第百一記録【ロックな歌姫が実は……】
九月十九日、水曜日。
都内の超高級ホテル『グランド・ペニンシュラ東京』、最上階のVIPフロア。
足がズブズブと沈み込むような、ふかふかで毛足の長い絨毯。
微かに漂うシトラス系のルームフレグランスの香り。
重厚な廊下を歩きながら、私は右から左から迫り来る「二つの巨大なおっぱい」の圧に挟まれ、冷や汗をダラダラと流していた。
新部署『VIPリレーションズ』に配属されて数日。
その初仕事として、私はのっけから現場の最前線へと引っ張り出されている。
「さぁ茉莉子ちゃん、初クエストよ! テンション上げてこー!」
バァンッ! と、アンナさんが私の背中を豪快に叩いた。
テンションじゃなくて背骨が砕けそう……。
肺から変な空気が漏れたっての!
「ふふ、今回のクライアントは少しデリケートな方みたいだから、慎重にね」
緑子さんが、手元のタブレットをスワイプからフリックへ。
もはや残像しか見えない爆速スクロールで弾きながら、たっぷりの笑みを浮かべる。
テンション上げろ、慎重に行け。どっちだよ!
いきなり世界的ロックスターの接待とか、初期装備でラスボスの城に放り込まれるようなもんなんですけど!
『ステラ・ヴェイン。イギリス発の世界的人気ロックバンドのボーカルよ。グラミー賞常連で、彼女のシャウト一つでスタジアムが揺れるって言われてるわ』
私の隣の虚空にふわりと現れた明菜が、ご丁寧に解説を挟み込んでくる。
ただのゲーマーオタクの私だって一曲、いや二曲くらいは知っている。
事前に緑子さんから共有された、ステラの宣材画像が脳裏にフラッシュバックした。
黒髪のウルフカットに真紅のメッシュ。
ゴシックとパンクを煮詰めたような過激なレザーの出で立ちで、カメラに向かって堂々と中指を立ててシャウトする姿。
どう見ても、エンカウントした瞬間にバッドステータスをばら撒いてくる、絶対に関わっちゃいけないタイプの狂戦士だ。
ガクガクと膝が震えてくる。
フロアの一番奥、重厚なダブルドアのスイートルームの前に到着した。
そこには、全身からピリピリとした殺気めいたオーラを放つ、白髪交じりの英国紳士が腕を組んで待ち構えていた。
……あの人は、確かアーサー・ペンドルトンさんだよね。
ステラさんのマネージャーとか何とか言ってたな。
仕立ての良さそうな厚手のツイードスーツを完璧に着こなし、銀縁の丸眼鏡の奥から、射抜くような厳しい視線をこちらへ向けてくる。
同じ執事チックな立ち位置でも、うちのヤクザ執事(直之)とは大違いなほど、スタイリッシュなイケオジだ……。
「すみませ〜ん、遅くなりました〜」
アンナさんがゴージャスな金色の巻き髪をふわりと揺らし、場違いなほど軽いトーンで会釈した。
「遅い! 日本のメディアの無礼なパパラッチのせいで、ステラの神経は限界に達しているんだぞ!」
アーサーが懐中時計をカチャリと開いて睨みつけ、いきなり機関銃のように捲し立ててくる。
怒気のこもった低い声が、廊下にビンビンと響いた。
「オウ、ソーリー! でもウチの最強の布陣が来たからにはもう安心よ! ね、緑子?」
「ええ。ご要望には全て完璧にお応えしますわ」
怒り狂うイケオジマネージャーを前にしても、お姉さんズはスマイルを崩さない。
メンタル強すぎだろ! 鋼鉄か!
そんな二人にアーサーは、忌々しげに吐き捨てた。
「フン、口だけなら何とでも言える」
そして、傍らのワゴンから何かを持ち上げ、私の胸元へドサッ! と乱暴に押し付けてきた。
「おぐっ……重っ! なにこれ、鈍器?」
思わず前のめりに倒れそうになるほどの重量。
分厚い、辞書のような黒いファイル。
「ステラの滞在中の絶対条件、『NGリスト』だ」
腕が千切れそうになりながら、私は恐る恐るその重厚な表紙をめくった。
そこには、狂気的なまでの条件が、何十ページにもわたってびっしりと印字されていた。
――『室温は常に二一・五度を維持すること』
――『カメラのフラッシュ厳禁。電子機器の微弱な駆動音も排除』
――『香水や花の強い匂い禁止』
――『完全なヴィーガン食。しかし日本の精進料理はもう見たくない』
――『ステラと直接目を合わせてはならない』
……NG多すぎだろ!
どこの悪役令嬢だよ!
一つでもフラグを踏み抜いたら即死する、凶悪なトラップ部屋じゃん!
『やっぱり、芸に達してる人間はおかしいって言うけど……事実みたいね♡』
耳元で囁く悪魔に、私は心の中で悲鳴を上げた。
エグいって! 箱入りお嬢様の私だって、ここまでワガママじゃありません!
