005『たまに語らってくるおっさんいるけどさ、あれって迷惑でね?』
息を切らす白馬車の2頭馬が、今度は火の粉に驚いて嘶くのを御者とトリヌが抑えつける。
苦虫を喰ったベンカントの後ろを、ソラが唖然してついて行く。
「申し訳ございません」
白銀鎧の溶けかける聖騎士が、ベンカントの膝下に傅くとそのまま倒れてしまった。
ベンカントが起こそうと身を屈めると、鎧が尋常ではない熱を保っている。
それでも手を伸ばそうとするベンカントを、コルトラータとトリヌが一緒に引き剥がす。
衝動に駆られるソラが、限界を超えるまで水魔法を掛け続けた。
しかし湯気を立ち上らせるだけで、聖騎士はそのまま息を絶したのだった。
トゥーレの商館から発せられた熱は、内海に熱禍を吹き荒らし、延焼をさらに強めていく。
旋風は火柱を巻き、風の音を歪ませる。
腕に焼けつく痛みと、僅かな霧雨を感じる。
こんなもので消えることはないのは明白だ。
ヴェルクリス山地でも、その溶けるような火炎が確認できた。
もはや聖都を根にして白く神々しい光柱がのぼる。
蜃気楼を生み出し、湖面は地獄の命火の鏡となる。
業火は一刻で消え失せる。
しかし、何もかもを溶かしてしまった。
燻りひとつない蒸発の焼け跡を、トリヌが歩みながら見つめる。
石綿手袋越しに、スライムの標本みたいに溶けてしまった水晶玉に触れる。
かつてそこにあった栄華を想像しようとした。
しかし豪華な大理石は爆裂してすべて粉々になり、塵が足元に深く積もるだけだった。
「おそらくテルミット反応でしょうな」
屈んでいた腰をすっと伸ばす。
パンパンに詰まる灰袋を背負ったドワーフの異端審問官が、年若いトリヌにそう漏らした。
「魔族の技と言いましょうか。火矢の他に、鋼鉄同士を接合したり、合金を作るのにも用います。かつての鍛冶神がミスリル鉱石を鍛える際にも使われたとか」
商館の間取りを想像してドワーフが周囲を見渡す。
どかどかバリバリと太い足を鳴らし、トリヌから離れた位置でまた屈む。
内海から湿った風が、しゅうと、トリヌのフードを引き剥がした。
かむろにした銀髪を揺らす褐色の少年が、水色の瞳で塵を見下ろしている。
「くそが」
ブーツで蹴飛ばしながら、柔らかい唇を硬く噛んで閉めた。
職人街の公衆浴場で身を禊ぐ。
塵をよく払うフードを深く被ると、神殿方面に向かう乗合馬車へ飛び乗った。
しゃんしゃんしゃんと警鈴を鳴らして走っていく。
木製レールを走る乗合馬車に、乗客はまばらだ。
馬を操る老いた御者、あくびを欠く若い車掌。
乳飲み子をあやす若い母、政り話に過熱する書生が2人。
週刊をがさりと開く革ベストを着た中年の労働者――、
カイゼル髭を撫ぜながら、その労働者が吊革に立つトリヌを見上げた。
「読むかね?」
「いや、すまない」
トリヌはフードの庇をさらに深く引っ張る。
「構わんよ。むしろ俺なんかに興味を示してくれて、嬉しい限りだ」
「なぜ嬉しい」
この中年の言う意図がわからない。
先程までの塵の様相も重なる。
トリヌは声を荒立てた。
「このご時世だ。義憤に駆られて若者が燃えるのは至極真っ当さ。出征希望者もこのように多く、とても頼もしく、これぞ教国の正しい姿と記事は語っている」
手漉き紙の誌面をトリヌに見せ、労働者は一酔する。
「こうして魔との戦いに身を投じる英雄さんらの中に、どれだけの人数が向こう見ずなのか、とね。どう思うね、とてもお若い異端審問官様や」
マント下のショートソードに手をかける。
魂を吸い取るような冷気を帯びた双瞳が中年労働者を射抜いたはずだ。
しかしまったく動じることなく、誌面の記事に目を戻す。
「名は、名はなんと申す」
「さあね。どうせ名乗っても、異端審問官様にはただの記号だよ」
強張る車掌に手をあげて、薄い銅貨を数枚出して乗合馬車を降りていく。
――不平不満、ただの挑発だ。
トゥーレのそれとは関係ない。いちいち相手などしてられない。
次の急務に転換したベンカントの動きは早いが、それよりも先にフィーリアが動いていた。
「越権行為を行なっている自覚がないのですか」
腕を組み煙管を咥える衛士長が、鷲の眼をベンカントに向ける。
「至急の要請を行うなら行うで、取り決めに従ってもらいたいところですな枢機卿」
「貴様では話にならん!! 責任者を出せ!!!」
ベンカントは大熊の咆哮を浴びせる。
