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草売りから始まる覇道戦記  作者: 八咫 日本


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第22話 黒鉄の海賊と、忍び寄る分断の影

枯野平原における北州三万の殲滅劇は、凄まじい衝撃をもって黎州の本国へと伝わった。

「フッ……ハハハハハハッ!! 痛快! 実に痛快である!!」

黎州王都、ソウガの居城である天牙城てんがじょうの大広間。

玉座に深々と腰掛けた覇侯ソウガは、届けられた北州の総大将ゴウザの兜を足元に転がし、腹の底から笑い声を上げていた。

彼の傍らには、自らの背丈ほどもある巨大な大剣が立てかけられている。

「平野での重装騎馬に対する、正面からの完全殲滅! それも、我が黎州の正規軍を一切動かさず、ジンが率いる泥犬部隊単独での大戦果! ……メイカクよ、見たか! あの泥水啜りの草売りは、俺の期待を遥かに超える極上の化け物に育ちおったわ!」

ソウガの狂喜の叫びが広間に反響する。

その御前の最も低い位置で、白銀の甲冑を纏った筆頭家老メイカクは、微塵も表情を変えることなく深く平伏していた。

彼の心臓の奥底では、黎州の美しい秩序を破壊するジンと、それを手放しで賞賛するソウガに対するどす黒い殺意が煮えたぎっていた。しかし、長年の政治闘争を生き抜いてきたメイカクは、その感情を完璧な仮面の下に隠し通す術を知り尽くしている。

「……はっ。ソウガ様のご慧眼、誠に恐れ入ります。ジン千人将の武功は、黎州の歴史に燦然と輝く偉業にございましょう」

メイカクは静かに頭を上げ、扇子を膝の上に置いた。

「北州の脅威が去り、西国の経済はジンの手腕によって未曾有の繁栄を謳歌しております。しかし……ソウガ様。この強大無比な牙を、復興を終えた安全な西国に留め置いておくのは、いささか持ち腐れかと存じます」

「ほう。貴様ならどう使うと言うのだ」

ソウガが身を乗り出した。

メイカクは冷徹な文官の顔を作り、流れるように言葉を紡ぐ。

「ジン隊の兵站維持能力と、新たに手にしたという南の機械弓。この力を以てすれば、我が黎州が次なる標的とすべき南方の大国……『炎州えんしゅう』への侵攻の先鋒として、これ以上ない適任にございましょう。ジンとシュウスイ将軍の軍勢を西国から引き剥がし、南方の国境へと大遠征の命をお下しください。必ずや、ソウガ様の覇道をさらに切り拓く事でしょう」

「なるほど。西国の内政は他の文官に引き継がせ、奴らを休む間もなく次の死地へ向かわせるか。……面白い。奴らは泥にまみれて戦い続ける運命にあるのだ」

ソウガはメイカクの提案を、純粋な戦力拡大の布石として笑い飛ばし、承認した。

しかし、メイカクの真の狙いは全く別のところにあった。

黎州軍の最大戦力であるシュウスイと、最悪の異端戦力であるジンを、王都から遠く離れた南方の前線に長期間張り付けにする。そして、王都におけるソウガの周囲の護りを極限まで薄くし、孤立させる。

それこそが、やがて来るべき『反逆の刃』をソウガの喉元に届かせるための、最も重要かつ陰湿な分断工作であった。

その頃、西国の一夜城。

枯野平原の勝利の余韻に浸る間もなく、ジンは新たな問題に直面し、頭を抱えていた。

天幕の中には、南の密貿易商から買い入れた剛機弓が数丁置かれているが、その傍らにはへし折れた弦や、欠けた歯車が散乱している。

「……親父。剛機弓の威力を維持するためには、南から特殊な油と、強靭な獣の腱を大量かつ定期的に輸入し続ける必要がある。だが、ここ数日、南からの商船の到着がピタリと止まっている」

