003『ですから個人情報ですよ? 勝手に見てはいけません』
大野盗『金姫のアウレリア』ことアウレリア・ヴェルクリスは、両手両足に枷をかけられ壁に吊るされて、結露で濡れた鉄格子より先に向かっていつまでも吠えている。
「うるさい、寝られないじゃないの」
同房の寝台でふて寝していたそばかす顔のエルフ女が、うるさいアウレリアに耐えかねてのそりと起き上がった。
しかしエルフ女の言葉が届いていないのかアウレリアはなおも吠え続ける。
「慰み者にされても知らないよ」
――急に静かになった。ということは、聞こえているのか。
やっぱり根は貴族のお嬢様ってことか。
エルフ女は稼業に備えてここの牢番達を幻惑し予め買収してある。だから他の収監者と話すぐらいの自由はあった。
連中を慰めるのも賄賂のうちというのが気には食わなかったが、別に人間相手に孕むことはほぼないしと、高潔なエルフにしてはおそろしく割り切った考えをしていた。
「そういや、あんたが『金姫のアウレリア』なんだって? 商人と盗賊ギルドから懸賞金かけられてるのは知ってたけどさ、教国まで敵に回していたのか?」
「うっさい」
「腐ってもオーラ帝の末裔たるヴェルクリス公爵家の令嬢だし、帝国が滅亡し教国になっても野盗に堕ちてからも、民衆の人気が厚いからって大分見逃されていたのに、無辜の人でも殺したの? バッカだねー」
「うっさい」
「斬首されんだか縛り首なんだか、北の方だと電気椅子やら銃殺刑ってのもあるそうだけど。……あんた、何やらかしたの」
「……」
「だんまりかよ。まあいいけどさ。あたしゃこれからオタノシミだから、あんまりぎゃーぎゃー騒がないでくれよ」
ジャリジャリと鈍く鍵束がぶつかる音がする。
交代の牢番だろうとエルフ女は若干薄らぎ始めたそばかすを撫ぜて元の濃淡に戻し、茶髪を軽く手櫛する。
房の錠前を開けるのにひどく焦燥し手間取っているのは、彼女が買収した中では一番可愛らしい、成人したばかりの素朴な若者だった。
それから廊下の蝋燭が取り替えられるまで、アウレリアにとって全く理解不能な激しいレスリングが木板の寝台で繰り広げられていた。
――領民を率いる可憐な義賊、あるいは元没落貴族令嬢の大野盗『金姫のアウレリア』の捕縛をできたことは良しとしよう。
しかし金姫が取引所に持ち込んだミスリル硬貨の存在は、金姫が起こした強奪行為以上に、教国の存亡に関わる重篤な事態を示していた。
未署名――所有者不明で出所もわからない木箱一杯のミスリル硬貨の青き輝きに、ドミニクス・ベンカント枢機卿は激しい悪寒を覚えた。
――もうすぐこの硬貨の真偽が判明する。
ベンカントはひたすら贋貨であることを祈っていたが、そんな都合の良い俗たる願いを神が聞き入れるわけもなく、奇蹟は必然となかった。
「猊下。少なくとも我々の鑑定では真貨です。署名がないだけで識別魔法も付与されています」
「そうか……くそ」
コルトラータ・ベンガルトン司祭の事務的な報告に、ベンカントは折れ崩れるようにソファーへ腰を下ろした。
金姫が示した強奪地点を調べさせているが、まだ報告はない。有力な痕跡があるとも思えない。
「最大の利益があるとすれば……、いや……、しかし魔の工作とも……」
天井のシャンデリアを一点見つめて、ベンカントは整理するように呟く。
「今の魔界は魔法を行使しません」
「自分らが行使できなくとも、人間側の一部と結託すればやれんこともない」
コルトラータはなお反論する。
「黄金連合は魔界の経済体制を我々以上に嫌悪し、解体して勢力圏に入れようと目論んでいます。利害の一致なし、結託するとは思えません」
「くそが、拝金主義の狗どもが」
「しかしわからないですな。黄金連合の手によるものなら、なぜわざわざ魔族を手引に使ったのでしょう」
「使いやすいからだろう。今の魔族は魔法を行使できないだけで我々以上に何でも出来る。加えて魔界の政変や軍隊からの脱走で難民がごまんと押し寄せている」
