第57話 砕け散る城門と、玉座の間の邂逅
黎州本都、覇宮。
二百年の歴史を誇り、かつては神聖なる天帝の権威を守る堅牢なる盾として、そして近年では魔王ソウガの恐怖政治を象徴する難攻不落の居城として君臨してきた巨大な城郭。その周囲を完全に包囲した数万の「泥犬」たちは、夜明けの光と共に、最後の総仕上げにかかろうとしていた。
すでに勝負の趨勢は、誰の目にも明らかであった。
「クロウ! 準備はできたか!」
本陣の最前線、泥にまみれた漆黒の馬に跨るジンが、背後を振り返って叫んだ。
「クックック……。とっくに完了しておりますよ、我が覇王」
車椅子に深く腰掛けた天才謀略家クロウが、不気味な笑みを浮かべながら杖を前方に向けた。
その杖の先が指し示すのは、覇宮の正門。分厚い鋼鉄の板を何重にも張り合わせ、太い大木で補強された、いかなる破城槌をも跳ね返すと謳われた絶対の扉であった。通常の攻城戦であれば、この門を突破するだけで数ヶ月の包囲と数千の犠牲を要する。メイカクが籠城の地として覇宮を選んだ最大の理由も、この強固な城門の存在があったからだ。
しかし、クロウが前線に並べさせたのは、通常の攻城兵器ではなかった。
それは昨日、メイカクの騎馬隊を粉砕したあの「大筒」をさらに巨大化させたもの。西国の鉱山で鹵獲したものをベースに、亡きシオンが生前に設計図を描き残し、クロウが炎州の砂漠で密かに組み上げさせた特製の攻城砲であった。
しかも、筒の中に詰められているのは、散弾ではない。大量の火薬と共に、先端を尖らせた巨大な鋼の杭が装填されていた。
「天下の名城の扉、紙切れのように吹き飛ばしてご覧に入れましょう。……放て!!」
クロウの冷酷な号令が下る。
ドゴォォォォォォォォォォォォンッ!!!
王都全体を震わせるほどの、規格外の爆発音が連続して轟いた。
巨大な大筒から撃ち出された数本の鋼の杭が、目にも留まらぬ音速で空気を引き裂き、覇宮の鋼鉄の正門へと一直線に突き刺さった。
その瞬間。
メキメキメキッ! ガシャァァァァァァンッ!!
「絶対」と謳われた覇宮の城門は、爆発的な運動エネルギーの直撃を受け、文字通り紙くずのようにへし折られ、粉々に吹き飛ばされた。
重厚な鋼鉄の破片と木っ端が城内へと散弾のように降り注ぎ、門の裏側で守りを固めていたメイカク軍の兵士たちを容赦なく吹き飛ばしていく。
「門が……覇宮の門が破られたぞォォッ!!」
「馬鹿な! たった一撃で……あんな化け物みたいな兵器、どうやって防げというのだ!!」
城壁の上からその惨状を見下ろしていたメイカク軍の兵士たちは、絶望の悲鳴を上げてその場にへたり込んだ。
完璧な計算で築き上げた籠城の前提が、ジンの持つ邪道の兵器によって、いとも容易く、そして圧倒的な暴力をもって破壊されたのである。
「へへッ、道は開いたぜ! 行くぞお前ら!!」
ジンが小刀を天に突き上げ、野獣のような咆哮を放った。
「「「オラァァァァァァッ!! 泥犬の牙、覇宮に突き立てろォォォッ!!」」」
数万の兵士たちが、口々に勝鬨を上げながら、砕け散った城門の跡から怒涛の勢いで覇宮の内部へと雪崩れ込んでいった。
三日三晩走り続けた疲労など、彼らの肉体にはもう存在しなかった。目の前にある天下の頂点、そしてジンという男が約束した一番高い景色。それだけが、彼らの魂を燃やし、限界を超えた修羅の力を引き出していた。
「突っ込め! 第一の防衛線を食い破れ!」
特攻隊長のゴウが、血のついた巨大な鉄砕棒を風車のように振り回し、立ち塞がる兵士たちを次々と宙に舞わせる。