ガクが竹竿の先で壊れた歯車を突きながら、無表情に報告した。

「分かってる。問題は商人の都合じゃねえ。暴牙川の下流、海との合流地点を根城にしてる『海狗衆かいくしゅう』の連中だ」

ジンは渋い顔で、広げた地図の河口部分を指差した。

海狗衆とは、南の海から暴牙川へ入る船から莫大な通行料(関税)を巻き上げている、海の荒くれ者たちの集団である。彼らは無数の小回りの利く船を操り、水上での機動力と暴力で河口の物流を完全に牛耳っていた。

「ゲホッ……我々が剛機弓の大量購入を始めたことで、海狗衆は足元を見て通行料を三倍に跳ね上げてきました。商船がそれに耐えかねて、西国への航行を足踏みしている状態です」

毛布に包まったシオンが、白湯を啜りながら状況を補足する。

「なら、剛機弓で奴らの船ごと蜂の巣にしてやればいいだろうが! 俺の特攻を川の上でも見せてやるぜ!」

ゴウが鉄砕棒を振り回して息巻いたが、ジンは首を横に振った。

「馬鹿野郎。水の上じゃ、重い剛機弓を構える前に船を揺らされて沈められるのがオチだ。それに、あいつらは河口の地形と水流を知り尽くしてる。陸の戦法が海でそのまま通じるほど、乱世は甘くねえ」

ジンは立ち上がり、腰に小刀だけを差した。

「物資の補給線が握られてる状態は、メイカクのオッサンに喉元を掴まれてるのと同じくらい息苦しい。……俺が直接、海狗衆の頭目に会って話を付ける。ゴウ、お前は腕っぷしの立つ百人を連れて護衛につけ。ガク、留守を頼むぞ」

翌日、ジンと百人の泥犬部隊は、暴牙川を下り、海狗衆の根城である河口の巨大な入り江へと到着した。

そこには、無数の大小の船が所狭しと停泊し、海の男たちが粗野な笑い声を上げながら荷捌きを行っている。陸の陣地とは全く異なる、潮の香りと魚の腐臭、そして無秩序な熱気が立ち込めていた。

ジンたちが桟橋を歩いていくと、周囲の海賊たちが敵意を剥き出しにして道を開けた。

入り江の最も奥、巨大な廃船を改造した砦のような建物の前で、一人の男が胡座をかいて大酒を食らっていた。

「……てめえが、最近陸でデカい顔をしてる黎州の草売りか」

海狗衆の頭目、リョウガであった。

潮風で焼けた浅黒い肌に、サメの歯の首飾り。背中には、彼らが船上での斬り込みに使う巨大ななたを背負っている。海の掟と暴力だけで生きてきた男特有の、強烈な威圧感が周囲の空気を歪ませていた。

「初めましてだな、リョウガの旦那。最近、うちに出入りする商船から随分と高く税をふんだくってくれてるそうじゃねえか。おかげでこっちの懐が寒くて叶わねえよ」

ジンは怯むことなく、飄々とした態度でリョウガの前に立った。

リョウガは酒瓶をドンッと床に置き、獰猛な笑みを浮かべた。

「陸の軍隊が、海に口を出してんじゃねえ。ここは俺たちの庭だ。通行料が払えねえなら、南の商人から鉄のオモチャを買うのは諦めるんだな」

「そう冷たいこと言うなよ。俺は喧嘩をしに来たんじゃねえ。……商談をしに来たんだ」

ジンは背後に控えていたゴウに合図を送った。

ゴウが重々しい布袋をリョウガの前に放り投げる。袋の口が開くと、中から眩いばかりの金塊がこぼれ落ちた。

「俺の部隊が西国を立て直したおかげで、金なら唸るほどある。この金をやるから、通行料を元の額に戻してくれ、なんてケチなことは言わねえ」

ジンはリョウガの目を見据え、一字一句、はっきりと告げた。

「あんたらの海狗衆の船団ごと、俺の専属の『水軍』として雇ってやる。毎月の給料は、今の通行料で巻き上げてる額の倍だ。それに加えて、あんたらの船に、俺たちの持ってる『剛機弓』を積むための台座をつけて、最強の装甲船に改造する資金も俺が全額出してやる」

