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第百四十五記録【理屈より感覚】



 十一月二十九日、土曜日。午前十時。

 ハワイの海沿いを走る、どこまでも続くアスファルトの一本道。


 私と大樹が乗っているのは、パパが別荘のガレージに眠らせていた、目が覚めるような黄緑色のオープン仕様のスポーツカーだった。

 ルーフを開け放ち、ハワイの強い日差しと、海から吹く心地よい風が車内を吹き抜けていく。


「うー……だめだ……頭の中で数字とアルファベットと、爆乳の物理演算コードがぐるぐる回ってるぅ……」


 私は助手席でシートベルトに縛られたまま、完全にゾンビのように干からびていた。

 恭弥のシステム防衛テストの立ち会いや、日々の激務、そして男たちからの猛アプローチ。


 私の脳みそと体力ゲージは、限界を突破してマイナス領域へと突入していた。


「ハハハ! 茉莉子ちゃん、完全に干からびたスライムだな!」


 大樹が、サングラスをかけて爽やかにハンドルを握りながら豪快に笑う。


「誰がスライムよ……。私、この一週間で寿命三年くらい縮んだ気がする……」


「恭弥の奴の、相当エグかったもんな。でも安心しろ! 今日は俺が、茉莉子ちゃんのすり減ったHPを、ハワイの海で完全回復させてやるからよ!」


 大樹が、分厚い大胸筋をバンッと叩いて力強く宣言する。


『あらあら、可哀想に。顔が完全に死んでるわよ、社畜ゲーマーちゃん』


 後部座席の空間に、ハワイアンな水着姿の明菜が姿を現す。


 あーほんと可哀想……。アンタはいいよね、高みの見物してただけでしょ……。


『アタシは特等席で観賞するっていう、これでも超忙しいお仕事なんだから〜。それにしても、この黄緑色のド派手なスポーツカー、バカンスって感じで最高にアガるわね♡ 大樹の筋肉にも似合ってるわ』


 明菜が、扇子で空気を仰ぎながらゴキゲンに笑う。

 私は運転席の窓枠に顎を置き、ぶぅーと息を吐いてバタンキュー状態になっていた。


「この車、めっちゃカッコいいな!」


 大樹が、ハンドルの感触を確かめながら少年のように目を輝かせる。


「そう? なんか変だけど……カエルの痛車って感じ」


「茉莉子ちゃんはわかってねぇーな! この流線型のフォルムと、マフラーの重低音がたまらねぇんだよ!」


「一生わかんなくてもいいです」


「ほんと社長、ありがとうございますだな……エンジン音最高だし……ボディもいいし。茉莉子ちゃん、今日は頭を空っぽにして、俺に身を委ねてくれ!」


「うん……身を委ねるっていうか、もう自力で動く気力がないから、ただの荷物みたいに運んで……」


 私は目を閉じ、エンジン音の振動に身を任せた。

 


 一時間後。

 スポーツカーが到着したのは、観光客の少ない、隠れ家的な美しい白砂のビーチだった。

 エメラルドグリーンの海と、青い空。


 私たちは着替えを済ませ、砂浜へと足を踏み入れた。


「どう? 今日の海のために、さらにパンプアップしてきたぜ!」


 大樹が、赤と黒のボードショーツ一丁の姿で、太陽に向かって両腕を曲げ、自慢の筋肉をアピールする。


 現場の肉体労働とハワイの太陽で鍛え上げられた、一切の無駄がない褐色のシックスパックと大胸筋。

 彫刻のようなその肉体美に、私はサングラスの奥でゴクリと生唾を飲み込んだ。


 エロすぎ、今すぐ抱いて。


 私の性欲ゲージが、干からびたスライム状態から一気にフルスロットルへと跳ね上がる。

 一方の私の装備は、白のスポーティなビキニトップの上に、ジップアップの長袖ラッシュガードを半分開けて羽織り、下はネイビーのショートパンツタイプの水着だった。


「防御力高めにしておきました。これ以上日焼けしたら、水ぶくれになるし」


 私はラッシュガードのジッパーを触りながら言い訳した。


『アンタ、せっかく海に来たんだからもっとバンッ! と出しなさいよ! ほら、谷間谷間! ジップ下ろすのよ』


 明菜が、私の耳元で鬱陶しく煽ってくる。


 これ以上露出したら、目の前のゴリラが発情して暴走するでしょ!