「しかし猊下。ここは聖なる教国、それも聖王のおられる都に魔族が入り込む余地なんて」
「世を知れコルトラータ。冒険者あるいは商人ギルドによる身分保障があれば、それが淫魔だろうがオークだろうが今の世ならどこでも入国可能だ。多方面に融通の利く魔族が聖都に入る余地など山程あるわ」
ベンカントはしきりに瞼を指で押し揉んだ。
「猊下。頼まれてた馬車を用意した。さっさと起きて乗るがいい」
扉の前に立つコルトラータに察知されることなく、座り込むベンカントの前に異端審問官トリヌ・ラントの小柄が立った。
「トリヌよ……引っ張り上げておくれ」
「ジジイの真似しやがって自分で立てクマジジイ」
フードの深くに褐色肌と桃色の柔らかな唇を見たベンカントとコルトラータは、公邸の鮮やかなロータリーに停まる2頭立ての白馬車へ乗り込んだ。
「ナカムラという魔族の冒険者について重大な嫌疑がかかっている。情報を開示してもらおうか」
小綺麗だがむさ苦しい冒険者ギルドのロビーのカウンターに堂々と出で立つ。
場違いにもほどがある太り気味の80歳高位聖職者が、荒くれの冒険者達に負けず劣らずの大熊のような迫力をもって仁王立ちしている。
その意味がわからず混乱しているゴリラのような大剣使いへ、歴戦の冒険者さながらの猛獣の眼を飛ばして竦ませた頃には、すこすことギルド長が出てきた。
「猊下自らなぜこのようなところに……どうなされたのですか?」
「用向きは彼女に申した。さっさと事務所の奥に入れて茶でも入れんか」
まるで隠れるように枢機卿の後ろにつく若い司祭、ギルドの玄関を塞ぐように立ってフードを被った異端審問官がロビーを見渡す。
ギルドの表は聖騎士が4人立っていたが、この枢機卿に対し護衛の必要を彼らだって感じていなかった。
「ナカムラ、ナカムラ……あ、ありました」
ベンカントに対応した青髪の受付嬢が、金庫室から1枚の契約羊皮紙を見つけ出して、ベンカント達に確認させる。
「トゥーレ商会……」
治癒用ポーションを扱う御用の中堅商人・トゥーレ商会依頼の護衛発注書だった。
荷は秘匿となっている。
状況を整合する限り、これが未署名のミスリル硬貨を聖都からティーバートへ運ぼうとした馬車で間違いない。
「荷がわからなくても依頼を受けるのか?」
「はい。秘匿の際にはより危険度が増すため追加料金をいただきますが、そうする依頼者さんが多いですね」
――密輸の温床になるだろうに……しかし冒険者ギルドもそんな依頼をこなさなければ、背中に火がついている状態なのだろう。
「情報出ましたよ。カオル・ナカムラ、46歳、ラング魔導国籍のシュラヴィの男性ですね」
書類や小物で雑然とした机の並ぶ事務室で、平たい水晶に投影されている男の顔と身体情報を確認したベンカントは怪訝な表情を浮かべた。
少し黄色の入った青白い肌に黒寄りの赤い瞳、黒髪短髪、太眉のような分厚いフレームの眼鏡、エルフとは違う形状をした魔族特有の長耳……。
東方域の蛮人に見られる平たい顔立ち、しかし髭もなく小ざっぱりとした、人間であれば奴隷や農民なんかに紛れ込めそうな地味な中年男だ。
眼鏡をしているから知識層にも見えなくはないが、こんな大それた事件を起こすような迫力を感じない。
ナカムラの活動記録と今回の依頼達成書の写しを、受付嬢が確認してからベンカント達に渡す。
「ティーバートを拠点に低級モンスター退治や土木工事の人夫なんか引き受けているブロンズ級。依頼者からの評判も良いですね。経歴は……昔は兵士だったとのことで、多少の心得があるとはなっています」
――損耗する魔族の武力を補うべく異界の死魂を用いて創られた、魔力と生殖能力を持たない奴隷用途の人造魔族『シュラヴィ』……。
今や純血魔族は膨れ上がったシュラヴィによって滅ぼされ、魔法のなくなった魔界は彼らにとっての機械文明が繁栄している。
――しかしシュラヴィであっても、こんな特筆したスキルもない平民そのものの中年男が……?
