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草売りから始まる覇道戦記  作者: 八咫 日本


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第56話 正邪の融合、そして白銀の孤独なる決意

激突の轟音。

土煙、鮮血、そして鉄のぶつかる音が、王都の空気を無残に引き裂く。

この戦いは序盤から、メイカクの完璧な「計算」を根底から裏切るものであった。

「押せ! 押せ! 泥犬どもの陣を突き崩せ!」

メイカクの副官が叫び、数千の白銀の騎馬部隊が、楔のような陣形を組んでジンの「鶴翼の陣」の中央へと突撃を繰り返していた。

騎馬の持つ圧倒的な質量と機動力。それに加え、彼らは十分に休息を取り、万全の装備を整えた精鋭である。対するジン軍は、三日三晩寝ずに炎州から走り続け、重い甲冑すら捨てた軽装の歩兵たち。

兵法に照らし合わせるまでもない。白銀の騎馬が一度突撃すれば、疲労困憊の歩兵の陣など、紙屑のように引き裂かれるはずであった。

しかし、現実の光景は違っていた。

「第一列、槍を斜め四十五度に固定! 馬の足元を狙え! 第二列、隙間から突き出せ! 一歩も下がるな!」

ガクの冷徹で機械的な号令が響く。

泥にまみれた兵士たちは、極度の疲労で白目を剥きかけながらも、その号令に一寸の狂いもなく反応し、分厚い槍の壁を形成していた。彼らの足は地面に深く根を張り、馬の激突という死の恐怖に対しても、誰一人として後ろを見せる者がいなかった。

ガキンッ! ドゴォォッ!

白銀の騎馬が槍衾に激突し、馬のいななきと共に次々とその進行を止められていく。突撃の勢いを殺された騎兵たちは、軽装ゆえの俊敏さを取り戻したジンの歩兵たちによって、馬から引きずり下ろされ、泥の中で首を掻き切られていった。

「な、なんだこれは……! なぜ奴らの陣は崩れん! 疲労で足が動かないはずだろうが!」

前線で戦うメイカクの武将たちが、驚愕の声を上げる。

覇宮の城門の前からその戦況を見つめていたメイカクもまた、兜の奥で歯を食いしばっていた。

「……これが、ジンが私から学んだ正道だというのか。いや、それだけではない。陣形は完璧な正道だが、それを動かしている兵士たちの精神が……狂っているのだ」

メイカクの目にははっきりと見えていた。

ジンの兵士たちは、兵法という理屈で動いているのではない。ジンという男に対する狂信的な熱狂と、「ここで勝てばすべてが手に入る」という極限の生存本能によって、肉体の限界を強制的に突破しているのだ。

ガクが築き上げた完璧な「正道」の陣形という器の中に、ジンが火をつけた「邪道」のマグマが注ぎ込まれている。

「オラァァァッ!! 白銀の綺麗なおぼっちゃまども! 泥の味を教えてやるよォォッ!」

ゴウが、巨大な鉄砕棒を振り回し、馬ごと騎兵を宙に吹き飛ばす。

「はっはっは! 王都の兵は動きが硬いな! 釜田の野犬の牙、とくと味わえ!」

レンが真紅の甲冑を翻し、十文字槍で白銀の鎧の隙間を的確に貫いていく。

「北の吹雪に比べれば、王都の風など生温い。沈め」

ハクヤが巨大な戦斧を振り下ろし、白銀の部隊を文字通り両断していく。

ジンの猛将たちが放つ圧倒的な個の武力が、ガクの緻密な陣形の随所にアクセントとして機能し、メイカク軍の攻撃を完全に跳ね返していた。

それどころか、両翼を広げた鶴翼の陣は、徐々にメイカクの精鋭部隊を包み込むように、じりじりと前進を始めていたのである。

「……見事だ、ジン。私が教えた兵法を、貴公自身の泥臭い熱気で完全に昇華させている。邪道と正道、二つの車輪がこれほどまでに美しく噛み合うとは」

メイカクは、敵ながらその指揮の鮮やかさに感嘆せざるを得なかった。

しかし、このまま押し潰されるわけにはいかない。

「弓隊、前へ! 敵の両翼に矢の雨を降らせろ! 陣形を乱したところを、再び騎馬で食い破るのだ!」

メイカクが長剣を振りかざし、新たな命令を下そうとした、その瞬間であった。

ジンの本陣の奥深く、車椅子に座ったクロウが、不気味な笑みを浮かべて片手を高く挙げた。

「クックック。白銀の将軍よ。我が主君の『正道』の陣形にばかり目を奪われていると……背後から首を噛みちぎられますぞ」

クロウが挙げた手を振り下ろした。

それを合図に、ジンの本陣の後方から、巨大な布で覆われていた数台の奇妙な荷車が前線へと押し出されてきた。

それは、通常の兵器ではない。西国を平定した際、山奥の鉱山を支配していた豪族から鹵獲し、天才軍師シオンが生前に密かに改良を加え、クロウがこの日のために炎州から大事に運ばせてきた「秘密兵器」であった。

黒光りする太い鉄の筒が、荷車の上に据え付けられている。

その筒の先が、密集するメイカク軍の騎馬隊のど真ん中へと向けられた。

「……なんだ、あれは? 大筒か? だが、あれほどの巨大な筒を放てば、筒そのものが破裂するはずだぞ!」

メイカクの武将がいぶかしむ中、ジンの兵士が火縄を大筒の導火線に押し当てた。

「放てェッ!!」

ジンの叫びと共に。

ドゴォォォォォォォォォォォンッ!!!