その破格の提案に、周囲の海賊たちがざわめいた。

通行料の倍の給料、さらに船の近代化。海の無法者たちにとって、それは垂涎の的となる条件であった。

しかし、リョウガは金塊を一瞥しただけで、鼻で笑った。

「ふん。いい度胸だ。金で海を買えると思ってやがる。……だがな、俺たちは陸の犬どもに首輪をつけられる気はねえ。誰の指図も受けず、自分たちの掟で海を支配する。それが海狗衆だ。その金袋を持って、とっとと陸へ帰りな」

交渉決裂。

リョウガが顎でしゃくると、周囲の海賊たちが一斉に鉈や銛を構え、ジンたち百人を完全に包囲した。

ゴウが即座に鉄砕棒を構え、百人の泥犬たちも武器を抜く。一触即発の空気が入り江を支配した。

「……やっぱり、海の男はプライドが高くて面倒だぜ」

ジンはため息をつき、頭を掻いた。

その時である。

「……ゲホッ、ゴホッ。プライドが高いのは結構ですが、状況が読めないのは致命的ですね」

ジンたちの背後、桟橋の入り口から、毛布に包まったシオンがゆっくりと歩み出てきた。

彼は海賊たちの殺気など全く意に介さず、冷たい笑みを浮かべている。

「なんだてめえは。病人が何の用だ」

リョウガが睨みつけると、シオンは海の方角を指差した。

「リョウガ殿。あなた方は河口の地形を熟知しているが、その『情報』の鮮度は何日前のものですか?」

「どういう意味だ?」

「ここ数日、暴牙川の上流から流れてくる水の量が、妙に減っているとは思いませんか。……ガク。仕掛けを見せてあげなさい」

シオンの合図と共に、入り江の周囲を取り囲む高い崖の上から、無数の松明の火が灯った。

そこにいたのは、いつの間に配置されたのか、剛機弓を構えた数千の泥犬部隊と黒角衆の戦士たちであった。

さらに、リョウガたちの目の前の河口の水位が、突如としてゴボゴボと音を立てて急激に下がり始めた。

「な、なんだ!? 潮が引く時間じゃねえぞ! 川の水が干上がっていく!」

海賊たちが恐慌をきたして叫ぶ。

「上流で、ガクに数日かけて巨大なせきを作らせ、川の水を完全にせき止めました。ゲホッ。……海狗衆の船団は、浅瀬の入り江に密集している。水が干上がれば、あなた方の船は泥の底に座礁し、ただの巨大な木の箱に変わる」

シオンの悪魔的な計略の全貌が明らかになった。

海戦が不利なら、海そのものを干上がらせて「陸」に変えてしまえばいい。

船が動けなくなった海賊たちを、崖の上から数千の剛機弓で一方的に狙い撃ちにする。それは枯野平原の殺戮を、この入り江で再現するための完全な包囲網であった。

「てめえら……! 初めからこれを狙って……!」

リョウガがギリッと歯を食いしばり、鉈を握る手に力を込めた。

「俺は最初から言ったぜ、リョウガの旦那。喧嘩じゃなくて、商談をしに来たってな」

ジンが冷たく、圧倒的な威圧感を放ってリョウガの前に歩み寄った。

「今ここで全員ハリネズミになって船ごと燃やされるか。それとも、俺の黄金を受け取って、黎州最強の水軍として海を支配するか。……選べ。俺の部隊に、使えねえ駒はいらねえんだよ」

武力と地形の完全な制圧。そして逃げ場のない二択。

山の黒角衆を屈服させた時と同じ、相手の急所を的確に握り潰すジンの生存論理であった。

リョウガは崖の上の剛機弓と、干上がって傾き始めた自らの船団を見比べ、やがて深く息を吐いて鉈を床に投げ捨てた。

「……てめえの腹の黒さは、海より深えな。分かったよ、草売り。今日から俺たち海狗衆の船は、てめえの言う通りに動かしてやる。その代わり、黄金と船の改造費用、一銭たりともケチるんじゃねえぞ」

