左大臣
夜明け前のリンドウェル。
ナイツバードの兵舎に静寂が満ちていた。
いつもは整然と並ぶ団員たちの気配が、7つ欠けている。
「……犯人の特定は。」
リヒトは静かに尋ねる。
「痕跡を確認しました。」
団員が地図を広げ、奇襲されたポイントを指し示す。
「現場に泥の残滓が残っていました。攻撃を受けた団員の縛傷の形も——泥に近い素材で作られた刃物か、あるいは爪と思われます。」
泥。
リヒトは目を閉じた。
「アルバトロスの中にそんな能力を使うやつがいたな。」
「ほぼ間違いないかと。」
「なるほど。」
リヒトは静かに立ち上がり、上着を掴む。
「どちらへ。」
「本部だ。これは単なる抗争じゃない。神栄団への組織的な奇襲攻撃。国家反逆と見なしていい。動くには許可が要る。」
団員は頷く。
リヒトは夜明け前の闇の中、一人で歩き出した。
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神栄団本部、フローゼル。
「リチャード左大臣に面会を。ナイツバード団長、リヒトだ。」
夜明けにもかかわらず受付を叩くと、小走りで職員が奥に消え、しばらくして戻ってきた。
「どうぞ。ただし——」
職員は少し困り顔で付け加えた。
「いつものご様子で、ございます。」
リヒトは小さく息をついた。わかっている。
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大臣執務室の扉を開けると、豪奢な椅子に深く腰を沈め、右手に書類、左手に酒瓶を持った男がいた。
リチャード=フルフェンリル。
かつてのナイツバード団長にして、現在のバークエン左大臣。
書類には目を通しているのか通していないのか判然とせず、足を机の端に乗せ、完全に脱力した姿勢で座っている。
「あー、リヒトか。こんな時間に珍しいな。」
リチャードは書類から目も上げない。
「何かあったんか?ったく仕事が増えることばっか起きよるな最近。あ、そこの棚にウィスキーあるから好きに飲んでぜ。」
「いらねえよ。」
「硬えなあ。昔っからそうだよな、お前は。まあいいや、で?」
リヒトは端的に報告した。
夜間奇襲。7名戦闘不能。痕跡からアルバトロスの仕業と判断。国家反逆に相当すると。
報告が終わると、リチャードはようやく足を机から下ろし、酒瓶を置いた。
「7名か。」
声のトーンが変わった。
「全員生きてるんだろうな。」
「命に別状はない。ただし全員しばらく戦線復帰は無理な状態だ。」
「そうか。」
リチャードはしばらく黙っていた。
書類をゆっくりと机に置き、組んだ手の上に顎を乗せる。
「アルバトロスか。元ホークアイの連中が首謀だったか。」
「そうだ。直接対峙した情報も過去1年にある。封印の鎖間違いなくキャブラ本人が動いている。」
リチャードの眉がわずかに上がった。
「優秀な野郎だったなあ。あいつは……許可は出す。動いていい。ただし——」
扉がノックされた。
「失礼します。アギト団長、ムサシが緊急面会を——」
「通せ。」リチャードは即座に答えた。
扉が開く。
ムサシが入ってきて、正面のリチャードを見た。
そして隣のリヒトを見た。
一瞬だけ、沈黙があった。
「……先を越されたか。」
ムサシが静かに言う。
「アルバトロスの件か。」リヒトが返す。
「そうだ。この一件はアギトに——」
「ナイツバードが7名やられた。うちの案件だ。」
「関係ない。我々も直接交戦している。」
「だからこそうちが——」
「はいはいストップ。」
リチャードが片手を上げた。
2人が同時に黙る。
リチャードはゆっくりと立ち上がり、2人を交互に見て、それから——少し笑った。
「お前ら、俺が団長だった頃から何も変わらんな。」
「……リチャードさん。」ムサシが言う。
「ずっとこれだよ。お前ら二人が同じ部屋にいると空気が張り詰めるんだよなあ、昔から。」
リヒトが口を開く。「懐古はいらない。許可を——」
「両方に出す。」
リチャードは静かに、しかし確かに言い切った。
「ただし条件がある。」
2人が黙って聞く姿勢になる。
「ムサシ、リヒト——お前ら2人は前線に出るな。」
「……っ。」ムサシが一歩前に出る。「それは。」
「俺の言葉がわからなかったか?」リチャードの目が変わる。
普段の気の抜けた表情は、どこにもなかった。
立大臣として、かつてナイツバードを率いた男として——その目がムサシを見ていた。
「お前らが動けば確かに早く片付く。だが早く片付けることが目的じゃない。
アルバトロスを検挙するのはナイツバードとアギト——それぞれの団員たちだ。
お前らはその判断を支える。それがお前らの仕事だ。わかったか。」
ムサシとリヒトは、しばらく黙っていた。
「……わかりました。」
ムサシが答えた。
リヒトも続けて頷く。
「よし。」
リチャードはあっさりと表情を戻し、また酒瓶を手に取った。
「で、細かい作戦はお前らで立てろ。俺に押し付けるなよ。書類だけで死にそうなんだから。」
「……あんたは左大臣だろ。」リヒトが言う。
「そうだよ。だから書類が多いんだよ。嫌になるよな。」
「自分で選んだ道だからな。」
「そうとも言う。」リチャードは笑う。
ムサシは小さく息をついた。
「……相変わらずですね。」
「お互い様だろ、ムサシ。」
リチャードはウィスキーを一口飲み、窓の外の夜明けを見た。
「アルバトロスの連中——生かして連れてこい。ナーガスラムの問題はまだ終わってないからな。」
その一言だけが、ひどく重かった。
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フローゼルの廊下。
ムサシとリヒトが並んで歩く。
「アギトの新人。パーカーを捕まえたらしいな。」リヒトが先に口を開く。
「そうだ。」
「使えそうか。」
「俺が判断することじゃない。」
リヒトは少し間を置いた。
「うちの新人もいい動きをした。連携できるなら悪くない。」
「自分の団の心配をしろ。」
「それはこちらの台詞だ。」
2人の足音が廊下に響く。
正面玄関で、互いに別の方向へ歩き出す前に、リヒトが静かに言った。
「7名の仇はとる。」
「……ナイツバードの仕事だ。横から入るな。」
それだけ言い、2人は別れた。
朝の光がフローゼルの石壁を赤く染め始めていた。




