第百五記録【歩いている道が気に入らないなら、新しい道を作り始めればいい】
都内を走る九条グローバルの黒塗りの社用車。
その助手席に深く腰を沈め、私は流れる景色をぼんやりと眺めていた。
運転席では、完璧なスーツを着こなした凪が、滑らかな手つきでハンドルを捌いている。
私たちは今、ステラの雑誌インタビューが行われるスタジオへと向かっていた。
「ステラちゃんの気持ち、ちょっとわかる気がするんだよね」
静かな車内で、私はポツリと切り出した。
「どういうこと?」
凪が前を向いたまま、短く尋ねてくる。
私はシートベルトをいじりながら、さっき凪がハッキングして暴き出した、彼女の「本当の姿」を思い返していた。
「本当はカントリーみたいな静かな曲が好きなのに、周りからは過激な『ロックの歌姫』を求められて、それに必死に応えようとしてるじゃない? ……夢を諦めて、別の自分を演じる苦しさっていうかさ」
ふと、隣から放たれる空気が、一瞬で鋭く冷たくなったのがわかった。
「……夢が叶う人間なんて、ほんの一握りだから」
凪の声に甘さなど微塵もない。
氷のように冷たく、突き放すような響きだった。
「諦めて現実を見るのも、生きるための賢い選択でしょ」
彼の横顔は、彫刻のように硬く強張っていた。
ネカフェの密室で聞いた、彼の過去。
写真家になるという夢を親に猛反対され、カメラを叩き壊されて「狂犬」になった、あの重い記憶。
それが、私の言葉で無意識に刺激されてしまったのだ。
でも、だからといって。
私はステラちゃんの現状を『賢い選択』なんて言葉で片付けたくなかった。
「でもさ、ステラちゃんには本当の夢を諦めてほしくないの」
私は身を乗り出し、強い語気で反論した。
「茉莉子さん……そんな甘いこと言えるのは、一部の人間だけだから」
凪が眉間に深い皺を寄せ、ギリッと奥歯を噛み締める。
「そんなことない、夢は諦めなければいつか叶う!」
キキッ!
一瞬、車が不自然に減速し、私の身体が前につんのめりそうになる。
凪が急ブレーキを踏みそうになるほど、感情を乱したのだ。
「じゃあ茉莉子さんは夢を叶えられたの!?」
車内に、普段の彼からは想像もつかないほど大きな、怒鳴り声のような声が響き渡った。
ビクリ、と私の肩が大きく跳ねる。
重く、息苦しい緊張感が車内を支配した。
怒鳴られた恐怖よりも、彼の痛いところを抉ってしまったことへの動揺が先に立つ。
私は震えそうになる指をギュッと握り込み、少しだけ俯いた。
「私ね、女優になりたかったの」
凪には話したけど、もう一度だけ伝えたいとおもった。
だから。
静かに、けれど芯のある声で、自らの古傷を口にする。
「まぁ、結局なれなかったけどね。才能ないって言われて、そのあと逃げちゃったから」
あの時、逃げずに食らいついていれば、何かが変わったのだろうか。
今でも時々、考えることがある。
私の言葉に凪がハッとしたように、大きく息を呑む音が聞こえた。
赤信号で車が停まる。
自分が私の古傷をえぐり、感情的に怒鳴ってしまったことへの、猛烈な自己嫌悪。
彼の下がったまつ毛が、微かに震えている。
「……ごめん。俺……」
消え入りそうな声。
私は横を向き、彼のハンドルを握る手に、自分の手をそっと重ねた。
「いいよ。だからこそ、ステラちゃんには後悔してほしくない……。凪ならわかってくれるよね?」
凪は重ねられた私の手を見つめた後、小さく、しかし力強く頷いた。
「……やってみる」
車内に、再び静かで温かい空気が戻る。
夢を諦めた者同士、言葉にしなくても伝わる深い絆の関係が、再び強固に結ばれた気がした。
午後二時。
雑誌のインタビュー現場。
恭弥の結界がない通常のスタジオだったが、ステラは落ち着いた様子でインタビューに答えていた。
アーサーも、腕を組みながら少し離れた場所でその様子を静かに見守っている。
音の被害はなさそうだな。
私は胸を撫で下ろし、スタジオの隅から彼女を見つめていた。
すると、インタビューの合間にこちらへ視線を向けたステラが、カメラの死角で私に向かって小さく手を振ってきたのだ。
ズキュン。
大スターからのファンサ……可愛い〜!!
