第五十八話「体育祭、魅せるは『公式』」
「――まさかとは思うけど、お兄ちゃん」
「何よ、この状況でまさかなことなんてあったか?」
「いやー、まさかなんだけど――この状況って、計画通り?」
大輔らが急いでリレーに参加するために選手たちの列に混じりに行き、彼らの背中が遠く離れてからのこと。くるみが、ふと祐介の横顔に視線を送りながらそんなことを聞いた。
この状況――つまりは、生徒会本部のメンバーが誰も実況が出来ない状況に追い込まれ、そしてその窮地を祐介が助けるという、この構図のことを言っているのだろう。祐介はくるみの問いかけに対して、彼女の方には一瞥もせずに苦笑いをこぼした。
「いやいや、計画通りって――この状況を想定していたとして、それを再現するには俺が骨折しないといけないわけでさ。痛いのは俺も嫌だし」
「そうだよねー。お兄ちゃんって運動嫌いで、ゲームがしたくて、怪我をしたときには甲斐甲斐しく世話してくれる私みたいなお嫁さんがいて――でも、痛いのは嫌だもんねー」
「最後のひとつは否定するけど、まあそうだな。――体育祭は面倒だったし、家でゲームする時間が無くなるなぁ、ってのは嫌だったけど、まさかそれだけで自分で骨折するわけないだろ。――それだけの、理由で」
そう言って、祐介は笑った。祐介が笑うから、くるみも、笑った。
二人の笑いは、どちらかだけ、何故かほんの少し、乾いていたかもしれない。
*
「あ、あ――マイテス、マイテス、マイクテスト――」
突如として、これまでに一度も実況席から聞こえてはこなかった声が、マイクを通してグラウンド全体に響いた。その瞬間に、声を知る人は実況席に急いで視線をやる。いないはずの男が、今回は観客に徹するはずの男が――スピーカーからその声を駆け巡らせていた。折れてしまって、動かせない足の代わりに。
「え――っと。皆さん、謎の男登場で歓喜の嵐ですかね? あ、違う? 何なら困惑と驚愕で『お前はどこの馬の骨だよ』って感じですか」
言いながら音量を自分の声量に合わせて調節する祐介は、自分の口の位置に上手くマイクを傾けてくれたくるみに礼を述べて、そしてもう一度生徒たちの席を見遣る。
彼自身が言った通り、生徒たちの様子を見ていると『歓喜の嵐』とは、決して言えないような状況らしかった。しかし、そんな状況であることは百も承知で、自分に訝し気な視線が集まっていることもまた、承知で。祐介は軽妙な語り口を崩さない。
『――んじゃ、お前らはさっさと行った行った!』
つい先ほどのことを思い出す。
生徒会本部の面々が続々と、渋々ながらに祐介へと実況と言う仕事を任せ、選手列に並びに行こうと走り出す中で、大輔だけが最後、残った。「お兄さんの場合、急がへんと遅れるんちゃう?」と軽口を掛けるが、大輔の表情は真面目なままだ。
『こんな特例でもなければ認められへんねんけど――頼んだよ、高橋君』
『……おうよって。――あ、でも。俺が急にマイクから声出したら、生徒たちも変やなって思うやろしさ――ひとつだけ、お願い事聞いてくれへん?』
一瞬だけ、呆けてから。祐介は何とも軽い感じの表情に戻して、そして『お願い事』を言う。その内容に、大輔は彼の意を得た。本当に、彼にとっては都合のいい話だ。
何から何まで、偶然が重なり、彼にとっての不幸すら、彼は自分の幸運へと変えて見せた。そうして今、祐介はその念願を叶えようとしている。その『お願い事』を、まさか大輔が断れるはずもなかった。だから、それに対する直接の返事ではなく、こう言葉を返す。
『――門番の説得は、任せてもらおうかな』
『頼むわ。副会長のお兄さん』
記憶の通り、大輔は祐介の『お願い事』を受けいれてくれた。だから、一切の躊躇はなく、祐介は名乗りを上げる。ずっと『裏役者』だった祐介が、裏方に徹してその身にスポットライトを浴すことを避け続けた男が、表舞台へとその姿を現す。
『奇策』であることは変わらない。それでも――、今回の彼が立つのは黒い噂の上ではなく、ここだ。明るくて眩さに目が痛くなるような、表舞台だ。
「困惑の皆様――ご安心くださいよ、何も問題はありません。すべて、脚本通りですからね」
あくまで、生徒会本部の威信を損なわないように気を遣いつつ。されど、自分の存在は欠かさずに。
「ここからの実況は――『生徒会公式お手伝い係』である私、高橋祐介が担当します」
そう、名乗りを上げた。
すべては――『計画通り』。そうだ、くるみの言う通りで、すべては祐介の想定通りで計画通りで予想通りで作戦通りで謀略通りで、彼は賭けに勝った。
高橋祐介はこの瞬間、本当の意味で『生徒会お手伝い係』を拝命した。




