011『失った夢だけが、美しく見えるのは何でだろうね。姉さん』『それはいつまでも、このままでいたいからでしょ』
ヴェルクリス公爵家が建設を指揮した巨大インクラインは、稼働200年を迎えても未だ世界屈指の規模を誇る。
鉱石トロッコや生活物資を載せる舟用の平荷台を、何十も連ねた日々が久しい。
幅広の鋼鉄300kgレールが、削りきられる程の重さを、もう走らせることはない。
ヴェルクリス公爵旗の翻る巻上機付の平トロッコから、角張りかけた赤いトールワゴンが静かに走り出す。
荷置き場の空き地をぐるりと周ってから停車する。
後部座席から革鎧を纏った赤毛の中年男が、荷物を引っ張り上げながら降りたのだった。
「あー坊っちゃん、お嬢様。気をつけて」
運転席のロブレットが、近寄った彼に合わせて電動ウィンドウを開ける。
ドアに内蔵された6.5インチのフルレンジスピーカーは、古語や魔界語混じりのヒップホップが、もうボリュームを上げてうるさく鳴っていた。
アローバルの改めての面食らいを見て、ロブレットはその音量を下げる。
助手席のマルファはぶーと唇を尖らせ不満げだ。
「くれぐれもガス欠にならないよう頼んますよ? アタラクトでは運転免許が必要ですから、直前にはお嬢様に運転の交代を」
「アローバルさんも、この先頑張ってください」
「がんばってね。アローバル」
助手席を倒したマルファがへらへらと手の平を振る。
ロングソードと旅支度を背負うアローバルの後ろを見送っていく。
人荷の群れが一旦途切れたのを確認すると、ウィンドウを閉めたロブレットはクラクションをたんと鳴らした。
「アローバルさんもそうだし。僕らもメトロポリスに帰れって、何があったんだろう」
ロブレットはゆっくりとアクセルを踏んで、パワーステアリングを徐々に回した。
「さあねー。でもここの暮らしもちょっと退屈だったし、良い機会よ。ビールを咎められるのは嫌だけど」
ワンレングスを振ったマルファは、貯蔵庫から持ってきたノンアルコールビールの1本をかしゅと開け、一気に喉へ流し込んだ。
ロブレットもぬるいコーラ缶を開け、舌を濡らすとホルダーに立てる。
トールワゴンはインクラインの駅を出、ティーバート街道に折れていく。
アタラクト港へ至る蛇行だらけの古街道は、インクラインの限界から、地元・魔界・黄金連合の合同資本により拡張の途中だ。
小麦畑を縫っていく石畳の横が、魔界や魔導国製のパワーショベルやブルドーザー、多種多様の人の手で、ところどころ掘り返されている。
掘り返された四方形の穴には、硬い砂利とよく詰めた土嚢が埋められて、土固められていく。
1000年を保った石畳舗装は剥がされて、片側交互通行で待たされる機会が多くなっていく。
次の工区でも、教国軍の古兜を被る革鎧の作業員が立っていた。
トールワゴンを停め、対向の商隊馬車を見送る。
手持ちのトランシーバーに笹耳が傾けられる。
エルフの作業員が、擦り切れた信号旗を緑に振るのだった。
ロブレットはレンジをドライブに入れて発進した。
誘導に従って左車線に入り、交互通行区間を突き進む。
それまでの石畳と違う。
FF車でも走りやすく、滑らかに弾力する土の路面を感じた。
灰色コンソールの中央を陣取る白地のメーターの40kmの維持を見、ガソリンの針に目を凝らし、そのままサイドミラーを確認する。
魔界から払い下げられた6輪駆動の無骨な軍用トラックが、平荷台を空にして車列を成して続いている。
マルファの寝息を感じてカーオーディオのボリュームを下げ、前方に視界を戻す。
過積載の幌馬車から飛び出る即席のサイドミラーに、年老いた御者が馬に任せて眠りこけているのが見える。
