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草売りから始まる覇道戦記  作者: 八咫 日本


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第45話 白銀の決断と、反逆の刃が描く正道

東国との国境を越え、峻険な山道を抜けた先に広がる枯野に、メイカク率いる黎州の東国討伐軍は陣を敷いていた。

完璧に計算された陣形は、どこから敵が襲撃してこようとも即座に対応できる幾何学的な美しさを持っていた。しかし、その陣幕の中心に座する総大将の心の中は、かつてないほどの激しい嵐が吹き荒れていた。

「……申し上げます。東国の覇侯、トクナガ様より使者が参られました。単身、丸腰での面会を求めております」

陣幕の外から、護衛の兵が声をかけた。

メイカクは、手元に広げていた東国の地図からゆっくりと顔を上げた。彼の目の下には深い隈が刻まれていた。本都からもたらされた「天帝一族の根絶やし」という凶報を受け取って以来、彼は一睡もできていなかった。

「……通せ」

短く命じると、陣幕がめくられ、灰色の地味な着物を纏った中年の男が入ってきた。男は武器を持たず、しかしその目には酷薄な計算高さと、相手の心理を探ろうとする蛇のような狡猾さが宿っていた。

使者はメイカクの前で深く平伏し、口を開いた。

「お初にお目にかかります、黎州の誇る知将、メイカク殿。我が主君トクナガの命により、急ぎお伝えしたき儀があり、推参いたしました」

「要件を手短に言え。我が軍の兵站は、貴様のような舌先三寸の輩をもてなすために用意されたものではない」

メイカクの冷たい声に、使者は顔を上げ、大仰なほどに悲痛な表情を作ってみせた。

「……すでにご存知かと思われます。貴国を統べる覇侯ソウガ様が、王都にて引き起こされた未曾有の惨劇を。三大寺院の焼き討ち、罪なき旧貴族たちの虐殺。そしてあろうことか……二百年続く神聖なる天帝様の血脈を、赤子に至るまで根絶やしになされたという恐るべき凶行を」

使者の言葉が、メイカクの胸の最も柔らかい部分を無慈悲に抉る。わかってはいる。それは紛れもない事実であり、メイカク自身が今、最も心を痛め、絶望している事象であった。

「……ソウガ様は、もはや乱世を治める覇王などではありませぬ。世界の理そのものを破壊し尽くす、狂気に魅入られた魔王に成り果てられました。天帝様の血を絶てば、この世は神仏の加護を失い、永遠の地獄へと墜ちるでしょう」

使者はさらに身を乗り出し、声を潜めた。

「メイカク殿。貴方様は、王都の由緒正しき名家の出であり、経世済民の道理を誰よりも深く理解しておられる高潔な武人であると、我が主君トクナガは高く評価しております。……ゆえに、ご提案があるのです」

使者の目が、獲物を狙うように妖しく光った。

「我ら東国と手を結びませぬか。貴方様が軍を反転させ、ソウガを討つというのであれば、我が東国の全軍を挙げてその後背を支援いたしましょう。共にあの魔王を討ち果たし……白き王が残された『古き良きしきたり』を、由緒正しき貴族と武士の世を、もう一度この世界に復活させるのです」

使者の言葉は、一見すれば極めて真っ当な正義を掲げていた。

狂った暴君を討ち、失われた平和と秩序を取り戻す。それは、今のメイカクの心に最も甘く、そして最も響く毒であった。

メイカクは目を閉じ、深く息を吐いた。

陣幕の外では、冷たい秋の風が枯れ草を揺らす音が聞こえる。

彼の脳裏に、西国で共に泥をすすったジンやガク、ゴウたちの顔が浮かんだ。そして、彼らが命を懸けて切り拓いた、名もなき民たちが汗水流して働き、正当な報酬を得る新しい街の活気が蘇る。

(……古き良きしきたり、だと?)

