IF 鼠を食らわば、鼠に成らん
2本のIFストーリーとかいうさらなる核爆弾を投下するのを忘れていました。
私モ虐、エイプリルフールは某枝豆専門店で頭がいっぱいでした。
とはいえクーポンはもらったけど、まだ行ってません。
村右衛門、ごめん
鳩尾に入れられた一撃が、絶妙な威力で体を蝕み、徐々に体力を奪っていく。呼吸が浅くなるような気がして、無理やりに肺に空気を取り込もうとすれば逆に過呼吸になって息苦しい。空は暗い。周りには壁。逃げ道はない。目の前には、『敵』――上から見下ろしてくる、スマホをこちらに向けて挑発的な表情の、〝元〟幹部。
「……何が望みなんよ、なんかあるんやろ? やからこんな――っ」
ある程度の代償なら払う。払えば助かるというのであれば、払ってやる。鳩尾がまだ痛い。結局、すべては楽しくもない裏の組織ごっこ。最悪の黒歴史。しかし、それだけを失わんとして、ボスとして、これまでやってきたのだ。
黒歴史で、もう二度と思い出したくもない。それでも、守らねば、ならないものだ。だから、何を犠牲にしたとしても、その写真だけは――、
「――ボスの交代。そろそろさぁ、俺に譲ってくれん?」
「……は――?」
「色々、他にも呑んでもらいたい要望があったんやけどさ――それも全部、俺がボスになれば叶えられるか、と思って」
「いや、ボスを――って、は? お前、幹部になるのも強いられて、って感じやったやろ! 何で今更、ボスになんか――ッ!!」
「嫌ならええけど。この写真はクラスラインにでも投下させてもらうし」
「いや、ちょっ――」
「さっさと言ってくれたらいいんよ? ――お前を、俺の代わりにボスにする。そう言えば良い。ただ、それだけの話やん」
逡巡、終わってまた逡巡。想像していなかった祐介の要望に、ボスは狼狽する。想像していたいくつかの要望――そのどれもが違って、全てが有り得ない要望に押し潰された。
ボスの座を、譲れ――確かに、言葉だけで成り立つのは簡単な話かもしれない。しかし、その本質は、全く持って簡単なわけもない。
「俺も時間ないんやからさぁ――急ぎ目で答えてくれる?」
簡単に下せる判断では決してないのだと、祐介だって理解しているはずだ。まさか、それをこの場で、自分ひとりの意思で決めろなどと――、
既に、マウスコムは学校全体にその毒牙を宛てがっている。それは詰まり、マウスコム構成員に対する命令権を持つボスという立場は、関西倉北中学校を裏から征服できる立場でもあるということ。
その立場を、迷走と黒歴史を積み重ねた末に手に入れたその立場を、初期メンバーであり現幹部でもある――ただそれだけの男に、横槍で盗られていいわけがない。
「答えは、YESかNOか――それだけで貰おか。それ以外については全て交渉決裂ってことで」
鳩尾の痛みが収まってくるまでの時間稼ぎ――ボスの沈黙をそう解釈して、祐介が急かすように言葉を重ねてくる。同時に、交渉決裂が意味することの何たるかを示すように、クラスラインに写真を送信する一歩手前までスマホを操作した。
もう、姑息な手も何も通じない。写真のデータが、その実物が祐介の手にあることは目の前の状況に証しされていること。既に、王手を打たれているようなものなのだ。
歯を食いしばる。それは、鳩尾の痛みだけが理由ではなかった。体に力を入れると同時に、蹲っている路地の地面の砂利が音を立てた。
「分かった、その要求を――呑む」
言って、同時――手のひらに掴めるだけ掴んだ砂利を、思いっ切り祐介に投げつけた。祐介に対する攻撃と目眩まし、交渉材料となっている写真データ、その保管場所であるスマホ本体への攻撃を兼ね合わせたワンターン。
腕を振りかぶった勢いが体中に伝播して至る所の痛覚が作動し叫喚を上げる。それを無理矢理に抑えつけて、ボスは足をバネに飛び上がった。最初に比べれば鳩尾の痛みも収まっているが、だとして体を明確な戦闘態勢へ持っていくのは不可能。だから、ボスが選んだのは無様で原始的な、頭突きという手段だった。
複数の砂利を投擲、加えて自分自身の身体そのものによる突貫攻撃。少なくとも、祐介を押し倒すくらいはできるかと見込んでの、ボスのターンだった――が、
「後ろで砂利取ったのも、全部丸見え。鼠の砂遊びで人間倒せるとか――そんなわけないやろ」
ボスの頭突き――頭どころか、体全体で突進したその攻撃は、祐介の体に当たるかと思われたが、すんでのところで躱される。
ぶつかるところを支点とする前提の攻撃だったせいで、ボスの体はただ路地の砂利の上に転がるだけだった。砂利を掴んだ手のひら、今丁度無様さの代償を払った顔や腕に足。至るところに擦り傷が出来、血が滲んでくる。
「今のは、YESかNOか――俺にはあんま分からんかってんけど……俺は『よく分からない』の解釈でいかせてもらうわ」
そう言って、祐介はスマホを操作。クラスラインに写真を投下した。その瞬間、クラスラインでは既読をつけ、内容を確認した順に困惑が広がり、欺瞞の正義感、使命感が――ボスを焼き尽くさんと、燃え上がる。
「んじゃ、これでお前は終わり。――任せとけって。俺が、マウスコムをもっと大きくしたるわ」
その時にお前はいないけどな――そう言い残して、祐介は路地から去っていく。いつもとは違う方向へと曲がり角を曲がって、去っていく。その後姿を、ボスは静かに見つめるしかできなかった。もはやその瞳は、祐介を見つめてすらいなかった。
虚空を見つめて、静かに――ただ、絶望を抱えて。
✕ ✕ ✕
翌日、ある優等生が生徒指導室へと呼び出された。そして以降、彼は不登校となった。
その理由について、はっきりと明言されることはなかったが、人の口に戸が立てられるはずもなく、噂として、彼の不登校の経緯は語られ広まった。皮肉にも、噂を司った彼を言わば殺したのは、その噂そのものであったのだ。
「――んで、わざわざ好きでもない私を呼び出したのは、その頑張ったよ報告のためってわけなん?」
「『好きでもない』? 違うわ、大嫌いや。会うどころかその名前を記憶してる部分を脳みそごと切り取りたい。――とはいえ、俺がボスになったって報せを、幹部であるお前が知らんのも可怪しいやろ」
ボスの不登校、その噂が急速に広まったことで、瀬崎としても状況を悟ってはいた。しかし、ふと呼び出されて祐介がボスに台頭したのだと聞いた時は、少なからずの驚きがあった。
「幹部すら嫌々やってたような『奇策』さんがなぁ……」
「その二つ名で呼ぶな、それに略すな。――あと、アイツと同じ事言うな」
「最後の一つは偶然なんやし責めんでほしいけど。――やけどさ、幹部という座を気に入ってた、わけでもないやろ? やのにボスには積極的になりたい、と? なに、一番以外は嫌や、みたいな厨二病?」
「やめとけ、即死級の範囲攻撃ばら撒くんは。そもそも、そんな安易で馬鹿らしい理由でもない」
祐介がマウスコムを潰す、という判断をせずにボスだけを倒し、社会的に抹殺して、自らが代替としてその立場に台頭した――理由。それは、瀬崎も当然知らないし、ボスですら、それを察することもできなかった。
今はまだ、祐介本人しか知り得ないこと。せめて、神のような存在がいるとすれば、そいつくらいは知り得るのかもしれない。
「どうせ――ボスを陥れられる手段、もしくは材料を手に入れたら、ボスを引き摺り下ろして自分もそのままこの世界から消える、そういうつもりなんやと思ってたわ」
「なんや、俺は希死念慮の心中やってか?」
「ちゃうってことくらい分かるやろ。噂渦巻くマウスコムの世界、この子供騙しの裏世界から、消えるんやと思ってたんよ」
「ま、もとはそのつもりやったな」
祐介は一部崩れて低くなった石垣に腰掛けて言う。マウスコムにおけるボスや幹部、つまりは祐介ら三人が密会をするときに頻用されていたこの体育館裏に、一瞬の静寂が戻った。
瀬崎には、元々狙いがあった。彼女の持っていた一つの想定、それに基づいた一つの計画。半分人任せのそれを、本当に計画と呼んで良いのかはわからないが、たしかに彼女はそれを持っていた。
但し、それは唯一の想定外によって完全に潰えたと言える。
「残念やったな、女狐――ボスを下してその立場に乗り出したかったんは、他ならぬお前やったやろうに」
