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第3章------(11)



 真吾はエーリクの後ろをついて歩きながら、あたりを見渡した。


 道は相変わらず暗く、空は真っ黒な何かで覆われている。この空は、はじめに中間霊界から地獄に降りた時の空とは違う。大天使と別れてから、真吾は地獄の役人たちに案内されて、いくつかの霊界を通り過ぎてきた。どれも地底深くへ潜ってゆくような霊界だった。そのさらに下方にある『燃える木の町』に本物の空があるわけがなかった。


「あとどれくらいで町に着くんだ?」


 真吾が聞くと、エーリクは振り向いた。


「ばかか。お前は。もうとっくに着いている」


「え」と真吾が言った瞬間だった。


 唐突に、あたりの様子が一変した。


 目の前に、黒々とした、恐ろしく巨大な老木がそびえている。そしてその木は勢いよく燃えていた。大木の根元にはいくつもの、地に這うように作られた粗末な家々があったが、その家々もまた燃えていた。町は、それらの炎の明かりによって、暗闇にぼうっと浮かびあがっているように見えた。


 真吾はびっくりして、立ち止まった。


「い、いつから……?」


「はじめからお前の目の前にあった」とエーリク。


「だが、傲慢な中間霊界人のお前はこの町を見ようとしてなかった。だから見えなかった」


「見ようとしてなかった?」


 意味がわからず、真吾が聞き返す。エーリクは小さな肩をすくめた。


「目に入っても、無意識に視界から取り除いていたってことさ。お前にとってこの町の価値なんて、それほどだっていうことだ」


「そんなこと――」


 言いかけて、真吾はぎょっとなった。


 燃える木の町のあちこちから悲鳴や怒号があがっている。そのことに突然、気がついたのだ。生きたまま焼かれる人々の悲鳴、炎の燃えうつった斧をふりかざしながら人々を追いかけまわす男たち、無残に殺されてもまた生き返って逃げる人々――


「これは……」


 恐ろしい光景に圧倒され、真吾は愕然となる。


 何より、これほどの喧噪と混乱が町のなかで繰り広げられているにもかかわらず、たった今まで、そのことに気がつかなかった自分自身が信じられない。


 エーリクは意地の悪い目を向けた。


「だから言っただろう? お前はこの町を見ようとしてなかった。あいつらはさっきからずっーと悲鳴をあげ続けていたさ。でもお前はその声を聞こうという耳を持たなかった。まあ、中間霊界のお前からすれば、この町にくるような連中と相対をあわせることなんてできないんだろうけどさ、この町の役人の俺としては面白くないね」


「……」


 真吾は絶句したまま、返事をすることができなかった。


 口のなかがカラカラに渇いているのを感じた。そこに無理矢理に唾液をしぼりだして、飲み込む。


「どうして、こんな」


 燃える木の町。


 この霊界は山のようにそびえる古木を中心として、常に燃えているのだろう。そして人々は悲鳴をあげて、逃げ回っている。真吾は、与作がいた岩の町もおそろしい所だと思ったが、この町に比べれば、岩の町は霊人たちが通常の暮らしをいとなむことができるだけ、マシだったのだと理解する。


 この町は恨みと憎しみに満ちている。


 本音を言えば、真吾の霊人としての本能はこのような町を一瞬でも見たくないし、この町が存在していることすら知りたくないと思う。


 すると、今まで見えていた燃える木の町の様々な光景が急にぼんやりしはじめ、真吾の意識から消えてゆく。目の前には、小柄なオランダ人のエーリクだけが立っているという状態になった。


「わかっただろ?」


 エーリクは小さな目を光らせた。


「自分が何も見ようとしてなかったことを」


「ああ」真吾は疲れ果てたように頷いた。


「それでもあんたは燃える木の町へ行きたいのか? お偉い大天使のお遣いさん」


 エーリクは真吾に敵意の波動を向けてきた。それを感じて、真吾は「ああ、そうか」と納得する。


 エーリクは怒っている。それは当然なのかもしれない。


 なぜなら、この町を見る気もない者が町に入りたいというのは非礼極まりないことなのだから。エーリクとしては、地獄の住人たちがけして手の届かない場所で安穏と暮らしている中間霊界人に、物見遊山気分で自分たちの町を訪れて欲しくないのだろう。多分、真吾がエーリクの立場にいても、そう感じると思う。


「すまなかった」


 真吾はしわがれた声で言った。


「そんなつもりはなかったんだけど、おいらが町を見ようとしてなかったのは本当みたいだ。でも、信じて欲しい。おいらはけして遊びで来たわけじゃないんだ。どうしてもこの手紙を届けなければならない。もう一度、あの町を見せてくれ」