「魔界か魔導国か、いずれにしても聖王を滅ぼさんとする間者だな……」
フードの奥で、トリヌは親指の爪を噛んだ。
「し、しかし。登録されている冒険者のステータス数値は改ざんなんて絶対にできませんよ? ステータスボードはギルドがかつて神より賜りし奇蹟ですから、人ごときが安々と……」
共謀を疑われていると思ったのか、ギルド長は汗だくで否定する。
「この魔族はいつ登録がなされた? 渡航状況は?」
「登録は2年前の降臨祭より後。……聖都には3ヶ月ほど前からトゥーレ商会の隊商護衛で出入りしていますね」
受付嬢は淡々と水晶を操作している。
ベンカントは諸悪を逃さないため逐次対応を命じる必要があった。
「表の聖騎士にトゥーレ商会を抑えさせろ。私も後で行く」
「はっ」
コルトラータは表の通りで待機している護衛の聖騎士に伝えに行った。
「あの猊下……ドミニクス・ベンカント枢機卿猊下、どうか寛大なご処分を……」
「これは巧妙に欺いたのだ。どのみち冒険者ギルドに故意はないものとは思っておる。過失分の責任は取ってもらう必要があるが、寛大に見よう」
「ありがたく存じます」
「しかし……」
――シュラヴィ魔族の総数は推定17億体、うち何らかの理由で魔界から追放された6億は流れ着いた大陸北部から中部に集中している。
ギルド登録の魔族も、そうした『はぐれ者』が主体だ。
大陸北東部にあるラング魔導国は戦争勃発期の100年前から交易が盛んになり、革新商人同盟『黄金連合』の暗躍でそうした魔族を取り込んだ。
そうして魔法と機械が融合した魔導国は、たった半世紀でおぞましい発展を遂げたのだ。
――魔族の王がばらまいた死呪によって大陸中央が壊滅し、媒介になった金貨は棄てられた。
代わりに黄金連合の手で広められたのがミスリル硬貨だった。
今や世界で最も力を有しているのは、聖王教でも魔界でもなく、黄金連合だ。
――その黄金連合はかつての金貨を発行していた聖王教をミスリル漬けにできた。ほぼ無力化しているようなもんだ。
これでもまだ根絶すべき脅威だと思っているのだろうか……。
――いや、連中には。
「より高みに、より稼ぎ、より搾取し、より撒き散らし、より盤石に固める」
――連中にこれ以外の頭はないし、それでも残る熱心な聖王信仰など連中には邪魔にしかならん。
「ソラちゃんソラちゃん、ちょっと」
水晶を操作していた青髪の受付嬢に、若葉色のおさげを振る受付嬢が失礼と実務的に横に入った。
「机に積んでるエルフ女性ばっかのファイル持ってっていい?」
「構いませんけど。リーン先輩、どうしました?」
「かっぱらいで捕縛したエルフの女冒険者がいるんだってさ。衛兵さんが確認したいから登録情報お願いって」
「わかりました。あ、捕まった方がわかりましたら付箋して机に戻しといてくださいね。重複登録の確認をするので」
頭が熱暴走していく感覚を覚えたベンカントは、一旦冷却のために持ち出されようとする登録情報のファイルを何気なくちらっと見た。
自分が冒険者だった60年前とあいも変わらず、精密な顔の似顔絵、身元に身体特徴、習得スキルに概算で数値化したステータスが記載されている。
――違和感を感じた。しかし何気ない感覚だと信じたかった。
山程積み上がったファイルがベンガントの目の前で崩れて、数多登録されたエルフ女冒険者のステータスの数字が飛び込んできたのだった。
似たような数字だったのでまさかとは思っていたが、とある項目を目の当たりにして災厄の再臨がよぎってしまった。
「落ちたぞ」
「あ、すみません」
若葉色から漂う焼菓子の匂いに、トリヌは空腹を覚えながら、床にしゃがんでファイルを語順に整理する。
しかしベンカントはトリヌからファイルをひったくり、驚いた若葉色の受付嬢からもファイルをひったくった。
そして別人のそれぞれのステータスの数値を照らし合わせた。
――よぎった予感は確信に変わり、そしてミスリルの件とかけ合わさって、まだ想定できる被害がわかりきってないのに死にたくなるほど悪寒が走った。
少なくとも13人分のエルフ女冒険者の幸運値がゼロだった。
全員女のエルフであること以外は、出身氏族も年齢も顔も背格好も何ならエルフ内の人種までバラバラだ。
似たような傾向のステータスは三流冒険者であることを一見して物語っていたが、幸運値ゼロがそれらを全部覆してしまった。
「災仙の、フィーリア……!!?」




