ナーガスラム
【ナイツバード 東区倉庫街】
夜。
リヒトからの指示は簡単だった。
「ガンバスという男を捕縛しろ。単独で動け。」
レイはその男が逃げ込んだと思われる倉庫街を一人で歩いていた。
人の気配が複数ある。4、5人といったところか。
しかし見つけたいのはガンバスただ一人だ。
物陰に隠れていた男が先に飛び出してきた。
「ナイツバードか!!てめえ一人か!?」
刃を向けてくる。
レイは一歩も動かなかった。
路地に水溜りがあった。昨晩の雨が残ったものだ。
レイはそれをただ、見た。
水が細い筋になって宙に浮かび上がり、男の腕に巻き付く。
締まる。男がナイフを落とした。
「ガンバスはどこだ。」
男は震えながら奥の倉庫を指差した。
水の筋はそのまま男を縛り上げ、レイは倉庫の扉を開けた。
中には荷箱の影に潜む男が一人。
顎に傷、ゴマ塩の短髪。資料で見た顔だ。
「ガンバスだな。」
男は素早く立ち上がり、窓に向かって走る。
「逃がすか。」
倉庫の隅に置かれた木樽。中は酒だった。
レイが手をかざす。樽の蓋が弾け飛び、中の液体が一斉に奔流となって窓を塞いだ。
壁一面に広がる酒の膜。ガンバスはそこへ頭から突っ込み、そのままずるりと床に落ちた。
「……なんだそりゃ。」ガンバスは呆然とつぶやく。
「水ならなんでも動かせる。酒も水分だからな。」
レイは縄を取り出しながら、淡々と言った。
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【アギト 西区路地裏】
同じ夜。
フユに告げられた任務はこうだった。
「パーカーという男を確保しろ。セナが補佐につく。」
「いいか、フユ。確保が目的だ。派手にやるな。」
セナは釘を刺してから後ろについた。
路地を進む。情報通り、廃屋の周辺に人の気配が散っていた。数は3人。うち一人がパーカーのはずだ。
「どいつだ。」フユはセナに小声で問う。
「真ん中の背の高いやつ。」
「ギャングチームのアルバトロスの末端だよ。」
セナが小声で教える。
「ナーガスラムって知ってるか?国が介入しない自治区。そこを仕切ってるのがアルバトロスだ。
先週ナイツバードが摘発して末端数人を捕まえた。パーカーもそのうちの一人。」
背の高い男は顎を上げ、仲間に何かを指示していた。リーダー気質の立ち方だ。
フユは息を整えた。ここは慎重に——
「いたぞォォ!!神栄団だ!!走れ!!!」
仲間の一人が気づいた。3人が一斉に走り出す。
「あっ……!!」フユは即座に駆け出した。
「派手にやるなって言ったのに!!」セナが追いかけながら叫ぶ。
パーカーは横道に曲がり、路地の奥へ消える。
フユが角を曲がった瞬間——
「ぐっ!!」
待ち構えていたパーカーの肘が顎に入った。フユはよろめく。
「ガキが追いかけてきやがった!!」
パーカーはそのままフユの胸倉を掴んで壁に叩きつけようとする。
その腕を——フユは掴んだ。
「……?」パーカーの顔が一瞬固まる。
フユは体重ごとぶつかっていった。
壁に叩きつけるつもりだったパーカーの力が、そのままフユに押し返される形になった。バランスが崩れる。
倒れたパーカーの上にフユが馬乗りになり、腕を背中に取る。
「……動くなよ。」
フユの声は荒れた息の中でも、妙に落ち着いていた。
「……っ、このガキ!!力が!!」
「力では負けないんで。」
パーカーは何度か暴れようとしたが、フユは離さなかった。そのまま縄を取り出す。
遅れてセナが角を曲がってきた。
複数の剣を展開させた状態で、全力で走ってきて——
止まった。
フユがすでにパーカーを押さえ込んでいた。
「……自分でやりきったじゃないの。」セナはゆっくりと剣を収める。
「最初に肘食らったのは見てたぞ。」
「それはそれです。」フユはパーカーの腕をしっかりと縛りながら答えた。
セナは少し笑った。
「確保。」
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翌朝。
フユは当然のようにムサシに立たされていた。
「何故単独で突っ込んだ。」
「……逃げそうだったので。」
「確保が目的だと言った。」
「はい。」
「お前がやられたら確保もできない。セナがいなければどうなっていた。」
「……自分でやれました。」
ムサシは一瞬だけ止まった。
「根拠は。」
「取り押さえた感覚があったんで。力でも負けてないってわかったんで。」
ムサシはしばらくフユを見た。