メイカクは心の中で冷笑した。

使者が口にする「しきたり」とは、すなわち、血筋や家柄だけで民を支配し、無能な貴族たちが安全な場所から搾取し続けるだけの、腐りきった旧世界のことだ。

ソウガの全てを破壊するやり方は確かに狂っている。しかし、だからといって、あの腐敗した過去に逆行することなど、断じて許されるべきではない。ジンが示した、泥の中から這い上がる者たちの熱い生存本能を、再び冷たい身分の檻に閉じ込めることなどできないのだ。

東国の覇侯トクナガ。世間では温厚な名君とされているが、その本性は、他国同士を争わせて弱ったところを掠め取る「狸」である。彼らがソウガを討つと言い出したのも、天帝の死を大義名分とし、強大になりすぎた黎州を内側から崩壊させて天下を奪うための、卑劣な謀略に過ぎない。

メイカクはゆっくりと目を開き、使者を見下ろした。

「……その通りであるな」

メイカクの静かな同意の言葉に、使者の顔に歓喜の笑みが浮かんだ。

「おお! ご理解いただけましたか! ならば直ちに我が主君に……!」

使者が立ち上がろうとした、まさにその瞬間であった。

シュアンッ!!

澄み切った冷たい金属音が陣幕の中に響いた。

使者の歓喜に満ちた首が、胴体から切り離され、ドサリと床に転がった。

遅れて噴き出した鮮血が、メイカクの簡素な陣羽織と、広げられた地図を赤く染め上げる。

メイカクは、自らの腰から抜き放った長剣の血糊を、冷徹な所作で振り払った。

その顔には、怒りも、悲しみも、微塵も浮かんでいなかった。あるのは、ただ絶対的な零度の決意だけであった。

「勘違いをするな、東国の狸の使い魔よ」

メイカクは、転がった首に向かって静かに言い放った。

「ソウガ様が道を誤られたことは事実だ。あの御方が作り出すのは、血と恐怖だけの灰の国。……だが、それを正すのは、貴様らのような古き泥に塗れた亡者どもの役目ではない」

長剣を鞘に納め、メイカクは血に染まった手をじっと見つめた。

「これは、黎州の家臣として、そしてこの国に真の秩序を打ち立てんとする武人として……私一人が背負うべき、血塗られた落とし前なのだ。他国の野心に利用されることなど、私の矜持が許さん」

陣幕の奥へと歩を進めたメイカクは、部屋の隅に安置されていた巨大な黒塗りの鎧櫃の前に立った。

蓋を開けると、そこには先日までの戦で泥と炭にまみれ、綺麗に磨き直された「白銀の甲冑」が鈍い光を放って収められていた。

かつて、王都の筆頭家老として権勢を振るっていた頃、彼はこの鎧を自らの虚栄心と血筋の誇示のために纏っていた。汚れを嫌い、後方から安全に兵を動かすだけの、中身の伴わない見せ掛けの威厳。

しかし、西国の泥水の中で一度死に、ジンに救われたことで、彼はその鎧を脱ぎ捨てた。無駄な装飾を捨て、実戦用の黒い胴当てのみで戦うことで、彼は真の武人としての実力と、国を支える内政官としての魂を取り戻したのだ。

その白銀の鎧を、彼は今夜、再び身に纏おうとしている。

メイカクは鎧櫃の前に正座し、白銀の兜を両手で丁寧に持ち上げた。

兜の冷たい金属の感触が、彼の記憶の奥底にある、一つの光景を呼び覚ます。

それはまだ、黎州が周囲の小国と争っていた小規模な勢力に過ぎなかった頃のことだ。

若き日のソウガは、今のような漆黒の外套ではなく、荒々しくも美しい具足に身を包み、丘の上から自らの領地を見下ろしていた。その傍らには、若きメイカクが控えていた。

『メイカク。お前は、この終わりのない乱世をどう思う』

『……血に飢えた獣どもが、無益な縄張り争いを繰り返す、嘆かわしい世にございます。民は飢え、法は地に堕ちております』

ソウガは鼻で笑い、巨大な剣を地面に突き立てた。

『その通りだ。血筋だの、名誉だの、そんな古いしきたりがこの国を腐らせている。……私は、全てを壊す。そして、力ある者が正当に報われ、民が明日の飯を心配せずに眠れる、全く新しい国を創り上げる。……お前のその賢しい頭脳は、私が壊した後の更地に、新しい法を敷くために使え』

