名を呼ぶ者
暗い精神世界で、フユは巨大な影に立ち向かっていた。
氷の息吹と灼熱を同時に吐くその存在は、まだ名を明かさないまま、ただそこにいた。
「言うたやろ。」
ミロクは肩を鳴らし、横に立つ。
「再契約に必要なんは二つや。お前自身の悪魔の名を聞き出すこと。ほんで――戦って勝つことや。」
その背後で、黒い靄がゆっくりと形を持った。鈍くうごめく翅、粘つくような闘気、深紅の眼。ベルゼブブが、まるで旧友のようにミロクの肩越しに覗き込む。
「見とけ、フユ。」
ミロクは笑う。
「こういうんが“仲良うやっとる”っちゅうことや。」
ベルゼブブが喉の奥で笑った。人の声ではないのに、どこか呆れたような響きだった。
次の瞬間、巨大な影が動いた。氷の尾が地を裂き、遅れて炎が爆ぜる。
フユは腕を交差して受けるが、全身が焼かれ、同時に凍りつくような激痛に膝をついた。
「ほら見ぃ。」
ミロクが吐き捨てる。
「お前、力が欲しいのに心は拒んどる。せやから半端なんや。」
場面が切り替わる。
白い精神世界で、シリアは光の球を抱えるように立っていた。
その中心には、かすかな鼓動のような明滅があった。
フラットの意識の欠片――まだ試練へ送り出されてもいない、壊れやすい灯火だった。
「それを守れ。」
どこからともなく、セゴウの声が響く。
「守るとは、倒すことではない。残すことだ。」
白い床が音もなく割れる。天井のない空間に黒い亀裂が走り、無数の腕のようなものが光の球へ伸びた。シリアは反射で斬り払おうとして――止まる。
違う。これは破壊の試練じゃない。
バーサーカーを“出す”のでなく、“留める”試練だ。
「状態モデル合成魔獣――」
シリアの身体を光が覆う。だが前のような暴発ではない。怒りではなく、意志で纏う変身だった。
一方、フユは何度も吹き飛ばされていた。氷の刃は砕かれ。巨大な悪魔は、
まるで「まだ違う」と言いたげに、ただ圧倒してくる。
「聞けや、フユ。」
ミロクが低く言う。
「名っちゅうんは、教えてもらうもんやない。引きずり出すもんや。そいつの全部を認めた上で、それでも立つやつにしか聞こえへん。」
フユは荒く息を吐いた。
「……でも、それが俺なんだろ。」
ゆっくりと立ち上がる。
右手に氷
巨大な悪魔が、初めて反応した。
金色の眼が細まり、世界が震える。
『ならば示せ』
声だった。
フユの外からではなく、骨の内側に響く声。
『我が名を欲するなら、我を屈せよ』
フユは駆けた。氷の足場を生み、加速し、氷をまとって飛ぶ。
悪魔の尾が襲いかかるが、今度は避けない。右腕で凍らせ、左拳で叩き砕く。
白い世界では、シリアが光の球を中心に円を描くように動いていた。
襲い来る亀裂や影を全部潰すのではなく、接触する直前で弾き、逸らし、受け流す。
バーサーカーの力を“外へ撒き散らす”のでなく、必要な分だけ纏い続けていた。
「それだ。」
セゴウの声が、少し近くなる。
「君の力は暴走ではない。導線だ。対象へ通し、送り届けるための器だ。」
シリアの足元に、淡い紋様が浮かぶ。光の球と自身の心拍が重なり、脈動が同調していく。守っているはずだった光が、逆にシリアの呼吸を整えていく。
「フラット……」
シリアは小さく呟く。
「お前を、行かせる。」
その瞬間、光の球から一本の光線が伸びた。どこか遠い深淵へ向かう、細く真っ直ぐな道だった。シリアは直感する。これが“送り出す”ための道標だと。
フユの世界では、決着が近づいていた。巨大な悪魔が口を開き、氷炎の奔流を吐く。フユは真正面から突っ込む。皮膚が裂け、感覚が焼け、同時に凍る。それでも止まらない。
「名前を寄越せええええっ!!」




