幕間 白銀の休戦と、泥犬たちの雪上大決戦
西国と北国の国境を分かつ平原が、容赦のない猛吹雪によって完全に白銀の世界に閉ざされてから数週間。
旭州軍の巨大な前線陣地は、見渡す限りの分厚い雪に埋もれていた。
春の雪解けが訪れるまで軍を動かすことは物理的に不可能となり、両軍は否応なしに長い休戦期間へと突入した。死と隣り合わせの極限の緊張感から一時的に解放され、十分な兵糧と暖を取るための薪が支給されたとはいえ、血の気の多い旭州の猛将たちが、ただ大人しく天幕の中で火鉢に当たっているはずもなかった。
「オラァッ! 旭州特攻隊長、ゴウ様の渾身の一撃『鉄砕雪玉』を喰らいやがれェェッ!」
「遅え! そんな大振りな雪玉、止まって見えるぜ! 沙那の六文銭乱れ撃ち!」
陣地の中央に広がる雪原。そこでは、分厚い防寒着を着込んだゴウとレンが、子供のように無邪気な、しかし戦場と全く同じ殺気立った表情で雪合戦を繰り広げていた。
ゴウが豪腕から投げ放った砲弾のような雪玉が、外れた先にある空の陣幕を根元から吹き飛ばす。対するレンが放った六つの連射雪玉が、回避しようとしたゴウの顔面にクリーンヒットし、巨体を雪の中に沈めた。
「ええい、貴様ら! 陣中を無闇に駆け回るな! 備蓄している薪に雪がかかったではないか! 遊びであろうと軍規は絶対、連帯責任で腹筋二千回の刑に処すぞ!」
騒ぎを聞きつけ、顔を真っ赤にして怒鳴り込んできたのは、軍規を司るゲントである。
しかし、彼が長々とした説教を始めようとしたその瞬間、背後の死角から音もなく飛来した雪玉が、ゲントの生真面目な後頭部にパコンと綺麗な音を立てて命中した。
「……む。隙ありだ、ゲント」
雪玉を投げたのは、無口な将、ガクであった。
驚くべきことに、彼が立つ背後には、わずか小一時間で造り上げられた、無駄に完成度の高い巨大な『雪の金牙城』がそびえ立っていた。精巧な雪の堀があり、胸壁が築かれ、完璧な防衛線を構築している。
「雪合戦もまた戦場。正道の絶対防衛陣、雪上版だ。……攻めてこい」
「ガク、貴様ァッ! 私の背後を取るとは良い度胸だ! 遊びに陣形を持ち込むなと言いたいところだが、売られた喧嘩は軍法会議にかけてでも買うぞ! 第一小隊、盾を構えて前進! 奴の雪城を包囲殲滅しろ!」
普段は冷静沈着なゲントも、頭に冷たい雪をぶつけられたことで完全に理性の糸が切れ、自らの直属部隊を率いてガクの雪城へと突撃を開始してしまった。
「ヒャハハハ! ゲントのおっさんも混ざるのかよ! 面白え、三つ巴の乱戦だ!」
「雪の城ごと制圧してやるぜ!」
ゴウとレンも標的をガクの雪城に変え、陣地の中央は数千人の兵士を巻き込んだ、かつてない規模の大雪合戦へと発展していった。
その凄まじい喧騒を、少し離れた安全圏の天幕から、温かい茶を啜りながら見物している男がいた。
車椅子に座る悪魔の軍師、クロウである。
「クックック……。筋肉しか能のない獣どもは、雪を見るだけであそこまで知能が下がるのですね。滑稽なものです。戦とは、常に安全な盤外から支配するべきだというのに」
クロウは優雅に茶器を置き、懐から小さな笛を取り出した。
彼がそれを短く吹くと、雪城の壁面をよじ登ろうとしていたゴウの足元の雪が突如として陥没し、あらかじめ掘られていた深い落とし穴に真っ逆さまに転落した。
「うおわァァァッ!? なんだこの穴!」
「隙だらけですね、ゴウ殿。私が昨夜のうちに、工兵に命じて陣地のあちこちに雪のトラップを仕掛けておいたのです。疑心暗鬼に陥りながら雪を這いずり回るが良いでしょう」