私は心の中で萌え転がりながら、小さく手を振り返した。
だが、その彼女の笑顔は、どこか無理をして、重い鎧を引きずりながら笑っているように見えた。
『あらあら、無理しちゃって』
不意に、私の隣に明菜が現れた。
彼女はスタジオのケータリングにあった紙コップのコーヒーを片手に、退屈そうに息を吐く。
そして、空いている手で空中に三枚のタロットカードをフリップした。
【THE MOON(月)】、【THE DEVIL(悪魔)】、そして【WHEEL of FORTUNE(運命の輪)】。
『……彼女、本当は月明かりの下で静かに歌いたいのよ。でも、派手な悪魔の鎖に巻かれることが、この厳しい世界で生き残り、人に見てもらうための「最短ルート」だった。……アンタも、重い鎧の脱がせ方くらい、わかるわよね?』
な、なに? え? 最短ルート?
私が怪訝な顔を向けると、明菜は意味深に言葉を濁したまま、スッと虚空に溶けて消えてしまった。
ちゃんと言い残せー!
明菜に悪態をつきながら、私は彼女の言葉を咀嚼する。
悪魔の鎖……つまり、ロックという激しいジャンルや過激なメイクが、彼女が売れるために「着せられた鎧」だったってことか。
そして運命の輪。今こそ、その鎧を脱ぎ捨てるターニングポイント。
よし、作戦の解像度が上がってきたぞ。
インタビュー終了後、ステラの広々とした楽屋。
アーサーとステラが座る高級なレザーソファの向かいに、私と凪が腰を下ろしていた。
凪がスッと自分のタブレットを取り出し、テーブルの中央に置いた。
画面に映し出されたのは、ステラがデビュー前に地元の小さなパブで、アコースティックギターを弾きながらカントリーミュージックを歌う動画。
そして、ひっそりと更新されていた、彼女の匿名鍵アカウント(裏垢)の切実なポエムの数々。
「なっ……! これ……!」
ステラが激しく動揺し、両手で口元を覆った。
「キミたち! 科学者くんのシステムには感謝しているが、ステラのプライベートをここまで調べ上げるとは何事だ! 目的はなんだ! ここまでされたら、もう黙っておかんぞ!」
アーサーが顔を真っ赤にして激怒し、過保護なモンペっぷりを全開にして立ち上がった。
しかし、凪はそんな彼の怒声を、氷のように冷ややかな目でサラリと躱す。
そして、ステラだけを真っ直ぐに見つめた。
「昔の裏垢、見ちゃいました。本当はカントリーミュージックや、静かなアコースティックが好きなんですよね?」
ステラが、ヒッと小さく息を呑む。
「ロックっていう重い『鎧』を着せられて、世界中から攻撃的なカリスマを求められる……本当の自分を隠すの、しんどいでしょ?」
親に夢を潰された孤独を味わった凪自身の言葉だからこそ、その優しさはステラの心の奥底に鋭く、深く突き刺さっていた。
私は身を乗り出し、彼女に優しく微笑みかけた。
「ここはセーフエリアだから、初期装備に戻っていいんだよ」
ゲーマー用語の、なんとも奇々怪々な全開のフォロー。
その言葉に、ステラの中で張り詰めていた太い糸が、プツリと切れる音がした。
彼女の大きな目から、大粒の涙がポロポロと溢れ出す。
「……ワタシ、田舎でカントリーを歌うのが好きだった。でも、オーディションで『地味すぎる、それじゃ誰も見向きもしない』って全否定されたの」
嗚咽を漏らしながら、彼女が本当の想いを吐露し始める。
「それで、怒りと反骨心を歌えって言われて……この派手なメイクとロックの鎧を着たら、信じられないくらい世界中がワタシを求めた。……嬉しかった。でも、本当のワタシを出したら、ファンは離れていく。ワタシを信じて育ててくれたアーサーたちを裏切ることになる……それが怖かったの……!」
悲痛な叫び。
私は、彼女の気持ちが痛いほどよくわかった。
他人の期待に応えるために、自分を偽り続ける苦しさ。
「鎧、重すぎっしょ! たまにはロックなんてジョブから、カントリーアーティストにジョブチェンして歌えばいいじゃん! そんなんだと肩こるよ?」
私は面白おかしく、でも本質を突いたフォローを入れた。
しかし、その言葉が逆に彼女の不安を煽ってしまったらしい。
「そんな簡単なものじゃないわ! 芸能の世界はね、一瞬でも見られなくなったら終わりなの!」
ステラが涙声で私に声を荒げる。
「ご、ごめんなさい」
私が慌てて謝罪した、その時だった。
ずっと黙って聞いていたアーサーが、崩れ落ちるように膝をついたのだ。
「すまない、ステラ……。私は誰よりも君の実力を買っているし、誰よりも心配していた。……だが、そんな私自身が、君を苦しめ、本当の君を殺す『悪』だったとは……気づかなかった……!」
アーサーの顔は後悔に歪み、両手で頭を抱えて懺悔した。
湿っぽく、重い空気が楽屋を支配する。
流石に空気が重すぎる……あっ! そうだ!
