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二曲ほど続けて踊りダンスの輪から離れると、周囲からわっと拍手が聞こえてきた。
「とても素晴らしいですわ」
「お綺麗でした。まるで絵画を見ているようです」
一気に人々から褒め称えられる。
その勢いに一瞬だけたじろぎかけるが、ネロの妻としてしっかりしなければとビアンカは背筋を伸ばす。
「ありがとうございます。皆様にそう言っていただけて嬉しいです。不慣れなことも多いかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」
「まあ」
「なんて謙虚なの」
「ネロ殿下は素晴らしい婚約者を迎えられたようだ」
どうやら好感を得ることができたらしい。
ほっとしながらネロを見れば、得意げに胸を反らしていた。
「俺のビアンカは素晴らしい女性なんだ。皆、よくしてやってほしい。ああ、でもくれぐれも不埒な思いは寄せぬように」
また!と思わず注意しようとした瞬間、誰かが手を叩く音が聞こえた。
周囲の注意が一斉にそちらに向く。
ビアンカもつられて目を向ければ、会場の奥に作られた壇上に国王夫妻が立っているのが見えた。
「皆、今日は王妃の快気祝いに集まってくれて感謝する。どうかこれからも我が国を支えていってくれ」
高らかな声に皆が拍手で答えると、国王は満足げに頷いた。
「今日は喜ばしい報告が二つある。第二皇子であるネロと、隣国から来たビアンカ嬢の婚約だ。二人を心から祝福しよう。そして」
国王が自分の後方へと顔を向けた。
「あ……」
後ろから現れたのは仲睦まじく寄り添う、アランとプリメリアだった。
アランは真っ白な正装に身を包んでいて、まるでネロとは正反対だ。
そしてプルメリアは淡い桃色のドレスに身を包んでおり、息を呑むほどに美しい。
「第一皇子アランと、プルメリアの婚約についても正式な物となったことを発表させてもらおう。国の未来を担う息子たちが、運命の伴侶を決めた素晴らしい日に皆で乾杯しようではないか」
集まっている人たちが歓声を上げた。
皆、国王の言葉を受けてネロたちの婚約を祝ってくれているのだろう。
だがビアンカの視線は壇上に立つ二人から離せないでいた。
国王の横で微笑むアランの表情は穏やかなもので、あの日、ビアンカを汚そうとした人間と同一人物とは思えない。
(あなたは本当にブランお兄様ではないの?)
ネロが言うように誰かが彼を操っているのならば、それはいったい誰なのだろう。
それとなくアランの周囲に注意を向けているが、彼にぴったりとくっついてるのはプルメリアくらいのものだ。彼女もまたにこにこと上品な笑みを浮かべ、皆に手を振っている。
見た目だけならば完璧な組み合わせだろう。
まるでビアンカだけが悪い夢を覚えているような気分だ。
「ビアンカ、顔色が悪い。具合が悪いならばもう下がろうか?」
「ネロ様……」
「もう挨拶は済んだし、ダンスも踊った。これ以上ここいる理由はない」
気遣わしげなネロの言葉にビアンカは頷きそうになった。
しかしネロは第二皇子だし、今しがた国王から婚約が発表されたばかり。
ここで急に帰れば何を言われる分からない。
「大丈夫です。少し人に酔ったのかも」
「ならばあちらで少し休もう」
優しいネロの言葉に頷き、ビアンカは会場の隅にある休憩のための椅子に腰を下ろした。
わずかにカーテンが掛かった場所と言うこともあり、会場の明るさと騒がしさが少しだけ和らぐ。
同じように休んでいるご令嬢や貴婦人もおり、身体から自然と力が抜ける。
「冷たい物を持ってこよう。ここで待っていてくれ」
「はい」
周囲には護衛の騎士もおり、一人にしても大丈夫だと判断したのだろう。
ネロはビアンカの側を離れて会場の方へ歩いて行った。
(ふう……)
椅子にもたれるように腰掛け深く息を吐きだす。
なんだか酷く身体が重い。
(久しぶりに踊ったかしら)
アルルの身代わりだとしてもネロと踊れたあの時間はとても楽しかった。
叶うならずっとああしていたいと思うほどに。
そんな感傷にビアンカが浸っていると、隣の椅子に腰掛けていた上品な装いをした貴婦人が声をかけてきた。
「顔色が随分と悪いようですが大丈夫ですか?」
心配そうな声にビアンカは笑顔で応える。
「ええ、少し人に酔ったようで」
「まあ大変。でもこれだけ人がいるとわかりますわ。私も同じなの」
ふふと微笑む貴婦人の優しげな笑みに心が和らぐ。
さりげなく人を気遣える振る舞いに、こんな風に年を取れたらと感じた。
「もし喉が渇いているようならこちらを差し上げるわ。間違って二つになってしまったの」
貴婦人が指し示したのは、ビアンカと貴婦人の椅子の間にある小さなテーブルだ。
その上には半分ほど中身が減ったグラスと、誰も手を付けていない風のグラスが二つ並んでいる。
中身は透明で、底には赤い果実が沈んでいた。
「果実水よ。すっきりしておいしいわよ」
貴婦人は半分ほど減った方のグラスを手に取り、美味しそうに飲み始める。
(ネロ様がもう戻ってくるとはおもうけれど……断るのも失礼よね)
自分を気づかって声をかけてくれた貴婦人の気遣いを無下にする気になれず、ビアンカはグラスに手を伸ばした。
「お言葉に甘えていただきますね」
グラスに口を付け、ほんの少しだけ中身を口に含んだ。
貴婦人の言葉通りさっぱりとした味が口の中に広がり、喉を通って身体の中にしみこんでいく。
「美味しいでしょう? 全部のんでもいいよの」
「いえ、ひとくち、だけ、で……」
(え?)
