幕間 野犬たちの覇宮大宴会と、お上品な宮廷料理
魔王ソウガと白銀の将メイカクが去り、新たな主としてジンを迎え入れた黎州本都・覇宮。
かつては重苦しい威圧感と極度の緊張に包まれていたこの巨大な城郭も、今夜ばかりは全く異なる空気に支配されていた。
覇宮の中で最も広く、最も豪奢な装飾が施された大広間。
そこでは、三日三晩の狂気の大返しを乗り越え、天下の頂点をもぎ取った「泥犬」たちによる、盛大な戦勝の宴が開かれていた。
しかし、その光景は「覇侯の宴」という言葉から連想される雅なものとは、天と地ほどもかけ離れていた。
「おい! なんだよこの飯は! 皿がバカみたいにでかいのに、真ん中にちょこんと葉っぱみたいな肉しか乗ってねえぞ! 一口で消えちまったじゃねえか!」
巨大な鉄砕棒を傍らに放り出した特攻隊長ゴウが、小さな九谷焼の小鉢を指差して大声で文句を言っていた。彼の目の前には、すでに空になった高級な皿が数十枚も積み重なっている。
「黙れゴウ。これは王都の歴史ある宮廷料理だ。素材の深みと雅な盛り付けを、目で見て楽しむものだ。お前のように咀嚼もせずに飲み込む獣には、この芸術的な価値が理解できまい」
ガクが、竹竿の手入れをしながら冷徹にたしなめる。彼は一応、出された料理を箸で上品に口に運ぼうと努力していた。
「ああん!? 芸術だか何だか知らねえが、戦の後は山盛りの肉と白飯だろうが! こんなお上品な葉っぱと小鳥の肉みたいなもん、百皿食っても腹の足しになんねえ! おい厨房の奴ら! 豚の丸焼きを樽ごと持ってこい!」
ゴウの怒鳴り声に、王都の誇り高き宮廷料理人たちが厨房の奥で涙ぐみながら震え上がっていた。
「ゴウの言う通りだぜ。海の男はこんな上品な小鉢じゃ酔えねえんだよ。酒だ酒! もっとデカい樽で酒を持て! 盃なんざチマチマしてられっか!」
水軍の将リョウガが、豪華な漆塗りの盃を放り投げ、酒の入った大瓶を直接ラッパ飲みし始めた。
「ふん、南の海賊は気が短いな。酒とはこう、氷点下まで冷やした器でゆっくりと喉の奥に流し込むものだ……と言いたいが、この王都の酒は水のように薄くていかん。北国のドブ酒のほうが、よほど胃袋が焼けて生きている心地がする」
北国の大将軍ハクヤも、巨躯を丸めながら物足りなそうに嘆息する。
すると、暗がりから車椅子に乗ったクロウが、不気味な笑みを浮かべながらスススッと進み出てきた。
「クックック……。皆様、王都の味が薄くてお気に召しませんか。ならば、私が炎州から持ち帰った特製の『痺れ毒サソリの尻尾と百足の肝』を漬け込んだ秘薬酒を数滴、そのお酒に垂らして差し上げましょう。一口で三日三晩、極彩色の幻覚が見られますよ」
「「「いらねえよ!!」」」
ゴウ、リョウガ、ハクヤの三人が即座に怒鳴り返す。
そんな部下たちの騒々しいやり取りを、大広間の最も奥に据えられた玉座の上から、ジンは一人、腹を抱えて笑いながら見下ろしていた。
「あーっはっはっは! お前ら、天下の中心たる覇宮で何やってんだよ! ガク、お前箸の持ち方変だぞ! 指が引きつってんじゃねえか!」
ジンは、豪華な絹の座布団の上に胡座をかき、泥犬部隊のいつもの携行食である干し肉をかじりながら大笑いしていた。
「親父! 笑い事じゃねえぞ! お前こそ覇侯になったんだから、その干し肉をかじる癖はどうにかしろ。王としての威厳が保てん!」
ガクが顔を真っ赤にして抗議する。
「いいじゃねえか。天下を獲ろうが玉座に座ろうが、俺たち泥犬の胃袋は泥犬のままだってことさ」
ジンがニヤリと笑うと、真紅の甲冑を脱いでくつろいでいたレンが、酒の入ったひょうたんを揺らしながらジンの傍らにやってきた。
「違いねえ。釜田の谷底で一緒にネズミの丸焼き食ってた頃と、俺たちの中身は誰も変わっちゃいねえな。……でもよ、ジン」
レンは、玉座の間の豪華な天井画や、黄金に輝く柱を見渡した。
「この城は、確かに天下の中心なんだろうが……どうも俺たちには息苦しいな。綺麗すぎて、汚れた足で歩くのをためらっちまう」
その言葉に、宴会騒ぎをしていた将たちもふと動きを止め、広間を見回した。
二百年の歴史が詰まったこの場所は、メイカクが愛した「法と秩序」を象徴する美しい場所だ。だが、泥の中から実力一つでのし上がってきた彼らにとって、この完成された美しさは、どこか借り物のように感じられていた。
ジンは残っていた干し肉を一口で飲み込むと、バンッ! と音を立てて自分の両膝を叩き、立ち上がった。
「やっぱ、お前らもそう思うか。……よし、決めたぜ!!」
ジンの大声に、全員の視線が玉座に集中する。
「この王都の覇宮は、確かによくできた城だ。だが、俺たち野犬がデカい顔して寝転がるには、ちょっとばかりお上品すぎる! ……だから、俺たちの本拠地は、西国に動かすぞ!!」
「「「……西国に!?」」」
広間にいる全員が、目を丸くして驚きの声を上げた。
「ああ。あの雪山でお前らと一緒に泥と木で急ごしらえした、あの一夜城。あそこを、誰も見たことがないくらいバカでかい、無敵の巨大城郭に作り直すんだ! 山を削り、川を堀にして、俺たちらしい、汗と知恵と泥の詰まった最高の本拠地を俺たちの手で建てる!!」
ジンの途方もない宣言に、しばらくの沈黙が落ちた。
やがて、その沈黙を破ったのは、ガクの頭を抱える声だった。
「なっ……せ、遷都だと!? 城の全面改築!? そんな国家の根幹に関わる重大な決定を、宴会の席の思いつきで口にするな! 兵站は! 予算は! 資材の調達はどうするつもりだ!!」
ガクが胃の痛みに顔を歪める。
しかし、他の者たちの反応は全く逆だった。
「ガハハハッ! いいじゃねえか! ここより飯が美味くて、大声で笑える場所ならどこへでもついていくぜ! また俺の鉄砕棒で岩を砕いてやろうか!」
ゴウが嬉しそうに立ち上がる。
「おうよ! 水路を引くなら俺たち海狗衆の出番だ。城の真下まで船が着けるようにしてやらぁ!」
リョウガも腕をまくる。
「クックック……。西国であれば、東のトクナガからも距離を置け、守りを固めるには絶好の地。あの一夜城をベースにするとは、理にかなった悪魔の発想ですな」
クロウも杖をついて頷いた。
「おいお前ら、少しは私の計算を聞け! 親父、せめて図面だけでも先に……!!」
悲鳴を上げるガクをよそに、泥犬たちの宴会は、新たな城作りという途方もない夢に向かって、かつてないほどの熱狂と馬鹿騒ぎの渦へと突入していった。
ジンは、その騒がしくも頼もしい家族たちの姿を玉座から見下ろし、最高の笑みを浮かべた。
天下の頂点からの景色は、想像していたよりもずっと泥臭く、そして最高に楽しいものであった。