「……いや、ガード固めでも、茉莉子ちゃんめっちゃ可愛い……! むしろ、そのショートパンツから伸びる白い脚が最高にエロ……いや、健康的でいい!!」


 大樹が、鼻の下を指で擦りながら、顔を真っ赤にして必死に取り繕っている。


 全然隠しきれてないぞ、筋肉くん。


「で、今日は何するの?」


「これだよこれ!」


 大樹が指差したのは、波打ち際に停泊しているジェットスキーと、その横に用意された『ウェイクボード(水上ボード)』だった。


「ハワイの波と風を、全身で感じるんだ! 小難しい理屈は一切なし! ただ波に乗るだけだぜ!」


 私はライフジャケットを着用し、ウェイクボードの両足を固定した。

 少し離れた前方で、大樹がジェットスキーに跨り、エンジンを吹かしている。


「最初は膝を少し曲げて! ボードの真ん中に重心を置くんだ! リラックスして波に乗れー!」


 大樹のアドバイスが響く。


「わ、わかった! いくよー!」


 キュイィィィン!!


 ジェットスキーが発進し、私が握るロープが猛烈な力で引っ張られる。


「うおぉぉ……っ、ぶくぶくぶく!!」


 バランスを崩した私は、ボードの上に立つどころか、盛大に海面へと顔面からダイブした。

 鼻に海水が入り、むせ返る。


『ぷぷっ! ダサいわねぇ! 運動音痴のインドアゲーマーには、リアルな波乗りはハードル高かったかしら〜?』


 いつの間に用意したのか、サーフボードに乗った軽快な明菜が、私の頭の周りをグルグルと回りながら煽ってくる。


 くっそー! ムカつくー!


『悔しかったら乗りこなしてごらんなさーい♡』


 私は海水を吐き出し、負けん気に火をつけた。

 ボードの重心コントロール……これはアクションゲームのジャイロ操作と同じだ!


 「ボードの重心=コントローラーのアナログスティックの微調整」。


 私は、脳内で無理やりゲーム理論に変換してイメージを固めた。

 再挑戦。


 ググッとロープが引かれる。

 私は膝のクッションを使い、海面を滑るボードの上にグッと立ち上がった!


「おおお! 立てた! 大樹、立てたよ!」


「すげぇ! さすが茉莉子ちゃん、センス抜群だ! そのまま風に乗れーー!!」


 ジェットスキーのスピードが上がり、私はハワイの美しい青い海を、真っ白な飛沫を上げて切り裂いていく。


 全身を吹き抜ける熱い風。

 弾ける波の音。

 どこまでも広がる、底抜けに青い空。


 システム構築でパンクしていた脳の疲労や、面倒な数字の羅列が、波の飛沫と共に嘘のように一瞬で洗い流されていく。


「きーもーちーいーーい!!!」


 私は、海の上で心からの歓声を上げた。

 私の極上の笑顔を見て、ジェットスキーを運転しながら振り返った大樹も、太陽のように眩しい、最高の笑顔を弾けさせたのだった。

 