「だからね、あんた。それはあんた自身の波動が町にあわないからであって、俺が何かしたわけじゃな――」


 途中で言葉を切って、エーリクはしかめ面のまま黙った。少し考えるようにして、かれは真吾を見た。


「いいよ。わかった。どのみちあんたを案内しろって言われているし、こっちも、あんたみたいなのにいつまでもうろつかれても迷惑だ。あんたが町にすんなり入れるよう協力してやろう」


「あ、有り難う」


「手を貸せ」


 と言って、小さな手が真吾の手を握る。その途端、真吾は言いようのない不快感を覚えた。黒い、まがまがしいものがエーリクと結んだ手を通して、入ってくるようだった。思わず、真吾が手を振りほどこうとすると、エーリクは言った。


「我慢しろ。こうでもしないとお前は町に入れない」


「え――どういう」


 聞き返そうとした時、真吾の目の前に再び、燃える木の町があらわれていた。





     ◇





 パチパチと木が燃えて、はぜる音が聞こえる。


 真っ黒な空と赤々と燃える炎。恐怖に狂う人々の悲鳴と怒号――


 真吾はその混乱の真っ只中に立ち尽くしていた。


「ここは……燃える木の町――?」


 真吾はエーリクを探したが、オランダ人の小柄な役人の姿はどこにもなかった。かれはひとりきりで立ち尽くしていた。


 それから、やたらと胸の奥がムカムカしていることに気がついた。これといった理由もないのに腹立たしく、不快で、誰でもいいから他人を傷つけたくなるような衝動がこみあげてくる。


 その衝動は、どうやらエーリクが真吾の手を通して送りこんできた禍々しいものに理由があるようだった。


「気持ち悪い……早くここを出たい。でも」


 はるかの手紙を母親に届けなければならない。


 真吾の脳裏に、はるかの一途な眼差しが呼び起こされる。かれは、はるか自身がこのおそろしい霊界に来るより、自分が来たほうがずっとマシなはずだと思いなおした。


(よし。あともう少しだ)


 真吾は母親の波動を探して、ふらふら歩きはじめた。





 それからいくばくも過ぎない頃だった。


 真吾は悲鳴をあげて逃げまどう人々のなかで、灰色の布にくるまって動かない女がいることに気がついた。


 真吾はその女がはるかの母親だと直感した。その霊人は前もって教えられていた波動と同じだったし、大分、やつれた様子だったけれども、面差しもはるかと似ている。


 真吾は女に近づいて声をかけた。


「あの、すみません。井上はるかさんのお母さん……ですよね?」


 女は焦点のさだまらない目をあげて、真吾を見た。自分に声をかけられたのだとわかっていないようであった。真吾は同じことをゆっくり繰り返して言った。すると、女の表情がわずかに動いた。


「はるかは――私の娘だけれど……」


「良かった。おいら、桜田真吾と言います。わけあって、はるかさんからお母さんに手紙を預かってきました」


 真吾は礼儀正しく言った。


「手紙……」


 女はぼんやり言う。真吾は懐から大切にしまってあったはるかの手紙を母親の手に握らせた。けれども、手紙を手にした女の表情は微妙なものだった。


「はるかの手紙」


 けして、霊界で離れ離れになってしまった愛する我が子からの手紙を受け取って、嬉しいという表情ではなかった。女はうつろな目で手紙を眺めていたが、不意に、その手紙を左右に破いてしまった。そして、そのあたりで燃えている炎に放り込む。


「え。ちょっと」


 真吾は驚いた。


「何をするんですか」


「なにって――あんたこそ、何者よ」


 真吾の咎めるような声に反応したように、女は攻撃的な波動を向けてきた。その目が怒りに燃えて、不気味に光りはじめる。先ほどまでのぼんやりした表情の女とは別人のようだった。


「勝手にあたしの霊界までやってきて、娘からの手紙だって? ふざけるんじゃない。あたしはあいつと離れられて、せいせいしてたってのに、どうしてあの子のことを思い出させるんだ。あんたは知っているのか。あの子のせいで、あたしがどれだけ不幸だったかをっ――あの子さえいなければ、あいつさえ生まれなければって――あたしは思ってた。あいつのせいで、あたしはいつも苦しめられて、責められて……ッ」


 はるかの母親が立ち上がった。


 彼女は身にまとっていた灰色の汚い布をとりはらった。真吾はハッと身を堅くする。女は裸だった。けれども、下半身の部分が真っ黒な炎につつまれていた。そうして足の下のほうはちろちろと揺れる蛇の舌先のような炎に焼かれていた。



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