天地をひっくり返すような、凄まじい爆発音が王都の空気を引き裂いた。

それはただの砲弾ではない。シオンとクロウの悪魔の頭脳が編み出した「連装散弾」であった。巨大な筒の中から、火薬の爆発力によって無数の鋭い鉄片と鉛玉が、扇状に広がりながら音速で撃ち出されたのである。

「ぎゃあああああッ!!」

「馬が! 足がぁぁッ!!」

メイカク軍の陣形の中央で、地獄のような光景が展開された。

白銀の甲冑など紙切れ同然に貫き、無数の鉄片が騎兵たちをハチの巣に変えていく。馬は嘶きを上げて倒れ、兵士たちは血飛沫を上げて吹き飛ばされた。

たった一撃。その秘密兵器の一斉射撃だけで、メイカクが誇る精鋭部隊の前衛数百人が、一瞬にして挽肉と化してしまったのである。

「な……なんという威力だ……! これが、西国からの秘密兵器……!」

メイカクは、顔に飛び散ってきた味方の返り血を拭うことも忘れ、その絶望的な破壊力に戦慄した。

そこに追い討ちをかけるように、ジンの声が戦場に響き渡る。

「へへッ、どうだオッサン! ガクの敷いた正道の陣で足止めして、クロウの用意した邪道の兵器でどてっ腹に風穴を開ける! これが俺の考えた、正道と邪道の必殺コンボだ!!」

陣形という「正道」で敵を縛り、常識外れの兵器という「邪道」で敵を粉砕する。

それは、かつて薬草売りとして泥水の中で卑怯な手を使い生きてきたジンと、メイカクから学び取った天下の理を理解したジンが、自らの内側で完全に融合した結果であった。

「オラァァァッ!! 敵の陣が崩れたぞ! 中央突破だァァッ!」

ゴウの咆哮と共に、鶴翼の陣の中央から、血に飢えた泥犬たちが怒濤の勢いで突入を開始した。

秘密兵器の破壊力によって完全にパニックに陥ったメイカク軍に、もはやそれを押し返す力は残されていなかった。

「……メイカク様! これ以上の野戦は不可能です! 軍は完全に崩壊しました!!」

副官が、矢を肩に受けながら悲痛な声で叫ぶ。

「……っ!!」

メイカクは、唇から血が出るほど強く噛み締めた。

兵力差、疲労度、地形の利。すべての計算で自分が勝っていたはずの戦いが、ジンの持つ常識外れの戦術と、悪魔の兵器によって、わずか半刻でひっくり返されてしまった。

王都の市街地でこれ以上戦えば、民衆に多大な犠牲が出る。そして何より、この平地でジンの泥犬どもに囲まれれば、全滅は免れない。

「……退け」

メイカクは、血を吐き出すような声で命令を下した。

「全兵士、王都の市街地を捨てろ! すぐさま覇宮の内部へと撤退し、城門を固く閉ざすのだ!! 覇宮での籠城戦に持ち込む!!」

「は、ははっ!!」

メイカクの決断は早かった。

彼は自ら殿を務めながら、残存兵力を素早く覇宮の中へと撤退させていく。ジンの歩兵たちが猛然と追いすがってくるが、覇宮の巨大な堀と、強固な城壁から放たれる矢の雨によって、辛うじてその進撃を阻むことに成功した。

ギゴォォォォォォォン……ッ!!

覇宮の巨大な鉄の門が、重々しい音を立てて完全に閉ざされた。

外からは、ジンの軍勢の勝鬨と、城門を叩き壊そうとする地鳴りのような音が響き続けている。しかし、天下に名だたる覇宮の防衛力は伊達ではない。城壁の上から熱湯を落とし、矢を射掛けることで、ジンの泥犬部隊も一旦は城壁から距離を取らざるを得なかった。

覇宮の内部。

かつて魔王ソウガが座していた玉座の間。

そこに、血と煤にまみれた白銀の甲冑を鳴らしながら、メイカクが重い足取りで入ってきた。

彼に従う武将たちは皆、傷つき、疲労困憊し、ある者は床に崩れ落ち、ある者は壁に寄りかかって荒い息を吐いている。数千いた精鋭は、先ほどの激突で半数以下にまで激減してしまっていた。

