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第百六記録【OMG】




 九月二十六日、水曜日。

 午後七時。

 東京都心部。


 ステラの来日公演が明日に迫り、そして彼女が帰国する前夜。

 私は「最高のご飯が食べたい」という彼女のリクエストを叶えるため、アーサーの渋々な了承の下、お忍びで連れ出していた。

 

 九条グローバル手配の黒塗りの車内。


「門限は二十一時とします、いいですね?」


 運転席から腰を捻り、後部座席に座る私とステラに向かって、アーサーがビシッと人差し指を立てた。

 その顔は相変わらず厳格な英国紳士だが、数日前のような殺気立ったピリピリ感はなく、ただの過保護な父親の顔になっていた。


「もちろんよ」


 ステラが、少し大きめのヴィンテージGジャンの襟を立てながらウインクをする。


「任せて!」


 私も自信満々に胸を叩いた。


「では、いってらっしゃい」


 アーサーに見送られ、私たちは車を降りた。


 見上げるほど高い、港区の超高級タワーマンション。

 エントランスの自動ドアを抜け、セキュリティを顔パスで通過し、煌びやかなエレベーターに乗り込む。


「でも、本当によかったの? ユンジンさんだっけ? その人の家でなんて」


 ステラが、少しだけ申し訳なさそうに小首を傾げた。


「いいのいいの! ユンジンもそのほうが楽だって言ってたし」


 私は笑顔で手を振った。

 実際、外のレストランを貸し切るよりも、セキュリティが完璧なユンジンのタワマンのほうがパパラッチ対策としては最強なのだ。


『そうよね、歌姫が帰ったあと、そのままエッチできちゃうんだもん。手っ取り早くていいわよね』


「そうそう! ホテルに行く必要もなくそのまま……って、何言い出すんだよ、もうー! ステラちゃんのバカー!」


 私は顔を真っ赤にして、隣にいるステラの背中をバシバシと照れ隠しで叩いた。


「え? ワタシなにも言ってないけど?」


 ステラが目を丸くして、キョトンとしている。


「へ?」


『二十四時間一緒にいるお姉ちゃんの声忘れちゃったの〜? 明菜かーなーしーい』


 見上げるとエレベーターの天井付近から、クスクスと笑い声を落としていたのは……。


 あ、明菜だったの!? んもう! ややこしいからどっか行け!

 

 とりあえず私は、不思議そうに見ているステラに向かって。


「ごめんごめん! あまりにも疲れてて、つい幻聴が!」


 とかなんとか、適当な言い訳を並べて誤魔化しておいた。

 悪魔のせいで、私がただの情緒不安定なヤバい奴だと思われたらどうしてくれんだ。

 

 上昇するエレベーターの中、大きな鏡に二人の姿が映り込む。


 一人は、完全にオフモードの世界的ロックスター。

 オーバーサイズのヴィンテージGジャンをダボッと着こなし、下は黒のダメージスキニーデニム。目深に被った黒のキャップから、真紅のメッシュがチラリと覗く、完璧なお忍びロックスタイル。


 もう一人は、絶賛五股中の令嬢な私。

 秋を先取りした、マスタードイエローのタイトなニットに、ブラウンのチェック柄ミニスカート。足元は黒のショートブーツで絶対領域をアピールする、あざと可愛い秋服コーデだ。


 なんとも可愛い私達♡


 鏡の中の自分たちの仕上がりに、密かにご満悦になっていると。


「二人で写真撮ろう」


 ステラがスマホを取り出し、内カメにしてポーズを決めてきた。


「おっ、いいね!」


 私もすぐさま隣に顔を寄せ、満面の笑顔でピースサインを作る。


 パシャリ。


 シャッター音が鳴った絶妙なタイミングで、エレベーターが最上階に到着し、静かに扉が開いた。

 


 廊下を歩き、見慣れた重厚なドアの前に立つ。

 慣れた手つきでインターホンを押すと。


『いま、開けるよ』


「お願いしまーす」


 スピーカー越しでもわかる、低くて甘い、洗練された声が響いた。

 カチャリと鍵が開き、ドアが内側へ開く。


 出迎えた彼の姿を見て、私の心臓がドキンと跳ねた。


 上質な黒のシルクシャツを纏い、第二ボタンまで無造作に開けられている。そこから覗く、発光するような白い肌と、色気のある鎖骨のライン。

 下は黒のテーパードスラックスという、オールブラックの洗練されたラフスタイル。


 ドエロすぎて、滅!


