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草売りから始まる覇道戦記  作者: 八咫 日本


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第52話 玉座の孤独と、狂気の大返しの幕開け

炎州の夜空に、突如として耳を劈くような轟音が鳴り響いた。

ドゴォォォォォォンッ!!

大地を激しく揺るがす爆発と、天高く舞い上がる真紅の火柱。それは、黎州の南国討伐軍が布陣していた最前線の陣地から放たれたものであった。

しかし、その爆発は敵陣に向かって放たれたものではない。黎州軍と対峙していた南国の諸侯連合軍の陣地の、ほんの目と鼻の先にある無人の荒野で、計算されたように派手に爆発を引き起こしたのである。

「な、何事だ! 黎州の泥犬どもが夜襲を仕掛けてきたのか!?」

南国連合軍の総大将は、寝所から跳ね起き、慌てふためいて陣幕の外へと飛び出した。

周囲の兵士たちも恐慌状態に陥り、右往左往している。先日来、ジンの用いる常軌を逸した火薬兵器によって一方的な蹂躙を受け続けていた彼らにとって、その轟音は死神の足音に他ならなかった。

「申し上げます! 黎州軍の陣営から、一人の使者が丸腰で参られました! 陣幕の直前で派手な爆発を起こしたのは、ただの『挨拶代わり』だと申しております!」

「あ、挨拶だと……? ふざけるな! 丸腰であろうと斬り捨てい!」

総大将が怒り狂って叫んだが、そこへ悠然とした足取りで陣幕に入ってきたのは、黎州軍の使者であった。彼は一切怯むことなく、総大将の前に一通の書状を差し出した。

「我が軍の軍師、クロウ様からの親書にございます。お読みいただければ、すべてが明白になるとのこと」

総大将は忌々しげに書状をひったくり、乱暴に封を切った。

しかし、その文面に目を走らせた瞬間、彼の顔から血の気が完全に引き、持っていた書状が小刻みに震え始めた。

そこには、クロウの流麗かつ冷酷な筆跡で、次のように記されていた。

『南国の諸侯に告ぐ。

王都にて、筆頭家老メイカクが血迷い、我が主君ソウガ様に謀反を企てた。しかし、御館様は健在であり、メイカクの反乱はすでに鎮圧の途上にある。

我ら南国討伐軍は、ソウガ様の命により、逆賊の残党を掃討するため一時的に兵を北へ向ける。

これは退却ではない。陣の配置転換である。

もし我らの背中を突き、追撃を試みる愚か者がおれば、ソウガ様は南国との一切の和睦を拒絶し、天帝を灰にしたあの紅蓮の炎をもって、貴公らの領地を赤子の一人に至るまで焼き尽くされるであろう。

先ほどの爆発は、我らの余った火薬のほんの一部に過ぎない。命が惜しくば、陣から一歩も動かず、首を洗って我らの帰還を待つがよい』

「ソ、ソウガが……あの魔王が、生きておるだと……!?」

総大将の歯の根が合わなくなった。

南国にも、王都でメイカクが反乱を起こしたという不確かな噂は流れてきていた。もし黎州が内乱で崩壊するのであれば、追撃してジンたちを壊滅させる絶好の好機である。

しかし、もしソウガが生きているのであれば話は全く別だ。あの神仏をも焼き払う魔王の逆鱗に触れれば、南国は文字通りこの世から消滅する。

「……追うな! 全軍、絶対に陣から動くではないぞ! 黎州の陣地に近づくことすらまかりならん!」

恐怖に完全に心を支配された総大将の悲鳴のような命令により、南国連合軍は追撃の意志を完全にへし折られた。

黎州の本陣で、その報告を受けたクロウは、暗がりの中で満足げに杖をついた。

「クックック……。愚かな連中だ。ソウガ様が討たれたという真実と、私が流した偽情報。人間は極限の恐怖に直面した時、最も恐ろしい情報の方を『真実』として選んでしまう生き物なのです。これで南国の連中は、我々が王都に辿り着くまで、一歩も動くことはできませぬ」

「相変わらず、吐き気がするほど悪どいやり方だぜ。さすがは双頭の悪魔の片割れだ」

ジンは、クロウの冷徹な盤面操作に感嘆の息を漏らした。

これで背後の憂いは完全に消え去った。

「親父」

そこへ、巨大な戦斧を背負い、軽装に身を固めたハクヤが歩み寄ってきた。彼はかつて北国を統べていた大将軍としての威厳を取り戻したかのような、鋭い眼光を放っていた。

「ハクヤ。お前の部隊も荷を捨てる準備はできたか?」

「ああ。だがその前に、一つ報告しておくことがある。……先ほど、私の腹心であった者を通じて、北国に潜む生き残りの同胞たちへ、秘密裏に早鳥を放った」

「北国へ? トウガやシュウスイがいる場所へか?」

ジンが眉をひそめる。

ハクヤは深く頷いた。

「北国は今、数百年に一度の猛吹雪に見舞われているはずだ。いかにシュウスイが鬼のような猛将であろうと、あの吹雪の中では軍を動かせない。……私は北国の者たちに命じた。春が来るまで、徹底的にゲリラ戦を仕掛け、雪崩を誘発し、街道の橋をすべて叩き落とせと。奴らの命を奪う必要はない。ただ、一歩でも南へ下らせないよう、雪の牢獄に閉じ込めておけと命じたのだ」

