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うっとりと目を細めて微笑むプルメリアの顔を、ビアンカは息を止めた。
「まさか、ほんとうに……ブランお兄様なの?」
声を震わせ問いかければ、プルメリアは手のかかる子どもを見つめるような視線をビアンカに向ける。
「そうだよアルル。久しぶりだね」
その穏やかな口調と笑みにビアンカは嫌というほどに見覚えがあった。
顔立ちはまったく変わっていないのに、仕草や雰囲気からプルメリアの魂が間違いなくブランだというのが伝わってくる。
プルメリアの手が、ビアンカの髪に触れ、愛しげに撫でてきた。
なんとかして身をよじり逃げようとするが、身体の自由はきかない。
「無駄だよ。まだしばらくは動けないはずだ」
「……どうして……何のために……」
「話をするために決まっているじゃないか。久しぶりの兄妹の再会だよ? もう少し喜んでくれてもいいんじゃないかな?」
「こんな強引に連れてきて、喜べるわけがありません」
言い返せばプルメリアはつまらなそうに唇を尖らせた。
「ずいぶんな物言いだね、アルル」
「……わたしはアルルじゃあありません。ビアンカです」
はっきりと言い返せばプルメリアは呆れたように首を振った。
「はぁ。頑固なところは昔と何も変わらないねアルル。そんなところもかわいいけれど、今は少し素直になった方がいい」
「何を……」
「自分の状況をもっと把握するべきだと言っているんだ」
部屋の空気がぐっと濃くなった気がした。
プルメリアがまとう空気は重く、反論を許さないとでも言いたげな威圧感がある。
(本当にブランお兄様なの?)
記憶の中にあるブランとは雰囲気が随分と違うように感じられた。
だが口調であったり表情であったり、何よりも魂が彼女がブランであると訴えている。
「どうして……」
どうしてビアンカを捕らえたのか、過去にいったい何が怒ったのか。聞きたいことは沢山あった。
何から聞くべきか、聞いたところで答えてくるかもどうかもわからない。
言葉を続けられずにいると、プルメリアがくすくすと肩を揺らした。
「聞きたいことが沢山あるって顔だね。本当に君は昔から隠しごとのできない素直な子だった……」
過去を懐かしむように微笑んだプルメリアが、ビアンカの肩をそっと撫でた。
その動きに嫌悪感が湧き上がり身体を押し返したくなるが、それすらも叶わないことが酷く歯がゆく感じる。
「アルルが知りたいことは何でも教えてあげたいけど、悩ましいわねぇ」
わざとらしく女性口調になったプルメリアは、ビアンカから離れると近くの椅子に腰掛けた。
上品な貴族令嬢にしか見えないその仕草に、今までのやりとりは全部が芝居で、彼女の中にブランがいるなんて嘘のように思えてしまう。
だが確かにビアンカを見る瞳には、どろりとした執着のようなものが宿っているのがわかった。
(初めてあった時に感じたのと同じ……じゃあ、あの時にはもう前世の記憶があったということ……?)
あの時に感じた嫌悪感のようなものは、本能だったのか知れないとさえ思えた。
「……いつから」
「ん?」
「いつから記憶が戻っていたのですか」
ビアンカの問いかけにプルメリアは一瞬動きを止めると、場にそぐわぬ明るい声で笑った。
「うふふ。そう。それが気になるのね」
何が楽しいのかくすくすとプルメリアは肩を揺らして笑った。
「子どもの頃、川で溺れたことがあったの。死ぬかと思ったわ。その時にね、思い出したの。この国の初代皇帝であった自分のことを」
そんなにも早くからとビアンカが驚愕に息を呑めば、その反応が好ましかったのかプルメリアは嬉しそうに微笑んだ。
「驚いたわ……まさか……この僕が作った国がこんなにも栄え歴史を刻んでいたなんてね。僕の判断は間違っていなかったということが証明されたわけだ」
プルメリアの仮面が剥がれ、再びその表情がブランのものにになる。
「記憶が戻った当初は色々と曖昧なことも多かったけど、月日が流れるにつれ僕は自分の記憶と意識を取り戻していった。そして十歳になる頃は僕は完全に僕になっていたというわけさ」
そんなにも前からブランとしての意識があったなんてとビアンカは息を呑む。
プルメリアは自分の髪をゆるゆると玩びながら、小首を傾げて見せた。
「まさか女の身体に生まれ変わるとは、運命とは本当に不思議なものだ……そのうえ、まさかテリウスの身内にになるなんて」
「っ……!」
やはりネロがテリウスであることにプルメリアは気がついていたのだとビアンカは息を呑む。
「ネロの中身がテリウスだとすぐにわかったよ。忌々しいまでに魂が似ていたからね。ネロの方はまったく僕には気がつかなかった。もしかしたら記憶を取り戻していなかったからかもね」
プルメリアは不愉快そうに口元を歪めた。
「あれほどまでに貴族を憎んでいた男の生まれ変わり先が王族だなんて皮肉にもほどがある。しかも王位に手が届く可能さえあった。そんなことが許されるはずもないのに。この国は僕が作った僕のための国だ。テリウスなどに渡せるわけがないじゃないか!」
握りしめた拳を椅子の肘掛けに何度も振り下ろすプルメリアの表情は恐ろしいものだった。
ビアンカは恐怖で顔をそらしたくなるのを必死でこらえる。
「だから壊してやろうと思ったんだ。あいつの幸せをね」
引き攣れた笑いをこぼすプルメリアの声にビアンカは動きを止めた。
壊した、という単語が何度も頭の中でこだまする。
まさかという思いともしかしてという想像が混ざり合う。
「……なにを、したの? あなた、ネロ様に何をしたの!」
問いかければプルメリアが嬉しそうに口の端をつり上げた。
「ネロには何もしていないよ。ただ僕はアランに囁いただけさ。君の弟が王位を狙っているぞ、ってね」
「……!!」
身体が動いていたらプルメリアに掴みかかかっていたかもしれない。
叫び出したくなるほどの怒りが身体の中で沸き上がる。
(ネロ様が、どれどほ苦しんだと……!)