「――本当に、よ。『奇役者』さんがボスを倒してくれて、代わりに私がそこに収まる。大方人任せやったことを除いて、完璧な計画やってんけどな」
「欠点があまりに酷すぎるやろ。泳ぐのが死海やとしても石の塊抱えてたら沈むわ。あと、気持ち悪い略し方すんな」
瀬崎は、ボスになりたかった。その理由の半分は、誰あろう彼女が厨二病だと断じた、『一番以外は嫌』という考えに占められる。そして、ボスの方が色んな情報を手に入れられる、というのが残りの理由に嵌るのだ。
彼女としても祐介がボスの座を狙うというのは想定外で、自分が次期ボスなのだと信じて疑わなかった彼女にとっては思いっ切り横槍を入れられた気分。
「まぁ、どうせ三日天下やろ。『奇策の裏役者』って、結局は裏方、ってことやもんな」
「俺に裏方の方が似合ってる、って話なら否定せんよ。まぁ、女狐の言葉って時点で俺は否定するけどな」
ついにはマウスコムの初期メンバーで数えるなら祐介と瀬崎の二人だけになった。もともと三人だったではないか、という指摘はしないことにする。
世界最後の二人、ともなれば必然的に絆が生まれそうなものだが、残念なことにマウスコムの初期メンバー最後の二人、となった今、祐介のスタンスは変わらないらしい。
「――話しすぎたな。まぁ、一応は俺がボスになった、その報告だけやし。付き従うか、叛逆の意志を温めるか――どっちでも良いけど、表面上は従えよ、俺がボスやねんからな」
「はいはい、分かりましたっと。じゃあ、私は優等生に戻るわ。――じゃあ、またね高橋くん?」
「気色悪い、二度と会わずに済むならそうしてくれ」
悉く罵声で発言を埋めた祐介に、瀬崎は優等生然とした微笑みだけを残してその場を去っていった。その背中を見送ることも一瞥すらもせず、祐介は背中を向けて逆方向へと歩き出す。どうせ、どちらへ歩いたところで辿り着くのは同じ校舎だが、その辺りは意地だった。
✕ ✕ ✕
女狐こと、瀬崎佳奈。正直すぎる言い方をすれば、恐らく祐介が世界で最も嫌いな人種に属するであろう女生徒だ。狡猾で裏表がある、人の不幸を好んで貪る愉快犯。彼女は、そういう人種。反吐が出る。
何より祐介を苛立たせるのは、あくまでそれは裏の顔であること。ボスにも言えることだが、瀬崎は表の世界で優等生として通っている。それが、何よりも祐介を苛立たせるのだ。
「――つっても、関わらねぇといけないんよなぁ」
祐介は憎たらしく言つ。
マウスコムのボスは、現在祐介である。これは、しかし名実ともに、というわけではなかった。というのも当然の話で、前ボスは正式に祐介にボスの座を譲ったわけではないのだ。言わば、ボスを暗殺して遺言を捏造したようなもの。自分がボスなのだと喧伝することは祐介にも出来るが、逆に言えばそれしかできない。
そこで、必要になるのが瀬崎の懐柔だ。マウスコムの唯一絶対幹部となった彼女は、その立場に相応しいだけの実力を有している。それは事実であり、祐介としても認めざるを得ない。彼女を最低限、表面上だけでも懐柔し、意のままに操れなければ、祐介のマウスコムボスとしての座は脆弱極まりないものになる。しかし逆に、その無理難題を一つこなすだけで、同じくマウスコムボスの座は、盤石なものになるだろう。
「怪獣を懐柔せなあかんってか――笑えへんわ」
一人で自分の寒いギャグを冷笑しながら、祐介は今後の展望を見据えていく。自分が憎み、嫌悪し忌むマウスコムという組織、そのボスになったのは『一番以外は嫌』だとか、『エッフェル塔に住めば嫌いなエッフェル塔を見ずに済む』だとか、そんな単純極まりない平易な理由ではない。もっと、常に重圧に晒されて然るような、理由だ。目的、と言ってもいい。
その目的を果たす為、祐介はマウスコムのボスとして、慎重に、そして確実に行動を進める必要があるのだ。間違いなく、計画を進める――その為に、必要なことがいくつかあった。
✕ ✕ ✕
夏休みの間、祐介は心が知らぬ間に腐ってしまいそうになるような、そんな濃密で毒々しい日々を過ごした。あまりに酷くて、彼としては思い出したくもない毎日。ここまで言えば彼が何をしていたかなど、いとも容易に想像がつくだろう。
――瀬崎と会っていたのだ。
祐介がアルミニウムであれば瀬崎はガリウム。触れているという単純な事実だけで、祐介は瀬崎によって腐食され、崩壊の一途を辿る。とはいえ、そのリスクを冒してまで、瀬崎との接触が必要なのは前述の通りだ。
マウスコムの情報網が拡大したのも、そしてそれが現状維持を続けられてきたのも、どちらをとっても瀬崎の功績であることは間違いない。当然、祐介も幹部の一人として活動してきたわけで、彼の情報提供率も高かった事実は揺らがないが、それでも、噂によって学校中様々な層の女子を動かし続けてきた瀬崎にはすんでのところで手が届かないのだ。
『――てことや。お前には女狐らしく、情報集めに勤しんでもらわなあかん』
祐介としては、当然の言葉選びだった。それ以外にどんな言葉が適当だったのか、全く分からない。しかし、瀬崎としてはその表現が気に入らなかったのか、顔を顰めて無言の圧を放つだけ。様々言葉を尽くしに尽くして、どうにか瀬崎を動かすことが出来た。そのために使った時間も、祐介としては思い出したくない、記憶に残したくもない、そんな過去があった事実自体を消し去りたい、という認識だ。
「けれども――交渉材料に事足りることが無いんは楽よな」
祐介の所属する美術部には、幾らでも瀬崎との交渉材料が落ちている。転がっているし、時には自分から祐介の懐に収まりに来ることすらある。そう――健太と美穂。彼らの恋愛事情は、美術部で同じグループに属する祐介には筒抜けだった。
学校中の女子を相手に噂を取引する瀬崎にとって、人様の恋愛事情なんて垂涎の交渉材料に違いない。女子相手に留まらず、学校全体に於いて『高値』で取引される噂の一つに据えられるのが、恋バナというものなのだ。その交渉材料が安定して手に入れられる状況、それがなければ、もしかすれば祐介でも瀬崎を動かすことは不可能だったかもしれない。
嬉々として自分と健太の話を語る美穂――その表情を見て、話を聞いて、その声音から感情を推し量って。しかし、その情報を当然のように人に売り払う。祐介に、罪悪感など殆ど無かった。彼にとって、護らなければならないものなど、唯一つだけ。それだけを守る為、ならば――その他一切を犠牲にしたっていい。
歪んでいると言われても、偏執だと誹られようとも、執着だと評されようとも、祐介に止めるという選択肢はない。たとえ、守る対象、その本人から拒絶されたところで、祐介が守護の手を差し伸べなくなることは、決してないのだろう。
「アイツを守るために――そろそろ本格的に動かなあかんよな」
祐介の算段では、物事が大きく動くのは体育祭。学校全体が年度ごと初めての祭りに高揚し、生徒会本部は多忙の日々に突入する。そう言った非日常。そんな状況こそが、祐介のような裏の人間にとっての楽園であることなど、誰も知らない。
✕ ✕ ✕
「――ってことで。生徒会本部公式お手伝い係です」
「却下です、お帰り下さい、さっさと帰れ」
――関西倉北中学校、生徒会本部役員の仕事場、生徒会室。
その扉のところで、祐介と美緒が対峙していた。というのも、事の発端は数分前に遡る。生徒会本部担当の教師である伝説、木村先生が珍しく生徒会室に顔を見せたのが、その事の発端、というものだった。丁度体育祭の準備が始まってすぐの時で、仕事に忙殺されるのかと役員三人揃って戦慄していたようなタイミング。
『体育祭の間だけ臨時で、お手伝い係してくれる人見つかったんよねぇ。――こき使ったげて?』
突然現れて、木村先生はそれだけ告げてまた、生徒会室を後にして去っていった。誰なのか、どういった仕事を任せればいいのか、というかお手伝い係って何なんだ、といった詳細の一切合切を伝えられることはなく、ただ困惑のままその『お手伝い係』というのを待っていたのだが。
――現れたのが、高橋祐介。
当然のように、いつもの乱入者相手に美緒が門番の役目を果たさんとして前に出る。それを後ろから苦笑いを漏らして見守る大輔と、気にも留めずに仕事に勤しむ里奈。珍しく黒板アートはかいていない。そんな余裕がないほどに、体育祭準備は忙しかった。
「体育祭準備でこちとら忙しいんよ。冷やかし揶揄い野次馬は帰った帰った」