その時。
スイートルームの奥、厚いドアの向こう側の寝室から、耳をつんざくような金切り声が響き渡った。
「うるさい! うるさい! エアコンの音がうるさいぃぃっ!」
ヒッ。
背筋に氷をねじ込まれたような悪寒が走る。
「ステラ! 今行くぞ!」
先ほどまでの冷徹な英国紳士の面影はどこへやら。
アーサーは血相を変え、過保護が限界突破したモンペの顔になって慌てて奥へ引っ込んでいった。
ドアが開いたほんの一瞬の隙間。
私の目に飛び込んできたのは、あの宣材写真の狂戦士のような姿ではなかった。
薄暗い部屋の隅。毛布にくるまり、膝を抱えてガタガタと震えている、ただの女の子の姿だった。
「あらら〜、これは重症ね」
アンナさんがカラカラと笑い飛ばす。
「スケジュールが遅れると、億単位の違約金が発生するかも。さぁ、茉莉子ちゃん。作戦指揮官の腕の見せ所よ」
緑子さんが、私の方へ視線を移し、極上の癒やし(怖い)スマイルで完全丸投げしてきた。
「ええええ!? 嘘でしょ!?」
パニックで頭を抱えそうになった私の傍らで、明菜が現れる。
流石! こんな時に頼れるのは明菜!
彼女の白い指先が、一枚のタロットカードをフリップする。
――【THE HERMIT(隠者)】の逆位置。
『「閉鎖的」「神経質」「孤独な引きこもり」。……ステージの上では狂戦士でも、オフの彼女はただの怯えた小動物ね』
なんか……深いワケありって感じ?
私が怪訝な顔をすると、明菜は芝居がかった手つきで天を仰いだ。
『ヘレン・ケラーは口にしたわ。「世界は苦難に満ちているが、それを乗り越えることにも満ちている」ってね』
人が真剣に聞いてるのに、ポエムで返すな悪魔! 答えろ!
『極度の感覚過敏なんじゃない?』
あぁー……そういうタイプか。
視覚、聴覚、嗅覚。
あらゆる刺激が針のように突き刺さって、心が完全にすり減ってしまっている状態。
『アンタも元々は、暗い部屋でネトゲに逃げてた立派な「引きこもり」じゃない。だったら、彼女が安心できる安全地帯の作り方くらい、わかるでしょ?』
……。
その言葉が耳に届いた瞬間。
脳の中で、カチリと重いスイッチが切り替わる音がした。
そうか。
この分厚い鈍器のようなNGリストは、ただの「攻略条件」だ。
私一人じゃ、到底クリア不可能な無理ゲー。
でも、私の手持ちのSSR召喚獣たちをフル稼働させれば……!
うし! アイツらを呼ぼう!
数十分後。ホテルの別室に急遽用意された作戦会議室。
私の緊急招集により、九条グローバルが誇る三人のハイスペック・イケメンたちが、ホテルの重厚なテーブルを囲んでいた。
「仕事を放り出してまで緊急の呼び出しとはなんだ、まーちゃん」
少しご機嫌ななめな様子で、恭弥が腕を組んで鼻を鳴らす。
「いやー、ほんとごめん」
「茉莉子さんの頼みなら、喜んで」
対照的に、凪は屈託のない、キラキラとしたアイドルスマイルを向けてくる。
「な、凪! 一人で抜け駆けは許さんぞ!」
「同感だ」
ユンジンがムキになって身を乗り出し、恭弥が冷ややかに同調する。
「アハハハ……いきなり口論はやめてよね〜」
顔面偏差値が高すぎて目が潰れそうな空間。
異様なオーラを放つ男たちを前に、アンナさんは目を輝かせた。
「おぉ〜! 茉莉子ちゃんの手駒、みんな超イケメンでハイスペックじゃん!」
緑子さんも、またしても残像の見える速度でキーボードを叩きながら微笑む。
「ふふ、彼らのスキル、エクセルにまとめておきますね」
「みんな、急に集めてごめん! 実は、この無理ゲーを攻略したくて……」
私は、あの重たいNGリストをテーブルの中央にドンッと広げた。
リストに視線を落とした瞬間、恭弥がチッと舌を鳴らし、眼鏡のブリッジを中指でクイッと押し上げた。
そのまま、スッと私の左隣の席にグイッと滑り込み、肩が触れるほどの距離まで近づいてくる。
清潔な柔軟剤の匂いが鼻先を掠めた。
「呼び出すからには、それなりの論理的理由があるのだろうな。……なるほど、外部からの視覚・聴覚情報の完全遮断か。容易い」
恭弥の切れ長な瞳に、理系の冷たい光が宿る。
「窓には特殊な防音・防振フィルムを施工し、電波妨害のジャミングを張る。理論上、ここを外部から突破し盗撮・盗聴する確率は0・00001パーセント未満だ。オレのシステムに死角はない」
「流石、天才科学者。そんなことができるんだね」
絶対防御のタンク。安心感が半端ない。
すると、今度は私の右隣に、凪が深く腰を下ろしてきた。
