したら。……すぐに、冬の韓国へ行こう」


 それは、以前のデートの時に交わした、「いつか韓国を案内してあげる」という約束の具現化だった。


「いいけど、まだ連休じゃないよ?」


「そんなものは、九条社長にお願いすれば、ボクとマリコぐらい休めるさ」


「それもそっか……パパにお願いすればイチコロだね」


「君に、ボクの育った街を見せたい。美味しいものを食べて、雪景色の中で……君と二人きりで過ごしたいんだ」


 ハワイの常夏の日差しの中で交わされる、冬の雪景色のロマンチックな約束。

 対極の温度差が、かえって私の胸を甘く締め付けた。


「……うん! 絶対行こうね! 約束だよ!」


 私が満面の笑みで答えると。

 ユンジンは堪えきれないように身を乗り出した。


 カフェの席で、周囲の目も気にすることなく、彼が選んでくれたコーラルピンクのリップを塗った私の唇に、甘く、深いキスを落とした。


「あぁ……早く、君をボクだけのものにしたい」


 唇を離し、ユンジンが熱を帯びた吐息交じりに囁く。


「ユンジン……♡」


 私は彼の甘い言葉と完璧なエスコートに完全にノックアウトされ、最高の王道デートは、甘い余韻と共にカフェのテラスで幕を閉じたのだった。

 


 夕暮れのカカアコ。

 オレンジ色に染まるウォールアートの街を、私たちは手を繋いでゆっくりと歩いていた。


「家に帰ったらさ……私の部屋にきて……」


 私は繋いだ手をギュッと握り、上目遣いで彼を見た。


「ユンジンと、その……イチャイチャしたい」


「マリコ……」


 ユンジンが足を止め、端正な顔で私をじっと見つめてきた。

 夕日に照らされたその瞳は、なんなら今すぐここで押し倒してしまいたい、という強烈な光を放っている。


 彼の手が、私の顔へと伸びてきた。


 キスだ。これは絶対に、熱いキスを求められている。

 私は期待で胸を膨らませ、そっと目を閉じて待機した。


 むぎゅ。


「……ふぇ?」


 なんと、キスどころか、彼の手は私の両頬を容赦なく横に引っ張ったのだ。


「男のボクより正直に誘ってくるなんて、やっぱり君は面白いね」


 ユンジンが、私の顔をマッサージするように揉みくちゃにしながら、心底楽しそうに、意地悪く笑った。


 この完璧超人、やっぱり一筋縄じゃいかない!


 

 【明菜先生の研究メモ】


 被験者データ No.002

 ・氏名:九条茉莉子

 ・状態:完璧なエスコートとロマンチックな未来の約束に恋心がさらに深まるも、最後は意地悪に躱される。


 新規獲得アイテム

 ・【お揃いのリップと香水】:互いの好みで彩られた、デートの甘い記憶を留めるアイテム。

 ・【冬の韓国旅行のチケット(約束)】:常夏の島で結ばれた、未来への熱い誓い。


 【明菜の分析ログ】


 アラモアナでのイチャイチャから、カカアコでの王道デート。……完璧主義の彼が、ハワイの次の「未来(韓国)」という同じ方向をアンタに見せた。

 現場で怒鳴り散らしてる「冷徹な管理者」の顔を完全に隠して、一人の熱い「男」としてアンタをエスコートする姿。……あの完璧超人、本当にアンタにベタ惚れね。


 でも、最後にキスじゃなくて頬を引っ張るあたり、主導権は絶対に譲らないっていう彼なりのプライドが見え隠れして最高じゃない。


 さぁ、次は誰の愛がアンタを絡めとるのかしら? この南の島は、恋の魔法がかかりやすくて困るわね♡

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