ジンは、ハクヤの顔をじっと見つめた。

かつての敵将でありながら、今やジンの覇道のために、自らの故郷の過酷な自然すらも武器として利用する。その徹底した献身に、ジンの胸が熱くなった。

「……ハクヤ。恩に着るぜ。お前のおかげで、北のバケモノどもの足止めは完璧だ」

「恩など不要だ、ジン。私は貴様に命を救われ、そして貴様が見る新しい天下の景色を共に見たくなっただけだ。……私はもう、北の将ではない。貴様の覇道を切り開く、一匹の泥犬に過ぎん」

ハクヤの力強い言葉に、ジンはニヤリと笑ってその肩を叩いた。

南の敵は恐怖で縛り、北の敵は雪と謀略で縛る。

残る最大の壁は、王都で玉座に座る白銀の統治者、ただ一人となった。

その頃。

黎州本都、覇宮。

謁見の間に置かれた執務机で、メイカクは絶え間なく運ばれてくる書類の山と格闘していた。

彼の顔には、新龍寺の焼け跡から帰還した時の高揚感はなく、深い疲労と、隠しきれない焦燥の色が濃く表れていた。

「……なぜだ。なぜ、ここまで法を整備し、減税の布告まで出しているというのに、東部からの税の徴収が滞っているのだ」

メイカクが苛立たしげに木簡を机に叩きつけると、報告に上がっていた文官が、怯えたように視線を彷徨わせながら答えた。

「も、申し訳ございませぬ。各地の領主や豪商たちが、どうにも及び腰でして……。『メイカク様が覇侯を名乗られたとはいえ、まだ天下の情勢は不透明である。南のジン将軍や、北のトウガ様が帰還された時、果たして王都がどうなるかわからない』と、様子見を決め込んでおるようで……」

「愚かな! ソウガ様の恐怖政治は終わったのだ! これからは法と秩序がこの国を守るというのに、なぜその道理がわからん!」

メイカクの怒鳴り声が広い部屋に虚しく響く。

彼は自らの行政能力に絶対の自信を持っていた。理にかなった法を敷き、民の負担を減らせば、必ず国は富み、誰もが自分に喜んで従うはずだと信じていた。

しかし、現実は彼の計算式通りには動いていなかった。

ソウガという絶対的な「暴力」と「恐怖」の土台があったからこそ、黎州の巨大なシステムは機能していたのだ。ソウガという重石が消えた今、人々はメイカクの法を重んじるどころか、それぞれの私欲と保身に走り、命令を巧妙に無視し始めていた。旧貴族たちは失われた特権の返還を厚かましく要求し、商人たちは物資を溜め込んでいる。

「秩序」とは、力による裏付けがなければ、単なる紙切れに過ぎないという残酷な真理が、メイカクの理想を徐々に浸食していた。

「……下がれ。私が直接、各領主への督促状を書く」

文官が逃げるように退室した後、メイカクは重い溜息をつき、部屋の隅に控えている護衛の武将たちに視線を向けた。

彼らは皆、メイカクが筆頭家老時代から目をかけ、西国の泥水の中でも共に戦い抜いた、信頼の厚い直属の部下たちである。新龍寺でソウガに刃を向けた時も、彼らは文句一つ言わずにメイカクに従ってくれた。

だが、今の彼らの態度は、どこかよそよそしく、冷え切っていた。

「……お前たち。城外の警備体制はどうなっている。ジンの軍勢が南から戻るまでにはまだ日取りがあるが、油断はするなよ」

メイカクが声をかけると、武将の一人が一歩進み出て、深く頭を下げた。

「はっ。主要な街道の封鎖と、防衛陣地の構築は滞りなく進んでおります。……ご安心を」

言葉は丁寧であった。しかし、その武将は決してメイカクの目を見ようとはしなかった。

他の者たちも同様である。彼らの視線は常に斜め下を向き、その顔には深い苦悩と、得体の知れない罪悪感が張り付いていた。

(……お前たちも、迷っているのか)

