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「ああ、ようやく会えたわ」
そう言って微笑んだ女性は、ネロによく似ていた。
彼と同じ美しい黒髪。整った顔立ち。違うのは、朝霧がたちこめた朝の空のような不思議な色合
いをした瞳くらいのものだ。
(この方が、ネロ様のお母様)
はしたないとはわかっていたが、ついその姿に見入ってしまう。
降ろされた長い髪はつややかだし、肌はまるで真珠のように光り輝いている。服は寝間着だしベ
ッドで上半身を起こしている姿だというのに、近くにいるだけで妙にこちらの背筋が伸びてしま
うほどの神々しさだ。
さすがは一国の王妃というところだろうかと感心していると、彼女は申し訳なさそうに眉を下げ
た。
「ごめんなさいね。こんな形でご挨拶することになって」
「とんでもない。私の方こそ、なかなかご挨拶にうかがえず申し訳ございません」
ビアンカは慌てて頭を下げる。
「いいのよ。どうせその子が無理を言ってあなたを囲い込んでいたのでしょう?」
悪戯っぽい笑みを浮かべて王妃が指さしたのは、ビアンカの横に立つネロだ。
母親に指を指されて不本意なのか、少しだけ眉間に皺が寄ってくる。
「まるで俺が悪いみたいな言い方ですね、母上」
「あら。あなたが悪いのよ。こんなかわいいお嬢さんを隣国からさらってきたあげく、わたした
ちにも会わせずさっさと婚約して。ビアンカさんの身にもなってごらんなさい。きっとこれまで
いたたまれなかったはずよ」
ネロの言葉に倍以上の勢いで言い返した王妃のよどみない口調に、ビアンカは思わず拍手をした
くなった。
やはりさすがは王妃、さすがはネロの母というところなのかもしれない。
城に来て早々アランに押しかけられるという騒動に巻き込まれたものの、ビアンカはようやくネ
ロの母である王妃との面会を許されていた。
王妃が病で倒れたのは嘘ではなかったが、その病状は心配するほど重いものではなかったらしい
。
季節の変わり目に軽い風邪を引いたせいで数日起き上がれなかったが、今はほとんど回復してい
るそうだ。
ネロは「大袈裟なんだ」と言っていたが、その表情には安堵の色が滲んでいるのをビアンカは見
逃さなかった。
「でもビアンカさんに会えたのだから倒れた甲斐があったのかしら」
「ええ?」
とんでもないことをさらりと言われビアンカが戸惑えば、隣にいるネロが尖った声を上げた。
「母上。ビアンカを困らせないでください」
「あらあらごめんなさいね。そんなつもりじゃなかったのよ。会えて嬉しいってことだからね」
そう言って小首を傾げるところまでネロと似ていて、ビアンカはつい笑ってしまう。
「王妃様がお元気そうでよかったです。私もお会いできて嬉しいです」
本来ならば、婚約する前に挨拶すべきだったのに、大事なことを全て飛ばして婚約者に収まって
しまった罪悪感が今さらにこみあげる。
元凶はネロとはいえ、従ってしまった自分にも責がある。
「あの……このような形でお伝えするのは不躾だとは思うのですが、私はネロ様の婚約者として
精一杯努めて参りたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします」
本来ならばもっと正式な場で伝えるべき言葉なのだろうが、初めて顔を合わせたこのときに伝え
ておかなければとビアンカは深く腰を折った。
「ビアンカ!」
ネロがどこか慌てたように名前を呼んだが、ビアンカはやめなかった。
しんと部屋の中が一瞬だけしずまりかえる。
「……顔を上げてちょうだい、ビアンカさん」
王妃の静かな声に促され上を向けば、王妃がネロと同じ綺麗な笑みを浮かべていた。
「お願いするのはこちらの方よ。ネロを受け入れてくれて本当にありがとう」
「王妃様……」
「この子は、幼い頃からいつもここは自分の居場所じゃないという顔をしていたの。何をしてあ
げてもあまり喜ばないし、興味も持たないし……そのくせ、仕事はがむしゃらで結婚する気もな
いと公言してはばからないし」
当時のことを思い出しているのか、王妃はふうと短く息を吐いた。
「他人に興味を持たないのこの子が、将来どうなるのかずっと心配だったの。でも、あなたに出
会ってこの子は変わったみたい」
ふふっと笑う王妃が愛しげに目を細めネロを見上げた。
「婚約者を見つけたと手紙を寄越してきたときには、とても驚いたわ。何かの間違いかと思った
もの。そのうえ婚約者には会わせないだなんて。あなたは一国の王子なんだからそんな我が侭が
通ると本気でおもっていたの?」
「実際、認めてくれたではありませんか」
「あなたが認めないと国を出て行くと脅してきたからでしょう。まったく我が子ながらどうして
そう極端なのかしら」
「えっ!」
何それ聞いてないとネロを見ればさっと視線をそらされてしまった。