「危ないなぁ……」
馬が少しでも驚かないよう減速しつつ、クラクションを短く、何度か鳴らす。
何度もパッシングすると、御者はやっと首を起こして馬車を脇に退避させる。
ロブレットは加速してこの馬車を追い越していく。
後ろのトラック列もこれに続いた。
今日も聖王会議は荒れることなく穏やかで、在位16年目のラント聖王の決が下る。
今日の会議により『300年前の神契の剣の消失は神による試練であり、こうして今も在るのは我々の心にこそ神契がある証拠』という結論に達し、御触れを作るとした。
――100万枚もの未署名ミスリル硬貨、災仙のフィーリアの復活、そして先程届いた黄金連合の魔族によるヴェルクリス領での虐殺……。
すべてを無視されたベンカントは、他のすべてに侮蔑の目を向け、聖王に対しては畏れと、そして怒りを覚えた。
他の白い目を大熊の威嚇で抑えつけて、コルトラータやトリヌのいない執務室のソファに横たわる。
「もう聖王会議は役に立たん。信仰厚くとも、何もしなければ何も叶わぬ」
――このわしが自ら決し、この力を惜しまず行使しなければ。
ベンカントはソファから起き上がる。
――教国どころか、聖王の教えそれ自体が、魔界と黄金連合の両刀により、今度こそ切り分けられてしまう。
魔導国の融和派、あるいは魔界と交わる金帝派が、この神殿を喰らってしまう。
――そんなことは断じて認められん。
ベンカントは独断に至って机のベルを乱暴に鳴らして、少年助祭に馬車を用意させた。
警備兵や鉱山町に控えている事務方を居城まで引き上げさせ、そのまま退職金を渡して全員に暇を出す。
「エイベル・レギスさん。2年間、お疲れ様でした」
深々と礼に腰折ったトヨカワ。
一番のまぬけを晒したエルフ女が、だらしのない様相を慌ててどうにか整える。
「お世話になりました」
ギクシャクと返礼を返して、執務室を出たのだった。
最後の警備兵を見送ると、次は城の者達の暇を出す番だ。
金庫から次のミスリル硬貨の袋と譲渡書の手帳を出し、それぞれの退職金を裸にして分けていく。
しかし老執事は城の者の総意として、暇を拒否した。
「反逆は許さぬぞ」
トヨカワは、同じ年頃の老執事をガンと睨みつける。
「あなたがヴェルクリス領主である自覚がないのであれば、我々の行為は反逆と看做すでしょうな」
老執事も一歩として引くことはなく、トヨカワもネクタイを緩める。
「勝手にせい」
平行線に対して肩を落とし、応接用の革ソファにどかりと座った。
人差し指をくいくい動かして促す前に、老執事は洗ったばかりのガラスの灰皿をティーテーブルに静かに置く。
老執事はパイプ用の長いマッチ箱を開けようとしたが、トヨカワは安いガスライターを見せて引かせた。
星柄のパッケージからタバコを1本、火を点ける。
肺に直にくる重み、舌に感じるコクと甘味――。
口内を支配する濃厚な紫煙は、吹子のように執務室の空気へ吹きかけた。
灰皿に最初の灰を落として、トヨカワは老執事を見上げる。
「わしはどう支度するべきだ」
老執事は眉一つ動かさない。
トヨカワを静かに見張る。
「ヴェルクリスの掟を知らんが、なんとなくはわかる。だがその作法がわからん」
老執事は、音もなくそこに在る。
「どうかこの礼儀知らずの成金シュラヴィに、作法を教えてくれないか。認められないのなら、わしはお前達を反逆者と看做さなければならない」
トヨカワの懇願に、老執事は静かに答えた。
「古い掟が守られたことなど、少なくとも私が仕えた代々の当主で、守った者はおりませぬ」
「ならわしが、お前にとっての第一号となろう」
トヨカワは咥えたタバコを一気に吸い上げ、灰皿に押し込んだ。
