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草売りから始まる覇道戦記  作者: 八咫 日本


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第59話 旭日の覇王と、泥にそびえる黄金の牙

王都の覇宮を制圧し、逆賊メイカクを討ち果たしたジンは、事実上の黎州の頂点に立った。

しかし、その直後に開かれた宴の席で彼が放った「西国への遷都」という爆弾発言は、単なる酒の上の思いつきでも、泥犬たちの気まぐれでもなかった。それは、ジンが天下人としての明確な視座と、ソウガとメイカクという二人の偉大な先人たちの死を乗り越えた末に辿り着いた、極めて理にかなった深謀遠慮であった。

翌朝。

ジンはガクとクロウの二人だけを伴い、覇宮の最も高いバルコニーから、朝日に照らされる王都の街並みを見下ろしていた。

「……親父。本当に本拠地を西国へ移すつもりか。この覇宮は防衛拠点として極めて優秀であり、何より天下を統べる象徴としての権威がある。それを捨てるというのは、あまりにも惜しい」

ガクが、冷静な声で計画の再考を促した。

ジンはバルコニーの手すりに寄りかかり、眼下に広がる歴史ある寺院の屋根や、豪奢な貴族の屋敷跡をじっと見つめた。

「ガク。この王都はな、歴史がありすぎるんだよ」

ジンの静かな言葉に、ガクはわずかに眉を動かした。

「二百年前、白き王がこの世界を救い、天帝の血筋がここで祈りを捧げてきた。ソウガの親分は、その古い歴史が新しい世界の邪魔になると考えて、寺院を焼き、天帝を根絶やしにした。……歴史を完全に破壊して、純粋な力だけの世界を創ろうとしたんだ」

ジンは、少し悲しそうな目をして続けた。

「でも、メイカクのオッサンは違った。オッサンは、歴史の重みと法律の秩序がなきゃ、人間は獣と同じになっちまうと考えた。だから、親分を討ってでも、この王都で歴史と秩序を守り抜こうとした」

ジンは自らの胸に手を当てた。そこには、メイカクの心臓を貫いたあの時の、温かくも重い血の感触がまだ残っていた。

「俺はな、どっちの言い分も正しいと思うんだよ。親分の言う通り、古い既得権益にしがみつく奴らはぶっ壊さなきゃ新しい芽は出ねえ。でも、オッサンの言う通り、守るべき歴史や誇りがない国は、すぐに内部から腐っちまう。……だけど、この『王都』って場所で、その二つを両立させるのは絶対に不可能だ。ここには、過去の怨念が染み付きすぎてる」

ジンは振り返り、二人の軍師に向かって明確なビジョンを提示した。

「だから、分けるんだ。……この覇宮は、今日から『帝宮』と名前を変える。天帝一族の亡骸や遺品を丁寧に祀り、歴史を守りたいと願う者たちが祈りを捧げる絶対的な『聖地』として永久保存する。軍事施設ではなく、文化と歴史の象徴として残すんだ。そうすれば、オッサンの守りたかった秩序の根幹も、民の心の拠り所も守られる」

その壮大な構想に、クロウが感嘆の息を漏らした。

「クックック……。なるほど。王都を武力による支配の中心から切り離し、不可侵の聖地とすることで、旧勢力の反発を完全に無力化する。と同時に、貴公自身は古い権威に縛られることなく、全く新しい統治機構を別の場所で築き上げるというわけですか。……見事な手腕です」

「そうだ」

ジンはニヤリと笑った。

「新しい世界を創るには、俺たちを心から信じてついてきてくれる連中が多い土地じゃなきゃ駄目だ。西国は、俺とオッサンが泥にまみれて平定し、民の飢えを救った土地だ。あそこの民は、俺たち泥犬を誰よりも支持してくれている。それに、地理的にも、西国に巨大な城塞を築けば、東国、南国、そしてこの王都を同時に睨みつけることができる」

ガクが、自らの脳内で高速の測量を始めたかのように、鋭い視線を空に向けた。

「……地形の理は完璧だ。あの一夜城の跡地を拡張し、川をせき止めて水堀とすれば、天下無双の要塞地帯が完成する。しかし親父、北国の猛吹雪が解け、シュウスイ殿たちが帰還する春まで、猶予は半年しかない。半年で、国家の新しい中心となる最大都市を構築するなど……」