「契約成立だ。シオン、上流の堰を切らせろ。水を戻してやれ」

ジンがニヤリと笑うと、シオンが合図の火矢を放ち、やがて再び豊かな水量が入り江を満たしていった。

こうして、ジンは西国の陸路だけでなく、南へ通じる強大な海路と水軍をも自らの手足として完全に掌握したのである。剛機弓の補給線は盤石となり、ジン隊の軍事力はもはや黎州の正規軍すら手に負えないほどの異形の怪物へと成長を遂げていた。

しかし、その夜。

一夜城に帰還したジンたちを待っていたのは、勝利の美酒ではなく、王都からやってきた一人の冷たい使者であった。

「ジン千人将。ならびに、西国総大将シュウスイ将軍」

メイカクの息のかかった文官が、ソウガの印が押された公式な軍令状を恭しく読み上げた。

「これまでの西国における武功、ソウガ様も大いに賞賛しておられます。よって、貴公らには休む間もなく次なる大任が下されました。

軍勢をまとめ、直ちに南方の大国『炎州』との国境地帯へ進軍せよ。炎州の勢力を削ぎ、領土を拡大することが、貴公らの次なる使命である」

その命令書を聞いた瞬間、シュウスイは激しく机を叩いた。

「ふざけるな! 西国の復興も道半ば、北州の残党処理も終わっていないのだぞ! 今この地を離れれば、せっかく安定した西国が再び乱れる! それに、南方の炎州は天然の要害に守られた大国。まともな準備もなく遠征すれば、兵が疲弊するだけだ!」

シュウスイの武将としての正当な抗議を、文官は冷笑で受け流した。

「これはソウガ様の絶対の御意向にございます。まさか、命令に逆らうおつもりですか? 西国の内政は、メイカク殿が後任の文官を派遣して引き継ぐ手はずとなっておりますゆえ、ご心配には及びませぬ」

シュウスイが言葉を詰まらせる中、シオンがジンの背後で静かに呟いた。

「……ゲホッ。見事な政治的工作です。我々を西国から引き剥がし、南方の最前線という底なし沼に沈める。そして、西国の豊かな経済と領土は、メイカク殿の息のかかった者たちがそっくりそのまま乗っ取る。……完璧な、戦力の剥奪と流刑ですね」

ジンは軍令状を無造作に受け取り、懐に突っ込んだ。

その顔には、怒りも焦りもなく、ただ不気味なほどの冷徹な笑みが張り付いていた。

「……いいだろう。南へ行けってんなら、行ってやるさ。ちょうど海狗衆を仲間にしたところだし、南の海沿いを進軍するには都合がいい」

「ジン! 貴様、メイカクの罠だと分かっていて乗るというのか!」

シュウスイが詰め寄るが、ジンは肩をすくめた。

「大将。ソウガ様の命令なら、逆らえば俺たちが反逆者になっちまう。それに、王都のオッサンがどんだけ政治で俺たちの首を絞めようが……俺たちが現場で勝ち続けりゃあ、連中の絵図面はいつか必ず破綻する」

ジンは王都の夜空を見つめた。

メイカクの毒が、ついに直接的な排除として動き始めた。王都はもはや、ソウガの威光すらメイカクの陰謀に利用される伏魔殿と化している。

(……やれるもんならやってみろよ、白銀のオッサン。俺たちを辺境に追いやって、王都で何を企んでるかは知らねえがな。てめえが反旗を翻すより早く、俺が南の国ごと喰い尽くして、王都に凱旋してやる)

泥犬たちの次なる戦場は、灼熱の南方、炎州。

だが、彼らが本当に対峙すべき真の敵は、背後の王都で静かに刃を研ぎ澄ませている、古き秩序の狂信者であった。

二百年の歴史が反転する落日の時は、刻一刻と、無慈悲に近づいていたのである。

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