007『深い廃坑はガスが溜まっていることが多いんです。装備がなければすぐ窒息しますよ?』
歪みきった畦道から、槌で固める砂利道へと変わっていく。
簡素な用水路を木橋で渡ると、青石を敷き詰める舗装に変わった。
石目の溝に砂が詰まり、油脂で特に黒ずむ。
艶もなく、灰黒色に煤けた石畳は摩耗で丸みを帯びる。
ステアリングをがっちりと握りしめるソラは、市街地の曲がりに入るとブレーキを踏み込む。
急減速に引っ張られて、エンジン回転数も下がっていく。
激しく唸りかけるところを、慌ててクラッチを蹴り込んで、2速に叩き込む。
逆足を取られた4駆のひどい振動で、荷台のトリヌをあちこちに振り回してから、やっと持ち直した。
「まったく人がいない」
人の気を喪う町並みに、ボロボロの石畳を軋ませながら通り抜けていく。
荷台にしがみつきながら起き上がるトリヌは、家々の窓を見渡す。
――どれも閉めたばかりだ。
開いているのを見つけても、中から駆けつけると慌てて閉められていく。
助手席の砕ける窓から、コルトラータも視認する。
――間違いなく、このトラックの持ち主にひどく怯えている。
「……救わなければ」
コルトラータが小さく呟く。
酒場の前に同じタイプの軽トラが3台駐車されている。
さっきの3人組に仕事を押し付けて、サボっているのだろう。
「このまま市街を走りきって急げ」
トリヌの叫びに、ソラがアクセルを徐々に踏み込んだ。
馬糞臭い煙管が、薄く紫煙を溶け込ませる。
欠ける玄関前の石段に座る若い男が、綻んだ茶色いコットン地のクロスキャップを目深く被る。
ツギハギだらけのチュニックの下に、マカロフ拳銃を隠して、じっと丘の下の鉱山町を見張って座っている。
「テレーク」
若い男が呼ばれる。
土まみれ、麦わら帽子の庇を、石のような太い指でピンとあげる。
「あ、おやっさん」
「おう」
痩せドワーフが麦わらを扇ぎながら、剃り終えたばかりの厳つい頬を撫でる。
「目覚められたのか」
「お目覚めになりましたよ。今は休まれています」
「そうか。それは良かった」
テレークから煙管を貰い、吸い口を拭いてそっと咥える。
よほど不味かったのか「くせえ!!」と断じると、不可解な顔をしてテレークに返した。
スキットルの水をわずかに含んで口うがいを済ませて、本格的にぐびっと喉を鳴らす。
「アウレリア様を棺桶に入れて持ってこられた、あの娘らは何なのだ?」
「さー。土地の者ではなさそうですよ」
「冒険者か?」
「そうみたいですね。双子の一方が、ゴールドのプレートを腰につけていましたから」
「ゴールドか」
格に感銘深くも、余所者に訝しみもする若い男とドワーフ親方だ。
「冒険者ってのは、昔と違って今はただの使い潰しの便利な労働者だ。誰でもなれるし移動も自由だが、だが若い娘がなるもんじゃねえだろうに」
表をテレークに任せるドワーフ親方が、鉱山事務所の裏手に入っていく。
空のスキットルに飲料水をやっと汲んで、栓を閉める。
奥の食堂の扉を閉め切って、ばあやと、リーンと名乗る若葉色の女が、なにやら話し込んでいる。
ボリボリと焼菓子を頬張るリーンに、ばあやが決断を迫られている。
玄関を勢いで開け、テレークが叫んだ。
「警備兵だ!!!」
ばあやの卒倒を、リーンが支えて気づけする。
「だから我々にアウレリアを任せるか、それとも、まだアウレリア様にあなた方は頼るつもりなのか。はっきりしてくださーい」
言葉は出ないが、ばあやははっきりと頷く。
「シニスかデクス、いるかしら?」
「今、参ります!」
