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第3章------(9)



 大天使ラファエルは真吾の願いを聞き届けることに難色を示していたが、最後にはしぶしぶ承諾した。


 確かにそれは多忙な天使にとって、煩わしいことだった。だが、実際のところ、天使にとってたいした手間ではなかったのである。


 また、菊音が指摘したように、下の者たちだけで地獄側の役人と交渉すれば、真吾を地獄へ行かせる許可を得るまでに膨大な時間がかかってしまう。


 なぜなら、地獄の役人たちは基本的に中間霊界に好意を持っていない。


 その上、彼らは面倒なことは極力、引き受けたくないし、仕事も定められたことを定められたとおりにしかやらない。だから自然にその手続きは必要以上に煩雑になり、結果として、面倒なことになる。


 その点、ラファエルが直接、真吾を地獄へ連れてゆけば、地獄側の役人たちも文句を言えない。何しろ、ラファエルは天使軍の総指揮官である四大天使のひとりだ。その天使に意見できる者など、地獄の役人たちのなかにはいないのだ。


 それに真吾の地獄行きの手続きに手間がかかればかかるほど、地獄の門の他の業務が遅れることになる。それで天使は、


「わかった。協力してやろう。だが、使われてやるのは、今回だけだからな」


 と言って、そのことを了承した。





 そんなことがあって、真吾は再び、地獄を訪れた。


 いつか見た、どこまでも続く真っ黒い大地を空中から眺めて、真吾は無意識に身を震わせた。前回来た時は、天使軍と堕天使たちとの戦いの最中だった。戦いが激化するなか、真吾はラファエルが作り出した光の輪につつまれて、地獄に投げだされたのだった。


(あの時は急なことでビックリしたけど――)


 投げ出される直前まで、真吾はアフターワールドでの第二の人生において、あのような成り行きで、地獄の地を踏むことになろうとは思っていなかった。あまりに呆然としていたので、まわりのことなどよく見てなかった。


 今回は非常時ではないので、天使の馬に乗ったまま地獄に降り立とうとしている。真吾は黒い大地が近づいてくるにつれて、息苦しさを感じていた。


(苦しい……)


 感覚をとぎすますと、大地から、黒い煙のようなものが、たちのぼっているのがわかった。おそらくその煙は、地獄に住まうあまたの霊人たちの怨嗟の思いが凝縮したものなのだろう。うっすらとしたかすかな煙だったが、それらは途切れることなく、ゆらゆらと続いている。


 それが風にのって、混ざりあい、地獄の空気をさらに重苦しいものにしている。


 町などは全くなかった。


 上空から見ると、うちすてられた廃墟がいくつかあったが、それだけだ。そこで暮らす霊人たちの姿もない。だが、恨みの気配だけは満ち溢れている。


 真吾は眼下の真っ黒い大地のあちこちから、上空を見上げているだろう数多くの霊人たちの存在を感じた。彼らは天使の馬に乗って中間霊界からおりてこようとしている真吾たちに気づいていて、羨み、妬んでいるのだ。


「それで、その子供の母親はどこにいるんだ」


 空中で馬を駆りながら、ラファエルが聞く。


 勿論、地獄の大地の怨念は感じているのだろうが、美貌の天使はそんなものは気にもしていないようだった。


「はるかの母親は」


 真吾は天使の腰にしがみつきながら、地獄の門で調べた内容を伝えた。ラファエルは、はるかの母親が暮らしているという霊界の名前を聞いて、顔をしかめた。


「面倒な場所に入り込んでいるな」


「そうなんですか?」


 真吾が聞き返す。ラファエルは顎をひいた。


「そうだ。地獄でも下のほうの霊界だ。最下層と言うわけではないが、地獄の表層部分にはけして出てくることができない、いくつもの地獄の霊界をくだり、ようやくたどり着けるような場所だろう」


「うーん」


 何となくピンとこなくて、真吾は唸る。


 かれは中間霊界については多少、知識があったが、地獄のそれについては皆無である。先日、地獄に来た際に訪れた「岩の町」はあてもなく歩きながら簡単に見つけられたが、そうした町とは違うのだろうか、と思う。


 すると天使は真吾の考えを読んだように答えた。


「違うな。お前が行ったその岩ばかりの町はまだマシなほうだった。表層部分に町の入り口があるだけな。ほとんどの町は地面の下に作られる。地獄の町は下に向かって大きくなってゆく」


「普通、町は地面の上に作られるもんじゃないんですか」


 あの与作が暮らしていた岩の町のように。


 確かにあの町は奥に行くにしたがって、下ってゆくような構造になっていた。だが、いくつかの家々の屋根は地表部分にあった――と言うか、大地を歩きながら見えていたし、中間霊界のそれと佇まいは変わらないように見えた。


