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草売りから始まる覇道戦記  作者: 八咫 日本


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33/111

幕間 灼熱のオアシスと、泥犬たちの休息

炎州の王都『迦具土』。

かつての覇侯エンキが贅を尽くして造らせた豪奢な王宮は、現在ジン隊の巨大な休息所、もとい巨大なサウナと化していた。

「……あッつぃ……。死ぬ。干からびるぜ……」

大理石の冷たい床に大の字になって張り付き、舌を出しているのは海狗衆の頭目リョウガであった。海と川で生きる彼にとって、湿度が皆無で日差しだけが突き刺さるこの砂漠の気候は、文字通りの地獄である。

「だらしねえな海の男! オラァッ、暑い時は体を動かして汗をかくに限るぜ!」

上半身裸のゴウが、巨大な鉄砕棒をブンブンと振り回している。そのたびに生ぬるい熱風が巻き起こり、周囲の気温を無駄に上昇させていた。

「やめろ馬鹿野郎! てめえの汗の飛沫が飛んでくるだろうが! 塩漬けの干物にする気か!」

リョウガが抗議するが、ゴウは「筋トレだ!」と叫んで全く止める気配がない。

そんな騒がしい広間の隅、最も風通しの良い日陰に陣取っているのは、ジン隊が誇る『双頭の悪魔』こと、シオンとクロウであった。

彼らは一枚の木の板を挟んで向かい合い、真剣な表情で木彫りの駒を並べていた。黎州に古くから伝わる盤上遊戯である。

「……王手だ。私の騎馬が貴様の大将の横腹を突く」

クロウが杖の先で自らの駒を滑らせ、不気味に笑う。

しかし、シオンは毛布に包まったまま涼しい顔で、ゲホッと咳き込んだ。

「残念ですが、その騎馬は動きません。……三手前に、私が放った間者がその騎馬の餌に遅効性の毒を混ぜておきました。今頃、馬は泡を吹いて倒れているはずです」

「ほう。ならば、その間者の家族を私が人質に取り、解毒剤を渡すよう脅迫していたらどうだ?」

「ゲホッ、無駄ですね。その間者は天涯孤独の暗殺者を私が金で雇い入れたものです。人質など存在しません」

「……おい、お前ら」

麻の単衣をだらしなくはだけさせたジンが、冷たい水筒を傾けながらツッコミを入れた。

「盤上の駒を動かせよ。なんだその脳内陰謀ゲームは。ルールを完全に無視してんじゃねえか」

「ジン殿。戦争において、盤面にある駒だけが全てだと思ったら命を落としますよ。ゲホッ」

「そうだ。見えない敵をいかに作り出し、相手の胃に穴を開けるか。それがこの遊戯の醍醐味だろう」

病弱な天才と不自由な暗躍者が、木陰でドス黒いオーラを放ちながら盤外戦術を競い合っている。もはや何のゲームなのか誰にも分からない。

一方、広間の壁際では、ガクが一人、無表情で巨大な木簡の束に向かっていた。

彼は小刀を使って、木簡の表面に几帳面な四角い枠をいくつも削り出し、縦と横の『表』を作成している。

「……ガク。お前、こんなクソ暑いのに何やってんだ?」

ジンが覗き込むと、ガクは手を止めずに答えた。

「炎州王都の備蓄物資の棚卸しと、部隊の当番表の作成だ。縦の列に人員の名前、横の列に日付と時間を入れる。こうして升目を作って管理すれば、誰がいつ見張りをサボったか一目で分かる。……ゴウ、お前は明日の夜明け前、便所掃除の当番だ」

「はァ!? なんで特攻隊長の俺が便所掃除なんだよ! 嫌だぜ!」

「文句を言うな。俺がこの表に刻んだ予定は絶対だ。破れば飯抜きにする」

規則と管理の鬼であるガクの執念に、ゴウが「あの野郎、木簡を盾に俺を支配しようとしてやがる」と恨めしそうに呟いた。

「まあまあ。せっかく次の戦いまでの束の間の休息なんだ、ギスギスすんなって」

ジンはパンッと手を叩き、全員の注目を集めた。

「リョウガ、お前らに作らせてたアレ、もうできてるんだろ?」

リョウガが床からむくりと起き上がり、ニヤリとサメのような歯を見せた。

「ああ。王宮の中庭に、地下水脈から直接水を引く竹の管を繋いでおいたぜ。いつでもいける」

ジンたちが中庭へ出ると、そこにはエンキが観賞用に使っていた巨大な石造りの空池があった。

ジンが合図をすると、海狗衆の部隊が水門を開く。ドババババッ! という豪快な音と共に、地下から汲み上げられた冷たく透き通ったオアシスの水が、巨大な池にあっという間に満たされていった。

「うおおおおッ! 水だァァッ!!」

真っ先に飛び込んだのはリョウガだった。服を着たまま豪快にダイブし、干からびた魚が息を吹き返したように水面を跳ね回る。

「オラァッ! 俺も行くぜェッ!!」

ゴウが鉄砕棒を放り投げ、巨大な水しぶきを上げて池に飛び込んだ。その反動で、池の縁にいたガクの顔面に大量の水がかかる。

「……ゴウ。貴様」

ガクが顔から水を滴らせながら、静かに竹竿を構えた。

「ヒャハハハ! 怒るなよガク、お前も入れって!」

「ゲホッ、ゴホッ……野蛮ですね。冷たい水は肺に悪……ぶふぉッ!?」

池から離れた日陰で謎のゲームを続けていたシオンとクロウの頭上にも、ゴウがわざと蹴り上げた大量の水が降り注いだ。

「……ゴウ。貴様、私が雇った暗殺者の標的を自分に変更されたいようだな」

クロウがずぶ濡れになりながら、杖を握り締めて低い声で凄む。

「ゲホッ……ガク、今のゴウの行為は軍規違反です。彼を便所掃除ではなく、馬の糞の処理係に一ヶ月間配置転換しなさい」

「おいおい、お前らも暑かったんだろ? 大人しく水浴びしとけって!」

ジンもまた、笑いながら池の縁に腰掛け、冷たい水で顔を洗った。

熱気と砂埃にまみれた過酷な遠征の中で、この瞬間だけは、階級も陰謀も関係のない、ただの馬鹿騒ぎが繰り広げられていた。

「親父、冷えてるぞ」

ガクがどこからか持ってきた、水でキンキンに冷やした炎州特産の甘い果実をジンに放り投げる。

「サンキュー。……ああ、悪くねえな。こういうのも」

ジンは果実を齧りながら、騒ぐ部下たちを見渡して目を細めた。

王都ではメイカクが謀略の糸を張り巡らせているだろう。いずれ必ず、血で血を洗う決断の時が来る。

だが、今この瞬間だけは、灼熱の炎州の真ん中で、彼らは泥犬らしく、そして家族のように束の間の休息を貪るのだった。

「オラァッ! ジンも入れよ!!」

「うおっ、バカ! 俺は泳ぎは得意じゃ……ぶくぶくぶくッ!?」

ゴウに足を引っ張られ、ジンが派手に池に落ちる音が、王宮の青空に響き渡った。

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