双子少女の右――デクストリナ・ガーデニカが坑内図面を見つけ出すと、黒革ブーツを硬く鳴らしてリーンに駆けた。
クロスの敷かれたテーブルに図面を広げて検証するリーンとデクス。
覚悟したばあやが、加わろうとするシニストラ・ガーデニカの前に立つ。
「お願い、申し上げます……どうかアウレリア様を、アウレリアお嬢様を、お助け下さい」
「それは既に承知している」
ばあやを淡と見下ろすシニスは、リーン達に検証を任せてエントランスに走る。
腰に提げるPM-63短機関銃を抜く。
引金上部のセフティレバーを押し下げると、途中の欄干にスライドを押し込んで初弾を装填する。
武装済みの領民に隠れるよう指示を加える。
マカロフを構えるテレークが、玄関を閉じる。
露出気味の小さな胸に短機関銃を抱いて、静かに携える。
膝をつき、斜め上に銃口を向け、展開したフォアグリップを堅実に握って、待ち構える。
引金の上に、人差し指を置いた。
「ということだからー、アウレリアさん。ここから逃げましょうね~」
「いやだ!!!」
激痛で体中をギクシャクさせるアウレリアは、気合と憤怒で立ち上がろうとする。
階下では既に大騒ぎだ。
警備兵の入る隙はないが、援軍を呼ばれるのも時間の問題だ。
「私が守らなくて誰が領民を守る!!!」
「お嬢様……」
「いやいや、せっかくばあやさんが決断してくれたのに、困らせちゃ駄目ですよ~? 時間もありませんからね」
無骨な魔界軍の腕時計をかざして、アウレリアにその文字盤を特に示した。
「ワガママ言わないで、たまには大人の言う事ぐらい聞いて、守られたらどうですか~?」
一瞬考えて、アウレリアも腹を決めた。
窓のカーテンを締め切って、病衣のチュニックを脱ぎ捨てる。
「ばあや、軟膏を」
「いけませんお嬢様!!」
「命令よ!!!」
牙を剥いて唸っているようだ。
「聞けません!!」
それでもばあやは抵抗する。
「はい、どうぞ~」
リーンは薬箱からクリーム瓶を取り出して、デクスを呼んだ。
「リーンさん!!」
ばあやの悲鳴は無視。
2人掛かりで、量に注意しながら手早く塗り込む。
「だって決断したんでしょ? この子も決断したんだから、その通りにしなさい」
ばあやはそれっきり黙ってしまった。
塗り込んでから2分ほどで鎮痛する。
強い違和感だが歩けそうだ。男物のチュニックを被って支度する。
「警備兵じゃなさそうだけど、急ぎなさい」
カーテンを閉めて、都合の悪そうにリーンは告げる。
「じゃ誰なのよ」
「聖王の司祭と、鈍くさそうな娘。多分、未署名ミスリル硬貨を捜査している連中」
アウレリアとデクスを連れ立って、廊下をかつかつ進んでいく。
裏側に増築された階段を下りて、更に地下まで下りていく。
合流したシニスと3人がかりで備品棚をやっとずらすと、隠し通路が出てきた。
「リーン様」
デクスがL字型懐中電灯のスイッチを入れる。
埃と蜘蛛の巣だらけの通路を進んでいく。
白いハンカチで白旗を作る。
「やめてください!!」
ソラはしきりに停戦を呼びかける。
「御託を聞こうじゃあないか!!」
ボロボロの軽トラから下りるソラとコルトラータが、髭剃りドワーフに睨まれる。
「お前達は何者だ。どうみても警備兵じゃないが」
「ベンカント枢機卿の下で調査をしている、コルトラータ・ベンガルトンです」
「調査……ねぇ」
狼の群れに裸で飛び込む感触に、ソラが鳥肌を立てる。
「アウレリア様ならもうおられぬぞ」
ドワーフは言い放った。
「それもありますが、あなた方についてもよくお聞きしたい」
「ふん、今更だな」
ドワーフの唾棄が増えていく。
