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第百三記録【小さいスピーカーが必要だ】



 九月二十一日、金曜日。

 午後二時。

 都内の最新鋭リハーサルスタジオ。


 防音材特有の、少し乾いたスポンジのような匂いが空間を密閉している。

 外の喧騒は完全にシャットアウトされた静寂だけがそこにあった。


 水曜、木曜と、私たちは来日公演を控えた世界的ロックシンガー、ステラ・ヴェインの視察任務に就いていた。


「二日間張り込んでるけど、別に大したことないよね」


 スタジオの隅のパイプ椅子に腰掛け、私は隣に立つ恭弥に小声でこぼした。


「あぁ、そうだな……とくにパニック起こすこともなくだな」


 恭弥が手元のタブレットから視線を上げず、淡々と同意の言葉を返す。


 宣材写真の過激なパンクスタイルとは裏腹に、彼女は黙々と機材のチェックをこなし、極めて順調にリハーサルの準備を進めているように見えた。

 なんだ、あの分厚いNGリスト、ただの脅しじゃん。


 私が完全に油断し、小さくあくびを噛み殺した、その瞬間だった。


 ガシャァァン!!


 突然、鼓膜をつんざくような金属音がスタジオに反響した。


「え? なになに? 厄介なファンが侵入してきた?」


 よく見るとステラが、握りしめていた重いマイクスタンドを力任せに床へ放り投げたのだ。


「うるさい! うるさい! なんでこんなに音が刺さるのぉっ!」


 黒髪に真紅のメッシュを揺らし、彼女はフローリングの床にうずくまって両耳を強く塞ぎ、小さな子供のように悲鳴を上げた。

 空気が一瞬で凍りつく。


「音を立てるな! ステラが怯えているだろう!」


 マネージャーのアーサーが血相を変え、周囲のスタッフに向かって怒鳴り散らした。


 だが、彼のその低い怒声自体が、うずくまるステラの肩をビクッと大きく跳ねさせ、彼女のHPをさらに削るスリップダメージになっていることに、彼は気づいていない。

 完全に悪循環のデバフループだ。


「ちょっと、話しかけてくる」


 私はパイプ椅子から立ち上がり、恭弥にひと言だけ残して歩き出した。


「おい! 近づくなと言ったろ!」


 アーサーの制止する声が飛んでくるが、そんなもの完全にスルーだ。

 私は怯えるステラの目線に合わせて、冷たい床にしゃがみ込んだ。


「どうしてそんなに音が怖いの? この数日貴女をみていてなにもなかったのに、突然こうなるのってやっぱりなにか根本的原因があると思う」


 刺激を与えないよう、極力柔らかく、波の立たない声色を作って背中をゆっくりとさする。 


「……すべての音が、ワタシを攻撃してくるように感じるの。頭の中で針が刺さってくるみたいに」


 ステラが、ガタガタと震える唇から細い糸のような声を絞り出した。


 感覚過敏。

 微かな空調の駆動音、スタッフの衣擦れの音さえも、彼女にとっては鋭利な刃物へと変換されているのだ。


『なんて不憫な女なのかしら』


 私の隣に、紫色のシルエットがふわりと浮かび上がった。

 明菜だ。


 彼女は細い指をピンと立て、珍しくおちゃらけを潜めた真面目なトーンで言葉を紡いだ。


『ガリレオ・ガリレイは言ったわ。「見えないからといって、存在しないわけではない」ってね。……彼女にとっては、目に見えない音の波長が、物理的な暴力そのものなのよ』


 ……珍しくまともなこと言うじゃん。


 私は明菜の言葉に内心で同意しながら、ステラの震える背中をさすり続けた。

 このデバフ空間から、絶対に彼女を救い出してやる。ギルマスとしての責任にかけて。

 


 午後五時三十分。

 私達はあの人の悩みを解決するべく会社に戻ってきていた。

 一階のカフェコーナー、立ち飲みスペース。


「感情論で寄り添っても解決しない。物理的アプローチが必要だ」


 隣に立つ恭弥が、自分のスマホを見ながら、冷静に言い放った。


「物理的アプローチね〜。でも今回解決したって、また別の場所で起きたら意味ないと思うけどなー」


 私がストローを噛みながらぼやくと、恭弥がスマホをポケットに滑り込ませた。

 そして、私の二の腕をガシッと掴む。


「まーちゃん、ラボに戻るぞ。システムを組む」


 有無を言わさぬ宣言。

 そのまま、私は地下二階のロボット開発部へと強制連行されたのだった。

 

 

 機械油の匂いと、サーバーの低い稼働音が充満する秘密基地。

 相変わらず男のロマンが盛りだくさんですこと。


 そんな中で、自分のデスクに張り付いたサメ男が青白いモニターの光に照らされながら、凄まじい速度でキーボードを叩いている。


 タタタタタタタッ! ッターン!


