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第百記録【あっちもこっちもデッカ!】



 九月十七日、月曜日。

 九条グローバル本社、五十階。


 エレベーターの金属質な扉が静かにスライドした瞬間、私は足の裏から嫌な汗がじわっと滲むのを感じていた。


 廊下の奥。

 かつて私の絶対的なセーフハウスであり、この世の春を謳歌していた「特別監査室」の重厚な扉が、冷たい蛍光灯の光を反射してそびえ立っている。


 昨夜、砂糖まみれのタヌキ親父が放った『ぶっ壊した』という無慈悲な宣告。

 あれは嘘だ。夢だ。絶対にタチの悪い冗談だ。


「吸ってー……吐いてー……。大丈夫。パパの冗談だ。あんなメルヘンな部屋、そう簡単にぶっ壊せるわけがない」


 震える手で社員証を握りしめ、センサーにかざす。

 ピピッ、という無機質な電子音と共に、重い扉が開いた。


 そこに広がっていたのは、パステルピンクの目に痛い壁紙でも、足が埋もれるほどフカフカの白い絨毯でも、無駄にゴージャスな天蓋付きベッドでもなかった。


 黒とシルバーを基調とした、殺風景なまでに洗練されたオフィス空間。

 壁一面のガラス張りからは、東京都心の絶景が冷ややかに見下ろしてくる。


 まるで、外資系IT企業のCEOがドヤ顔で葉巻を咥えていそうな、スタイリッシュすぎる「高級ラウンジ」。


「……ファッ!?」


 脳内CPUが致命的なエラーを吐き出した。

 視界がぐらりと歪む。足が勝手に後ずさる。


 完全に別のフロアに迷い込んだ! バグだ! マップのテクスチャがバグって表示されてる!

 ここは私の場所じゃない! 退避ー!


 くるりと踵を返し、一目散にエレベーターホールへ逃げ帰ろうとした、その時。


『来るわよ……圧倒的なガールが』


 右耳のすぐ横で、明菜がニヤニヤと意地悪な笑いを浮かべて囁いた。


 え? ガールって。


 パニックで足がもつれた瞬間。

 背後から、ウッディとムスクが混ざり合った、六本木のクラブの夜を思わせるような妖艶な香りが、暴力的なまでの陽キャのオーラと共に急接近してきた。


「初めましてぇ、茉莉子ちゃーん! 待ってたわよぉ!」


「んぇ!? 誰々!?」


 振り返るよりも早く、凄まじい勢いで背後から抱きすくめられた。


 背中に、ぎゅーっと、信じられないほど柔らかくて重みのある『たわわな質量』が押し付けられる。

 そのまま強引に振り向かされると、視界が完全に塞がれた。


 息が、できない。

 顔面が、規格外の巨大な渓谷――つまり、谷間に、ズブズブと埋没している!


 もがいて顔を上げると、そこにはライトブルーの綺麗な瞳と、ギリシャ彫刻のように整った顔立ちが至近距離にあった。

 金色のゴージャスな巻き髪が、陽光を反射してキラキラと輝いている。


 海外ガール風の派手なミニスカスーツを纏った、ボンッキュッボンのグラマラスボディ。

 それはまさに、太陽みたいにカラッと笑う、ハリケーンのようなお姉さんだった。


「よしよし、よく来たわね〜! 茉莉子ちゃん、可愛い! 食べちゃいたい!」


 強烈なハグに骨が軋みそうになっていると、その後ろから。

 今度はマイナスイオンをたっぷり纏ったような、静かで涼やかな空気が流れてきた。


「アンナ、茉莉子ちゃんが潰れちゃうわよ。……初めまして、茉莉子ちゃん。これからよろしくね、可愛い……ヨシヨシしてあげる♡」


 艶やかな黒髪のボブカット。

 ゆったりとしたロングスカートで清楚にまとめているのに、布越しでもまったく隠しきれていない、これまた規格外の身体のライン。


 黒く潤んだ瞳が、優しく私を見下ろしている。


 次の瞬間、私を拘束するハリケーンの腕が緩んだかと思うと、今度は前方から、ふんわりとした柔らかい双丘に顔を埋められた。

 マイナスイオン全開の甘ったるい声が、耳の奥をくすぐる。


 右と左から、SSR級の巨乳にサンドイッチされている。


 ……天国ヘブンか?

 いや、息が! 窒息死のデバフがかかってるっての!


 私はアワアワと両手をバタつかせ、酸欠で白目を剥きそうになっていた。

 

 

 息も絶え絶えに解放され、オフィスの床に四つん這いになってゼェゼェと肩を揺らしている私の横に、明菜がフワリと降り立った。


『昨日出たカードの答え合わせよ』


 明菜がパチン、と指を鳴らす。

 二人の頭上に、カードが展開された。


『金髪の彼女が【QUEEN of WANDS(ワンドの女王)】。太陽のように明るく、周りをグイグイ引っ張っていく圧倒的なエネルギー。どんなトラブルも笑い飛ばす無敵のポジティブお姉さんね。……そして、黒髪の彼女が【THE HIGH PRIESTESS(女教皇)】の正位置。表面上はすべてを包み込むような穏やかで優しい聖母。でも、その内面には底知れぬ知性を隠し持ってる。要するに、脳筋ハリケーンと巨乳聖母の最強コンビってわけ』


 さらに明菜は、もう一枚のカードを私の目の前に突きつけた。

 【THE EMPRESS(女帝)】(豊穣、母性、女性の魅力)。


『マザー・テレサは口にしたわ。「愛は近きより始まる」ってね。広報部の大奥とは真逆の、包容力と愛に満ちた(物理的にも)職場になりそうじゃない?』


 うるさい悪魔の解説をBGMに、私はフラフラと立ち上がった。

 金髪のお姉さんが、パーンと景気良く手を叩く。


「あたしは桐生アンナ! 九条グローバルの海外営業部から、社長の要請で異動してきたの! 今日からここは、『社長直轄 渉外企画室』、通称VIPリレーションズの室長よ!」


「き、桐生……?」


 脳内で、過去の記憶がフラッシュバックする。

 夜の動物園からのホテル。あのメンヘラ王子・レオの理性を完全に吹き飛ばし、ブルブルと震え上がらせた、恐怖の『姉からの着信』。


「……レオの、お姉さん!?」


「そ! レオの奴、あたしの顔見た瞬間、胃を押さえて逃げたわよ! アハハ!」


 道理で!