「高貴で高尚でとっても天上におわす聖王教会の司祭様々が、今更俺達に何の用だい」
コルトラータは、あまりにも無知だったと心が割れかけていた。
いや、もう割れていた。
「ええ、……今更で、本当に申し訳ない」
しかし、知らないわけにはいかなかった。
「このヴェルクリス領で、黄金連合は何をしているんです」
地下通路の奥が、粗末に塞がれている。
「えいや」
3人分の黒革ブーツで蹴飛ばすと、容易く崩れてしまう。
坑内図を階層や年代単位で幾枚も重ねて、場所を整合する。
アウレリアがすぐに気づいて図面を捲り、指を差した。
「事務所の位置から歩いた分として、ここは80年前に掘っていた西斜坑の……8号準幹」
「さっすが、鉱山の娘~」
「明かりを貸して」
デクスから懐中電灯を引ったくる。
柱にかけられた鳥籠の下の大きな木箱を開けて、中身の状態を確認していく。
「使えはしそう」
中身の大きな油紙を破ると、どこかで見覚えのある革の覆面と背負紐のついた銅円缶が入っている。
ホースも付属している。
「普通のダンジョンよりガスが溜まりやすいの。可燃性でなくても、吸い過ぎたら中毒になる」
別の油紙の密封口を破き、中身の粉を銅円缶3つへ等分に分けていく。
そこに、ワイン瓶に入ったエール水を僅かに注いで、すぐ蓋を閉める。
1分ほど待たされる。
銅円缶のバルブをわずかに開ける。
ホースに接続した覆面の、左耳元にあるコックをひねる。
焦げた石鹸のような匂いが、風になって放出された。
「保って30分。それまでに立坑に辿り着かないと窒息死。ついてきて」
アウレリアは気丈の態度で銅円缶を背負い覆面を被る。
懐中電灯を返さないまま、先導してまっすぐ歩き始めた。
27分で主幹坑の立坑にたどり着く。
天井はなく、陽の傾く橙めの青空がぽっかり空いている。
アウレリアがコックを留め脱ぎ始めるのを待つ。
安全を確認するとリーンらも覆面を脱ぎ剥がした。
思いっきり深呼吸を繰り返すシニスとデクス。
アウレリアも息を吸い込むが、まだ微妙に鈍痛が続いていた。
奈落のような立坑下を覗く。
リーンが図面を広げると、アウレリアが指し示す。
「ここから200mまで下がって、排水路を抜けると峠道下の渓谷に出られるはず」
「この坑道を登って出ることはできないんですか~?」
流石にリーンはくたびれるし、重篤な懸念もある。
「酸素剤がないと降りれないわよ」
坑道を閉める際、ほとんどを回収した様子だ。
このままでは進めない。
「ちょっと待ってなさい」
あばらを押さえながらアウレリアは、朽ちた木製レールを坑道出口へと辿る。
懐中電灯をあちこち照らして、上に耳を澄ませた。
がらがらと何かが回転する音がしている。
「接続が甘い」
壁にかけられた長いバールを手に取る。
「動力を換気扇に繋げるから肩車して」
アウレリアが、リーンの肩車に乗る。
動力源のプロペラシャフトに、換気扇の歯車が噛み合うようバールで叩いていく。
「意外と重いんですね……」
――リーンが恍惚と変な悶え方をしているし、双子は羨望して見つめてくる。
よりさっさと済ませようと、バールをヤケクソに叩きまくる。
ゴツンと、ガラガラと、換気扇が動き始める音がした。
「少し待ってから下りよう。そしたら下まで空気が行き渡るから」
立坑の上で野生のカナリアが何匹も囀っている。
「どうしたアウレリア」
――しかしまだ4分も経っていない。
換気がされるまで、最低でも15分は待ちたい。
「鳥が嫌いなのですか?」
双子が、顔色の悪いアウレリアを心配する。
「カナリアがね。苦手で……」