「陣形を乱すな。城内の狭い通路では、密集陣形こそが最大の武器となる。一歩ずつ、確実に制圧しろ」
ガクが冷徹な声で十文字槍を振るい、歩兵たちを完璧に統率して城内の要所を次々と占拠していく。
「オラオラ! 白銀の鎧を着てる奴から順番に槍の錆にしてやるぜ!」
レンの真紅の甲冑が、炎のように城内を駆け巡り、敵の指揮官クラスを的確に討ち取っていく。
「北国の寒さに比べれば、貴様らの刃など止まっているも同然だ」
ハクヤが巨大な戦斧で、城門の残骸ごと敵兵を薙ぎ払う。
ジンの猛将たちが先頭に立ち、城内へとなだれ込む泥犬の群れ。
それに対するメイカク軍は、すでに総崩れとなっていた。
メイカクの直属部隊は確かに精鋭であり、主君殺しの罪を背負いながらも最後まで戦い抜く覚悟を決めていた。しかし、いかに彼らの覚悟が本物であろうと、圧倒的な兵力差と、それを上回るジンの軍勢の「狂気的な熱量」、そして未知の新兵器による戦意喪失の前に、彼らの敷いた防衛陣は次々と瓦解していったのである。
悲鳴と怒号が城内に響き渡り、美しい庭園や豪華な回廊が、容赦なく血と泥で汚されていく。
ジンの歩んだ邪道の戦法と、メイカクから学んだ正道の統率。その二つが完全に融合したジンの軍勢は、もはや黎州という枠を超え、天下無双の軍団へと変貌を遂げていた。
その頃。
城内の喧騒から遠く離れた、覇宮の最奥部に位置する玉座の間。
静寂に包まれたその広い部屋には、一人の男だけが立っていた。
白銀の将軍、メイカクである。
彼は、美しい彫刻が施された巨大な玉座の前に立っていた。
かつて魔王ソウガが座し、世界を恐怖で支配したその椅子。ソウガを討った後、メイカクがこの玉座に座ることは一度としてなかった。彼は自らを「執政」と呼び、常に玉座の下段に設えた質素な机で執務を行ってきたのだ。
その姿勢は、彼が王になろうとしたのではなく、あくまで白き王が遺した「法と秩序」を守るための管理者であろうとした、彼なりの高潔な矜持の表れであった。
メイカクの身を包む白銀の甲冑は、昨日の戦闘で血と煤にまみれ、美しい輝きは完全に失われていた。兜の角は折れ、肩の装甲には深い傷が刻まれている。しかし、その背筋は一本の鋼の槍のように真っ直ぐに伸び、一切の揺らぎを感じさせなかった。
「……メイカク様!」
部屋の扉が開き、血だらけになった副官が数名の兵士と共に駆け込んできた。
「城門が破られました! 敵の先陣はすでに中庭を制圧し、この玉座の間へと向かっております! 我らももう限界です、どうか、どうか裏門からお逃げください!」
副官が涙ながらに懇願するが、メイカクは静かに振り返り、彼らに向かって深く、慈愛に満ちた微笑みを向けた。
「お前たち、今までよく私についてきてくれた。……もう十分だ。これ以上、無益な血を流す必要はない。武器を捨て、城外へ逃げよ」
「そ、そんな! 我らはメイカク様と運命を共にすると誓ったのです! 最後までお供させてくだされ!」
「ならん!」
メイカクの一喝が、玉座の間に響いた。
「お前たちの命は、私の虚栄心を満たすためのものではない。生き延びて、この国の行く末を見届けよ。……ジンが創る新しい世は、私が夢見た法と計算の国よりも、よほど泥臭く、しかし力強く民を生かす国になるはずだ。お前たちの力は、その新しい国のために使え」
メイカクの揺るぎない言葉に、副官たちはその場に崩れ落ち、声を上げて泣き崩れた。
彼らはメイカクの前に深く平伏し、主君への最後の別れを告げると、重い足取りで部屋を去っていった。
