第43話 魔王の布石と、軍師の落陽
王都で繰り広げられた血の弾圧は、単なる魔王の気まぐれではなかった。
ソウガの統治下にある黎州の領地全土で、古き伝統や既得権益を持つ勢力に対する掃討作戦が、組織的かつ冷酷に展開されていた。これはソウガが黎州を掌握し、北国・西国という強大な版図を手に入れ、国家としての強固な基盤と莫大な国力を完全に確立したからこそ実行できた、緻密に練られた「新秩序への移行」の断行であった。
ソウガは幼い頃から、過去の栄光にしがみつく古き伝統を何よりも嫌悪していた。彼にとっての理想とは、血筋や権威に縛られず、純粋な「実力」と「結果」のみが価値を持つ世界である。今、彼はその理想を現実のものとするべく、旧世界を構成する腐った柱を一つずつ、力ずくで引き抜いていたのである。
その激動の最中、南国・炎州の戦線では、ジン率いる泥犬部隊が驚異的な速度で進撃を続けていた。
ジンは、リョウガの水軍と協力して河川を制圧し、さらにシオンが考案した「火薬と鉄片を詰め込んだ投石用の新兵器」を惜しみなく投入した。泥臭く、しかし破壊力は圧倒的なジンの邪道戦術の前に、南国の諸侯は陣形を整える間もなく崩壊していった。
「シオン! このペースなら、あと三日で南国の本城まで届くぞ!」
ジンがそう声を上げた時、天幕の奥からドサリと鈍い音が響いた。
駆け寄ると、そこには血を吐き、白磁のように青ざめた顔で倒れ伏すシオンの姿があった。
「……ゲホッ、ゴホッ……! ……ああ、ジン殿……。どうやら、私の時計は……ここで止まるようです」
シオンの瞳は濁り、すでに死の影が深く覆いかぶさっていた。
彼はクロウの手を取り、かすかな声で何かを耳打ちした。クロウは涙をこらえ、ただ深く頷いた。軍師として、謀略家として、互いの能力を認め合っていた二人だけの最後の対話であった。
シオンはジンを見上げ、枯れ木のような指でその袖を掴んだ。
「ジン殿……。貴公は……邪道を極めることで天下を手中に収めました。ですが……それだけでは……国は……崩れます。……邪道と正道……その両輪こそが……世界を治める……唯一の……」
最後まで言葉を紡ごうとしたシオンだったが、その瞳から力強い光がふっと消えた。
シオンの亡骸を前に、ジンは拳を握りしめ、言葉を失った。天才軍師の死は、ジンの覇道における最も痛い喪失であった。
同じ頃、北国の吹雪は猛威を振るっていた。
トウガ、シュウスイ、そしてゲントの軍勢は、猛吹雪によって視界を遮られ、一歩進むごとに体力を奪われる死闘を続けていた。しかし、彼らは決して歩みを止めない。トウガの溢れんばかりの覇気と、シュウスイの老練な槍術、そしてゲントの規律正しい行軍によって、彼らは着実に北国の心臓部へと道を切り拓いていた。
そして東国。
メイカクの軍勢は、順調に侵攻を続けていた。
そんな時、メイカクの元に「東国の使者が単身で面会を求めている」との報せが入った。
通されたその人物は、東国の覇侯・トクナガという男であった。質素な衣服に身を包み、いかにも温厚で誠実そうな笑みを浮かべていた。世間では「表向きは正道を歩む名君」と称される男である。
彼はメイカクと二人きりになると、急に悲痛な面持ちで語り始めた。
「メイカク殿。ソウガ様のなされていることは、あまりにも酷い。伝統を尊び、民の平穏を願うはずの武人が、なぜこれほどの惨劇を……。メイカク殿のような高潔な方が、なぜあのような暴君に仕えているのですか?」
トクナガの言葉は、メイカクの今の心境を鋭く突き刺すものだった。
しかし、メイカクは冷ややかな瞳でそれを一蹴した。
「……私は、そのような噂には興味がない。ソウガ様への忠誠は絶対だ。それ以外の言葉を吐くのであれば、今すぐその首を刎ねる」
メイカクは拒絶の姿勢を示したが、トクナガが去った後、彼は深い闇の中にいた。
トクナガの言葉は、メイカクが抱える葛藤そのものだった。ソウガの悪道を誰よりも案じながら、一方でトクナガという男の「裏の顔」――狸と呼ばれ、計算高い狡猾な本性――に気づくこともできず、ただ本当の正義とは何なのか、その答えのない問いにメイカクは独り、震えながら夜を過ごすしかなかった。