 全身の筋肉を使い果たし、夕暮れが近づく頃。


 私たちはシャワーを浴びて着替えを済ませ、誰もいない静かな砂浜に二人でちょこんと座って、オレンジ色に染まる海を眺めていた。


 少し大きめの白い無地Tシャツを、色落ちしたデニムのショートパンツにゆるくインしたラフなスタイル。

 濡れた髪から、フローラル系のシャンプーのいい匂いが風に乗って漂う。


 隣に座る大樹は、素肌の逞しい胸元の上に、柄物のオープンアロハシャツを羽織り、下は水着のボードショーツのままという、最高にセクシーな野生児スタイルだった。


 ピトッ。


「ひゃっ、冷た!」


 大樹が、クーラーボックスから出した冷たいグァバの缶ジュースを、私の火照った頬に押し当ててきた。


「お疲れ様。……どう? 少しはリフレッシュできた?」


 大樹が、優しく微笑みながらジュースを渡してくれる。

 私はプシュッとプルタブを開け、冷たいジュースを喉に流し込んだ。


「うん、すっごく楽しかった。……なんか、頭のもやもやとか、疲れが全部どっかに吹き飛んだよ。大樹のおかげ。ありがとう」


 私が素直に感謝を伝えると、大樹は照れくさそうに日焼けした鼻の頭を擦った。

 そして、真剣な目で、私を真っ直ぐに見つめてきた。


「俺さ、恭弥やユンジンみたいに頭よくねぇし、難しいコードとか経営の話はわかんねぇけどさ。……茉莉子ちゃんが疲れて行き詰まってる時、こうやって手を引いて笑わせることくらいはできるからさ。いつでも頼ってくれよ」


 その言葉には、一切の打算も、計算もない。

 ただ純粋な、愚直なまでの一途な愛情だけが込められていた。


「……十分すぎるよ。大樹のそういう真っ直ぐなところ、私、本当に好き」


 私は、照れ隠しもせず、彼の目を見て素直な気持ちを口にした。


「っ……!! す、すす、好き!?」


 私の不意打ちの言葉に、大樹の顔が一瞬で、完熟した林檎のように真っ赤に茹で上がった。


「それ……反則だろ……」


 大樹が、顔を覆い隠すように俯く。


「え? なんで……んっ!」


 私が不思議に思って言葉を紡ごうとした、その瞬間。

 大樹の大きな熱い手が、私の頬をガッシリと掴んだ。


 そのまま、有無を言わさぬ力で引き寄せられ、大樹の唇が私の唇を深く塞いだ。

 波音が静かに響く砂浜。


 それは、テクニックや理屈なんて存在しない、ただすべてを包み込むような、熱く、深く、私の芯まで溶かすようなキスだった。


「んっ……ぁ……大樹……」


 息継ぎすら惜しむように、貪欲に唇を重ね合わされる。

 私は彼の広い肩に両腕を回し、ショートパンツから伸びる素足を砂浜に投げ出したまま、彼の真っ直ぐな熱情と、フェロモンに、身も心もとろとろに溶かされていった。


 深く長いキスの後。


 唇を離し、私たちは額をこつんと合わせたまま、荒い息を吐きながら照れくさそうに笑い合った。


「ここでシちゃう?」


 完全に欲情ゲージが振り切れた私が、笑顔で囁く。


「バカ……こんなとこで逮捕されたら、明日から仕事できなくなるぞ」


 大樹が、私の鼻の頭を軽くつねって苦笑する。


「それもそうだね」


「うし! んじゃあ、ホテルいくか!」


 大樹が勢いよく立ち上がり、私に大きな手を差し伸べた。

 私たちは手を繋ぎ、黄緑色のスポーツカーに乗って、甘い夜の続きへと向けて走り出した。


 

 【明菜先生の研究メモ】


 被験者データ No.002

 ・氏名:九条茉莉子

 ・状態:サイバー疲労が限界突破していたが、大型犬(大樹)の物理的なアクティビティと真っ直ぐな愛情により完全回復。


 新規獲得アイテム

 ・【黄緑色のオープンカー】:非日常へ連れ出す、ド派手なオープンカー。

 ・【海辺のディープキス】:理屈を吹き飛ばす、真っ直ぐで純粋なオスの熱。


 【明菜の分析ログ】


 勝海舟は言ったわ。「事を成し遂げる者は愚直でなければならぬ。才走ってはうまくいかない」ってね。

 恭弥や緑子みたいな頭脳派(才走る者)の戦いもいいけど、限界まで疲れた頭を癒やすのは、結局のところ大樹みたいな『愚直で真っ直ぐな愛情』なのよね。


 海を切り裂いて笑い合って、夕日を背に濃厚なキス。……小難しい理屈なんて一切ない、最高の脳筋バカンスじゃない♡

 アンタのショートパンツ姿に欲情を隠しきれないゴリラ君、最高に可愛かったわよ。

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