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草売りから始まる覇道戦記  作者: 八咫 日本


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第58話 白銀の遺言、そして黎明の勝ち名乗り

玉座の間の中央で、激しい金属音が連続して弾け飛んだ。

ガキンッ! キンッ! ギィィィィンッ!

ジンとメイカク。

二人の大将による、何者の介入も許されない一騎打ち。

しかし、その戦いの趨勢は、開始からわずか数合で残酷なほどに明確となっていた。

「どうした、ジン! 貴公の持つ野犬の牙は、その程度か! 覇王を名乗るにはあまりにも軽すぎるぞ!」

メイカクの放つ白銀の長剣が、美しい孤を描いてジンの急所を次々と脅かす。

その剣技は、まさに完璧であった。幼き頃より王都の最高峰の指南役から叩き込まれた、二百年の歴史を持つ正統なる剣術。無駄な力みは一切なく、足さばきは滑らかで、刃の軌道は数学的な計算に基づいたかのように精密であった。

対するジンは、元が最下層の薬草売りである。剣の正式な訓練など受けたことはなく、彼が戦場で振るうのは、生き残るためだけに培われた喧嘩殺法の自己流に過ぎない。

「くそっ……! はええな、オッサン!」

ジンは右手の小刀と左手の鞘をクロスさせ、必死にメイカクの斬撃を弾き返すが、そのたびに手首に痺れるような衝撃が走り、体勢を崩される。

メイカクの剣は、ただ速いだけではない。ジンの動きを完全に予測し、彼が逃げようとする先へ先へと的確に刃を置いてくるのだ。それはまるで、網に掛かった獲物をじわじわと追い詰める冷徹な狩人のようであった。

「貴公の剣には、理がない! ただがむしゃらに生き残ろうとするだけでは、天下の頂点には立てんのだ!」

メイカクが鋭く踏み込み、ジンの左肩の浅い肉を切り裂いた。鮮血が舞い、ジンは苦悶の表情を浮かべて後ずさる。

「……痛えな。だがよ、俺は今まで、理屈なんか知らなくても生き残ってきたんだよ!」

ジンが低く唸り、獣のように低い姿勢からメイカクの懐へと飛び込もうとする。

しかし、メイカクはその突進を最小限の動きでいなし、長剣の腹でジンの背中を強打した。床に転がるジン。

「立て、ジン! こんなところで終わる貴公ではないはずだ!」

メイカクの厳しい声が響く。

その戦いぶりは、命のやり取りをしている敵同士のそれというよりも、まるで師匠が不肖の弟子に最後の稽古をつけているかのような、奇妙で厳粛な空気を孕んでいた。

「剣とは、すなわち国を治める法と同じだ。……無軌道な暴力は、必ず自らを滅ぼす。刃の重さを知り、自らの重心を定め、敵の力を利用して己の理を押し通す。それが、二百年受け継がれてきた正道の真理だ!!」

メイカクの言葉が、長剣の鋭い切っ先と共にジンへと突き出される。

ジンは泥だらけの床を転がってそれを避けながら、メイカクの動きを必死に目で追っていた。

(……理屈だ。オッサンの剣には、全部理屈がある。足の運び、肩の入り方、呼吸のタイミング……!)

ジンは、極限の生存本能と、天才的な吸収力をフル回転させていた。

彼は西国で、メイカクから託された分厚い兵法や法律の書物を、文字通り丸暗記するほど読み込んだ。その時と同じだ。今、目の前でメイカクが体現している「正道の剣」の理屈を、ジンは自らの肉体に直接叩き込もうとしていた。

「ハァッ……! なるほどな……。なら、こうか!!」

ジンが立ち上がり、再びメイカクの長剣を受け止めた瞬間、これまでとは明らかな変化が起きた。

メイカクが剣を引いて次の斬撃に移るコンマ一秒の隙。ジンは力任せに弾き返すのではなく、メイカクの刃の軌道にそっと自らの小刀を這わせ、その力を受け流すようにして体を回転させたのだ。

「むっ……!?」

メイカクがわずかに目を見開く。

ジンの動きから、無駄な荒々しさが消え始めていた。

メイカクの放つ完璧な正道の剣をその身で受け続けるうちに、ジンは驚異的な速度でその剣技の「理」を理解し、自らの邪道の動きの中に組み込み始めたのである。

「すげえな、オッサン。あんたの剣、戦場じゃ綺麗すぎると馬鹿にしてたが……一理あるぜ」

ジンが不敵に笑い、今度は自ら踏み込んで小刀を突き出す。

その一撃は、これまでの単なる獣の牙ではなく、鋭く計算された必殺の軌道を描いていた。

ガキィィィィンッ!!