「いやいや、その体育祭準備――そのために俺が来たんやんか」
「却下で。美術部が四分の三も占めたらただの侵略やろ」
「そう言われるやろなぁ、と思って――木村先生に頼んで、俺は『生徒会公式お手伝い係』という実行権限ない役職にしてもらっといたから」
そう言って、祐介が見せてきたのは確かに木村先生、及び選挙管理委員長の署名も書かれた公文書。祐介を名実ともに『生徒会公式お手伝い係』――正式名称『生徒会本部直属臨時諸事雑務係』に任命する旨の書かれた任命書だった。
流石に、ここまで仰々しい手続きを経たうえで告げられた祐介の妄言は美緒にとっても妄言だと切り捨てられるものではない。というか、最早こうなっては祐介の戯言の類ですらない。
「まぁいいじゃないですか、門番石井さん。体育祭準備のために人手が必要だったのは事実です。先日も木村先生には生徒会本部役員の追加募集を打診していましたし――」
その結果が、彼の任命なのでしょう、と。大輔の追撃もあって、祐介の生徒会本部臨時所属は確定事項と相成った。
✕ ✕ ✕
そして、その日の
「――本当に言ってんの?」
「あ? わざわざ嘘つく理由もないやろ、お前と違って。わざわざ全校生徒に周知されることはあらへんやろけども、マジで疑うんやったら木村先生なり、本部役員の誰かなりに聞けばいいやろ」
「……そこまで言うんやったら、本当なんや。これまでマウスコムからすれば目の前の柵越しに置かれたステーキ同然だった、生徒会本部役員の情報が――すべて筒抜け、と」
瀬崎の半ば驚き、半ば興奮の問いかけに、祐介は首肯する。
祐介が『生徒会公式お手伝い係』になったのは彼の血の滲むような努力が実を結んだ結果だった。というのも、夏休みからは学校主催のボランティアに幾つか参加し、先生からの評価を上手く上げつつ、木村先生を中心に仕事がある程度は出来る、ということを顕示していった。
最後の一押しになったのは恐らく、打診のタイミングだ。祐介が自分をお手伝い係に推薦したタイミングは、大輔が本部役員の人手不足を嘆き、木村先生に何らかの対応を打診した直後。木村先生の中では大輔の打診と、祐介の打診が即座に結び付いたに違いない。
「計算通り――ってわけよ」
「……流石に、手放しで凄いと思うわ」
祐介から女狐と評されるほど性格の歪んだ瀬崎だが、しかし今回の祐介の功績に対しては評価せざるを得ない。マウスコムがこれまで、どれだけ生徒会本部役員の情報を手に入れようとして、しかし出来なかったか。それを瀬崎だって知っているのだ。彼女の場合、身をもって知っている。
特に、今年度の生徒会本部は去年にも勝って情報に対するセキュリティが高かった。手に入りにくいものはそれだけ高額になる――当然の摂理の下、生徒会本部役員に関する情報は、『高価』になってきた。
「その情報が、手に入る――」
「かも、しれんだけや。けどまぁ、手に入れば間違いなく。――マウスコムはでかくなる」
まだ、情報が入手できる、と確定したわけではない。それでも、ほぼ確定したようなものだ。
同じ美術部にいるだけでは手に入らなかったような、生徒会本部だからこその本性――マウスコムが噂を扱ううえで、最も『高価』になりがちな恋バナに並ぶ、二つ目の情報。それが、裏の顔だ。
「あるかは知らんけどな――けどまぁ、人ってどうせ裏表があるもんやし」
「その程度の大小は問わず、裏表のない人間なんて見たことあらへんよ」
「そやろなぁ。やから恐らく――、」
そこまで言って、祐介は口を噤む。
ここは、いつも通りの体育館裏。祐介としては石垣が一部崩れて腰かけやすくなっていることもあって、地味に気に入っている密談場所だ。しかも、同じく石垣が崩れていることで現在は近寄ってはいけない、と言われているので人も来ない。
そんな場所で――砂利の跳ぶ音がした。足音だ。祐介は瀬崎にも口を閉ざさせて耳を澄ます。一瞬だけ聞こえたのが、聞き間違いであれば、と思って少し待てば、また聞こえた。少しずつ近づいてくる。勘違いなどではないのだ。間違いなく、足音。誰かが近づいてくる。
「(まだ、離れてる――多分、さっきの話は聞かれてへんはず)」
祐介は様子を窺いながら、もしものために瀬崎を幾つか置かれている空調設備の影に隠した。最悪の場合、自分だけがここにいたほうが、都合がいい。先生に見つかれば、評価が下がるし、最悪の場合お手伝い係の役職剥奪もありうるが――、
「(瀬崎の情報網を削るのは、悪手――!!)」
彼女の情報網は、彼女自身の人望によって成り立っている。彼女に対する周りからの評価が下がるというのは、彼女の情報網が縮小することと同義。
ボスが変化する前も後も、瀬崎の情報提供率は圧倒的だ。瀬崎を守るために犠牲を払う、という苦々しい状況に目を瞑れば、自分の身を晒してでも瀬崎を守る価値はある。
故に――祐介は足音が近づいてくるのを気にしないふりをして、崩れた石垣、その定位置へとついた。
「――誰かと思えば、高橋くん」
「誰かと思えば、って……こっちのセリフやで、お兄さん」
死角から静かに姿を表したその人物の正体が分かって、祐介も一人安堵する。生徒指導の先生だったりすれば面倒事を免れないところだったが、ほぼ身内である大輔相手ならば、問題はない。
「最近校則で決められたやろ、そこには近づかない――生徒会本部お手伝い係になるんやったら、校則くらいは守ってくれんと」
「あぁ、ごめんごめん。ここの石垣座りやすいし、ここは静かやしで、昼休みとかよく一人ここで黄昏れてるんよ。まぁ――俺を注意するためとはいえ、お兄さんも入ってきてるから共犯ってことで」
「昼休みに黄昏れてる時点で矛盾だけど――あと、共犯にはならないよ。ここ、進入禁止区域の端ギリギリなもんでね」
流石は大輔、そういうところは抜け目がない。半分以上屁理屈な理論で大輔も共犯に仕立て上げ、自分の罪を有耶無耶にしてしまおうとした祐介だが、その思惑は簡単に潰えることになった。
とはいえ、大輔も何だかんだ言って規定狂いではなく、ちょっとした抜け道から校則違反の回避を提示してくるような人間。祐介にとっては今一番、会えて良かった相手でもある。
「まぁ、進入禁止というのも生徒の安全を守るためってことだし、高橋くんも怪我はしてない――初犯は友達贔屓で無かったことにしとくよ」
「……ありがたい」
「ただ――僕的に一つ、懸念があってね」
そう告げて、大輔は言葉を切ってから祐介に視線を合わせた。その眼光に、祐介も一歩後退りそうになるのをどうにか我慢した。
「こういうところ、僕も少し気になって見に来ただけやねんけど……目が届きにくいのは事実やん。――密会にでも使われたら、厄介やと思わへん?」
「っ、いつものカップルがここで密談してたら、俺らも気づけへんから、悔しいってことか?」
咄嗟にその返しが出てきたことを、祐介が自画自賛するとして、誰も咎められまい。大輔が何について言及して密会、と言ったのか分からない今、ボロを出すわけにいかなかった。
「ああ――そうやなくて」
咄嗟の切り返しは、祐介も絶好調だった。しかし、それも大輔の前では意味をなさなかったらしい。
否定の言葉を紡ぎながら、大輔が祐介の方へと歩み寄ってくる。その意識の先は祐介では無く、間違いなく別の場所。大輔が求めているものを悟って、祐介は歯噛みする。今一番会いたい人間だったなど、嘘八百もいいところだ。それこそ、一番会ってはいけない人間だったのかもしれない。
「ちょっ、お兄さん? 進入禁止区域なんちゃうの?!」
大輔を何とかこの場から退けようとして、祐介が言う。確かに規定狂いではない大輔だが、彼もルールには厳しい。人に求めるラインは些か低いかも知れないが、自分に対しては高水準を求める性格も相まって、この言葉は今の大輔に効くはずだと、祐介には確信があった。
「いや、ごめんね」
性格も考慮に入れたうえで、大輔を確実に止める一言だと、祐介は確信していた。しかし、その確信は水泡となって消える。
何故か謝罪の言葉を挟む大輔は、やはり歩みを止めなかった。小走りになるわけでもなく、ただ静かに一歩、また一歩と余裕有りげな歩速で、祐介の隠したもの――瀬崎へと迫る。
「進入禁止区域に入らないようにしたのは、単なる保険やったんよ。――この通り、生徒会本部役員権限で、見回りのための一時進入許可は貰ってる」
