表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
草売りから始まる覇道戦記  作者: 八咫 日本


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

53/111

第48話 魔王の哄笑と、白銀が抱く正義の形

燃え盛る新龍寺の夜空は、狂気に満ちた真紅に染まり上がっていた。

数万という圧倒的な兵力で寺院を完全に包囲し、火を放ち、一網打尽にする。それは筆頭家老であり最高の内政官として黎州を支えてきたメイカクの頭脳が導き出した、いかなる変数も許容しない完璧な死の数式であったはずだった。

兵数の差は百倍以上。地形の優位、奇襲という状況、そして退路の完全な封鎖。兵法において、この状況から少数の軍勢が生き残る確率は文字通り皆無である。

だが、メイカクが直面していた現実は、彼の緻密な計算式を根底から粉砕する、理不尽極まりない暴力の顕現であった。

「オラァァァッ! 御館様の道を塞ぐなァッ!!」

炎の壁の中から飛び出してきたのは、全身に矢を浴び、血まみれになりながらも凄まじい咆哮を上げるソウガ直属の近衛兵たちであった。彼らは通常の兵士とは根本的に異なる存在であった。恐怖という感情を完全に切り捨て、ただ主君であるソウガの盾となり、刃となるためだけに鍛え上げられた修羅の集団。

彼らは自らの命を顧みることなく、メイカク軍の分厚い槍衾へと真正面から突撃していった。

「怯むな! 相手はごく少数だ! 陣形を崩さず、槍で突き殺せ!」

メイカク軍の部隊長たちが声を枯らして指揮を執るが、近衛兵たちの異常な戦意は、整然とした陣形を力ずくで食い破り始めた。槍に腹を貫かれながらも、その槍の柄を掴んで相手を引き寄せ、喉笛に噛みつく近衛兵。腕を切り落とされてもなお、残った腕で小太刀を振り回し、道連れに敵を斬り伏せる者。

その常軌を逸した決死の反撃に、規律正しく動いていたメイカクの兵士たちの間に、明確な動揺と恐怖が走り始めた。

しかし、真の絶望は、その修羅の群れの中心からやってきた。

「ハァァァァァッ!!」

鼓膜を破るような裂帛の気合いと共に、夜空を横薙ぎにする巨大な鋼の旋風が巻き起こった。

凄まじい風圧と質量を持ったその一撃は、重装備の歩兵十数人を、彼らが構えていた大盾ごと真っ二つに切断し、空の彼方へと吹き飛ばした。

血の雨が降り注ぐ中、紅蓮の炎を背にして悠然と歩みを進めてくる巨大な影。

黎州を統べる覇侯、ソウガである。

「どうした、メイカクの兵ども。貴様らの槍は、ずいぶんと軽く、そして怯えているな。そんな貧弱な刃で、この私の首に届くとでも思ったか!!」

ソウガは、身の丈ほどもある巨大な剣を、まるで枯れ枝でも振り回すかのように片手で軽々と振るい続けた。

一歩踏み出すごとに、大地が震え、メイカクの兵士たちが文字通り肉塊となって宙を舞う。彼の大剣は、ただ斬るという行為を超越していた。圧倒的な腕力と遠心力から生み出されるその斬撃は、触れるものすべてを物理的に粉砕し、血と臓物の道を作り出していく。

「ひ、ひぃぃぃッ! ば、化け物だ! 逃げろ!!」

「槍が……槍が通じない! 近づくなァッ!!」

完璧だったはずのメイカク軍の陣形が、ソウガというたった一人の「個の暴力」によって、みるみるうちに崩壊していく。

ソウガは、逃げ惑う兵士たちを背後から無慈悲に唐竹割りにし、あるいは横薙ぎに上半身を消し飛ばし、狂気に満ちた笑い声を上げながら、一直線にメイカクの本陣へと肉薄してきていた。

その姿は、人の形をした災害であり、この世のすべての秩序と理を破壊するために地獄から這い上がってきた、真の「魔王」そのものであった。

「……信じられん。これが、ソウガ様の実力だというのか……!」

本陣の丘の上からその惨状を見下ろしていたメイカクは、白銀の兜の奥で驚愕に目を剥いていた。

彼はこれまで、ソウガの戦いを後方からしか見たことがなかった。陣形や兵站、戦略といった盤上の計算でのみ戦を捉えていたメイカクにとって、ソウガの持つ個人の武威がこれほどまでに規格外であることは、完全に想定外であった。