「やるんだよ、ガク」

ジンは、ガクの肩をガシッと掴んだ。

「お前のその石頭と、常識外れの統率力なら絶対にできる。半年で、この天下の誰が見ても腰を抜かすような、俺たちのための新しい城を建てるんだ。金も人もいくらでも使っていい」

「……軍規第一項、将の命は絶対。よかろう、親父が望むならば、俺の命を削ってでも、半年で天下の巨城をこの大地に具現化してみせる」

ガクは深く頭を下げ、その目に狂気じみた築城家の炎を燃やし始めた。

ジンはさらに、クロウとガクを見据えて宣言した。

「それと、俺たち泥犬はもう、黎州という古い枠には収まらねえ。親分とオッサンが死んだことで、二百年の歴史は完全に終わった。今日から俺たちの国の名前は……『旭州』とする。夜明けは終わった、これからは俺たちの太陽が昇る時代だ!」

「旭州……!」

「そして、俺たちが西国に建てる新しい城の名前は、泥の中から生えた黄金の牙……『金牙城』だ! ……どうだ、悪くねえ名前だろ?」

「クックック、実に覇王に相応しい、力強く、そして泥臭い名にございます」

クロウが恭しく頭を下げた。

「よし! 城作りはガクに任せる。だがその前に、クロウ、ガク。お前ら二人に頼みたい大事な仕事がある。……東国の狸親父、トクナガのところへ行ってこい」

数日後。

東国、トクナガの居城。

東国の覇侯トクナガは、温厚な笑顔の裏に冷や汗をかきながら、謁見の間に通した二人の使者と相対していた。

彼は、メイカクとソウガが相打ちになり、黎州が内乱で疲弊したところを一気に飲み込むという完璧な絵図面を描いていた。しかし、その目論見は、ジンという規格外の泥犬がわずか三日で王都を制圧したことで、根底から覆されていた。

今やジンは、黎州、西国、南国という広大な版図を完全に掌握した巨大な化け物である。トクナガは、ジンが東国へ牙を剥く口実を探してくるのではないかと、内心気が気ではなかった。

しかし、使者として訪れたガクとクロウの口から出たのは、意外な提案であった。

「トクナガ殿。我が主君、旭州覇侯ジンからの親書にございます。これまでの国境線を完全に承認し、互いに不可侵の和平条約を締結したいとの申し入れです」

ガクが、一切の隙のない姿勢で、分厚い条約の木簡を差し出した。

そこには、極めて論理的で、両国にとって公平な関税の取り決めや、国境警備の相互不可侵など、メイカクから受け継いだ完璧な「正道」の法律が並んでいた。

トクナガは内心ホッとしたが、狸の習性として、少しでも自分に有利な条件を引き出そうと、のらりくらりとかわし始めた。

「ほう、これは見事な条約文だ。ジン殿も、すっかり立派な覇侯になられたものだ。しかし、この国境の山林の権利については、古くからの東国のしきたりがありましてな……すぐに頷くことは難しい。少し時間をいただきたい」

その時、車椅子に乗ったクロウが、カチャン、とわざとらしく杖を床に落とした。

「……おやおや、それは困りましたな。トクナガ殿が時間をかけておられる間に、東国の内部が燃え上がってしまっては、元も子もない」

クロウの不気味な声に、トクナガの顔から笑みが消えた。

クロウは懐から、一巻の薄汚れた紙の束を取り出し、トクナガの目の前にヒラヒラと見せつけた。

「我が旭州の密偵が調べたところによりますと、東国の北部に領地を持つ三つの豪族が、貴公の重税に不満を持ち、我々に内応を約束する血判状を提出してきております。……さらに、東国の兵糧庫の警備担当者の半数は、すでに我が黄金で買収済みです。条約が結ばれぬのであれば、今夜にでも、東国の内側から派手な花火が上がるでしょうな」