騙したみたいで申し訳なかった、と言いながら大輔はちらと紙を見せる。その様式は以前祐介が生徒会本部公式お手伝い係になった時に大輔や美緒に見せたものと同じで、確かに公文書。よく考えてみれば、抜け目のない大輔が一切の許可も取らずこんな場所に近づくこと自体、おかしなことだったのだ。
「――。初めまして、ですかね。瀬崎さん、で合ってましたか」
祐介は大輔の足を止めることが出来ず、大輔は瀬崎の居場所を突き止めた。というより、空調設備の裏に少し身を潜めた程度の隠れ方で探索者を出し抜けるという考え自体が安易だったのだ。
大輔としても、ここにいるのが瀬崎であるというのは想像していなかったらしく、少しの驚きを表情に出す。しかしそれも一瞬にして消え去り、状況には似つかわしくない初対面の挨拶を述べた。大輔に見つかったこと、そして当然の礼節と言わんばかりに初対面の挨拶を告げられたこと、その二つの出来事に挟まれ、瀬崎は言葉を失う。
「蜜月を過ごされていた、もしくは複雑な事情を持った幼馴染故に人気の少ない場所で久闊を叙していた、というのならば謝罪します――が、そういうわけでもないでしょう。何をされていたのか、という事は私としても存じ上げませんが、恐らく人に聞かれては困るような話。生徒会本部役員として最近は体育祭の準備で忙しかったとはいえ、生徒の裏事情にも精通できていなかったのかと猛省するばかりです。そもそも、最近になるまで生徒会副会長にもかかわらず同学年の生徒についての知識も浅く……しかし最近、瀬崎さんについては聞き及びましたよ。学年でもトップクラスの成績で、人望厚い優等生――どうです、生徒会本部役員になるというのは。最近は高橋くんがお手伝い係として雑務をこなしてくれていますが、それでも実行権限がないとできない仕事が山ほどありますからね、優等生のあなたなら先生方の覚えもよろしいでしょうし――」
「……」
「失礼しました。初対面にしては少し話過ぎましたね。――私はそろそろお暇します。この放課後で済ませなければならない仕事がありまして」
早口でまくし立てる大輔に、瀬崎は言葉を挟む余裕もない。祐介もまた、マシンガントークを前に言葉を失くしている瀬崎を助けるような隙を見つけることが出来ずにいた。しかし、最後、大輔が当然のように、そして何もなかったかのようにこの場所を去ろうとしていることに、祐介はえ、と声を漏らしていた。
明らかに密会をしていた祐介と瀬崎。この面子でまさか蜜月、というのはあり得ないし、わざわざ校則で禁止されている場所に来ている時点である程度は後ろめたい事情があるのは明々白々。それを、半ば見逃すようにしてこの場を去る、というのは――、
「お咎め、無し……?」
「無いよ。こちらとしても、得るものがあったからね――その、言葉とか。お咎めがあって然るようなことをしていた、ということは確信が得られた。まぁ、変なことはしないで欲しいかな」
本当に何のお咎めもなしにこの場を去るつもりだと察して、祐介が半ば狼狽する。何もない、というのは逆に恐ろしいのだと、多分大輔は理解している。何らかの罪に対して、償いがないという事はその罪がいつまでも半永久的に残る、という事だ。つまり、祐介と瀬崎は大輔に弱みを握られている。
「――じゃあ、明日からもお手伝いよろしく。瀬崎さんも、もし良ければ是非、生徒会本部へ」
そう言って、大輔は去っていった。明日からも、お手伝い。ああ、なるほど、と祐介も合点がいった。弱みを握ったのは、飼い潰すためか。
比較的温厚で、裏も少ない大輔だが、しかし自らの『敵』だとか、自分の計画を阻害する可能性のある存在、そう言った者には一切の容赦をしない。この瞬間、祐介と瀬崎は大輔の排除対象予備軍に入れられたのだと、本人たちも自覚する。
「想定外や……お兄さんとは同じ生徒会本部になることで敵にならんつもりやったのに」
「あれは――敵にしたらあかんタイプやろ、間違いなく。あの状況で勧誘とか……」
大輔が去った後、祐介と瀬崎はどっと疲れたような気分だった。そして、状況を把握できればそのあまりの劣勢さに辟易する。
「お兄さんと敵対するってことは、こっからの策も全部、お兄さんとの勝負になる……女狐、お兄さんを倒さな終わるんはお前も俺も同じやぞ」
「分かってる――やから、従えってことやろ」
「従わんかったらお前が先に潰れるだけや。俺自身は、それでもええけどな」
「正直、無謀な気はする――あの人、どこまで見通してるんか……余裕があり過ぎるやろ」
「お兄さんはバケモンよ。やから、絶対に戦ったらあかん。完全に想定外やし、最悪の状況――」
祐介は、自分に言い聞かせるように状況の悪さを再確認する。しかし、彼は自分の口角が無意識に上がっていくのを止められない。
「想定外、のはずやねんけど――なんでワクワクしてんのやろな……!」
✕ ✕ ✕
「や、高橋くん。ちょうど良かった――一緒に帰ろうよ」
「ん、あぁ、お兄さん」
正直、「あんな事があって直後にこれか」と思った。祐介と瀬崎が密会をしている場面を目撃――まではされずとも殆ど察され、弱みを握られたうえで釘を差された、というのが今日の放課後。
あれからどれだけの時間が経ったか、と言えば数十分程度だ。大輔の豪胆さにも、こうなれば脱帽せざるを得ない。
「お兄さん、生徒会本部のしごとは終わったん? 早めのご帰宅やん」
「今日は仕事が少なくてね。とはいえ、別件も入ったから結局はいつも通り……少しばかり早く帰れてはいるんやけど、それだけよ」
「別件、ね……」
なんてことはないように大輔は言うが、その別件というのが祐介と瀬崎の件であることは疑いようもない。そのことを当然のように本人の前で言及する辺り、大輔も肝が据わっているというものだ。祐介には正直、大輔の考えの全貌が見えてきていない。何を考えて、祐介や瀬崎を黙認すると暗に示してあの場を去ったのか。恐らくは人手不足の生徒会本部で飼い潰すため。そう考えるのが、最も妥当だ。
しかし、それだけなのであれば――、さも当然のように友人らしい行動をとってくる必要があるか、というのは甚だ疑問となる。
「色々大変なことも色々あるから、日々精いっぱい生きておりますよ、私は」
「生徒会副会長のお兄さんは、そりゃ大変やろね」
「――さも、自分は大変じゃないと言いたげだね」
「やって、そうやろ?」
当然だ、と――。声として聞こえてきそうなほど、祐介の表情はその一言を含んでいた。自嘲するようなその言葉は、確実に自虐だった。
「あ、ごめんお兄さん。今日帰りに寄るところあるから――ここでお別れや」
「あら、そうなの。じゃあ、また明日」
二人が一緒に帰るとき、いつもなら別の交差点で二人は別れる。しかし、その少し手前の交差点が、今日の別れ場所だった。そのことを当然のように受け止め、そして最後に釘をさすようにして『また明日』と告げて、大輔は手をひらひらと振って去っていった。その背中に、どれだけの意思が籠っているのか、どんな神算鬼謀を抱えているのか――祐介は想像しようとして、止めた。
「知ったら知ったで、おかしくなりそうやわ――お兄さんの策謀なんか」
多分、自分とは方向性が違う。祐介が悪だくみ、と通称されるような策謀でその悪知恵を発揮するのに対して、大輔はそうではないのだろう。彼にとっての正義は、この世界でごくごく一般的だとされる正義と、ほぼ一致する。だから、彼の抱える策謀も、その正義に則ったものである。
必要悪だとか、ダークヒーローだとか、祐介は自分をそんな高尚なものとして表現するつもりもない。しかし、世界で一般的に正義と呼ばれないものの、少なくとも自分の中で、自分の理念は正義なのであると、確信している。その確信すらないのなら、彼の行動には何の意味もなくなる。
「意味がないんやったら、あの女狐と放課後に会うわけないやろ」
苦々しく呟いて、祐介はしかし、その女狐――瀬崎と会うために道を歩んでいった。
✕ ✕ ✕
歩いている祐介の視界に、少し古めの建物が入り込む。喫茶シュラフ・プラッツ――前ボスの伝手で手に入れたマウスコム初期メンバーの本拠地である。そこにはちょうど、別で帰っていた瀬崎もいた。ほんの一時間前に大輔から釘を刺された祐介と瀬崎だが、しかしそれだけで止まるほど、彼らの立場は軽くない。