「私がその責任者です。よって私の言葉が衛兵隊の方針、聖都行政ならびに市民議会の意思です」
「貴様ザナディニアに送られたいか!!」
大熊の拳がテーブルにヒビを入れる。
「どうぞお好きに。しかしその取り決めを勝手に敷いたのは人を尊ぶ聖王教会、つまり猊下を始めとする聖王会議です。我心でそれを破られるとは盗人猛々しい、契約を尊ぶ悪魔よりも劣る所業ですな」
「なんだと、貴様ぁ~!!!!!」
とうとうベンカントが飢えた大熊と化して、銀メイスをひん曲げた。
「猊下! やめてください!!!」
大熊の胴にソラが腕いっぱいに掴んで引き止める。
「離せコルトラータ!!」
「ここでこじらせるとまずいですよ猊下!」
コルトラータまで、大熊の牙むいた顔面を強引に抑える。
「猊下には速やかにお引き取り願いたい。上で疲れ果てて仮眠している衛兵らの身にもなってください」
曲がったメイスを取り上げられ、立番の取り押さえの上で猿ぐつわを噛まされて、白馬車に閉じ込められた。
赤い内装が千切られる。
ガラスの割れる音も。
そんな外から、再び書類に目を移していく。
しかし青髪のあどけない女性だけが、まだ残っているのに気がついた。
「ん? あんたは残るのか」
「はい」
「どっかで見たことあるな」
ソラは連れ出された時のまま、記名証付きの冒険者ギルドの受付嬢制服を纏っている。
「フィーリア捕縛のため猊下に雇われた、ブロンズ冒険者のソラ・エスティファールです。衛士長様とは冒険者ギルドの受付にて、以前私が手続きを執り行ったはずです」
「その受付嬢が何の用だ?」
あっけらかんの声色で煙管を裏返し、カンと底を叩いた。
「衛士長様は猊下らには帰れと申しました。しかし私はギルドより派遣されている身で信徒ではありませんし、それでしたら帰れとは言われておりませんので」
「そうか」
衛士長はこめかみをこりこり指でかいてから、座りをやや正す。
「ではソラ・エスティファール君、何を聞きたい?」
「エルフ女バンドレーヌ・レギスの釈放に際して、何らかの権力が働いたと思います。それは国外勢力ですか?」
粗削りした消しゴム付きの鉛筆を執る。
「名前を伏せさせてもらうがね、国内だ」
「教会ではありませんね?」
「もちろんだ。むしろ柔軟が過ぎて恐い連中だ」
私用のメモ帳へ、記入していく。
「城門付近の火災に関係が?」
「あれは自分らでやってるだろう。エルフ女の仕業じゃねえ」
紙上の鉛筆が止まる。
「なぜそうと? 衛兵はまだ立ち入れないはずですよ」
「立ち入らなくてもちょっと見りゃわかるさ」
「どこを見て判斷しましたか?」
筆記を止めるソラはじっと、瞳の紺色を深くした。
「証拠を消すにはあまりにも徹底しすぎているってところだ。少なくとも魔族が組織だってやったもんじゃないし、魔法でやるにもどれだけの魔力が必要になるか、俺には想像つかんね」
鐘の音を聞く衛士長が、煙管を乾布で拭ってケースに入れた。
「そろそろ休憩明けだ。帰ってくれ」
「貴重なお時間、ありがとうございました」
「枢機卿にもよく言っておいてくれ。俺はクマジジイより可愛い娘のほうがずっと好みだとな」
愛想よりは楽しげな軽口に対して、ソラは事務的に淡々だ。
「わかりました。では、失礼します」
執務室を出ると、少年のような年若い衛兵の先導に従う。
中年の異端審問官とすれ違う。
案内される黒マント3人のうち1人に、焼菓子と焦げたキャラメルの匂いを嗅いで振り返る。
黒マントは隠れているが女性のようだ。
丸みを帯びた肢体に深く被るフードから、わずかに若葉色の糸が飛び出していた。
「あれは?」
「ザナディニアの上級拷問吏ですね。随分とお早い到着だ」
促して、詰所の外へソラを出す少年衛兵。
熊檻に成り果てた白馬車は既になかった。
「ザナディニアの方が、誰が相手なんです?」
「『金姫のアウレリア』ですよ。2日前に捕縛できたんです」
――未署名ミスリルを知らずして聖都に持ち込んだとは聞いているが……、
「どんなに悪名高いたって、たかが野盗でしょう。異端審問するの?」
「それを言っちゃうと、士長に怒られちゃうので……」
女慣れのない少年が、素朴な態度を崩さなかった。
「そうですか……」
――焼菓子の匂い……若葉色の髪をした、おそらく女性。
ソラには間違いなく身内である覚えがあるも、今は引き下がるより仕方がなかった。