 あの我が道を行くサイコパス一歩手前の王子様が、蛇に睨まれたカエルのように縮み上がるわけだ。この規格外の圧力、納得しかない。


 続いて、黒髪のお姉さんが優雅に一礼する。


「副室長の白百合緑子です。わたしも海外営業部にいたの、アンナとは腐れ縁と言ったところかしら……ふふ、よろしくね」


 緑子さんはニコニコと微笑みながら、手元のタブレットを開き、恐ろしい速度でエクセルのセルを叩いている。

 指先の動きが早すぎて残像が見えるレベルだ。この人、ただの癒やし系じゃない!


「あの、VIPリレーションズって……何をする部署なんですか?」


 恐る恐る尋ねると、アンナさんと緑子さんが交互に口を開いた。


「通常の営業部や広報部じゃ対応しきれない、世界中の『規格外のVIP』を相手にする専門部署よ!」


「天才クリエイター、海外のIT長者、ワガママな芸術家……彼らの『無茶な要望』や『トラブル』を、九条の完璧な設備を総動員して解決し、大型契約に結びつけるのがわたしたちのお仕事ね」


「で! 茉莉子ちゃんには『室長補佐』として、実質的な現場の作戦指揮官をやってもらうわ!」


「し、指揮官!? 無理無理無理! 私なんてただのペーペーの……」


 全力で首を振って拒絶しようとした私の頬を、緑子さんが両手でふんわりと包み込んだ。

 ぬくぬくとした手のひらから、不思議と心が落ち着くような体温が伝わってくる。


「大丈夫よ、茉莉子ちゃん。会社内には、手足として使える優秀な『人材』が揃っているじゃない?」



 スタイリッシュすぎるガラス張りのデスクに無理やり座らされ、私の目の前に、辞書のように分厚いファイルがドンッ! と置かれた。


「さっそくだけど、初めてのお仕事はこれね」


 緑子さんが、まるで子供に絵本を読み聞かせるような優しい声で、ファイルのページをめくる。


「明日来日する、気難しい海外アーティストからの要望。『絶対的な安全と、極上の癒やしを用意しろ』だって……フフフ、大変ね」


「これ失敗したら大型の契約破棄らしいから! 茉莉子ちゃん、あとヨロピク☆」


 アンナさんがウインクを飛ばす。


「えええええ!?」


 脳内に、真っ赤なシステムウィンドウがポップアップした。


 >【メインクエスト:VIPの無茶振りを解決せよ】

 >難易度:ルナティック


 絶対的な安全? 極上の癒やし?

 そんなの、私みたいなコミュ障の引きこもり干物女が用意できるわけないじゃん! 自分の安全すら確保できてないってのに!


 震える手でファイルを掴み、そのまま床に落としそうになった、その時。


『会社内には、手足として使える優秀な人材が揃っているじゃない?』


 先ほどの緑子さんの甘い声が、脳内でリフレインした。


 ピシャァァン! と、私のゲーマー脳――数多のレイドボスを屠ってきたギルドマスターとしての思考回路に、強烈な電流が走る。


 ……そうか。

 私が、直接剣を振るって戦う必要はないんだ。


 この『九条グローバル』という広大なマップには、私がこの数ヶ月の地獄のサバイバルで攻略し、縁を結んできた、ハイスペックすぎる『召喚獣(婿候補)』たちが、すでに配置されているじゃないか。


 無意識のうちに。

 私の唇の端が、ひどく悪い形に、ニィッと吊り上がっていくのを感じた。


 先ほどまで震えていた指先が、不思議と熱を帯びる。

 マウスを握り、キーボードを叩き、レイドバトルの指揮をとる時の、あの絶対的な万能感。


「……わかりました。私に、考えがあります」


「おっ? さすが茉莉子ちゃん!」


「ふふ、頼もしいわね」


 アンナさんが豪快に笑い、緑子さんが満足げに目を細める。


 やってやろうじゃん。

 VIPのワガママなんて、アイツらを適材適所で召喚ブッパして、完全攻略してやる!


 

 【明菜先生の研究メモ】


 被験者データ No.002

 ・氏名:九条茉莉子

 ・職業:VIPリレーションズ 室長補佐(実質パシリ兼ギルマス)

 ・状態:恐怖からのネトゲ脳覚醒(悪い顔)


 新規獲得アイテム

 ・【W巨乳の洗礼】:SSR級の圧による息苦しさと謎の多幸感

 ・【メインクエスト】:難易度ルナティックのVIP接待


 【明菜の分析ログ】


 ついに始まったわね、新章が。

 アンナと緑子、あの二人のプレッシャーに潰されるかと思ったけれど、まさかの「ギルマスとしての指揮官適性」を引っ張り出してくるとは。


 男たちを攻略対象から「便利な召喚獣」に脳内変換した途端、この子のメンタルは無敵になるのよね。

 さて、明日のVIP接待、あの子犬や猛獣たちをどう使いこなすのかしら。お手並み拝見といきましょう。

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