私はパンッ! と大きく手を叩き、その空気を物理的に切り裂いた。
「じゃあさ、今回の九条グローバルのタイアップ曲、ゴリゴリのロックじゃなくて、ステラちゃんのやりたい『カントリー調』にしちゃうのはどう?」
驚いて顔を上げる三人に、私はニヤリと悪女のような笑みを浮かべた。
「自社としても、いつもの『ロックでウェーイ!』よりも、ロックの歌姫の『新たな一面』を引き出したっていうストーリーがあった方が、話題性抜群でウチの会社の名前もさらに世界に轟くでしょ? 完全にウィンウィンじゃん!」
完璧な采配。ドヤ! 最高やろー!
ステラが涙で顔をグシャグシャにしながら、私の両手を強く、強く握りしめた。
「……是非、やらせて!」
アーサーも力強く立ち上がり、私と凪に向かって深く頭を下げる。
「今回はステラに任せる。会社の連中には、私が全力で掛け合って説き伏せてみせるよ」
感動的な大団円。
よし、クエスト完全クリアだ!
その瞬間。
ギャーン!!
不意に、楽屋の空気を切り裂くような、けたたましいディストーションのかかったエレキギターの音が鳴り響いた。
ステラの背後の空間に、紫のエレキギターを抱えた明菜が出現し、ノリノリでコードをかき鳴らしている。
『ジミ・ヘンドリックスは言ったわ! 「知識は語り、知恵は耳を傾ける」ってね! ステラの心の声に耳を傾けたアンタの知恵、最高にロックだったわよ! サンキュー!!』
カントリーやるって決まった直後にゴリゴリのディストーション鳴らすな! 空気読め悪魔!
私は盛大にツッコミを入れながら、引き攣った笑顔を維持した。
帰り際。
すっかり元の明るい笑顔を取り戻したステラが、私に向かって満面の笑みで告げた。
「ワタシ、マリコと最後に食事がしたい! マリコがおすすめする、最高のご飯が食べたいな!」
それを聞いた瞬間、私の脳内に、あの「完璧な管理魔であり、料理の鬼軍曹」の顔が浮かんだ。
「任せて! だったら……超有能で最強な『イケメンシェフ』、用意するね!」
私は自信満々に親指を立ててグッとポーズを決めた。
さぁ、次はあのK-スターの出番だ!
【明菜先生の研究メモ】
被験者データ No.002
・氏名:九条茉莉子
・状態:他人のトラウマをゲーム用語で解決する敏腕ギルマス
新規獲得アイテム
・【ステラの素顔】:カントリーを愛する繊細な女の子。
・【アーサーの懺悔】:モンペからの脱却。最強の味方化。
【明菜の分析ログ】
車内での凪との衝突からの、見事な相互理解。
夢を諦めた者同士だからこそ響く言葉ってあるのよね。アンタの「女優になりたかった」っていう過去も、ここでしっかり活きたじゃない。
そして最後は、ちゃっかり次の男の出番をセッティングするその手腕。
五股を管理するギルマスとしてのスキルが、ビジネスでも遺憾なく発揮されてるわね。
……ま、隣でワンコが盛大に嫉妬してるみたいだけど、せいぜい噛み殺されないように気をつけなさい♡