 私の中の煩悩センサーが、一瞬で振り切れる音がした。


「いらっしゃい。ステラも、よく来てくれたね」


 ユンジンが完璧なモデルスマイルでエスコートし、私たちを中へと招き入れる。


「ワオ……」


 リビングに通されたステラが、思わず息を呑んで立ち尽くした。


 壁一面の巨大なガラス窓からは、東京タワーを含むパノラマ夜景が、まるでこの部屋の主役のように煌びやかに広がっている。

 何度見ても圧倒される、非日常の空間。


「ステラの好みがあまりわからなくてね」


 大理石のアイランドキッチンに立ったユンジンが、腕まくりをしながら言った。

 彼が用意していたのは、大豆ミートとたっぷりの野菜を使った『特製ヴィーガン餃子』のタネだった。


「餃子かー、いいね!」


 私が手を叩いて喜ぶと、ステラが不思議そうに首を傾げた。


「ギョウザ? 食べたことないわ」


「ただ食べるだけじゃ面白くない。みんなで包もう」


 ユンジンの提案で、広い大理石のダイニングテーブルに餃子の皮とタネ、そして小皿に張った水が用意され、三人で餃子作りがスタートした。


「こうやって、皮の端に水をつけて……ヒダを作っていくんだよ」


 私が手本を見せながら説明すると、ステラは不器用な手つきで皮を折りたたみ始めた。


「オーケー、やってみる」


 しかし、中身を入れすぎたせいで、無惨にも皮が破れ、タネがはみ出してしまう。


「アハハ、入れすぎだよステラちゃん!」


「難しいわね、これ!」


 和気あいあいとした空気が、リビングに満ちていく。


「ボクは特製ダレとスープの仕上げをしてくる」


 しばらくして、ユンジンがそう言い残し、アイランドキッチンの方へ少し離れていった。


 ダイニングテーブルに取り残され、不器用に餃子を包み続ける私とステラ。

 すると、ステラがチラリとキッチンに立つユンジンの広い背中を見て、悪戯っぽく笑いながら私に小声で尋ねてきた。


「ねぇ、マリコ。……ワタシ、ずっと気になってたんだけど」


「ん? なに?」


「スタジオに来てくれたクールなメガネの彼(恭弥)と、楽屋でワタシの心を開いてくれた彼(凪)、そしてこのパーフェクトなユンジン……」


 ステラの瞳が、興味津々に光る。


「三人とも、マリコを見る目が『ただの同僚』じゃなかったわ。……一体、どういう関係なの?」


 ギクッ。


 包みかけの餃子から、タネがボロッとこぼれ落ちた。


 鋭い。流石はトップアーティスト、人の感情の機微には敏感だ。

 適当に誤魔化そうか、一瞬迷う。


 でも、彼女のあの切実な本心を知っている仲だからこそ、ここで嘘をつくのはなんだか違う気がした。

 

「えっとね……実は私、一生遊んで暮らすために『最強の婿探し』をしてて」


「ムコサガシ?」


「そう。……で、ぶっちゃけ今、五人の男と同時進行でフラグ立ててる最中なんだよね」


 我ながら、最低最悪のクズ発言だ。

 軽蔑されるか、引かれるか。

 しかし。


「オーマイガー! 五人!?」


 ステラは目を丸くした後、バンバンとテーブルを叩いて大爆笑し始めたのだ。


「ハハハッ、マリコって最高にクレイジーね!!」


「えっ……引かないの?」


「引くわけないじゃない! ワタシ、そういう自分の欲望に正直な女の子、大好きよ!」


 彼女は涙目になりながら笑い転げ、大絶賛してくれた。

 よかった、世界的な歌姫は器の大きさも世界的だった。


「いや、ほんとにイカれてるよね、私」


 自分でも呆れながら笑うと、ステラがニヤニヤと顔を近づけてきた。


「その中でもお気に入りとかいるんじゃない?」


「それがさー、いないのよ……」


 私は深いため息をつき、ぐったりと肩を落とした。


「ホントにみんな大好き過ぎて、先を考えるだけで胃が痛い」


 それぞれベクトルは違えど、五人とも本気で私のことを愛してくれている。

 その重さを知っているからこそ、誰か一人を選ぶなんて、今の私には到底できない。


「フフフ、結婚式には是非呼んでね♡ 楽しみにしてるわ」


「も、もちろん!」


 引きつった笑顔で返す私と、楽しそうなステラ。


『マリリン・モンローは言ったわ』


 二人の笑い声に混じって、ダイニングの空いた椅子に、いつの間にか明菜がフワリと出現していた。

 彼女はテーブルに腰掛け、優雅に足を組み、私たちを見つめている。


『「私はわがままで、せっかちで、少し不安定。でも最悪の時の私を扱えないなら、最高の時の私を扱う資格はない」ってね』


 マリリン・モンローに例えてくれるなんて、最高に光栄だよん、明菜ちゃん。


『五人の男を手玉に取って、最高のタワマンで女同士で笑い合う……。アンタ、すっかり東京の夜を支配する悪女になっちゃって♡』


 明菜が妖しく微笑む。

 これが私の生存戦略だ!