大輔が体育館裏から去った後、祐介と瀬崎はここシュラフ・プラッツで集合する約束を取り付けた。すぐにでも、これからのことを話し合わなくてはならなかった。
祐介は準備していた鍵を開けて、喫茶店の中へと入る。そして祐介と瀬崎はそれぞれ、いつもの定位置についた。祐介はいわゆるマスターと呼ばれるような老紳士が立ってグラスを磨いていそうな場所。瀬崎は壁際のソファ席。少し前はここに、古びたピアノの演奏席に座ったボスもいたが、そこは今日から空席である。
「お兄さんと敵対する、ってことが決まった時点で――重要なんはどれだけ早くお兄さんを倒せるか、って話になったわけやけど」
「倒すって言っても……あの人、弱点とかあるん?」
「運動が出来ない、ってのが一番の弱点やって本人が言ってたけど、そんなんは特段俺らに有利に運ぶ要素ってわけでもないやろな」
「普通に戦闘するならあれやけど、そういうわけやないしなぁ……」
祐介と瀬崎が目論むのは、決して大輔の暗殺などではない。当然、ボスですら社会的抹殺に留めたのだから、大輔を相手にしてそれほどのことをするつもりもない。ただ、マウスコムに対して干渉するだけの能力を奪わなければならない、というのは必須条件だろう。――マウスコム、という組織にとっては。
祐介の目的は、マウスコムという組織にとってのそれとは、一線を画している。瀬崎にだって、まだ言っていない事情だ。その目的を果たすことが、彼にとっては最終目標。それが果たされるならば、マウスコムなんて無くなろうが存続しようが何でもいい。
「女狐――お前にも利益のある話がある。聞くか?」
「……へぇ、受けるかどうかは、聞いてから判断させてもらうわ」
祐介は、ここで自らの目的、その一端を話すことにした。大輔を相手取るのに際して、瀬崎を完全に味方に引き込むことができなければ、勝利の道はない。せめて、彼女の人望と、それから得られる駒の数が無いと、土俵にも立てないだろう。
「俺の要求はただ一つ、俺の最終目標到達に力を貸せ。それを果たしたら――俺はマウスコムのボスの座をお前に譲る」
はっきりと告げられた、ボスの座継承の確約。これには瀬崎も、目を見張って驚きを隠さなかった。しかし、その表情も刹那の後には恍惚に染まる。
瀬崎にとって、一番望んでいるものを、祐介はよく理解している。野菜嫌いが野菜と果物の違いに詳しくなるように、川魚嫌いが魚の種別に敏感化するように、瀬崎の事を女狐と呼んで嫌悪する祐介は、奇しくも彼女を理解している。
――当然、瀬崎はその提案に乗ると言う確信があった。
大輔の時は通用しなかった、祐介の確信。しかし、瀬崎相手にそれは、通用した。
瀬崎は祐介の提案に乗り、約束を果たした暁には自らがボスに台頭する、との確約を得た。祐介としては不思議なものである。大輔に半分は認知され、狙いを定められたこの組織が長く持つわけもないのに。その組織のボスという座は、本当に瀬崎が思うほど甘美なのか。
果たして分からないが、祐介にとっては、瀬崎が仲間になるだけでそれ以外のことは気にしなかった。
「それで、『奇策』さんの最終目標は?」
「略すな、さっきの話全部無くすぞ」
「それで、高橋くんの最終目標は?」
「猫を被るな、遣唐使もさっきの話も白紙に戻るぞ」
「じゃあ何て呼ぶんよ……もういいから。それで、最終目標っていうのは?」
険悪な様子の茶番を挟んで、話は本題に戻る。祐介と瀬崎は改めてシュラフ・プラッツの店内に置かれている丸机を挟んで向かいに座った。珍しく、お互いが対話の姿勢である。
「前のボスが、いざという時のために隠した重要な情報が、まだ残ってる。俺はそれを確保したい――それが最終目標や。お前には、その情報を探すのを手伝ってもらうのと、最終的にその情報には手出しせず、俺に渡してくれたらいい。それだけで、お前はボスや」
「なるほど? ボスが隠すって言うんやったら、一番最初に考えられるのはここ――シュラフ・プラッツやと思うけど……ボスが不登校になってからすでに数日は経ってる。もしもここに隠してて、しかも祐介が探しに来るやろうっていうのがある程度推測できてたなら、どっかのタイミングで回収しに来てるんちゃう?」
いろんな呼び名を否定された結果、瀬崎が祐介を呼ぶときはそのまま名前で呼ぶことになったらしい。そもそも瀬崎から名前を呼ばれる、というより呼びかけられること自体が嫌な祐介としてはその呼び方もまた拒否したかったが、そこまでいくと話が進まなくなるので我慢した。
そして、瀬崎の指摘に思考を移していく。確かに、一理ある話ではあった。ボスがここ、本拠地に情報を隠していた可能性は非常に高い。そして、以前から祐介がその情報を狙っていることは薄々と勘付かれていたはずなので、ボスとしてもその情報は回収し、安全に保管するなりなんなり、したかっただろう。
「やけど、それは無理や。多分、ボスはここに来てない」
「そう断言できる根拠は?」
「ボスを下した日、俺はいつも変える道とは別の方向に帰った。自宅に向かう方向やなくて、ここシュラフ・プラッツに向かう方向に。ボスやって馬鹿じゃない。絶望して何も考えていないように見えて、無意識の中では目の前の少しの違和感を感じ取ってたはずや」
「成程ね。そうやって、祐介がシュラフ・プラッツに何らかの仕掛けをしているかもしれない、っていう疑念をボスに植え付けた、と」
「そういうこと。実際、シュラフ・プラッツ付近にボスの傷害事案の被害者宅もあってな。そこにうまく情報は流した。噂好きの親やっていう話は聞いたことあるから、この辺りの保護者には一通り伝わってるはず」
「もしもここにボスが現れたら、すぐに噂になって非難の的――流石、えげつないやん」
「まあそういうことで。ボスがこの場所に来ることは不可能。来たとして、恐らく噂の中心になるやろうから、俺の耳にも入る。――あと、ここには事前に鍵をかけといた。これまでは中の情報とかをしまう棚だけに鍵をかけてたけどな。ボスが来たとして、中に入ることも出来ひんかったはずや」
祐介が説明すれば、瀬崎もそれに納得したらしく数度頷いていた。鍵については確かに、瀬崎としても小さな違和感を抱いていた。とはいえ、シュラフ・プラッツに来るのも彼女にとっては少々久しぶりのこと。まあ、忘れていたっけな、くらいでいたものだが。
「用意周到やな、祐介も。これやったらあの副会長にも――」
「まぁ、どういう舞台で土俵で、戦うか――それによるわな。純粋な学力勝負でお兄さんに勝てる人間はおらんし、そういう正義を中枢に据えた戦いは、こちらに分が悪い。とはいえ、悪知恵勝負なら俺やって簡単には負けへん自負があるし」
「ってことは、問題は――どれだけ土俵をこちらに優位に整えられるか」
「そういうこと。俺の想定では、体育祭が諸々決行のタイミングや。もう少し時間があるし、それまでは基本的に放課後、ここでボスの隠した情報がないか探しってとこやろな」
そう、予定を取り付けて、祐介は話は終わり、と言いたげに椅子から立ち上がった。瀬崎の下からの視線に一瞥もくれず、店内の照明を付けられない代わりに付けていたアウトドア用のランタンを片付ける。そして諸々の片づけを済ませて、祐介は喫茶店の外に出た。そこで、瀬崎は未だ外に出ていないことに気づく。
「おい、鍵は俺が閉めるんやから――さっさと出ろ、女狐」
「……はいはーい」
そうして、密会の後の密会は、幕を閉じた。
✕ ✕ ✕
「や、高橋くん――今日も一緒に帰ろうか」
大輔が声を掛けてくるのは、これで三日連続だった。
「お兄さん……今日も家に帰る前に寄るところあるから、途中までしか無理やで?」
そして、祐介がこうやって言葉を返すのも、毎度のことになっている。とはいえ、なら止めておこう、と引き下がることは、大輔もせず。
「それでもいいとも。折角生徒会本部お手伝い係に就任したことだから、出来る限り親交を温めておかないとね」
何かしらの理由を付けて、祐介が暗に辞退したのを大輔がさらに突き返すのもまた、この三日の日常となっていた。瀬崎との密会を見つかってから、大輔は本当にその事実をひた隠しにしているらしい。少々は怯えながら次の日のお手伝いに生徒会室へと向かった祐介を迎えた雰囲気は、何ら変わらなかった。