再び、玉座の間に一人きりとなったメイカク。
城内から響いてくる殺声は、刻一刻とこの部屋に近づいてきていた。
メイカクは自らの長剣を抜き放ち、その刃についた血糊を、白い布で丁寧に拭い取った。
(……ジン。私は貴公に教え、そして貴公から多くを学んだ。この乱世を統べるには、安全な高台から理屈を並べるだけでは駄目なのだということを)
自らの器が天下に届かないことを悟りながらも、彼は逃げなかった。
なぜなら、彼がこの場に留まり、ジンと直接刃を交えることこそが、自らの信じた「正道」の最後の証明であり、そして何より、自らを超えていく愛弟子に対する、白銀の武将としての最大の餞になると信じていたからだ。
「……来い、野犬。私のすべてを、貴公のその牙で噛み砕いてみせよ」
メイカクは長剣を正眼に構え、深く静かな呼吸を繰り返しながら、開け放たれた玉座の間の扉をじっと見据えた。
そして。
バァァァァンッ!!
激しい音と共に、玉座の間の巨大な扉が外側から蹴り開けられた。
血と泥の臭いが、一気に静寂の空間へと流れ込んでくる。
扉の向こうに立っていたのは、息を弾ませ、全身を汗と泥で真っ黒に汚した一人の男。
ジンであった。
彼は右手に血まみれの小刀を握りしめ、肩で息をしながら、ゆっくりと玉座の間へと足を踏み入れた。その後方には、ガクやゴウといった仲間たちの姿は見えない。ジンは、この最後の決着を誰の邪魔も入れずに一人でつけるため、仲間たちを扉の外で待機させていたのである。
ジンの視線が、一直線にメイカクを捉えた。
「……オッサン」
ジンの低く、嗄れた声が響く。
「約束通り、最速で帰ってきたぜ。王都の城門、紙っぺらみたいにぶち破ってな」
ジンは小刀を下ろし、メイカクの顔をじっと見つめた。
その目には、いつものような人を食ったような野犬の笑みはなかった。そこにあるのは、互いに死線を越え、互いのすべてを知り尽くした男だけが向けることのできる、深い敬意と、そして隠しきれない哀愁であった。
メイカクは構えを崩さず、静かに口を開いた。
「見事な行軍、見事な兵法であった。まさか、あの西国で泥水をすすって命を乞うていた薬草売りが、たった数年でここまでの将に成長するとはな。……私は、貴公を誇りに思うぞ、ジン」
「……よしてくれよ」
ジンは顔をしかめ、乱暴に頭を掻いた。
「俺は、あんたに褒められたくてここまで走ってきたんじゃねえ。あんたの首を獲って、天下を獲るために帰ってきたんだ」
ジンは一歩、メイカクの方へと歩み寄った。
「なあ、オッサン。俺の兵法、あんたが教えてくれた『正道』と、俺が這い上がってきた『邪道』の組み合わせ、最高だっただろ? あんたの計算でも、俺たちのこの速度と力は防げなかったはずだ」
「……ああ。完全に私の負けだ。私の敷いた机上の空論など、貴公の持つ本物の熱気の前では、ただの燃えカスに過ぎなかった」
メイカクは一切の言い訳をせず、自らの敗北を認めた。
「だったら……!」
ジンは突然、絞り出すような声で叫んだ。
「だったら、もういいだろ! 降参しろ、オッサン! 剣を捨てて、俺の軍門に下れ!!」
その言葉は、玉座の間に重く響き渡った。
ジンの目は、本気であった。天下を獲るための非情さを身につけ、数万の命を背負う冷徹な覇王として覚醒した彼であっても、この男だけは殺したくなかったのだ。
西国で、絶望の淵にいた自分を信じ、この乱世を正しく導くためのすべての知識を託してくれた恩師。