「……慢心するな。」それだけ言って戻った。
カナンがフユの肩を小突く。「ムサシさんが黙ったの珍しいな。」
「褒められてないですよ。」
「でも否定もされなかっただろ。」
その言葉はすんなりと入ってきた。
セナが横からぼそりと言う。「まあ実際、あの体格の男を一人で取り押さえたのは素直にすごいけど。」
「聞こえてますよ。」
「聞こえてていい。」
コウが遠くから一瞬だけこちらを見て、また剣を研ぎ始めた。
それだけだったが、悪い気はしなかった。
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【ナーガスラム 廃れた工場】
「頭。報告します。団の野郎どもが摘発の動きをしてるみたいでさぁ。」
ここはギャングチームアルバトロスの本拠地。
政府未介入の地で神栄団の代わりに町を牛耳る組織。
「ガンバスが捕まった影響ですね。」
眼鏡をかけた男性が話す。
「どうします?頭。これを機に奴らを踏圧するのも一つ手ではあるかと。」
ソファーに寝ていた男性がゆっくりと体を起こし、座りなおす。
工場内にはピリついた空気が流れる。
「ああ…腑抜けたやつらにはそろそろ代替わりしてもらおう。まずはアギトからだ。」
男性は深くタバコを吸いこみ、吐き出す。
「それはそうと、クソガキに負けてのうのうと帰ってきやがった腑抜けもいるみたいだな…テアル。」
眼鏡のテアルと呼ばれた男性は眼鏡をクイッと上げ、手元の資料に目をやる。
「見たいですね。やられたのは捕まっているガンバスとパーカー。それを置いて逃げたみたいですね…
ガンバスとパーカーがやられたのは配属されたてのアギトのガキとナイツバードのガキですね。」
言い終わると後ろのほうから、逃げ出した4人が泥の化け物に首をつかまれ運ばれてきた。
「やめてくれ!!」と叫びながら。
泥の化け物はソファーの男性の前に4人を投げ、その後ろに立つ。
男性は前かがみの姿勢を取り、4人に問う。
「ガキにやられて逃げ出してきた気分はどうだ?隊長格でもいたか?」
4人はガタガタと体を震わせ、首を横に振る。
「ん~?声帯でも取られちまったか?かわいそうになあ」
男性は4人のうち一人の顎をつかみ、
「いいか?逃げようとするなよ?わかったな?」
顎を掴まれた人間はコクコクとうなずき、涙目で訴える。
「…逃げたわけではないんです‼あのガキどもとんでもねぇ強さでして‼」
男性はにっこりと笑い
「…で?お前ら逃げたんだよな?」
「え、いや!」
「逃げたんだよな?」
男性は持っていたナイフを首元にあてがう。
「…はい。いやでも!一時的に…‼」
言い終わる直前、話していた1人の首が飛ぶ。
「逃げるなっていっただろう。」
それを目の当たりにした3人はガタガタと震えが止まらない。
「もういいや。テアル。こいつら好きにしていいぜ。」
そういうと男性は再びソファーに横になる。
「わかりました。」
3人の断末魔が工場内を響かせる。
テアルは男性の横に立ち、再び尋ねる。
「さて、どうします。キャブラ。いつ行きましょう。」
キャブラと呼ばれた男性はタバコを深く吐き出し、
「俺たちぁギャングだ。報復は今日のうちになぁ。」
工場の隅でタバコの煙が揺れる。
その向こうで、泥の化け物はただ静かに立っていた。
同じ夜。リンドウェル。
フユはアギトの兵舎の外に出て、夜空を見ていた。
今日だけで随分色んなものを見た。
ノールの黒い霧。路地裏で追い詰められていた男の顔。
この国には、まだ自分が知らないものが山ほどある。
「眠れないのか?」
背後からムサシの声がした。
「……今日捕まえた奴ら。ナーガスラムの出身ですか。」
ナーガスラム。貧困が激しい地域であり、犯罪や飢餓が止まらない地域として有名であり。
「そうだろうな。」
「あいつらって、何で神栄団に従わないんですか。国が助けてくれない?」
「そういうことだ。」
ムサシは夜空を見上げた。
「バークエンは統一されたが、全ての地域が恩恵を受けたわけじゃない。
ナーガスラムは昔からそうだ。神栄団が入れない地域がある。それが今のあの街の形になっている。」
「……それって正しいんですか。」
「俺に聞くな。」ムサシは短く答えた。
「だがお前が龍王になるというなら、いつか向き合うことになる問いだ。忘れるな。」
フユは夜風の中でその言葉を受け取った。
何か大きなものの端っこに、自分は立っているのかもしれない。
そんな気がした。