急に唇がうまく動かなくなり、返事がまともにできなったことに、ビアンカは戸惑う。
グラスを持っていた手からも力が抜け、身体ぐらりと傾いだ。
(落ちる!)
身体とグラスが床にたたきつけられるかと思った瞬間、誰かが身体を支えた。
落ちて砕けるかと思ったグラスも、その直前で貴婦人の手により受け止められたのがはっきりと見えた。
(何? なんなの?)
叫びたいのに声が出ない。
それどころか指の一本どころか瞬きをすることすら敵わない。
目の前でグラスをテーブルにそっと置いた貴婦人が、酷く申し訳なさそうな視線をビアンカに向けた。
「ごめんなさいね。驚いたでしょう? でも大丈夫。薬はすぐに切れるわ。さ、目を閉じて」
ひんやりとした貴婦人の手がビアンカの額を撫で、瞼を強制的に閉じさせた。
真っ暗になった世界で、ビアンカは自分の身体が誰かに持ち上げられるのを感じた。
(私、薬を盛られた!?)
ようやく頭が状況を理解するも、薬の影響なのか意識ははっきりしてるのに身体がまったく言うことをきかない。
何か布のような物を被せられているのに、唇から漏れるのはひゅうひゅうという呼吸音だけだ。
身体がどこかに運ばれていくことだけが無情にも伝わってくる。
パーティ会場の音がどんどんと遠ざかっていく。
(ネロ様!!)
聞こえるはずがないと分かっていても、ビアンカは必死に心の中でネロを呼び続けた。
どれほど時間が経っただろうか。
とうとうビアンカを運んでいるであろう人物以外の足音が聞こえなくなった。
周囲の空気が酷く冷たく感じ、何かに包まれているというのにとても寒い。
扉が開く音が聞こえ、周りの空気が暖かいものに変わる。
「お連れしました」
聞き覚えのない男の声が聞こえ、同時に何か柔らかいものの上に降ろされた。
身体を包んでいたものが取り払われ、肌に直接空気を感じる。
同時に酷く甘い匂いが鼻腔を刺した。
「はぁつ……!」
その瞬間、それまで動かなかったのが嘘のように身体に力が入る。
閉じられていた目を見開き、身体を起こす。
「うっ」
急に動いたせいで背中や腕がきしむように痛んだ。
軽いめまいに襲われながら周囲をうかがう。
火の入った暖炉以外に光源がなくよく見えないが、とても広い部屋だということだけが分かった。
「大丈夫、ビアンカ?」
「えっ?」
聞き覚えのある声が聞こえ、ビアンカははじかれたように顔を上げた。
少し離れた窓際に誰かが立ってるのがわかった。
薄暗さに目が慣れてきたおかげで、その人物は、ほっそりとした身体をゆったりと壁にもたれかけて、ビアンカに優美な笑みを向けているのが見えてくる。
「……プルメリア様……?」
信じられない気持ちで名前を呼ば、プルメリアはうっとりと目を細め、薄く形のよい唇で弧を描く。
「前にも言ったではありませんか、プルルと呼んでくださいませ。私とビアンカの仲ではないですか」
甘ったるい口調にぞわりと肌が粟立つ。
なぜここにプルメリアがいるのだろうか。
どうしてさらわれてきたビアンカに驚かないのだろうか。
(まさか、またアラン殿下の指示!?)
ぞっとして周りを見回してみるも、部屋の中には他に誰もない。
ビアンカをここに運んできたはずの男さえ見当たらない。
「ああ、安心して。ここにアラン様はいないわ。私とあなただけよ、ビアンカ」
プルメリアがゆっくりと近づいてきて、ビアンカを見下ろす。
まだ完全に身体の機能が回復していないせいで、逃げ出すことができず、ビアンカはただ呆然とプルメリアを見上げた。
「ふふ。いい顔。あなたって本当にかわいい」
くすくすと楽しげにらうプリメリアの仕草に、誰かが重なった気がした。
「見た目は随分と変わったけれど、やっぱり瞳は同じだ。気高くて美しい光りを称えている……ああ、本当に愛しいよ」
何故彼女がこんなことをしたのか理解できない。
否。理解したくないと魂が訴えているような気がする。
「なん、で」
「おや、まだわからないの? それともわからないふり?」
「意味が、わかりません」
せめてもの抵抗にわずかに身を引くが、プルメリアがぐっと顔を近づけてきた。
むせるような甘い匂いに息が苦しくなる。
「その怯えた顔……たまらないね。お前の泣き顔が僕は一番好きだったんだよ、アルル」
「なっ……!」
何故、と大きく目を見開けばプルメリアがぞっとするような笑みを浮かべる。
その笑みがアルルの最後の記憶と重なった。
「ブランお兄様」
唇がためらいなく勝手に動いた。
自分が口にしたのに、ビアンカはその言葉を理解することができなかった。
唖然とするビアンカを見つめるプルメリアの笑みが深くなる。
「そう呼ばれるのは本当に久しぶりだ。ああ、僕のかわいいアルル。ようやく僕のところに戻ってきたね」





