第3章------(10)
真吾はてくてく歩いていた。
道は下に向かってどこまでも伸びていた。その道の先端は真っ暗だった。いくつかの地獄の霊界を越えてやってきたこの道こそが、はるかの母親が暮らす霊界へ通じる道なのだが、この先にあるはずの霊界は入り口すら見えない。
「本当にここでいいのかなあ」
少し、不安になる。
だが、役人たちが教えてくれた道に間違いはないはずだった。真吾はあたりを見回して、ため息をついた。身にまつわりつく空気はさらに重くなっていた。ラファエルが施してくれたバリアーがなければ、真吾は息苦しさに先に進むことが出来なくなってしまっていただろう。
「こんなことなら、もう少し、さっきのお役人たちに着いてきてもらっえばよかった」
呟くが、今さらどうしようもない。同行してくれると言ってくれた役人たちを断ってしまったのは、真吾自身だったのだから。
地獄の役人たちは思いがけず、親切だった。
真吾が大天使ラファエルの遣いであると信じている彼らは、真吾を大変、丁重に扱った。あまりの丁重ぶりに真吾のほうが恐縮して、まだ目的の霊界の入り口には到着してなかったが、
「ありがとうございます。ここまでで結構です。あとは勝手に自分で行きますから、仕事に戻って下さい。どうも有り難うございました」
と言ってしまった。
すると、役人たちは口々に言った。
「いやあ、こっちこそ珍しいものが見れた。はじめ、突然、光の珠が降りて来たって騒ぎになってな、しかもそれが大天使の光だってわかって、皆、腰を抜かしそうだった」
「誰か大急ぎで確かめてこいってなってな。それで俺らが駆けつけたんだ」
「は、はあ」
真吾は困って頭をかいた。
確かに、大天使が地獄へ降りれば、そういうことになるだろう。
地獄の役人たちは、天使軍がそこに殺到し、堕天使たちとの戦争が勃発するのではないかと案じたという。だが、ラファエルは単騎で、部下たちの姿はなかった。また、戦装束ですらなかった。それで役人たちはかなりホッとしたという。
「でも、大天使様には早々にお帰りいただけて、良かった」
役人のひとりがしみじみした口調で言った。真吾は気になったので聞いてみた。
「やっぱり迷惑でしたか。その、前触れもなく――地獄に来たのは」
「迷惑というか、まあそうだな。ただの天使ならともかく大天使だ。あの光の波動を感じただけで、具合が悪くなる連中だってこっちには多いんだ」
「へえ」
「ご自身は普通にしておられるだけでも、地獄では影響力が大きすぎる。もし戦争で天使たちが来るなら、そのことはあらかじめ通達されるから、あたり一帯から霊人たちを避難させることもできるんだが、今回は何も知らされてなかったしな」
「――なるほど」
それでラファエル自身もあまり長く地獄に滞在したがっていなかったのだろうかと真吾は考える。何となく、ラファエルはさっさと真吾を地獄におろして、帰りたがっているように見えた。
(そうか。おいらたちはラファエル様を見て、波動で気分が悪くなることなんてない。だけど、地獄の霊人たちは違うのか……ラファエル様がおいらを地獄に連れてくるのを嫌がっていたのは、単に面倒くさかっただけじゃないのかも)
天使として、地獄の霊人たちにおよぼす影響を考慮したのかもしれない。それは充分、考えられることだった。
「それはすみませんでした」
真吾は深々と頭をさげた。
そもそも、ラファエルが地獄へおりたのは真吾の頼みのためである。だから、大天使が地獄に来たことによる混乱の責任は真吾にある。
「おいら、そんなことになるとは知りませんでした」
謝罪されて、役人たちは慌てたように言った。
「いやいや、あんたに謝ってもらうことじゃない」
「そうさ。気にするな。俺たちだって珍しいものを見られて、多少は面白かった。こっちは娯楽が少なくてね、向こう五百年分くらいの話題ができたさ」
役人たちは陽気に笑った。
「しかし凄かったな。本当に噂どおりに炎のような髪をしていた」
「大天使をあんなに近くで見ることなんて、ないからなあ。俺がはじめてあの方を見たのはずっと昔で、それも戦さで天使の大軍を引き連れて空を駆けているところだったから、光が動いているようにしか見えなかったけどな」
「珍しいもの――」
言いかけて、真吾は小さく吹き出した。
確かにアフターワールドで普通に暮らしていて、大天使と言葉をかわすことなど有り得ない。真吾も以前はそうだった。
大天使と知り合うようになったのは、横田四丁目が悪魔の竜に襲われたからに他ならない。それがなかったら、今でも真吾は四丁目で桃畑を作っていただろうし、たまに天使の姿を見ても、自分たちとは関係ない存在としてしか認識できなかっただろう。