 気がつくと日がまたいでいた。


 音響解析とシステム構築のプログラムが、黒い画面に滝のように流れていく。

 私は空腹がすぎるので、近くのファーストフード店で買ってきた紙袋を手に持ち恭弥の隣に座る。



「お腹空いてない? 深夜だけどハンバーガー食べよう〜」


「ああ」


 完全にモニターに意識を持っていかれた、心ここにあらずの生返事。

 

「ねぇー、食べようよー」


「ステラの脳が不快と感じるノイズの波長を特定した。これと位相を反転させた音波で相殺する、空間規模のアクティブ・ノイズコントロールを実行する」


 早口で専門用語の羅列が降ってくる。

 私のオタク脳が、その理屈を瞬時にファンタジーのシステムへと翻訳した。


「つまり、敵のデバフ音波攻撃に対して、こっちも逆ベクトルの音波をぶつけて無効化する『完全防音の結界魔法』を張るってことね! さすがうちのメインタンク、絶対防御スキルじゃん!」


「魔法ではない。物理学だ。……だが、RPGの『結界』という概念モデルは、今回の位相干渉(いそうかんしょう)のイメージとして遠からずだな」


 恭弥はキーボードから手を離し、少し得意げに中指で眼鏡のブリッジを押し上げた。

 自分の理論が伝わったことが、どうやら嬉しいらしい。


「徹夜で頑張るサメオタク様に、茉莉子ちゃんからの回復バフだよー」


 私は椅子から立ち上がり、彼の背後に回って、その硬い肩に両手を乗せて揉みほぐし始めた。

 厚いシャツ越しに伝わる、彼の体温。


「……力が弱い。それに、君の体温と柔軟剤の匂いが近すぎて、オレの集中力を削ぐノイズになっているぞ」


 肩を揉まれているくせに、理屈っぽく可愛げのない文句が飛んでくる。


 カチン。

 私のこめかみに、青筋がピキッと浮かんだ。


「あーそーですか! じゃあバフ没収! あっちのソファで寝てるから!」


 逆ギレして手を離し、踵を返そうとした、その瞬間だった。


 ガシッ!


 背中を向けたままの恭弥が、後ろ手で私の手首を強く掴み取った。


「待て。……このノイズは、オレのシステムを安定稼働させるための必須変数だ。そばにいろ」


 振り返った彼の耳の先端が、薄暗いラボの中でもわかるほど真っ赤に染まっていた。


 不器用すぎる、理系男子特有のデレ。

 その破壊力に、私の胸の奥がキュンと甘く締め付けられる。


「もう、素直じゃないんだから」


 私は呆れたように笑い、再び彼の隣に座り直した。

 紙袋からフライドポテトを一本つまみ、画面から目を離さない彼の口元へと運んでやる。


 私たちはそのまま、夜明けまで、途切れることのない作業と甘い時間を共有し続けた。



 九月二十二日、土曜日。

 ステラが滞在するホテルのスイートルーム。


 高級な絨毯の上に、私たちは徹夜で完成させた『特定周波数完全遮断・ノイズキャンセリング空間システム』を運び込んでいた。

 特殊な形状の黒い球体スピーカー群を部屋の四隅に配置し、窓ガラスには特殊な防振フィルムを貼り付ける。


「こんな機械で、ステラの繊細な神経が守れるわけがない!」


 腕を組んだアーサーが、血走った目で私たちを睨みつけてくる。

 その苛立ちすらも、ステラへの過剰な愛ゆえだろう。


「まあ見ててくださいよ。うちの天才の絶対防御を」


 私は胸を張り、恭弥の背中をポンと叩いて自信満々に言い切った。


 恭弥が手元のタブレットの画面にタッチし、実行ボタンをタップする。


 ブォン……。


 微弱な起動音が鳴った直後だった。

 部屋の空気が、まるで魔法にかけられたように一変した。


 常に鼓膜を微かに揺らしていた空調の駆動音、遠くの道路を走る車の走行音、マネージャーのスーツが擦れる衣擦れの音。

 それらすべての環境ノイズが、まるで深い水の中に潜ったかのように「スッ」と消滅したのだ。


 極めて心地よく、透明な「静寂」だけが空間を満たした。

 恭弥が、毛布にくるまるステラに向かって、淡々と、しかし絶対の自信を持って宣言する。


「君を攻撃するノイズは、物理的・論理的に0%になった。……もう、何にも怯える必要はない」


 ステラが、恐る恐る両耳を塞いでいた手を離した。

 何も刺さってこない。

 どんな微細な針のような音も、彼女の脳には届かない。


「……痛くない。怖くない」


 ステラの大きく見開かれた目から、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。

 彼女の強張っていた肩の力が抜け、初めて安堵の表情が浮かぶ。


「ただこれは一過性の安心にすぎない。帰国したらスケジュールを無理やりこじ開け、本格的な治療に励むといい」


 恭弥が得意げに、アッシュグレーの前髪をかき上げた。

 理屈と物理学が、見事に一人の心を救済した瞬間だった。


「ありがとう、あなたたち魔法使いね」


 ステラが、涙で濡れた頬のまま、美しい微笑みを向けた。


 アーサーも完全に言葉を失い、九条の技術力と私たちの手腕に対して、深々と頭を下げたのだった。

 