あの時のソウガの目は、確かに澄んでいた。

破壊の先にある、新しい秩序と民の安寧を本気で夢見る、真の覇王の光が宿っていたのだ。

メイカクは、その途方もない野望と、力強いカリスマに心底惚れ込んだ。この男の刃と共に歩めば、自分の学んできた経世済民の理想が、現実のものとなると信じたのだ。

「……ソウガ様。貴方様は、強大な力を得るにつれ、手段と目的を違えてしまわれた。破壊の快楽に溺れ、恐怖で全てを支配する魔王へと堕ちてしまった」

メイカクの目から、一筋の熱い涙がこぼれ落ち、白銀の兜の表面を滑り落ちた。

主君の狂気を止められなかったのは、家臣である自分の無力さゆえである。

西国でジンに「正道」の全てを記した書物を託した。ジンであれば、あの規格外の生存本能と、泥臭い人を惹きつける力で、いつかソウガを超えて正しい天下を創ってくれると信じていた。

しかし、状況は一変した。ソウガの狂気は、ジンが成長するのを待ってはくれない。天帝の血脈を絶ち、神仏を焼き払ったその狂刃は、明日にも黎州そのものを内部から崩壊させるだろう。

ジンは今、遥か南の炎州にいる。

シュウスイやゲントは、北の雪山にいる。

今、ソウガの喉首に届く位置に最も近い大軍を動かせるのは、東国への道半ばにある、自分しかいないのだ。

「……ジン。貴公に全てを託して逃げるような真似を、このメイカクがすると思ったか?」

メイカクは、涙を拭い、顔を上げた。

その表情から、迷いも、悲しみも、全ての感情が完全に削ぎ落とされた。残ったのは、狂った神を討つために自らも地獄へと堕ちる覚悟を決めた、冷徹なる修羅の顔であった。

「私は、ただの家老として終わるつもりはない。自らが刃となり、業を背負い、ソウガ様を討つ」

メイカクは立ち上がり、護衛の兵を呼んで、白銀の鎧を自らの体に装着させていった。

小手、佩楯、脛当。最後に、あの憎き虚栄心の象徴であった白銀の兜を深く被り、面頬めんぽおを下ろした。

そこに立っていたのは、かつての臆病な貴族ではない。二百年の歴史と正しき秩序を背負い、魔王に引導を渡すための絶対的な力を持つ、美しくも恐ろしい「反逆の将」であった。

「私が覇侯となり、貴公が示した熱気と共に、新しい天下の秩序を創り上げてみせる。……それが、私なりの『正道』だ」

メイカクは陣幕の外へと歩み出た。

外には、東国へ向かうために整列していた数万の黎州兵たちが、突如として白銀の鎧を纏って現れた大将の姿に、どよめきを上げていた。

メイカクは白馬に跨り、月明かりの下で長剣を天高く掲げた。

その声は、魔法のように兵士たちの心を支配する、完璧に計算された悲壮なる響きを持っていた。

「全軍、聞け!!」

夜の枯野に、メイカクの号令が響き渡る。

「王都は今、狂気に飲まれた! 我らが主君ソウガ様は、魔に魅入られ、由緒正しき天帝様の血脈を絶ち、民の心の拠り所である寺院を焼き尽くされた! このままでは、黎州は神の怒りに触れ、悪鬼の国として滅び去るであろう!」

兵士たちの間に、恐慌と混乱が広がる。しかし、メイカクはそれを圧倒的な意志の力で制圧した。

「我らは黎州の誇り高き兵である! 国を滅ぼす魔物を、決して許してはならん! 私が全責任を負う! 古き良き秩序を取り戻し、民に平穏な明日を与えるため……我らが為すべきことはただ一つ!」

メイカクは長剣の切っ先を、東国ではなく、自らの故郷である黎州本都、西の空へと向けた。

「全軍、反転!! 我らが討つべき真の敵は、東にあらず! 本都・覇宮に巣食う魔王、ソウガなり!!」

「「「おおおおおッ!!」」」

最初は戸惑っていた兵士たちも、白銀の将軍の放つ圧倒的な大義名分と狂気にも似た決意に当てられ、地鳴りのような咆哮で応えた。

無駄を極限まで削ぎ落とした完璧な行軍陣形が、一つの巨大な生き物のように、瞬く間にその向きを百八十度反転させた。

ここに、黎州を根底から揺るがす最大の謀反が勃発した。

筆頭家老メイカク。かつて泥の中で命を乞うた男は、今、自らの信じる正義と新しい秩序のため、かつて心底惚れ込んだ最強の魔王の命を奪うべく、破滅の行軍を開始したのである。

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