まさか、本当に大輔が自分たちのことを黙認するとは、祐介も理解しがたい。飼い潰すにしても、大輔以外に事情を知る者がいなければ、彼以外に警戒できる人間もいないという事になってしまうではないか。いや、大輔だけが警戒しているのでも十分に脅威なのは間違いないのだが。
「じゃ、今日もまたここで」
「うん。じゃあまた明日」
そう言って、いつも通りに別れた。いつも通りだった。
✕ ✕ ✕
次の日、大輔は祐介に一緒に帰る提案をしてこなかった。というより、いつの間にか帰っていて、彼の帰る姿を確認することすら出来ていなかった。しかしまあ、その方が祐介にとってはありがたい。毎日のように神算鬼謀の権化を相手にするというのは精神的にも疲れるというものなのだ。
「――よ、女狐。今日も徒労の未来予知は出来たか?」
「したくもない未来予知やね」
祐介がシュラフ・プラッツに到着すると、そこには既に瀬崎が待機していた。祐介がボス対策で扉に付けた鍵のせいで、中に入れなかったらしい。まだまだ残暑が厳しい中、外で待たされていた瀬崎には同情する。いや、女狐相手なのでやはり何も感じなかった。
とはいえ、瀬崎を外に出しておく愉悦と、自分が外に居なければならない苦痛を天秤に乗せて考え、当然のように祐介はシュラフ・プラッツの扉の鍵を開けて中に入った。
「んで? 最初に成果を確認しとこか。――あの棚は、見た。何もなかった。二つ目の棚も見た。何もなかった。ちっちゃな使われてない金庫も見たけど、何も入ってなかった。SDカードみたいな電子データとして保管されてる可能性も考えて探したけど、無かった。あと探してへんのは?」
「この喫茶店って、屋根裏ある?」
「少なくとも、聞いたことはないな。っていうか、それ以外にもまだ探してへんとこあるやろ。それこそあの古びたピアノとかも見てへんし」
「ピアノを探すなら、気を付けたほうがいいよ? 結構重いからね、挟むと痛い。ミスると骨折れる」
「「――ッ?!!」」
突然、突然――だ。完全に意表を突かれた形。文字通りに心臓が止まったのではないかというほどの衝撃を受けて、祐介は背中をカウンターに、瀬崎は手首を机にそれぞれ打ち付けた。
ここに、いるはずのない人間がいる。絶対に、いてはいけない人間が、ここにいる。
「――お兄さん。……なんでここに?」
「すっごい。アニメとかでよく聞く台詞を現実で聞けて嬉しい限りやわ。というか、お二人とも背中と手首大丈夫? 結構音でかかったけど」
「それは――この際どうでもいい。お兄さん、ここをどうやって探し当てたん」
祐介には、本当に心当たりがなかった。まさか大輔が祐介を尾行してついてきたというのであれば、ここに辿り着く前に気づいていたはずだ。祐介としても少しは疚しいことをしている自覚があるわけで、尾行などには最大限の注意をしていた。だから、気づかないはずがなかった。尾行されていた、というのはあり得ない。であれば――どうやって。
「ここ数日、一緒に帰る提案を繰り返してたやろ?」
「そりゃまあ……けど、尾行とかはしてへんやろ? まさか盗聴器とか位置情報追跡器とかも付けてへんはずや。そんなんがあったら俺もすぐに気づく」
「勿論、そんなことはしてへんよ。ただ、毎日君がどの方向に帰っていくのかだけ、確認してた」
「どの方向に、帰るか――」
それだけで、何ができるのかと。祐介がそう思わなかったわけではない。というか、正直言って強くそう思った。それは当然、別れるタイミングまでは大輔と祐介の二人で一緒に帰っているのだから、別れた時にどの方向に帰っていくのかは確認できただろう。というか、それを確認できないわけがない。そして、それを確認されたところで、祐介は気づかないし、気づいても何ら不審には思わない。
「ちなみに、瀬崎さんについても同様のことは確認させてもらいました。そして、僕は高橋君の家の位置を知っている。他にも、瀬崎さんの家も知り合いから教えていただきました。生徒会本部役員というのはこういう時に便利なもので。『個別に渡さなければならないプリントがある』と説明すれば、難なく教えてもらえましたよ」
「私の家と、高橋君の家――それからそれぞれが帰る方向……それだけ確認して、どうやってここを?」
「二人の家の方向と、いつも変える方向の違い――そこから、おおよその位置を探し出しました。しかし、それでは複数区域に跨ぐような広い範囲までしか絞りこめなかった」
それはそうだろう、と内心で祐介が合の手を入れる。祐介と瀬崎の家の位置だとか、帰る方向だとか、そう言ったものを確認していたのは抜け目がないというものだが、しかしそれだけでは決定的にこの場所を確定させることが出来ない。
何か、もう一つか二つ、重要な情報がなければ――、
「そこで、僕が目を付けたのが――先日、不登校になった■■くん」
「――!! やっぱお兄さんバケモンやわ」
先日不登校になったことが全校に知られた、前マウスコムのボス。まさか、そこに白羽の矢を狙って中てるなどとは、もしもそれが単なる勘だとするならば、大輔は神か何かだろう。しかし、当然そういうわけでもない。大輔が化け物であることは間違いないが、それは豪運という意味ではないのだ。彼は、理論と推論によって化け物として成り上がった。
「瀬崎さんがそう言った裏事情に関わっている、ということが分かってから、一つ僕の中でも見解が広がったんよね。表で優等生だとして、では本当にそうなのか。――実際、■■くんについても同様の噂が立っているわけだし。そこで、彼もまた君たちと同様の立場の人間である、またはそうだったと考えた」
「それで、あいつの家も調べ、その位置からさらに絞り込んだ、と」
「そういうこと。まあ、ある程度まで絞り込んだら後は高橋くんの好きそうな雰囲気の場所だとか、そう言った秘密基地みたいな使い方が出来そうな場所とか、色々探し回って――そして、ここを見つけたというわけ」
半分は足で頑張ったようなものなんだよ、と。大輔は締めくくった。途中から、開いた口が塞がらない、というような心持だった祐介と瀬崎。しかし、今更になって大輔にこの場所を知られたことに対する危機感が押し寄せた。
この場所に情報が隠されている、という可能性はここ三日間の捜索で低いことが判明している。とはいえ、ここは捜索必須箇所というだけでなく、大事な拠点という存在意義もあるのだ。簡単に特定され、大輔の既知の場所になってはいけなかった。
「――安心してくれたらいいよ。僕はこの場所を知ったからどうこうするわけやない。何をしてるのか知りたいだけやったし。まあ、最終的に何らかのルールを破ろうとするとき、僕は君たちの敵になる。そう思ってくれれば十分やね」
「敵、ね……敵に回したら一番あかんタイプやろ、お兄さん」
「そんなそんな、敵に回したところでどうってことないタイプよ、僕は」
そう言って、また大輔は去っていった。本当に、何もせずに、だ。
先日、体育館裏での密会を見つかり、大輔が去っていった後もどっと疲れが来たが、今回はあの時の比ではない。床が埃で汚れていることも気にせず、祐介は力が抜けたように座り込んだ。
「ほんとに……何しに来たんよ、お兄さん……」
「多分、本当に確認だけやったんやろ……私たちが、校則を破っていないか、人道を外れていないか――それを確認したかっただけ。それ以外に、何の意味もない」
「暇人かよォ!! ――あぁもう!」
はぁ、と溜息をついて、祐介は背中をカウンターに預ける。もう、今日は捜索なんて止めた方がいいかもしれない。全ての体力を持っていかれたようで、ここから体を動かす気力がない。
「しっかし、『ルールを破ったら敵』かぁ……ってことは、体育祭の日には敵になるんやな」
「ほんとに、やるん――? 副会長は絶対、阻止に来るで」
「忘れたか、女狐。生徒会本部役員は当然、体育祭では大忙しや。間違いなく、俺たちを阻止してる暇はない」
「そうやけど……それ言うんやったら、最近は生徒会本部も仕事ばっかで忙しかったはず。やのに、この場所を突き止める調査までやってたんやで?」
「――――」
当然の指摘をされて、祐介は押し黙る。大輔を相手に常人に当てる物差しは無意味だ。普通なら、無理だと考えられることも、彼にとっては簡単に成し遂げられることだったりする。
しかし、それを理由に立ち止まるには、祐介も望むものに対する熱意が強すぎる。
「お兄さんが敵になることは確定。それがどんだけ障害になるんかも、理解してる――けど、俺はやらなあかん」