「どういたしまして。これなら明日のライブ、最高のステージになりますね」


 私は『VIPリレーションズ』の室長補佐として、完璧な営業スマイルを返した。

 だが、内心では両拳を突き上げて盛大なガッツポーズをキメている。難易度ルナティックの防衛クエスト、完全攻略だ!


 恭弥は「システムは明日のライブ終了時まで稼働させておく。何かあれば連絡を」とだけ淡々と告げ、白衣の裾を翻して踵を返した。


 私も彼に続き、ステラたちの安堵の気配を背中に感じながら、スイートルームの出口へと向かう。

 分厚いダブルドアを抜け、ホテルの廊下へと足を踏み出した。


 バタン、と背後で重厚な扉が閉まり、完璧に防音された部屋の空間と外界が遮断される。

 その瞬間、ミッションの完全クリアを告げるファンファーレが、私の脳内で高らかに鳴り響いた。


「さっすが私の恭弥! 大成功じゃん!」


 私は嬉しさのあまり、恭弥の腕にガシッと抱きついた。


「まーちゃんという指揮官の采配があったからだ」


 恭弥は照れくさそうに視線を逸らしながらも、素直なデレを口にした。


「オレは先に車を回しておく」


 彼は私の頭をポンと撫でると、足早にエレベーターの方へと歩き去っていった。

 その広い背中を見送っていると、廊下の空間が揺らぎ、明菜がフワリと姿を現した。


『お疲れさ〜ん。徹夜明けでボロボロのアタシに、自販機でコーラでも奢りなさい』


 悪魔のくせに喉渇くの?

 私がジト目で睨むと、明菜は肩をすくめる。


『喉も渇くしお腹もすくわよ、だって茉莉子に取り憑いてるんだもの』


 買って渡したとしても、缶だけが空中にフヨフヨ浮いてたら、それはそれでホラー映像なんだけど。


 軽口を叩き合っていると、明菜が流れるような動作で指先から一枚のタロットカードを弾き出した。

 剣を真っ直ぐに掲げ、玉座に座る冷徹な王の絵柄。


 【KING of SWORDS(剣の王)】の正位置。


『感情に流されず、知性で問題を切り裂いて冷徹に守り抜く。まさに剣の王の真骨頂ね。……彼、変わったわね♡』


 変わったかぁー、確かに恭弥含めてみんな変わったかも……。


 出会った頃のあの氷のような壁は消え、今や彼は私のためにその牙と知性を使ってくれる。


『悪女の味を知ってしまったのね、可哀想に』


 明菜はクスクスと意地悪く笑いながら、紫色の煙となって廊下の奥へと消えていった。


 私はポケットからスマホを取り出し、スケジュール帳のアプリを開いた。

 画面には、これから控えている予定がびっしりと埋まっている。


 さて、次のミッションは……。


「誰のスキルを使おうかな?」


 私は、ギルマスとしての悪い笑みを浮かべながら、ホテルの柔らかい絨毯を踏みしめて歩き出した。



 【明菜先生の研究メモ】


 被験者データ No.002

 ・氏名:九条茉莉子

 ・状態:理系タンクによる絶対防御バフで無傷のクエストクリア


 新規獲得アイテム

 ・【アクティブ・ノイズコントロール】:狂戦士を無力化(救済)する物理結界。

 ・【深夜のポテトあーん】:徹夜作業を支える、甘くてジャンクなMP回復薬。


 【明菜の分析ログ】


 「魔法ではない、物理学だ」なんて言いながら、結局アンタの「結界魔法」って表現に嬉しそうに乗っかっちゃうんだから、あのサメオタクも随分と毒されたものね。


 集中力を削ぐノイズだと言いながら、手首を掴んで離さない不器用さ。あれはもう、アンタという変数がなきゃ生きていけない身体になっちゃってる証拠よ。


 さあ、手駒……いえ、頼もしい召喚獣たちはまだまだ控えているわ。

 次はどの男のスキルであの歌姫を攻略するのかしら? 悪女の采配、楽しみにしてるわよ♡

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