メイカクは長剣でそれを受け止めたが、先ほどまでは感じなかった重く鋭い圧力が、ジンの刃から伝わってくるのを感じた。

「……フッ、ハハハッ! 素晴らしいぞ、ジン! わずか数合交えただけで、私の二百年の剣技を己のものとし始めるとは!」

メイカクは、死合いの最中であるにもかかわらず、心からの歓喜の笑声を上げた。

自分が手ずから育てた弟子が、自分のすべてを飲み込み、遥かな高みへと登ろうとしている。これほど指導者冥利に尽きる瞬間があるだろうか。

激しい剣戟の音が、玉座の間に絶え間なく響き渡る。

二人の動きは次第に拮抗し、互いの刃が火花を散らしながら、一歩も引かない死闘へと発展していった。

「ジンよ! 貴公は、この天下を獲ってどうするつもりだ! ソウガ様のように、すべてを恐怖で支配する魔王となるか!」

長剣を押し合いながら、メイカクが至近距離で叫ぶ。

「冗談じゃねえ! 俺は薬草売りだ! 恐怖なんかで飯は食えねえってことを、誰よりも知ってる!」

ジンが小刀を押し返し、咆哮する。

「俺が創るのは、泥水をすすってきた奴らが、腹いっぱい飯を食って、笑って明日を迎えられる国だ! 血筋だの身分だの、そんなくだらねえもんは全部ぶっ壊して、頑張った奴が一番報われる、バカみたいに明るい国を創ってやる!!」

それは、ジンが心の中に秘めていた、最も純粋で、最も泥臭い覇王の理想であった。

「……そうか。だが、熱意だけでは民は守れんぞ! 誰もが笑うためには、誰もが従う絶対的な法と秩序が必要なのだ!!」

メイカクが剣を弾き返し、ジンへと重い一撃を振り下ろす。

「わかってるよ!! だから俺は、あんたから教わった『正道』を、この頭に全部叩き込んだんだ!! 俺の創る国には、あんたの法が必要なんだよ!!」

ジンがその一撃を紙一重でかわし、メイカクの胸元へと肉薄する。

二人の刃が交差するたびに、互いの理想が激しくぶつかり合い、そして溶け合っていく。

ジンの持つ、泥から這い上がる圧倒的な生命力と熱気。

メイカクの持つ、誰もが等しく生きるための冷徹な法と秩序。

一見すれば相反するその二つの理想は、玉座の間での死闘を通して、一つの完璧な「天下の形」として完成しようとしていた。

(……ああ。やはり、貴公は本物だ)

激しく打ち合いながら、メイカクの胸の内に、深い安堵と満ち足りた思いが広がっていた。

自分が思い描いていた「正道の国」。それは、自分のような冷たい計算だけでは決して成り立たない。ジンという、民の心を熱狂で惹きつける太陽のような王の存在があって初めて、法は生きた秩序として機能するのだ。

自分が西国で彼に託したものは、決して無駄ではなかった。ジンはそれを完全に受け継ぎ、自分をも超える天下の器へと覚醒した。

ならば、己の役目はここで終わりだ。

この美しい天下の器に、最後の一滴として「主殺しの逆賊を討った」という完璧な大義名分を注ぎ込み、彼を真の覇王へと押し上げること。

それが、白銀の将メイカクがこの世に生きた、最後の証明となる。

「……ジン!! これが、私の最後の一撃だ!! 受け止めてみせよ!!」

メイカクは、残されたすべての力を両腕に込め、長剣を大きく上段へと振りかぶった。

それは、いかなる防御をも粉砕する、渾身の正道の唐竹割り。

「オッサン……!!」

ジンもまた、自らの魂のすべてを右手の小刀に込め、メイカクの懐へと低く、鋭く飛び込んでいった。

互いの命を刈り取る、交差の瞬間。

ジンは、メイカクの振り下ろす長剣の軌道を見極め、それを紙一重で躱しながら、メイカクの心臓へと小刀を突き立てようとした。

しかし、その瞬間。

メイカクの長剣が、不自然なほどにピタリと空中で静止した。

「え……?」

ジンが驚愕に目を見開いた時、メイカクは防御を完全に解き、両腕を大きく広げるようにして、自らの胸をジンの小刀へと無防備に晒していたのである。

そして、その顔には、これまでジンが一度も見たことのないような、憑き物が落ちたような穏やかで、誇り高く、そして最高に美しい笑顔が浮かんでいた。

「……ゆけ、我が覇王よ」

ズプッ……!!