「……やるっていうんなら、私も手伝わなあかんけど。何が、そんなに祐介を動かすんよ」
「――知らんわ、そんなもん。未知の感情やねんか、これは」
そう言って、以降祐介は帰るときまで瀬崎と何か言葉を交わそうとはしなかった。瀬崎も、その雰囲気を悟って声をかけたりもしなかった。
✕ ✕ ✕
そして、体育祭の日がやってくる。この日、祐介は最後の可能性を探るつもりでいた。しかし、そのためには大輔とその立場を完全に隔絶しなければならない。その覚悟が、祐介にはあった。
「――次の競技の準備を行います。三年体育委員は既定の位置に集合し、準備を始めてください。競技に参加する二年生は集合してください。三分後に人数の確認を行います」
放送が聞こえてくる。大輔の声だ。生徒会本部はやはり人手が少ないままらしく、競技の寸前まで放送や準備の指揮のために本部役員は駆り出されている。
明らかに、大輔は手が離せない状況。今だ、と祐介は立ち上がった。競技のために移動を始める他の生徒に紛れ込む形で別の方向へと歩みを進める。人気がなくなった瞬間、祐介は走り出した。目的の場所に急がなければならない。
✕ ✕ ✕
大輔は、祐介が行動を起こすならばこの日しか無いと踏んでいた。体育祭の日ほど本部役員の忙しさが高まるタイミングはそうない。だからこそ、この日なのだと。だからこそ、いくらかの準備をしていた。
――時は、三日前に遡る。
「手の空いている先生たちで、校舎の見回りを?」
「はい。体育祭というのは生徒たちの心が浮足立つタイミングでもあります。無いとは思いますが、競技中など、先生方の意識が校舎に向いていないタイミングで何かいたずらをする生徒がいないとも限りません」
放課後の生徒会本部の仕事の合間に、大輔は職員室を訪れて木村先生に打診をしていた。祐介が何をするかはわからない以上、大輔がとったのは数撃ちゃ当たる戦法である。
「なるほどなぁ……確かに、運営の殆どを生徒会本部に任せる以上、一部の先生は暇になる。校舎を完全に空けておくのも防犯上良くない、か……」
「こちらで提案書は用意いたしましたので、ご確認いただいて、良ければ先生方に周知していただければ」
「いつの間に……分かったわ、お願いしとく。――あ、ごめん。体育祭の日に備品の整理を業者に頼むことになってて。その打ち合わせがあるからこんらへんで」
「いえ、お時間いただきありがとうございました」
上手く危険性をアプローチできたらしく、大輔の打診は簡単に通った。木村先生の寛容な判断にも感謝だ。これで、校舎内の監視は十分だろう。加えて、提出した提案書には校舎内の防犯計画以外にも校門周りの警備、その他敷地内の施設ごとの見回り計画についても記載してある。大輔が使える手札は、これくらいだ。
本当なら、大輔本人が祐介の動きをリアルタイムで予測して動くのが一番だ。しかし、生徒会本部役員としての仕事が別である以上、それも不可能。ならば、逆にその立場を利用して先生方に働きかけるのが最も有効な手段になりうるだろうと、大輔は踏んだ。
✕ ✕ ✕
「流石はお兄さん。しっかりそのあたり対策してくるとは思ってたわ。けどまぁ、先生方も暇とはいえ、体育祭の方から人員を大きく割くことも出来ひん――校舎内も、慎重に進めば気づかれずに移動できるはずや」
祐介も当然、大輔の策を予想し、それに対抗するための策を動かしつつあった。大輔が扱える手駒は主に先生方と生徒会本部役員、そして自分自身。先生方という大人の力を味方に出来るのは確かに強いが、人数的な面では祐介に劣る。
祐介が扱えるのは、規模を常に拡大しつつあるマウスコムの構成員。瀬崎を動かすことによって彼女の人望に吸い寄せられた女子たちも同時に動かすことが出来る。そして、彼ら彼女らは祐介の手駒であると同時に、先生にとっては守らなければならない生徒の一人であることも、重要だ。
「先生らを動かすって言うんは想像通り。それが一番厄介やからこそ、俺としては可能な限り先生を運動場の方に固めておきたい」
だから、祐介も手を打った。動かせるマウスコムの構成員に指示を出し、先生を運動場内に引き留めるように、と。方法は問わなかった。例えば純粋に先生に話しかければいいだろうし、例えば少しの厄介ごとを作り出せばいい。少しうるさくするだけ、少し危うさを見せるだけ、ただそれだけで先生は生徒たちから目を離せなくなる。
運動場でごくごく小さなアクションを起こし続ければ、先生を運動場に引き留めておくのは簡単だ。そして、当然の如く運動場に先生が集まるという事は後者には最低限の人員しか割けないという事で、そちらが手薄になるのは当然であり、仕方のないこと。
「狙い通り――手駒の数では、お兄さんも俺には敵わんかったか」
言いながら、祐介は目的地に着く。周りを見回して人がいないことを確認。ポケットから取り出した鍵で、部屋の中に入った。生徒会本部お手伝い係、というのは毎日の生徒会活動の際に生徒会室の鍵を取りに行く、というのが一番基本的な仕事である。祐介は毎日のように職員室に入り、鍵が無数に並べられた中から生徒会室の鍵を手に入れて、部屋の鍵を開ける仕事をしていた。
この学校の鍵の管理は杜撰らしい。特段盗むものもないような部屋に関しては鍵の有無を常に確認する、というようなことを一切していない。だから、祐介が鍵を少し拝借したところで、誰にも気づかれることはない。
「あとは――、パスワードの突破だけか」
並んでいるパソコンの内一台の電源を付け、祐介はその正面に座る。慣れた手つきでマウスを滑らせ、ボスのアカウントを選択。この学校ではパソコンを重点的に授業で扱うことをしないのもあって、パスワードは大して複雑ではない。単なる数字四桁だ。
とはいえそれも一万通り。純粋に突破しようとすれば、何日かかるやら分からない。ただ、それは真正面からの突破を試みた場合。ボスとは旧友でもあった祐介にとって、彼が設定したパスワード四桁を思いつくのは、出来ない話ではなかった。
「シュラフ・プラッツも、一通り探した。あと考えられるとしたら、ボスのパソコンの中――ここにもなかったら、あとはもう……」
焦燥感からか、祐介がキーボードを叩く音も早くなった。強く叩きすぎて音が外に漏れてはいけない、と祐介は改めて自分を制す。落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせて、深呼吸を一つ。決して、焦ってはいけない。計画の最終段階にいるのだ。もう、あとは成功させるだけ。
「これも違う、これも違う……あと考えられるのは、ボスの誕生日もやったし、生まれた誕生年もやった……あとは、あいつの初恋の人の誕生日とかか?」
キーボードをひたすらに叩く。しかし、開かない。考えられる可能性は指で数えて両手を使わずに済むほどまで減ってきている。否が応でも焦ってしまう状況に、祐介の額には汗が滲んだ。
✕ ✕ ✕
「――パソコン室、扉が開いてるな」
校舎内を見回っていた、数少ない先生の一人。生徒指導の通称鬼先生が、パソコン室の扉が開いているのを見つけて訝し気にそちらに歩を進めた。木村先生からの呼びかけを受けて、生徒からの提案があったからと校舎の見回りを頼まれた時は、まさかそんな必要もないだろうと思っていた。しかし、目の前の状況からしてそれも間違いだったらしい。
緊張感をもって、パソコン室との距離を縮めていく。そして少しだけ空いた扉に手を掛け、勢いよく開き切って――、
「コラァ!! 誰かおんのか!!」
――鬼先生の声は、虚しく無人のパソコン室に響いただけだった。
✕ ✕ ✕
「っ――行ったぁ……っ、データ、データ……」
想定していた可能性の十数個の数列。その中の最後から数えた三つ目で、パソコンの画面が変化した。ずっとスタート画面の地味に綺麗な風景写真だったのが、青い電子世界の背景へと変わる。しかし、そこで祐介は手を止めていられなかった。
急ぎながらマウスを滑らせる。手当たり次第にフォルダを開き、中にそれらしいデータがないかを確認する。しかし、生徒用に用意されている幾つかのデフォルトフォルダにはデータが見つからなかった。しかし、初期状態から用意されているフォルダとは別に、恐らくボスが作ったのであろうフォルダに、そのデータが隠されている可能性がある。