メイカクの頭脳と行政能力があれば、ジンがこれから創る新しい国は、どれほど強固で豊かなものになるか計り知れない。
「俺は、ただ全部を壊して恐怖で縛るような、ソウガの親分みたいな真似はしねえ。俺が力でこの国を獲って、あんたがその頭脳で法律を敷く。それこそが、あんたの求めた『正道』の極致じゃねえのか! 俺には、あんたの右腕が必要なんだ!!」
ジンの必死の懇願。
それは、合理的であり、情に溢れ、そしてメイカクにとって最も心揺さぶられる提案であった。
ジンと共に生き、新しい世界を創る。それは間違いなく、メイカクが命を懸けて追い求めた理想の形そのものだった。
しかし。
メイカクは静かに目を閉じ、そして、ゆっくりと首を横に振った。
「……駄目なのだ、ジン。それは、許されない」
メイカクが目を開いた時、その瞳には、一切の未練も、生への執着もなかった。
あるのは、一つの時代を終わらせる者としての、悲壮で、しかし純粋なまでの覚悟だけであった。
「私は、ソウガ様を討った。私なりの正義であったとはいえ、主君に刃を向けた逆賊であることに変わりはない。……その逆賊が、新しい覇王の隣でぬけぬけと生き残り、法を語るなど、この国の民が、そして何より、貴公の後に続く武士たちが決して納得せんのだ」
メイカクの言葉は、残酷な真理であった。
天下を治めるためには、大義名分と筋を通さねばならない。主殺しの罪人を右腕として重用すれば、ジンの創る国は最初から「裏切りを許容する国」という致命的な瑕疵を抱えることになる。
「それに……」
メイカクは長剣の切っ先を、ジンへと真っ直ぐに向けた。
「私にも、二百年の歴史を背負ってきた名門の武士としての、そして貴公の師としての『意地』がある。私がここで尻尾を振って生き延びれば、私が貴公に教えた正道の重みは、すべて安っぽい綺麗事に成り下がる」
メイカクは、折れ曲がった白銀の兜の奥で、優しく、しかし決然と笑った。
「ジン。私が教えた『天下の理』の最後の授業だ。……真の王とは、自らの道を塞ぐすべての過去を、情に流されず、自らの手で切り捨てねばならない。恩師であろうと、友であろうと、だ」
ジンの顔が、苦痛に歪んだ。
彼はメイカクが何を言おうとしているのか、痛いほどに理解してしまったからだ。
「……オッサン。本気か」
「本気だ。私の首を獲り、この白銀の鎧を踏み越えていけ。それができぬような甘い器ならば、貴公に天下を統べる資格はない!!」
メイカクの裂帛の気合いが、玉座の間を震わせた。
彼は長剣を上段に構え、残されたすべての力を両足に込め、床を蹴った。
「おおおおおおおッ!!」
白銀の鎧が、凄まじい踏み込みと共にジンへと肉薄する。
その一撃には、もはや迷いも計算もなかった。ただ純粋に、自らの命を懸けてジンの覚悟を試すための、真の武人としての最後の一振りであった。
「……ああ、わかったよ。あんたの意地、俺が全部受け止めてやるッ!!」
ジンもまた、自らの甘さを完全に切り捨てた。
彼は右手に握りしめた血まみれの小刀を逆手に構え、野犬の如く低く身を沈めると、迫り来る白銀の剣閃に向かって、真正面から跳躍した。
ガキィィィィィンッ!!!
玉座の間の中心で、二つの刃が激しく交錯し、火花が散った。
泥から這い上がり、邪道を極めて覇王の扉を開いたジン。
正道を守り抜き、自らの死をもって新たな秩序の礎とならんとするメイカク。
天下の頂点たる玉座の前で、互いのすべてを懸けた大将同士の、真の最終決戦の火蓋が切って落とされたのである。