「そういう霊界のほうが地獄では珍しいのだ」


 天使が言う。真吾はあらためて眼下に広がる地獄の大地を見渡した。


「それじゃ、はるかのお母さんがいるっていう霊界は……いくら馬で上空を駆けていても、ここからじゃ見えない……?」


「そういうことだ。その霊界に通じる道の入り口までは連れて行ってやろう。だが、そこから先はひとりで行け」


 天使は言った。真吾は目的地まで連れて行ってもらえないことを知って、にわかに緊張するが、もともと大天使とは地獄へ連れて来てもらうだけの約束だったので「わかりました」と答える。


「その、おいらは地獄の知識がほとんどないんで教えてもらいたいんですが、そこはどんな霊界なんですか」


「私も実際に行ったことはない。だが、聞いた話によると、天の御使いである私たちにすれば、けして足を踏み入れたくない霊界だ」


「……と言うと?」


「不潔で、怨念に満ちていて、自己中心の塊のような霊人たちが自分の欲望ばかり押しつけあっている霊界――人間の悪を追求する衝動には限りがない。人は時おり、私たちが思いも着かないほど残酷になる。むしろ同じ地獄でも堕天使たちの霊界のほうが清浄なくらいだ。悪であっても、彼らのそれは純粋な悪だから」


 最後のほうの言葉は、独り言のような呟きに変わった。


 真吾は天使の表情を見ることは出来なかったが、何となく、天使が過去の出来事に思いをはせているのが感じとれた。


 今、堕天使と呼ばれている者たちは、もともとはラファエルたち天使と同じ存在だった。それが霊界の法を犯し、厳罰を与えられ、天国から追放され、地獄に落とされた。


 だから、ラファエルが戦っている堕天使たちは、ラファエルのかつての友であり、同僚だったはずだった。天使にも人間と同じように心がある。ならば、現在のこの霊界の戦争状態は、彼らにとって辛い現実であるに違いない。


「……」


 真吾は天使の呟きに答えることはできなかった。


 リアルでの年月で換算して二十万年もの期間において、戦い続けてきた天使の心情を思いやることはできても、それを言葉に出すことはできない。どんな慰めの言葉も嘘になってしまうとわかっていたから。だから、かれは自分のことを聞いた。


「おいらはそこに行っても、大丈夫でしょうか。そこはこの表層部分より、きっともっと息苦しいんですよね……?」


「ああ。そうだ」少し遅れて、大天使は頷いた。


「だが、大丈夫だろう。私がまたバリアーをかけてやる。それでも多少の息苦しさは感じるだろうが、お前は人間だからな。私たちとは違う」


「どういう意味ですか」


「現在の人間は善と悪をそなえ持つ。だから、地獄の下層に行っても、私たち天使ほどダメージは受けないだろうと言うことだ」


 天使は言うと、前方に目をやった。


「どうやら迎えが来たようだぞ」


 茶色っぽい甲冑のようなものを着た霊人たちが、見慣れない獣を駆って近づいてくるのが見えた。真吾は地獄の大地を駆けてくるその獣たちを驚きをこめた目で見た。


「迎え?」


「地獄の役人たちだ」


 ラファエルは肩をすくめた。





「いったいこれはどういうことでしょうか? 先触れもなく、ラファエル様が単騎でこのような場所にいらっしゃられるとは」


 獣から降りると、地獄の役人たちは地面に平伏して言った。ラファエルは天使の馬の手綱をひいて、上空から答えた。


「ただの視察だ。気にするな」


「と、仰られましても――」


 役人たちは当惑している。それはそうだろう。彼らにも立場がある。ラファエルは役人たちを見下ろしながら、尊大な態度で言った。


「では特別に教えてやろう。お前たち下っ端には知らされていないことだが、これは実は天より与えられた公務である。私の連れてきたこの中間霊界の霊人を地獄のとある霊界の入り口まで連れて行き、そしてまた用件が済んだ後はすみやかに戻さなければならない。私がそれをするつもりだったが、お前たちに託しても良いか?」


「は、はは――ッ 勿論でございます」


 役人たちは一斉に声をあげた。真吾はラファエルの馬の後ろに乗りながら、「え」と思う。


(公務? そうなのか……?)


 どう考えても公務ではない気がする。むしろ公務だったら、このようにこっそり地獄に入る必要はなく、堂々と地獄の門を通過すれば良いだけだ。だが、地獄の役人たちは平伏して顔をあげない。ラファエルの言葉を額面通りに受け止めているようだった。


 大天使は馬を地上におろすと、わずかに上機嫌になって、真吾に声をかけた。


「良かったな。この者たちが案内してくれるそうだ。馬から下りろ。心配しなくても、帰りもちゃんと迎えに来てやる。特別にな。私自らが」


「は、はあ」


 真吾はラファエルと役人たちを見比べながら、曖昧に返事をした。


 確かに、四大天使ラファエルの威信は圧倒的だった。真吾ひとりで密行していたら、こうはいかなかっただろう。そして天使はその威光を利用して、自分の仕事を出会った役人たちにさせようと――一応、帰りの迎えはしてくれるようだったが――している。真吾は嘆息して、小声で言った。


「例のバリアーもお願いしますよ」


「わかってる」天使も小声で返事をした。



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