鈍い音と共に、ジンの握りしめた小刀が、メイカクの白銀の胸当ての隙間を貫き、その心臓を深々と貫通した。

時間が、止まったかのようだった。

メイカクの口から、一筋の鮮血が流れ落ちる。

彼はジンの肩に力なく崩れかかりながら、その耳元で最後の言葉を囁いた。

「……見事だ、ジン。貴公の……勝ちだ……」

「な……なんで……」

ジンの声が、震えていた。

「なんで、手を抜いたんだよ、オッサン!! あんたの最後の剣、本気で振ってれば、相打ちに持ち込めたはずだろ!! なんで……なんで俺に、自分を殺させたんだ!!」

ジンは、血に染まったメイカクの体を抱きしめたまま、子供のように泣き叫んだ。

非情な覇王になる覚悟を決めたはずだった。しかし、自らに天下の理を教え、最後の最後まで自分を導いてくれた恩師の温かい血が手に触れた瞬間、ジンの心は激しく千切れた。

「……泣くな、天下人……」

メイカクは、薄れゆく意識の中で、血塗られた手でジンの泥だらけの頬に触れた。

「私が……自ら隙を作ったのではない……。お前が、私の剣を……上回ったのだ……。そういうことに……しておけ……」

メイカクは、満足げに微笑んだ。

「お前の……泥臭くも明るい国を……あの世で、ソウガ様と共に……見守って……いるぞ……」

その言葉を最後に、メイカクの腕から力が抜け、白銀の将はジンの腕の中で静かに息を引き取った。

二百年の秩序を背負い、黎州の正道を守るために修羅となった男の、あまりにも気高く、そして完璧な最期であった。

「……う、うわあああああああああああっ!!!」

玉座の間に、ジンの獣のような慟哭が響き渡った。

彼はメイカクの遺体を床に静かに横たえると、血に染まった両手で自らの顔を覆い、とめどなく溢れる涙を隠すことなく泣き崩れた。

天下を獲るということの重さ。誰かの命を、理想を背負って生きるということの恐ろしさ。

ジンは今、そのすべてを自らの魂に深く刻み込んでいた。

その時、背後の扉から、激しい足音と共にジンの仲間たちが駆け込んできた。

「親父!!」

ゴウ、ガク、レン、ハクヤ、リョウガ、そして車椅子に乗ったクロウ。

彼らは、玉座の間で倒れているメイカクの遺体と、その傍らで泣き崩れるジンの姿を見て、すべてを悟った。

城内での戦闘はすでに終結していた。メイカクの死により、残存していたメイカク軍の兵士たちはすべて武器を捨て、降伏したのである。

「……ジン殿」

クロウが、車椅子を進めてジンの背後に回った。

「悲しんでいる暇はありませぬ。貴公は今、魔王を討った逆賊を、自らの手で討ち果たしたのです。……それはすなわち、貴公がこの黎州の、そして天下の正当なる覇王となったことを意味します」

ガクが静かに歩み寄り、ジンの肩に手を置いた。

「親父。兵たちが待っている。我らの勝利を、そして新しい王の誕生を、天下に宣言してくれ」

ジンは、仲間たちの言葉に、ゆっくりと顔を上げた。

その目にはまだ涙の跡が残っていたが、瞳の奥に宿る光は、もはや薬草売りでも、単なる野犬でもなかった。

すべての血と涙を飲み込み、天下万民を背負って立つ、真の覇王の眼光であった。

ジンは立ち上がり、メイカクの胸に刺さっていた自らの小刀を引き抜いた。

そして、玉座の間のさらに奥、覇宮の最も高いバルコニーへと向かって歩き出した。

バルコニーに出ると、そこからは王都の街並みと、覇宮の広場を埋め尽くす数万の泥犬たち、そして降伏したメイカク軍の兵士たちの姿が一望できた。

空には、新時代の幕開けを告げるかのような、眩いばかりの朝陽が昇り始めていた。

ジンは、血に染まった小刀を、朝陽に向かって天高く突き上げた。

「俺が!! 黎州千人将、ジンだ!!」

その声は、覇宮の頂点から王都全土へと、地鳴りのように響き渡った。

「逆賊メイカクは、俺が討ち取った!! これでこの戦いは終わりだ! これからは俺が、この黎州のすべてを背負う!!」

広場を埋め尽くす数万の兵士たちから、一瞬の静寂の後、爆発的な歓声が巻き起こった。

「オオオオオオオオオォォォォォォッ!!」

「ジン様ァァァッ!! 万歳!!」

「我らが覇王!! 天下無双の泥犬バンザァァァイッ!!」

剣や槍が天に突き上げられ、兜が宙を舞う。

それは、最下層から這い上がってきた男が、ついに天下の頂点へと手をかけた瞬間であった。

ソウガが創り上げた強力な新興国、黎州。

メイカクの頭脳によって平定され、ジンが地盤を固めた広大な西国。

そして、今回の大返しによって完全にジンの手中に落ちた、灼熱の南国。

この三つの巨大な版図が、今、ジンという一人の男の御旗のもとに完全に統合されたのである。

ジンは、歓声に包まれながら、胸の中で静かに誓った。

(……見ててくれよ、親分。オッサン。俺が必ず、誰もが腹いっぱい飯を食って、笑って生きられる国を創ってやる。……天下の頂点からの景色、悪くねえぜ)

黎州の玉座を制し、ついに天下取りの最終章へと足を踏み入れたジン。

しかし、彼の覇道はまだ終わらない。

雪に閉ざされた北の果てには、もう一人の魔王の眷属、武の化身たるシュウスイが、氷を溶かすほどの怒りと共にその覚醒の時を待っていたのである。

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