「な……っ!?」

トクナガは顔面を蒼白にし、絶句した。

ガクが突きつける、逃げ場のない「正道」の法と理論。

そして、クロウが突きつける、喉元に刃を突き立てるような「邪道」の謀略と脅迫。

アメとムチ。正邪の融合。これが、ジンが新たに手に入れた天下人の外交戦であった。

「……わ、わかった。サインしよう。ジンの野郎……恐ろしい使者を寄越したものだ……」

狸と呼ばれた老獪な覇侯は、完全に白旗を掲げ、震える手で和平条約の木簡に署名したのである。

これで、東国の脅威は完全に盤上から排除された。ジンは、背後の安全を完璧に確保した上で、西国の大築城に全力を注ぐことができるようになったのだ。

それから、半年。

厳しい冬が過ぎ去り、凍てついていた大地に春の息吹が戻り始めた頃。

異常な猛吹雪によって北の果てに閉じ込められていた黎州・北国討伐軍の三将、トウガ、ゲント、シュウスイは、ようやく南下を開始していた。

雪解けのぬかるむ街道を、数万の軍勢と共に歩みを進めながら、彼らの間には重苦しい沈黙が漂っていた。

彼らは道中、王都で起きた惨劇の噂を断片的に耳にしていた。ソウガの死。メイカクの反乱と死。そして、かつて自分たちよりも遥かに格下の千人将であったジンが、黎州を制圧し、国名を「旭州」と改めて新たな覇王を名乗っているという、信じがたい現実を。

「……ジンめ。父上の死に乗じて、国を乗っ取ったというのか。あの泥犬ごときが、この私を差し置いて覇王を名乗るなど、絶対に許さんぞ!!」

若きトウガが、馬上で苛立たしげに長剣の柄を叩く。

「若。感情で動くのは下策です。まずは現状の戦力差と、王都の状況を正確に把握し……」

「黙れゲント! お前は悔しくないのか! 父上の創った国が、あの薬草売りに奪われたのだぞ!」

トウガが怒鳴る中、先頭を歩いていたシュウスイが、突如として足を止めた。

「……若。ゲント。どうやら、我々が目指すべきは王都ではないようだな」

シュウスイの視線の先。

彼らが西国の国境を越え、かつてジンが泥と木材で築いた一夜城があったはずの小高い丘陵地帯に差し掛かった時、彼らの目の前に信じられない光景が飛び込んできた。

そこにあったのは、一夜城などというチャチなものではなかった。

巨大な河川の形を強引に変え、広大な水堀として利用し、その中心にそびえ立つのは、巨大な石垣を幾重にも積み上げた、天を衝くような巨大な城郭。

外壁は漆黒に塗られ、瓦や装飾には惜しげもなく黄金が使われており、春の太陽の光を浴びて、まさに泥の中から生え出た「巨大な黄金の牙」のように、圧倒的な威容を放っていた。

城の周囲には、すでに活気に満ちた巨大な城下町が形成されており、数え切れないほどの民衆や商人たちが行き交い、かつての王都以上の凄まじい熱気を生み出している。

わずか半年。雪に閉ざされていた間に、ジンはこの西国に、天下の誰が見てもひれ伏すような、名実ともに世界最大の要塞都市を完全に創り上げてしまっていたのである。

「な……なんだ、あの城は……! 半年で、あれほどのものを……馬鹿な……!」

トウガが、驚愕に目を見開き、手綱を取り落とした。

ゲントですら、そのあり得ない築城の速度と規模を前に、感情のない顔に明確な戦慄を走らせていた。

シュウスイは、巨大な金牙城をじっと見上げ、その体から熱い闘気の湯気を立ち昇らせた。

「……フハハッ。見事だ、ジン。貴様、本当に天下の器になりおったか」

シュウスイの握る大槍が、喜悦と怒りの混じった音を立てて軋む。

「だが、俺は古い武人だ。貴様がどれほど城をデカくしようとも、力と伝統の誇りだけは、泥犬には絶対に譲らんぞ」

新時代の覇王として西国に君臨するジン。

そして、古い武人の誇りを胸に帰還した、魔王の右腕たる鬼神シュウスイ。

完成したばかりの旭日の巨城を舞台に、天下を二分する最後の激突の予感が、春の風と共に激しく吹き荒れようとしていた。

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