「メイカク様! このままでは本陣が突破されます! いったん後退し、弓隊で一斉射撃を……!」

副官が悲鳴のような進言をするが、メイカクは白馬の手綱を強く引き、その場から一歩も動こうとはしなかった。

「退くな! ここで引けば、兵の士気は完全に崩壊し、烏合の衆と化す! 私が……私が直々に奴を討つ!!」

メイカクは長剣を抜き放ち、前線へと馬を駆けさせようとした。

しかし、それよりも早く、血の海を渡ってきたソウガが、メイカクの目と鼻の先、わずか数歩の距離にまで到達していた。

「――待ちくたびれたぞ、禿ネズミ」

ソウガが巨大な剣を肩に担ぎ、足を止めた。

彼の周囲には、数え切れないほどのメイカクの兵士たちの死体が山のように築かれており、彼自身の簡素な着物も、返り血でどす黒く染まりきっていた。しかし、その呼吸は微塵も乱れておらず、瞳にはただ純粋な闘争の悦びだけが爛々と輝いていた。

メイカクは馬上で長剣を正眼に構え、その切っ先をソウガの喉元へと向けた。

「ソウガ様……! なぜ、なぜあのような暴挙に出られたのです! 天帝様を殺め、神仏を焼き払い、民の心を恐怖で縛る。そのようなやり方で、真の天下が治まるとでもお思いですか!!」

メイカクの悲痛な叫びが、燃え盛る新龍寺の空気に震えを伝えた。

「私は貴方様を、この腐った乱世を終わらせる真の覇王と信じ、この身を捧げてきました! ですが、貴方様の行いは、もはや秩序の創造ではなく、単なる無軌道な破壊だ! 私は、私の信じる『正道』を守るため、貴方様をここで討ち果たします!!」

メイカクの放つ、悲壮なまでの正義の言葉。

しかし、それを聞いたソウガは、大きく口を開け、腹の底から愉快そうに笑い出した。

「フハハハハハハッ!! 正道だと!? 正義だと!?」

ソウガの笑い声は、周囲の炎の爆ぜる音さえも掻き消すほどに大きく、そして狂気を孕んでいた。

彼は笑い飛ばしながら、一歩、メイカクの方へと歩み寄った。その圧倒的な威圧感に、メイカクの乗る白馬が怯えていななき、後ずさる。

「メイカクよ。お前はまだ、そんな古臭い言葉遊びに囚われているのか。お前の言う『正義』とは一体何だ? 血筋か? 伝統か? 誰もが飢えずに眠れるという、甘ったるい幻想の法律か?」

ソウガは、剣の切っ先で足元に転がる兵士の死体を指し示した。

「よく見ろ。ここには生か、死か、その二つしか存在しない。私が信じる正義とは、力だ。古い建物を跡形もなく叩き壊し、すべての人間を己の力だけで立たせる。弱い者は死に、強い者が生き残る。それが、この世界の最も純粋で、最も美しい真理なのだ」

「それは……ただの獣の論理だ! 人は獣ではない! 法と秩序があってこそ、人は人として生きられるのだ!」

メイカクが吠える。

「ならば、その法とやらで、この私を縛ってみせろ!!」

ソウガの巨大な剣が、下段から跳ね上がるように振り抜かれた。

「くあっ!?」

メイカクは咄嗟に身を翻したが、その凶悪な剣閃は、彼が乗っていた白馬の首を一撃で切断した。

鮮血が噴き出す中、メイカクは馬から転げ落ち、泥だらけの地面を激しく転がった。白銀の甲冑が泥と血にまみれ、無惨に汚れていく。

メイカクが必死に立ち上がろうとする目前で、ソウガはゆっくりと剣を振り下ろした。

「メイカク。お前は確かに賢い。兵站を整え、国を豊かにする才覚は、この乱世において比類なきものだ。……だがな、お前には決定的に欠けているものがある。それは、すべてを飲み込み、すべてを破壊する『狂気』だ」

ソウガの冷たい眼光が、メイカクを物理的な重圧となって押し潰そうとする。

「お前は、自分の手を汚すことを恐れ、常に綺麗事で国を治めようとする。自ら泥水を啜ったジンから『正道』のなんたるかを学び、少しはマシになったかと思ったが……結局のところ、お前は己の引いた安全な枠の中から出られない、ただの内政官に過ぎん」