役人たちは興味ありげに聞いてきた。
「あんたは大天使の部下なのか?」
「いや、部下というか、僕というか……」
真吾は困って言った。地獄の役人たちは天使の僕という言葉を知らなかった。真吾が、自分のある目的のために天使の仕事に協力しているのだと説明すると、役人たちは感心したような声をあげた。真吾は役人たちにかさねて礼を述べた。
「道も教えてもらったし、ここまで送ってくれて、とにかく、本当に有り難うございました。とても助かりました。あとはわかりますので、ひとりで大丈夫です」
役人たちと別れ、真吾は一人になった。
そうして、かれは暗い道をてくてく歩いている。
はるかの母親がいる霊界への道筋は役人たちが詳しく教えてくれていた。その記憶を辿りながら、歩き続けた。
◇
「あんた、どこから来なすったんだね」
唐突に声をかけられて、真吾は立ち止まった。
暗い道をどのくらい歩き続けた頃だろう。声の主がいきなり真吾の顔の前に姿を現した。
「わ、わわ」
真吾は驚いて、尻餅をつきそうになった。
目の前に小人がいる。
いや――霊人なのだが、身長が異様に低い。鼻が高く、頬が赤い。落ち窪んだ目はきれいな水色だった。一瞬、子供のようにも見えたが、顔つきを見れば、大人であるとわかる。真吾も背が高いほうではないが、その小人は真吾の腰あたりまでの背丈しかなかった。
「あんた、誰だ」
小さな霊人は甲高い声で居丈高に言った。真吾は目を丸くして、霊人の様子をしげしげ見つめた。よく見ると、霊人は鑑札のようなものをぶらさげている。
役人たちの身分証明書には様々な種類があるが、そのひとつであるようだった。真吾はその鑑札に顔を近づけて、書かれている文字を読もうとした。
「役人……?」
途端だった。小さな霊人が怒ったように足を踏み鳴らした。
「無礼者! 俺に汚い顔を近づけるなッ。その臭い息を吐きかけるな。気分が悪くなる」
とわめき散らし、真吾に「はー」と自分の息を吹きかける。
「うわっ、臭いっ」
何とも凄まじい異臭が鼻につく。真吾は悲鳴をあげて、後ろに飛びすさった。小さな霊人は勝ち誇ったように笑った。
「ざまあみろ。俺はこの霊界『燃える木の町』の役人のエーリク様だ。よそ者はさっさと消えろ。目障りだ」
「も、燃える木の町……」
繰り返すように呟いて、真吾はハッとなる。その町こそが、井上はるかの母親が暮らしているという地獄の霊界だった。かれは自分が正しい道をたどって来ていたことを知って安堵するとともに、不安になる。なぜなら、あたりは暗く、町らしいものは全くなかったのだから。
「おいらは、その町に住んでる霊人を訪ねてきたんです」
「え?」と小さな霊人が聞き返す。真吾は二度、同じことを言う。すると、小さな霊人――エーリクは顔をしかめた。真吾はすかさず地獄の門の詰め所で間に合わせで作ってきた書類とはるかの手紙を懐から取り出す。
「はい。これが許可書と渡さなければならない手紙です」
「ん。んんん?」
真吾はエーリクが顔が近づける前に書類をしまいこむ。その書類は一応、正式なものであったが、地獄側の役人の承認印がない不完全なものだった。だから、あまりまじまじ見られると都合が悪いのだ。
「もう一度、見せてみろ」
エーリクは文句を言った。真吾は首を横に振った。
「貴重なものなので、一度しか見せられない。それにおいらが中間霊界から来たことはもう分かっているんだろう? 多分、さっきの迎えの役人たちがあんたに連絡したんだ。それで様子を見に来た。違うか?」
真吾はなるべく横柄そうな態度をよそおって言った。すると、エーリクの顔が見る間に赤くなってゆく。図星だったようだった。
「おいらが大天使ラファエル様の遣いであることも知っているだろう? だったら、余計なことは聞かず、案内して欲しい」
「…………」
エーリクは顔をぎゅっとしかめて、腕をくんだ。その様子が、小さな梅干のようだな、と真吾はひそかに考える。エーリクの水色の目が真吾を見た。
「いいだろう、あんたを案内してやる。あんたの名前は? 御使者どの」
「桜田真吾。日本人だ」
「おれはエーリク・モーレンカンプ。オランダ人だ」
「よろしく」真吾は右手を差し出した。エーリクもその手をしぶしぶ握り返す。エーリクは背を向けると、歩きはじめた。
「その女は確かに知ってる。最近、うちの霊界に着たばかりの日本人だろう。着いて来い。案内してやる。だが、彼女がお前に会うかどうかはわからないがな」
かれは、呟くように言った。