メイカクの胸に、冷たい氷のような孤独感が広がった。

彼らはメイカクの命令に従い、ソウガを討った。しかし、武人の魂の根底にある「主君殺し」という絶対的なタブーを犯した罪悪感は、夜ごと彼らの心を苛んでいた。

ソウガがどれほど狂っていようと、彼らは黎州の臣下であった。主の寝首を掻いて玉座を奪ったメイカクの行動を、理屈では正しいと理解していても、感情が、そして武士としての誇りが、それを許容しきれずにいたのである。

「私についてこい」と力強く導くべき覇侯としての求心力が、今のメイカクには決定的に欠けていた。

彼はジンではない。泥にまみれても笑い飛ばし、熱狂で人を惹きつけるあの野犬のような魅力は、高潔な白銀の将には持ち得ないものであった。

(……このままでは、内側から崩れる。ジンやシュウスイが戻る前に、私はこの覇宮の中で、見えない重圧に押し潰されてしまうかもしれない)

メイカクは、机の上に置かれた白銀の兜を見つめた。

自らが思い描いた「正道」の世を築くという理想。それは、これほどまでに重く、苦しく、孤独な道であったのか。

彼は玉座を見上げ、かつてそこで不敵に笑っていた魔王の幻影に、無言で問いかけるしかなかった。

その頃、南国・炎州の荒野において。

空が白み始め、夜明けの光が地平線を赤く染め上げる中、黎州・南国討伐軍の全軍が、完全に整列を終えていた。

数万の兵士たちの足元には、燃え尽きて黒い灰となった巨大な焚き火の跡が広がっている。重い甲冑、不要な天幕、余分な兵糧。行軍の速度を落とすありとあらゆるものが焼却され、遺棄されていた。

兵士たちの身なりは、正規軍というよりも、むしろ山賊や野盗の群れに近い。

最低限の胸当てと武器、そして水筒だけを身につけ、彼らの顔にはこれから始まる地獄の行軍に対する緊張と、それを上回る異様な高揚感が浮かんでいた。

軍の先頭に、漆黒の馬に跨ったジンが進み出た。

彼の傍らには、ガク、ゴウ、レン、ハクヤ、リョウガといった猛将たちが、それぞれの得物を手に闘志を漲らせて控えている。

ジンは、朝焼けの光を全身に浴びながら、背後に控える数万の兵士たちを見渡した。

「……荷物は全部捨てたな」

ジンの静かな声が、朝の冷たい空気に響き渡る。

「飯も、寝床も、昨日までの常識も、全部この砂漠に置いていく。俺たちがこれからやるのは、戦じゃねえ。ただの意地比べだ」

ジンは自らの小刀を抜き放ち、遥か北、王都のある方角を真っ直ぐに指し示した。

「メイカクのオッサンは、法と計算でこの世界を治めようとしてる。あのオッサンの頭脳なら、俺たちがここから王都まで戻るのに二十日はかかると計算してるはずだ。……だから、俺たちはその計算式を、気合と根性でぶっ壊す!」

兵士たちの間に、ゴクリと息を呑む音が広がる。

「たった三日だ。三日三晩、寝ずに走り続けろ! 足が千切れても、肺が破れても、前だけを見て突き進め! 王都の門を蹴破って、あの綺麗な白銀の鎧に、俺たち泥犬の足跡をべったりとつけてやるんだ!!」

ジンの言葉は、荒々しい熱の塊となって、数万の兵士たちの魂を直接打ち据えた。

もはや、彼らの中に恐怖や迷いはない。自分たちの親玉が、天下の常識をひっくり返すというのなら、それに命を懸けてついていく。それが、最底辺から這い上がってきた者たちの意地であった。

「オラァァァッ!! 俺たちが一番乗りだァァッ!!」

ゴウが鉄砕棒を天に突き上げ、雄叫びを上げる。

「軍規第一項、将の命は絶対。……全軍、限界を超えて進め」

ガクが竹竿を振り下ろす。

「天下の覇権、泥犬どもの脚力で見せてもらうぜ!」

レンが真紅の兜の緒を締め直す。

「行くぞ、野郎どもォォォッ!!」

ジンの裂帛の号令と共に、数万の軍勢が一斉に大地を蹴り上げた。

ズドドドドドドォォォォォンッ!!

それは、もはや行軍という生易しいものではなかった。

腹を空かせた巨大な獣の群れが、獲物を求めて荒野を爆走する、狂気の狂騒。

巻き起こる凄まじい砂塵が、朝焼けの太陽を覆い隠し、天地を揺るがす軍靴の響きが、炎州の果てまで轟き渡る。

天才謀略家クロウの計算と根回し、そしてジンという男の持つ爆発的な求心力。

それらが完全に融合し、物理法則すらも置き去りにする前代未聞の大移動が、ついに幕を開けたのである。

天下の情勢を根本から覆す、狂気の「神速の大返し」。

その泥にまみれた猛烈な足音は、玉座で孤独に震える白銀の統治者の背後へと、刻一刻と、恐るべき速度で迫りつつあった。

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