アランに疎まれ、自ら城を出る決断をしたネロ。
それがどれほどに苦しいことだったか。
「ひどい!」
「そうかな? あいつはそこまで苦しんでなかったように見えたよ? むしろ嬉々として城を離れたように見えた。元々王位なんかに興味がなかったのかもと思ったくらいさ」
確かにネロは王位に興味などなかっただろう。
だが、慕っていた兄との間に確執が生まれ、貴族間にも無駄な派閥争いが生まれた。
本当なら家族と笑って暮らせていたはずの大切な時間をプルメリアは奪ったのだ。
「正直拍子抜けだったよ。だからもっと苦しめるために結婚してやろうかと思ったのに、あいつはそれを拒んだ。本当に思い通りにならなくて腹が立ったさ」
婚約の話すら、ネロを苦しめるためだったのか。
「でもまあ……あいつが王位に就かず孤独に死ぬならそれでもいいと思ったよ。誰とも結婚するつもりはないと公言していたからね。まあ……どんな形であれ幸せにならないように手を回し続けてやろうと思ってたけどさ」
どこまでも狡猾なプルメリアの思考に恐怖すら抱いていると、プルメリアがじっとりとした視線をビアンカに向けた。
「まさか今世でもまたお前を見つけるなんてね」
底の見えないほどの真っ暗な瞳に息が止まりそうになる。
全身が震え、息がうまくできない。
「ネロが結婚相手を隣国で見つけたと聞いた時は驚いたよ。どんな理由があってのことかと色々考えたけどなかなか理由がわからなくて困った。会えばわかると思ってまってたけど、城にさえ連れてこない。だからふと思ったんだ。あいつは、大切なものを今度こそ守るために隠しているんじゃないか、って」
そこまで口にしてプルメリアは短く息を吐いた。
「あいつがそこまで執着する女に僕は一人しか心当たりがない。そう、君だよ、アルル」
嬉しそうな声にぞわりと身体が震える。
「会いに行って確信したよ。見た目は変わってしまったけれど、魂はそのままだ。ああ、かわいいアルル。僕の天使。どうして僕は女なんかに生まれてしまったんだろうね。僕が男なら今世こそ君と添い遂げられたのに」
まるで舞台に上がった役者のような自分に酔いしれた口調だった。
「どうすれば君を手に入れられるか必死で考えたんだよ。あいつは前世のトラウマから君が他人と接触するのを極端に怖がっていただろう? 城どころか屋敷の外にすら出さない徹底ぶりで困ったよ」
嫌な予感にビアンカか顔をしかめれば、プルメリアはにこりと微笑む。
「で、思いついたんだ。ネロが君の妻になるなら、僕がアランと結婚すればいいって。そうすれば僕たちはある意味で姉妹だろう。そういう関係も悪くないかなって」
「まさか……それで婚約を!?」
「そうだよ」
そんなことのためにアランとの婚約を決めたなんと驚けば、プルメリアは小さく肩をすくめて見せた。
「でもさ、やっぱり満足できないなって気がついたんだ。ネロはきっと君を隠してしまうだろうって……だからさ、方法を変えることにしたんだ」
「方法を、変える……?」
「そう。君をアランの側妃にしてしまえばいいってね! そうすれば僕たちは今度こそずっと一緒だ! 安心して! アランは僕の言いなりだから、君に酷いことはしないよ。君はただ僕の隣で愛されていればいいんだ。今度こそ二人で幸せになろう、アルル」
「い、嫌よ!」
ビアンカは咄嗟に叫んでいた。
ブランの考えが欠片も理解できない。
「どうしてだいアルル。僕と幸せになろうよ。アランは次期国王だ。その側妃ともなれば贅沢な暮らしができるよ」
「ひ、必要ありません! 私をネロ様のところへ帰してください!」
ネロの名前を出した途端、プルメリアから笑みが消える。
「……かわいそうなアルル。前世でも今世でもあんな野蛮に囚われるなんて」
嘆かわしい、と呟くプルメリアにビアンカは我慢できずに声を上げた。
「ネロ様は野蛮な人ではないわ。テリウス様だって、優しい人だった……!」
確かに強引で困ったところはあった。
だが決してビアンカを苦しめたり傷つけたりすることはなかった。
こんな風に薬を使ってビアンカを浚ってくるようなことはしないと思う。たぶん。
「へぇ……今世でも随分とあいつにしつけられているんだね」
「だからっ……!」
「本当に憎たらしい。いっそまた壊してしまおうか」