人懐っこいけれど、奥底の瞳孔がまったく笑っていない、底知れぬ笑み。
「パパラッチの動向なら俺に任せて。ホテルの裏口からSNSの裏垢まで、全部丸裸にするから。彼女の本当の『好み』も、ネットの海から拾い上げておくよ。……お姉さんの頼みなら、なんだってするからね」
耳元で甘く囁かれ、パチンと綺麗なウインクを飛ばされる。
隠密・索敵の最強シーフ。
てかこんなところで囁くな! 心臓に悪い。
「ありがとう、凪」
二人に挟まれて縮こまっていると、正面に座ったユンジンが、心底呆れたように長いため息をつき、腕を組んだ。
「ヴィーガンで食欲不振? 愚かだな、そんな粗末な食事管理では胃腸が悲鳴を上げるに決まっている。日本の精進料理がダメなら、ボクが彼女のルーツに合わせた完璧な栄養バランスの食事を作ってやる。……マリコの偏食を治した、ボクの管理能力を舐めるな」
回復の極上ヒーラー! 胃袋を掴む才能は世界一だ。
ただ私は偏食ではない! 多分……。
「栄養学は化学だ。成分の数値化ならオレが……」
「ボクの料理に口出しするな、理屈バカ」
「あはは、相変わらず仲悪いですね、お二人とも。茉莉子さんの前なんだから少しは平和にいきましょうよ」
「だいたい、二人してマリコの隣をキープするな!」
「たまたま空いていたからだ」
「同じくです。ユンジンさんが座らなかったのが悪いんですよ? こういうのは早い者勝ちなんですから」
バチバチバチッ!
三人の間で、目に見えない高圧電流のような火花が散り始めた。
私は左右の圧と正面からの殺気に挟まれ、アワアワと両手を宙で泳がせることしかできない。
ふと視線を落とすと、端の壁にもたれた明菜が、最高に楽しそうな顔をして、タロットカードを三枚、ぺちぺちと戦わせるように動かしていた。
絵柄を見ると三人を表すカードだ。
【KING of SWORDS(剣の王)】。
【KNIGHT of PENTACLES(金貨の騎士)】。
【THE SUN(太陽)】。
『ドロドロした感情って、ホントにいい栄養になるわ〜♡』
いい栄養って……こっちはHPがゴリゴリ削られてて大変だってのに。
私の言葉なんてなんにも聴きませんみたいな顔してる悪魔に、更に悪態をついてやろうとした瞬間。
「茉莉子ちゃんって、めちゃくちゃモテるのね」
アンナさんが、面白くてたまらないといった様子で呟いた。
「ふぇ!? い、いや、モテるっていうか……その」
「こりゃあ、レオも真剣になるわけだわ」
ウンウン、と大袈裟に首を縦に振るアンナさん。
「恋多き乙女は、いつの時代も強し……ね」
緑子さんが、黒髪のボブをさらりとなびかせて上品に微笑む。
「ちょっと、二人ともやめてくださいよー」
息が詰まる。変な汗が止まらない!
極度の緊張で砂漠のように干上がった喉を潤すため、私はたまらず目の前にあったグラスを掴み、氷水を一気に飲み干した。
ゴクッ、ゴクッ。
冷たい水が食道を通って、オーバーヒートしていた頭が少しだけクリアになる。
……でも。これで完璧だ。
鉄壁の恭弥が外部の不安要素を弾き返し、凪が敵の情報を根こそぎ抜き取り、ユンジンが極上のバフ飯でHPを回復させる。
私は小さく息を吸い込み、三人の手駒……いや、頼もしい仲間たちを見回した。
「さぁ、我がギルドの精鋭たちよ! この理不尽なレイドボスを、完全攻略するよ!」
私の号令に、アンナさんと緑子さんが楽しそうに拍手をして盛り上げる。
「「おー!」」
こうして私と三人の男たちによる、最高難易度のVIP攻略作戦が、今ここに幕を開けたのだった。
【明菜先生の研究メモ】
被験者データ No.002
・氏名:九条茉莉子
・状態:アドレナリン分泌過多による指揮官モード
新規獲得アイテム
・【分厚いNGリスト】:難易度ルナティックの攻略本(鈍器)
・【最強の召喚獣×3】:恭弥、凪、ユンジン(ヒーラー)
【明菜の分析ログ】
理不尽な要求を「攻略条件」に、男たちを「召喚獣」に脳内変換した瞬間の、この子のふてぶてしさは本当に素晴らしいわね。
しかも自分は安全な後方から指示を出すだけというちゃっかりっぷり。見事にギルドマスターの顔になってるじゃない。
……とはいえ、この強烈な個性の男三人を同時に同じ部屋で使役するなんて、いつ自爆テロが起きてもおかしくないけど。
まぁ、アタシとしてはドロドロの愛憎劇(栄養)が吸えればどっちに転んでも美味しいんだけどね♡