クロウが車椅子の上で妖しく嗤った、まさにその時である。
「南の者たちは、雪の真の恐ろしさを知らぬようだな」
ズゥゥゥン……という地鳴りと共に、クロウの背後に巨大な影が落ちた。
振り返ると、そこには白狼の毛皮を纏った北国の将軍、ハクヤが立っていた。しかし、彼が両手で頭上に掲げているのは、愛用の巨大な戦斧ではない。
直径一メートルはあろうかという、カチカチに圧縮された巨大な『氷の塊』であった。
「な……ハクヤ殿? それは、雪玉という次元を超えて、ただの氷の質量兵器では……?」
クロウの青白い顔から、さらに血の気が引く。
「北国の雪合戦は、命懸けの武の鍛錬。このような軟弱な粉雪を投げて喜んでいるようでは、シュウスイ様には到底勝てんぞ。……悪魔の軍師殿。まずは貴殿に、北の流儀を教えてやろう」
「ま、待ちなさい! 私は軍師! 肉体労働は専門外……ぎゃあぁぁぁッ!!」
ハクヤが容赦なく投げ下ろした巨大な氷の雪玉に、クロウの車椅子ごと天幕が完全に押し潰され、軍師の情けない悲鳴が雪原に吸い込まれていった。
「ハッハッハ! クロウの野郎が潰されたぞ! やるじゃねえかハクヤのおっさん!」
落とし穴から這い上がってきたゴウが腹を抱えて大笑いする。
「油断するな、次は貴様らだ。北国の寒さに鍛えられた我が雪玉、とくと味わえ!」
ハクヤが次々と砲弾のような巨大氷塊を投げつけ、ゴウ、レン、ゲントが悲鳴を上げながら逃げ惑う。無敵を誇ったガクの雪城も、ハクヤの圧倒的な質量攻撃の前に次々と城壁を砕かれていく。
誰もが、この雪上決戦の勝者はハクヤに決まったと思った、その瞬間。
ハクヤの足元の雪が、突如としてボコッと不自然に膨れ上がった。
「なっ!?」
雪の中から飛び出してきたのは、全身を真っ白な雪と泥まみれにした旭州の覇王、ジンであった。
彼は雪のトンネルを素手で掘り進み、ハクヤの足元まで完全に気配を殺して潜行していたのである。
「もらったぜ、ハクヤ!」
ジンは、手の中に握りしめていた泥混じりのべちゃべちゃの雪を、ハクヤの顔面に思い切り叩きつけた。
「ぶふぁッ!? 目、目が……泥が……!」
「ヒャハハハ! 氷の塊なんざ、当たらなきゃ意味がねえんだよ! 雪合戦でも、泥水すすって這いずり回った奴が一番強えんだ!」
ジンは視界を奪われたハクヤを足払いで押し倒し、そのまま雪の上で馬乗りになって大笑いした。
「お、親父ィッ! あんた総大将なのに、雪の中をモグラみたいに掘って進んできたのか!」
「大人気ねえにも程があるぜ!」
ゴウとレンが呆れ返りながらも、腹を抱えて笑い転げる。
ガクも雪城の残骸から顔を出し、微かに口角を上げていた。雪の下から這い出してきたクロウも、頭に雪を乗せたまま「……やはり、ジン殿には理屈が通じませんな」と毒づきながら、どこか楽しげであった。
「いいかお前ら! どんな遊びでも、泥にまみれて生き残った奴の勝ちだ! 今日は全員、体が冷え切るまで雪合戦の訓練を続けるぞ! 終わったら、リョウガが南から運んできた深海魚と猪の肉で、陣の飯を全部ぶち込んだ熱々の闇鍋にしてやる!」
「「「おおおおおッ!!」」」
猛吹雪に閉ざされた旭州の前線陣地。
しかしそこには、過酷な冬の寒さを吹き飛ばすほどの、底抜けに明るい笑い声と、泥臭い生命力が満ち溢れていた。
春に待ち受けるシュウスイとの血みどろの最終決戦を前に、泥犬たちはつかの間の白銀の休息を、心の底から全力で楽しみ尽くしているのであった。