ソウガは背を向け、燃え盛る新龍寺の本堂の方へと歩き出した。

「お前は、この世界の天下を統べる器ではない。……お前の創る正道など、いずれ力ある者に簡単に踏み躙られ、再び乱世へと逆戻りするだけだ」

その宣告は、メイカクの魂の最も深い部分を容赦なく抉り取った。

自分の覚悟は、自分の背負った正義は、この男にとっては取るに足らない小賢しい計算に過ぎないというのか。

「では……誰が……! 誰がこの世界を統べると言うのですか!!」

泥にまみれたメイカクが、血を吐くような声で叫んだ。

ソウガは立ち止まり、炎の向こう側、彼方を見据えるようにして笑った。

「決まっている。……一つは、あの泥の中から這い上がり、邪道を極め、どんな絶望の淵からでも必ず生き残るという恐るべき生存本能を持った野犬。ジンだ」

ソウガの脳裏に、かつて自らの前で震えながらも不敵に笑っていた、あの元薬草売りの顔が浮かぶ。

「あいつの持つ、常識を破壊する邪道の力。そして、人の心を黄金や恐怖ではなく『熱』で惹きつけるあの異常な求心力。あれこそが、古い秩序を焼き払った後の世界を飲み込むための、強大な器だ」

そして、ソウガはもう一つの名を口にした。

「もう一つは、純粋なる武の極致。いかなる策も謀略も粉砕する、絶対的な暴力と、古き武人の矜持を兼ね備えた鬼。シュウスイだ。奴の槍が貫く力こそが、この混沌とした世界に新たな『強さの伝統』を打ち立てる楔となるだろう」

ソウガは再び歩き出し、火の粉が舞い散る本堂へと近づいていく。

すでに本堂は骨組みを残して焼け落ちようとしており、周囲は常人であれば立っていることすら不可能なほどの超高温に包まれていた。

「私は、古い世界を壊すためだけの『破壊者』だ。この寺院の炎と共に、私の役割はもうすぐ終わる。……だが、私が壊した後の世界で、ジンとシュウスイ、あの二人が天下を二分し、互いの牙を突き立て合う。その凄惨で美しい景色を想像するだけで、私の血は沸き立つのだ!!」

狂喜の哄笑を上げながら、ソウガは自らの近衛兵たちと共に、メイカクの兵士たちの包囲網を次々と斬り裂き、蹂躙していく。

彼にとって、ここは自らの死に場所ではなく、己が創り出した最高の遊技場に過ぎない。炎に包まれながらも、魔王の剣の冴えはますます凄みを増し、メイカクの軍勢は圧倒的な数の優位にありながら、完全に恐怖の底へと叩き落とされていた。

「ひ、退け! 悪鬼だ! あの男には勝てない!!」

兵士たちが我先にと逃げ出し始める。

(……ここで、逃がすわけにはいかない)

泥だらけの地面に這いつくばっていたメイカクは、折れかけた自らの心を、無理やりに奮い立たせた。

「天下の器ではない」と切り捨てられた屈辱。己の信じる正道が、単なる綺麗事だと嘲笑われた絶望。

だが、それでも彼は、王都で学んだ歴史の重みと、ジンから託された熱気を信じていた。

「……天下の器がどうであろうと、関係ない。私が、ここで貴方様の狂気を止めねば、黎州は、この世界は本当に地獄の底へと墜ちてしまう!!」

メイカクは、痛む体を鞭打って立ち上がった。

白銀の甲冑は黒く汚れ、兜の角は折れ曲がっていたが、彼の目には、かつてないほどの激しい憎悪と、そして決して揺るがぬ正義の炎が宿っていた。

「逃げる者は斬る!! 相手はたった一人だ! 恐怖に負けるな、我らには法と秩序がある!!」

メイカクは自らの長剣を天に掲げ、崩れかけていた軍の指揮を強引に立て直し始めた。

「弓隊、前へ! 炎ごと奴を射抜け! 盾隊、何人死のうとも歩みを止めるな! 奴の体力を削り切れ!!」

メイカクの悲壮なる決意の号令が、夜の境内に響き渡る。

彼は、自らが信じる「正道」を証明するため、そして、かつて愛した主君の魂を自らの手で地獄へと送るため、再び修羅の道へと足を踏み出したのである。

魔王の狂笑と、白銀の絶叫が交差する新龍寺。

黎州の運命を左右するこの夜は、まだ終わらない。炎はさらに高く天を焦がし、男たちの命を容赦なく焼き尽くそうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