メイカクは、主を失った玉座をじっと見上げた。

その表情には、もはや戦場での怒りも、計算を狂わされた焦燥もなかった。あるのは、すべてを悟りきったような、冷たく澄み切った静寂だけであった。

(……負けだ。私の完全な敗北だ)

メイカクは心の奥底で、誰に言うでもなく呟いた。

王都を捨て、覇宮に籠城した時点で、兵法における勝敗は決している。

ジンの軍勢は、王都の物資を奪い、休養を取ることで完全に体力を回復するだろう。さらに、東国のトクナガの脅威に対抗するために東の国境へ派遣した自分の主力部隊は、もはや覇宮を救援に駆けつけるだけの時間はない。

外部との連絡を絶たれ、孤立無援となったこの覇宮で、圧倒的な数の泥犬たちに包囲されているのだ。城壁がどれほど強固であろうと、いずれ門は破られ、この玉座の間はジンの血塗られた刃によって制圧される。

「……メイカク様」

傷ついた副官が、悲痛な顔で近づいてきた。

「城門の防衛は、数日は持ちこたえられます。しかし……それ以上は。いかがなさいますか。東の部隊が戻るまで、徹底抗戦を……」

メイカクは静かに首を横に振った。

「東の部隊は間に合わん。それに、ジンが数日も待つはずがない。あのクロウという悪魔の頭脳があれば、明日の朝には覇宮の城壁を越える策を打ち出してくるだろう」

「ならば……」

副官の言葉の先にあるものを、メイカクは痛いほど理解していた。

降伏である。今すぐ城門を開き、ジンに白旗を掲げれば、これ以上の兵士の犠牲は防げる。ジンは義に篤い男だ。逆賊である自分の首一つを差し出せば、部下たちの命は間違いなく助けてくれるだろう。

しかし、メイカクは自らの腰にある長剣の柄を、再び強く握りしめた。

「……私は、降伏はしない」

その声は静かであったが、玉座の間にいるすべての者の魂を震わせるほどの、圧倒的な意志の重さを持っていた。

「私の命が惜しいわけではない。ジンが、私を超える天下の器であることは、先ほどの戦いで嫌というほど思い知らされた。あの男ならば、ソウガ様が壊したこの世界に、新たな秩序を創り出すことができるだろう」

メイカクは、白銀の兜を脱ぎ、傷だらけの素顔を部下たちに向けた。

「だが、私がここで自ら門を開け、膝を屈してしまえば……私が守ろうとした『法と秩序』の誇りは、ただの怯懦な自己正当化に成り下がってしまう。私がソウガ様を討ったのは、自分の保身のためではない! この黎州に、真の正道を敷くためであったはずだ!!」

メイカクの目に、熱い涙が滲んだ。

自分は間違っていたのかもしれない。自分の器では、天下を統べることはできなかった。しかし、それでも自分の信じた正義の形を、泥犬たちにただ踏みにじられるままにしておくことだけは、白銀の将軍としての誇りが絶対に許さなかった。

「私は、最後の最後まで抗う。この命が尽きるその瞬間まで、白銀の甲冑の意地を見せつける! ジンよ、お前が本当に天下を統べる器であるならば、私のこの凝り固まった誇りを、お前自身の力で完全に粉砕してみせろ!!」

メイカクは玉座に背を向け、覇宮の出口へと向かって歩き出した。

その背中は、かつて体面ばかりを気にして逃げ回っていた筆頭家老の姿ではなかった。自らの死を完全に受け入れ、己の信じる正義の完結のために修羅となることを選んだ、真の武人の後ろ姿であった。

「お前たちは、無理につきあう必要はない。逃げたければ、裏門から落ち延びよ」

メイカクがそう言い残して部屋を出ようとした時。

「お待ちくだされ、メイカク様!!」

副官をはじめとする、傷ついた武将たちが一斉にその場に平伏した。

「我らは、メイカク様が敷かれた法と秩序の夢を信じました。共にソウガ様を討った大罪、今更逃げ隠れするつもりは毛頭ございませぬ!」

「我らも、最後の最後までメイカク様のお供を仕ります! 泥犬どもに、王都の武士の意地、見せつけてやりましょうぞ!!」

彼らの目にも、もはや迷いはなかった。

主殺しの罪悪感から解放され、純粋に自らの主君と共に死に場所を見つけた武士たちの、清々しいまでの決意がそこにあった。

「……馬鹿者どもめ」

メイカクは、その言葉とは裏腹に、深く、優しく微笑んだ。

覇宮の周囲には、すでにジンの数万の軍勢が完全に包囲の陣を敷き、明日の総攻撃に向けて恐るべき熱気を放っている。

天下の覇権を懸けた総力戦。

己の敗北を悟りながらも、最後まで誇り高く戦い抜くことを決意した白銀の将は、静かに死の準備を整えながら、運命の夜明けを待っていた。

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