立ち上がって緩んだネクタイを締め直し、ダブルスーツのボタンを留める。
「わしの生まれ故郷には、セップクという儀式がある」
トヨカワは生前あった郷を持ち出す。
「責任者自ら腹を裂いて、苦しむ前に斬首したり頭を撃ったりする儀式だ。ヴェルクリスの古い掟ではどうするのかな」
老執事の厳かな先導に、トヨカワも歩調を合わせてゆっくり進んでいく。
「ヴェルクリスをはじめとするオーラ貴族にとって、自害はただの責任逃れであり、忌むべきものにございます。よって、セップクなる儀式では、卑怯者の烙印を捺されてしまいます」
「そうか」
メイド長が従者全員を廊下に並ばせて、老執事とトヨカワを閲して送っていく。
「では処刑人による斬首かな?」
「ヴェルクリスほど高貴になりますと、より厳かな作法が、双方に求められます」
辿り着いたのは、礼拝堂だった。
何も施さない。放置のままの内部は、あまりにも古いが威厳を保って整えられている。
中央のベルベットを進む。
祭壇前の広がりにトヨカワを留める。
老執事は鍵束から最も古い鍵を選んで脇の扉を潜っていく。
タバコを取りかけてはやめるを繰り返してしばらく待つと、老執事は奇妙な剣を携えて戻ってきた。
「抜いて、中身を見せてもらっても良いかな?」
老執事は少し手間取りながら剣を鞘から抜いた。
バスタードソード程の長さだが、刺突のための切っ先がない。
握りの悪そうな装飾された柄に鍔はないと言い切れるほど短く、剣身と一体になっている。
「君がそれを使って、わしの首を落とすのかね?」
首についた違和感を払って、Yシャツの襟元を整えトヨカワは質問する。
「畏れ多い」
老執事が頑として否定する。
「ヴェルクリスの19代当主トクルジクトは、初代聖王へ忠義を誓われた。その際にトクルジクトは最後のオーラ帝ガトルに対し自ら首を差し出すも、帝は初代聖王にその首をそのまま譲り渡されたのだ」
「つまりは、聖王の手の者に、斬首されるのが適当だと」
トヨカワの得心に、老執事は厳かな態度を崩さず頷く。
「だとすると、まだ少し早かったな」
スーツのポケットを上から叩いて、携帯灰皿を探る。
辛抱できないとタバコに火をつけて、祭壇脇の聖職者席に足を組んでしまった。
――この当主は確かに下品だ。しかし自身の見誤りまでは感じない。
だから提案を受け入れてもらおう。
「マルファ様とロブレット様に宛てて、文でも書かれませぬか」
「文? 手紙のことか?」
「さようでございます」
トヨカワは野良猫でも追い払うように、ひらひらと右手を払う。
「いまさら。ロブレットには勉学の基礎を叩き込んだし、マルファはロブレットを支えてくれる。わしの務めやわしの願いはもう果たされた。だから手紙は書かん」
「いいえ。書かれるべきです」
「随分と食い下がるな。理由を聞かせてくれ」
老執事は朗々と述べる。
「あなた様は卓越した商売人であるが故に、理に適った行動のみを尊ぶ悪癖がございます。世はそうでも、人の理はそうではございませぬ」
主と認めたこの魔族老人の欠陥を、熱いほどに指摘する。
「何も語らず往くのが男児の美徳だ。それを崩すわけにはいかん」
「それはあなたの美学でしょう。少なくとも、ヴェルクリスの者は違います」
老執事は懐からバインダで纏められたメモ帳を取り出した。
やっと扱えるようになったボールペンを迷いなくノックし、0.7mmのボール先を出してトヨカワに突きつける。
「どうか思いを紙の文字にして、子ども達に残してくださいませ」
トヨカワは逆らう気概も湧かず、時間の許しもあってこだわりを諦める。
メモ帳とボールペンを受け取って、手紙を書き始めた。
終