「これ――おい……あいつ!! マトリョシカかよ!!」
フォルダを開いたらまたフォルダ。初期のままの名前で、ただ遊んでいたかのような児戯のフォルダマトリョシカ。こういったところにこそ、隠したいものは隠していそうに思える――が、祐介は三つ目のフォルダを開けたところでストップ。
焦るな、違うだろ、と自分を落ち着かせる。ボスだって、今のような状況を一切考えていなかったはずがない。恐らく、いくつかの罠を用意している。それに時間を取られている暇はないのだ。
「違うんだよ。あいつは、そうじゃない。罠を大量に用意して――けど、本命は何だかんだシンプル……っ、来た!!」
これまでのパソコンに関する授業で済ませた課題を入れておくような、デフォルトフォルダがある。その中で、隠しフォルダを表示してみれば――、祐介は、ボスの置き土産を発見する。中身を確認し、間違いなく『求めていたそれ』であることを確認。内容を深く調べることも一切せずに、それをごみ箱に放り込んだ。そのまま、『完全消去』――。
「は、ぁ……っ、行けた」
どっと疲れが押し寄せる。最近はこのタイプの疲れ方が多い。
元から座っていた床に寝そべりたくなるのをどうにか我慢して、祐介は改めて周りを確認する。運動場に帰る時だって当然、先生に見つからないようにしないといけないわけで――、
「――あら。ちょいと遅かったか」
そこにいたのは、先生ではない。確かに、先生ではないのだ。しかし、祐介にとっては先生よりも手ごわい相手。彼自身、言っていた。自分たちが戦うのは、先生ではない。祐介が、瀬崎が、マウスコムが戦う相手は――、
「お兄さん……ラスボス戦、ってとこか」
高橋祐介という、一人の『奇策の裏役者』を裏方から引き摺り出し、表舞台でそのスポットライトを顔面一直線に浴びせかける男。裏を生きる祐介と対を為す、表舞台の代表格。
――鈴木大輔。生徒会本部副会長。
「先生の配置、ミスったな……計画書は結構うまく書けたと思っててんけど。やはり、運動場でいくつか問題が発生したこともあったし……あれは勿論、高橋くんの仲間、やんね」
「そうやな。お兄さんを相手に無策で作戦決行するとか、馬鹿にもほどがある。今日のために、いくつかは用意させてもらったわ。――まぁ、最後の結果としてこれやねんから、あれやけど」
最終目標は達成した。だから、究極的に言えば、祐介にとってもう何もかもがどうでもいい。しかし、最後の最後で大輔に見つかってしまった、というこの追い詰められた状況は、負けたような気がして嫌だった。何とも、悔しかった。
「この部屋、よくわかったな……」
「高橋くんの探し物、電子データの可能性があるって――喫茶店で話してたやろ?」
「聞いてたんか……けど、それやったらコンピュータルームに行くやろ」
「勿論、その可能性は一番に考えた。けど、高橋君はそんな単純な人間じゃない。そうやろ?」
「そうやろ、っていうか……まぁ、結果論そうやった、というだけやな」
勿論、パソコンを触る必要があったのは事実で、そのためにコンピュータルームに行くのは妥当だ。無難すぎて予測されやすいのが難点だが、この学校でパソコンが置いてあるのはそこか職員室くらいのもの。流石に職員室に侵入するのはリスクが高すぎることもあって、パソコンに触れるためにはコンピュータルームが唯一の手段のように思える。
いや、祐介にとっても、その筈だった。何のひねりもなく、コンピュータルームに行く予定だったのだ。
「これは、運が味方したともいえるな。丁度、備品整理の業者が来てたから――」
「パソコンも、その備品整理の対象として別の教室に移動されてた。その情報、言ったのは確か生徒会室での話やったね。木村先生に体育祭中の校舎見回りを提案しに行ったときに聞いたんよ」
ここは、コンピュータルームではない。備品整理のために一時的にパソコン数台を含む備品が置かれているだけの、空き教室だ。当然、これから廃棄されるような備品ばかりが置かれているのもあって、鬼先生のような見回りの先生もこの教室は後回しにしていた。
単純にコンピュータルームに行っていれば見回りに来た鬼先生の餌食になっていたはずなので、祐介の判断は比較的正しかったと言える。
「ってか、お兄さん、体育祭は? 今、二年生の競技中ちゃうん?」
「事前に許可はとってあるよ。――競技には原則参加するが、生徒会本部の仕事など危急の要件があれば参加を免除される。運動苦手な僕からしたらありがたいわ」
「そこまでして――」
「なんで、って?」
大輔が、小さく笑って祐介の正面に来る。そのまま、視線の高さを合わせるために屈んで、視線を確かに真正面から合わせてきた。その表情はどこか悪戯っぽく、何かを言いたげだ。
「なに――」
「高橋くん、何か――気づくことは?」
「は――?」
「じゃあ、たとえ話。明らかに怪しい密会をしている二人を見つけたのに適当な理由を付けて見逃したり、上手く使えば先生を出し抜けるような情報をこそっと残したり――アニメにそういう人物が出てきたら?」
「……秘密の、協力者――スパイ、とか」
「そういうこと」
その六文字の大輔の言葉が、祐介から一切合切の言葉を奪う。失くした言葉をかき集めるのに十秒ほどかかって、そして。祐介が「はぁぁぁ!!??」と叫んだ。咄嗟に大輔が周りを見回しながら口元に人差し指を立てる。
「いや待て待て、は!? まさか、最初っから俺の協力――って……」
「まぁ、協力とは違うかな。実際、変なことをしだしたりはしないかというのは常に確認してたよ。そのためにわざわざ秘密基地を特定したりもしたわけで」
大輔が祐介と瀬崎の密会の場所を特定し、そこに現れたかと思えば何もなしに去っていく。そんな不気味な状況はまさか、本当にただ単純に祐介が変なことをしていないかという確認だったなんて。奇しくも、瀬崎が言っていたことは正解だったわけだ。
「何にせよ、高橋くんの目的が達成されたみたいでよかったよ」
「いや、良かった……って、その目的が、良いことかなんて――」
「良いことか悪いことか、確かに僕には分らんけど。まあ、一応は信頼してるからね」
また、大輔の言葉のせいで祐介が言葉を失う。信頼だなんて、何だかんだはじめて言われたような気がした。その言葉に感慨を得るより先に、しかし大輔の方は言葉を止めずに紡ぎ続ける。
「ただまぁ、体育祭中の抜け出しと校舎内の進入――校則違反は、してるやんね」
信頼している、という言葉に絆されかけていた祐介だが、続く大輔の言葉で背中を何か冷たいものが走る。『ルールを違反した時が敵に回るとき』――大輔本人から言われた言葉が脳裏を駆ける。ここまで来て、信頼している、と言われて、最後の最後でまさかのゲームオーバーなのか、と。
「でもまぁ、学校にとっても生徒にとっても害は無さそうやし――もしかしたら、誰かにとっては良いことかも、やし。『仏の顔も三度まで』って言うし……友達贔屓、二回目ね。誰にも言ったらあかんよ? 生徒会副会長の座が揺らいでまうから」
そう言って笑って、また、大輔は背中を見せて帰っていった。最後まで、その考えの奥底、神算鬼謀の内情は知れずじまいだ。しかし、今回だけは、大輔の去り際に際して、祐介の体に疲れはなかった。ただ、何とも言えない安堵があるだけ。
全て、終わったのだと――祐介は安堵と共に実感する。
ボスの置き土産、残ったままではいつか誰かを傷つけてしまうであろうそれを完全に消し去り、祐介は『初めて守りたいと思った人』を、護り切った。今後、その本人に自分がお前を助けたのだ、ヒーローなのだ、と名乗り出ることは一生ないだろう。他の誰にも、喧伝するつもり一切ない。
あのデータの内容も、祐介だけが、知っていればいい。神が相手であっても、その内容は知られたくない。それが、祐介の覚悟だった。だから、誰にも知られないように――、消し去った。葬り去った。
誰にも知られなくていい。裏方どまりで大いに結構。表舞台はそちら専門の友人に任せておくことにして――。
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――これが、高橋祐介にとってのハッピーエンドなのだ。
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