「っ!」
勢いよく立ち上がったプルメリアが一気に距離を詰めてきてビアンカの顎を掴んだ。
長く伸ばした爪が頬に食い込む。
「あの時はちょっと失敗したけど今ならもう少しうまくやれそうなんだ。君の心を僕だけに染めて……それはきっと楽しいだろうね」
「離して……!い、痛い!」
痛みを訴えてもプルメリアの手は緩まない。
むしろどんどんと力が強くなっていく。
「前世の時だって途中まではうまくやっていたんだ。君はテリウスに憎まれ虐げられていて、クーデターから逃げ延びて僕のところに来たと信じきっていた。とても素直でかわいい僕だけのアルルに戻ってくれたんだ」
「あ……」
プルメリアの言葉が頭の奥底にある箱の蓋をこじ開ける。
薬により記憶を改ざんされ、ブランを信じブランだけが頼りだと心を許していた時は確かにあった。
「……なのに君は僕を拒んだ。全てが終わったら結婚しようと言ったのに、僕は兄でしかないって……だから壊したんだ!」
「つぅう!!」
ぶつりと肌が裂けた音が聞こえた。
プルメリアの爪が皮を裂いたのだろう。血の臭いが漂ってくる。
「なのにあの男は僕から君を奪った。許されない蛮行だった。君が元に戻らないと知るや否や、あいつは君を殺したんだ!!」
耳障りな声で叫ぶプルメリアの瞳には憎悪が宿っていた。
「何故だアルル! 君を殺したあんな野蛮な男を何故また選んだんだ!!」
「きゃあ!」
顎を掴んでいた手が離れたと同時にビアンカの身体はつき飛ばされ、床に転がる。
薬のせいでろくに受け身も取れず、無様に倒れ込んだ身体をプルメリアが見下ろしていた。
「本当に憎いよアルル。だがそれ以上に愛おしい」
痛みに苦しむビアンカを見つめるプルメリアの歪んだ表情に、血の気が引く。
壊れている。
ブランとは絶対にわかり合えないと直感する。
「アルル。話をしよう。これは僕が君に与えられる最後の慈悲だ」
「慈悲、ですって……?」
こんな酷いことをして何が慈悲なのかとのろのろと顔だけを上げれば、プルメリアの濁った瞳と視線がぶつかる。
「そう。慈悲だ。アルル……いや、ビアンカ。ネロとの婚約を破棄して、アランの側妃になりなさい」
「嫌だと言っているでしょう!」
「もし断れば、僕はあらゆる手を使ってネロを苦しめるよ」
ひゅっと喉が鳴った。
「さっきも言ったけれど、アランは僕の言いなりだ。ネロが城を開けている間に、かなりの数の貴族も掌握した。国王夫妻だって、娘になる僕を信じ切っている。僕が本気になれば、ネロから家族を奪って孤立させて人々から憎まれるように仕向けるなんて簡単さ」
心臓が嫌な音を立てて脈打っていた。
プルメリアの表情と口調には欠片も嘘が感じられない。
(ネロ様が、苦しむ?)
ビアンカを優しく見つめるネロの顔を思い出す。
あんなにも一途にビアンカを愛してくれたネロをプルメリアは陥れようとしているのだ。
「このことを周りに話しても無駄だよ。考えてごらんよ。君を手に入れるために僕がネロを陥れようとしてるなんて荒唐無稽な話を誰が信じるのさ」
にこにこと楽しげなプルメリアの表情に吐き気がする。
「ネロがこのことを知ればどうするかな? もしかしたら僕を殺そうとするかも? でももしそんなことしたら、ネロは裁かれるだろうね。君とも引き離されるに決まっている!」
「ひとでなし……!」
「なんとでも言うがいいさ! よく考えることだビアンカ。君が僕の元に来るなら、ネロには何もしないでおいてあげる」
浅い呼吸を繰り返していれば、プルメリアの手がビアンカの髪を優しく撫でた。
その瞬間、再びむせかえるような甘い匂いが漂ってくる。
「今すぐ返事をしなくてもいいよ。別れを惜しむ時間も欲しいだろう? 待ってるよ」
甘やかすような優しい言葉に悔し涙が滲む。
なければきっとプルメリアを喜ばすとわかっていても、こらえきれなかった。
なんて卑怯で狡猾でおぞましい人間なのだろうか。
「ふふ、綺麗な涙。私はもう行くわねビアンカ様。きっと、すぐにお迎えが来るわ」
淑女の口調に戻ったプルメリアはそう言うとビアンカから身体を離し、軽やかな足取りで部屋を出て行く。
何か言いたかったのに、急に瞼が重くなりビアンカはそのまま再び意識を失った。