まさか自分との婚約がそんな脅しで成立したとは知らなかった。
「ああ、勘違いしないでねビアンカさん。あなたは身元も確かだし、何よりネロが選んだ女性だ
から、脅されなくても婚約は認めるつもりだったのよ」
「王妃様……」
「ただ、手順と作法を間違えているこの子に少しだけ怒っているだけよ。この子はいつもそう。
親の気持ちなんて考えないの。そのくせ、選択はいつも間違えない。本当に憎らしいくらい立派
な息子だわ」
困った子、と言いながらも王妃の瞳はとても優しい。
「ビアンカさん。困った子だけれど、どうか見捨てないでやってね」
「もちろんです!」
元気よく答えれば、横にいるネロが不満そうに肩をすくめるのがわかった。
「酷いな。俺は息子ですよ」
「あら、自分がなにをしてきたか胸に手を当てて考えてご覧なさい。アランと揉めるのが嫌だか
らと城を飛び出しておいて、何を言うの」
アランの名前に思わずどきりとしてしまう。
ネロも同じなのか、少しだけ表情が硬い。
王妃はネロとアランの間にある確執をどこまでわかっているのだろうか。
「俺は後悔していませんよ。あのまま俺が城に残り続ければ、事態はもっと悪化していたはずで
す。実際、俺が城を離れたことで貴族たちも妙な声を上げることがなくなったではないですか」
二人の関係は、次期国王に第一王子のアランではなく、第二王子のネロを推す貴族が増えてきた
ことにより悪化したと聞いている。
ネロは王位には興味がなく、アランに次期国王になってほしいが故に城を出た。
でも昨日のアランを見る限り、彼はそうは思っていないのがよくわかった。
(アラン様はネロ様が自分の地位を脅かすと信じていた。どうして)
王妃が少しだけ悲しそうに目を伏せ、憂いを帯びたため息をこぼす。
「……そうね。それは確かにそう。あなたにだけ負担をかけたことを申し訳なく思っているわ」
「母上が謝る必要はありません」
「ネロ……」
見つめ合う親子の視線は穏やかなもので、二人の間ではきっと色々な折り合いがもうついている
のだろう。
「あなたのおかげでアランも今はかなり落ち着いてきわ。プルメリアとの婚約も決まって本当に
ほっとしているの」
思わず身体に力が入る。
それはネロも同じだったようで、わずかに身体を震わせていた。
「母上。兄上の婚約は何故決まったのですか」
「アランからの提案よ。プルメリアと結婚したい、と。私も驚いたわ。本当に内の息子たちとき
たら……」
「しかし、兄上には他国の王族から婚約者を迎えるという話があったはずでは……」
ネロの声は酷く固い。
「候補者はいたのだけれど、なかなかまとまらなくてね。そこにあなたとビアンカさんの婚約が
決まったから、アランの婚約者は国内貴族から選ぶべきと言う声があがったの。プルメリアは身
内だけれど結婚相手には最適だと貴族たちも概ね納得してるわ」
「そうですか……」
「これでアランも少しは落ち着いてくれるのといいのだけれど……でも、どうしたの? 何か気
になることでも?」
不思議そうな王妃に、ビアンカはどう答えるべきかわかなかった。
アランがプルメリアと共にビアンカの部屋に押し入って、手を出そうとしたことなど何も知らな
いのだろう。
伝えるべきなのかもしれないと思ったが、王妃を傷つけたくはない。
ネロも同じ気持ちなのだろう、それ以上この話を続けることはなかった。
「いえ。急な話だったので驚いただけです」
「ふふ。でも嬉しいわ。息子たちが二人とも伴侶を決めたのだもの」
嬉しそうに微笑む王妃は心から婚約を喜んでいるのわかる。
純粋なその姿に少しだけ胸が痛んだ。
アランとネロの確執は未だに続いている。
いつかこの亀裂が大きな騒動を生むのではないかという不安がべったりと身体にまとわりついて
いるような気分だった。
「そうそう。今度のパーティには参加してくれるわよね」
「パーティですか?」
何のことだろうと首を傾げれば、王妃が咎めるような視線をネロに向けた。
「ネロ。あなたビアンカさんに伝えていなかったの?」
「……必要ないと思ったので」
「ネロ様、何のことですか?」
ビアンカと王妃からじっと見つめられ、ネロが居心地悪そうに視線をそらす。
王妃はその仕草で全て悟ったのか、はぁ、と今日一番大きなため息を吐いた。
「私の快気祝いも兼ねた、アランとプルメリアの婚約を祝うパーティよ。いい機会だから、ネロ
とビアンカさんのことも正式に紹介したいと思っているの」
「な!」
どうしてそんな大切なことを言ってくれなかったのかと視線で訴えたが、ネロは視線をそらした
ままだ。
「ネロ。ビアンカさんが大切なのはわかりますが、あなたは王子なのよ。正式に紹介しなければ
ビアンカさんの立場だって悪くなるわ。いい機会だと思って、パーティに参加なさい。これは王
妃としての命令よ」
「母上……!」
ネロが慌てたような声を上げたが、王妃の表情は真剣だ。
ビアンカも一緒になって頷く。