 


「お二人さん、かなり仲いいな」


 スープの準備を終えたユンジンが戻ってきて、私たちが不格好に作った餃子をトレイに回収し始めた。


「えぇ。貴方がとってもパーフェクトだから、マリコに彼女いないの? って聞いたの」


 ステラが、悪戯っぽくユンジンに視線を送る。


「ちょっと! ス、ステラ〜!」


 私は慌てて彼女の腕を小突いた。


「へぇ……」


 ユンジンの手がピタリと止まり、切れ長の瞳が私を射抜く。


「じゃあ、マリコはなんだって?」


「いないって言ってたわ。だから、ワタシとお付き合いしてくれるかしら」


 ステラが私を見て、いたずらにペロリと舌を出した。

 完全に私をからかっている。


 やばい、動揺する!

 私の心臓の音が、ドクン、ドクンとうるさいくらいに跳ねている。


 こんな際どい冗談、あのユンジンがどう返すのか。


 彼は一瞬だけ目を細め、そして、端正な顔立ちにフッと余裕の微笑みを浮かべた。


「キミのような素敵なレディにそんな言葉を受けると思ってなくて、光栄だよ」


 スマートな返し。

 しかし、その直後。


「だけど、ボクには愛すべき女性がいるから」


 その瞬間。

 ユンジンの瞳が、チラリと私だけを捉え、口角だけを僅かに引き上げたのだ。


 ドッッッキン!!


 私の顔が一気に沸騰し、耳の先まで真っ赤に染まるのがわかった。


「さ、餃子を焼いていくとするよ」


 ユンジンは何事もなかったかのようにトレイを持ち、涼しい顔でキッチンへと向かっていった。


「よかったわね、マリコ」


 ステラが、私の赤い顔を見てクスクスと笑う。


「もうー、からかわないでよ……っ」


 私は熱くなった頬を両手で押さえ、恨めしげに彼女を睨んだ。


 キッチンからは、ごま油の香ばしい匂いと、ジュウゥゥッという食欲をそそる音が響いてくる。


 ユンジンの見事な手さばきで、あっという間に餃子が焼き上がった。

 さっきまで餃子作りをしていたダイニングテーブルを片付け、夜景をバックに三人でいざ実食。


 パリッとした美しい羽付きの餃子を箸でつまみ、一口食べたステラが、「オー!」と目を輝かせた。


「デリシャス!! お肉を使ってないのに、こんなにジューシーなんて!」


 彼女の笑顔は、ステージ上の狂戦士でも、部屋で震えていた小動物でもない、年相応の無邪気な女の子のそれだった。


「ユンジンのご飯、やっぱり世界一!」


 私も熱々の餃子に舌鼓を打ち、親指を立ててユンジンを絶賛する。


「三人で作ったんだから、ボクだけの手柄じゃないよ」


 ユンジンが、照れ隠しのようにフッと笑い、ビールが入ったグラスを傾けた。


 窓の外には、オレンジ色に光る東京タワー。

 美味しいご飯と、楽しい会話。


 終始和やかで、笑いの絶えない最高のディナータイムが、秋の夜長にゆっくりと過ぎていった。


 

 【明菜先生の研究メモ】


 被験者データ No.002

 ・氏名:九条茉莉子

 ・状態:五股をカミングアウトし、悪女としてのガールズトークを深める。


 新規獲得アイテム

 ・【特製ヴィーガン餃子】:肉なしでも肉食獣ユンジンの愛がたっぷり詰まった絶品料理。

 ・【愛すべき女性宣言】:他の女の前でサラリと放たれた、最強の所有権主張マーキング


 【明菜の分析ログ】


 世界的歌姫に「五股してます」なんてぶっちゃける度胸、アンタも立派なクレイジーガールね。

 でも、それを笑い飛ばしてくれるステラも最高じゃない。悪女の周りには、やっぱりイカれた女が集まるのよ。


 そしてユンジン……相変わらず隙がないわね。「愛すべき女性がいる」なんて、あんなサラッと言われたら、そりゃあ顔から火も出るわ。


 でも、彼女が帰った後、あの完璧なタワマンで二人がどんな「デザート」を楽しむのかしら?

 アタシはそっちの方が興味あるわ♡

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