――幼少期、慌てふためいて出てきた男達が持ち寄った鳥籠のすべてが、絶命したカナリアばかりだったことがある。
確かにガス突出は、未然に防がれた。
泣きじゃくる私に、父様が根気よく説明してくれる。
なぜカナリアが死ぬ運命にあるのか――
人に飼われた以上は、その人のために殉じなければならない。
家庭教師も言った。
――私は納得できなかった。
だけど、使わないと私達が死ぬこともわかった。
私は、カナリアが嫌いだ。使われるだけの動物が嫌なんだ。
だから領のみんなも、大好きだけど、大嫌いなんだ。
大嫌いだけど、それを超えて大好きなんだ。
――私達は、結局金を掘り続けるしか能がない。
その輝きの価値を全く失ってしまった、今においても、なお。
どのような地獄にあろうとも、少なくとも立坑の30m上で、変わりない空が広がっている。
風が吹き、草木が茂って、鹿や猪が飛んで、狼が食べに来る。
何も変わらず、そういうのは続く。
「じゃ、いきますか~」
立坑下へ吸い込まれる一方だった魔法火の安定を確認すると、そのままランプに火を灯す。
「リーン様」
「リーン様、音がします」
アウレリアを両脇から持ち上げながら、シニスとデクスが異変を述べる。
「アウレリアを任せます。先に行きなさい」
「はっ」「承知しました」
シャフト奥の主幹坑の影に下がり、腰に差した左右のトンファーを抜く。
すっと、深呼吸に、豊かな胸をさらに膨らませる。
ひどい臭いが鼻を満たしたが、関係ない。
左で受け、右で打つ。
双架中段に構える。
まだ見えぬ敵を討つため、集中と殺意を極めていく。
沈黙のままに3分が経つ。
滴る水の中に、ちんと地が揺れ、ランプ火が揺らいだ。
シニスの肩ベルトに括り付けられた懐中電灯が、坑道のさらに脇を、白熱球で眩く灯していく。
足元の錆びついたポンプを小突いてしまうと、鈍い音と、水が余計に滴る。
――排水路だ。
遠くに反響する音にデクスが立ち止まった。
振り返るアウレリアを照らす。
「さあアウレリア、いきましょう」
50年前の坑内図は落盤もなく合っていた。
遠くで陽の光が点と見えてくる。
双子は共に懐中電灯を消して、シニスの先導でアウレリアを連れて行く。
錆泥の付着する、石造りの排水口から外に出る。
峠道の崖下、岩だらけの渓谷に、浅い急流が流れていた。
少女3人の詰まった息を、外の空気に入れ替えた。
交互に助け合いながら急傾斜を下っていく。
巨岩の一片に下り立って、アウレリアが見つける。
「T-55」
魔の軍勢が名付ける鉄の戦象がいくつも、土砂に埋もれて引っくり返っている。
その錆巨体が、急流をより複雑に蛇行させている。
「どうした、そんなもの。珍しくもないだろう」
急かすシニスを手で制す。
アウレリアは振り返り、自ら下りてきた道を見上げる。
――父様が騎士の頃の、魔界軍の侵攻跡だ。
追加装甲やキャタピラパーツが貼り付けられて、ステンシルプレートで『442』と書かれた白い数字が僅かに残る、苔と亀裂だらけのお椀のような赤褐色の錆砲塔。
砲塔側面に突き出る円筒がどれももげかけ。
赤外線灯とレーザー測距儀と連なる100mmライフル砲が、今はただ、黄昏の山陰に向かって長い鼻を伸ばしている。
電源を失う射撃管制や曇った照準器は、偉大な神の眉間を精確に狙っても、もう撃ち抜く力はない。
「感傷は後だ。今は下るんだ」
23mm機関砲の棘のような対空自走砲の残骸を抜ける頃、川沿いに拓けたティーバートの城壁が見えた。
双子のデクスが見つけて指を差す。
汚泥に浸かる城壁が、アウレリアの目にもはっきり映った。




