第1話:ゲームオーバー
同時接続者数、五百万人突破――なおも増加中。
コメント欄はミリ秒単位で滝のように流れ、モデレーターたちの処理がまったく追いつかない。画面前の反射神経には絶対の自信を持つジンボでさえ、このコメントの量と速度を捌き切ることは不可能であり、せいぜい数行を流し読みするのが関の山だった。
目の前に並ぶ三枚のモニターのうち、彼が最も意識を割いていないのが左端の画面――大会の配信映像とコメント欄が映し出されているモニターだ。
ジンボにとって、リスナーへのファンサービスは二の次でしかない。彼の神経は今、百パーセント目の前のゲームへと注がれていた。
『カルダックス 10,000』(略して『Kard10k』)。
ゲーム史上、最も複雑怪奇にして最高峰と名高い運営・征服シミュレーションゲームである。タイトルの数字は一回のマッチでシミュレートされる「一万年」という歳月を表しており、その名が示す通り、一試合が丸数日間続くことも珍しくない。過去の最長記録に至っては、ノンストップで一週間ぶっ続けという狂気の沙汰だった。
LEDライトに照らされた薄暗い自室に、猛スピードで叩き込まれるキーボードの打鍵音が絶え間なく響き渡る。
ジンボはデスクに置かれたエナジードリンクの缶へと首を傾げ、顎で巧みに缶を押さえつけると、一滴もこぼすことなく中身を喉へと流し込んだ。長年の鍛錬と、これまでに犠牲にしてきた無数のシミ付きシャツの賜物である。
大会の実況解説として雇われた三人のVTuberたちが、生き残っている三名のプレイヤーの動向を必死に追いかけ、まくし立てている。
各プレイヤーの勢力圏は、太陽系の3Dマップ上に配置されたエンブレムによって視覚化されていた。ジンボのエンブレムは、青いダイヤの枠に収まった『J』の文字だ。
Art3misamisa:地球、火星、木星。
DimensionD(ディメンションD):土星、天王星、海王星。
KingJim:水星、金星、冥王星。
にわか視聴者の目から見れば、ジム(ジンボ)は太陽側へと追い詰められ、劣勢に立たされているように見えるだろう。おまけに彼が確保している準惑星(冥王星)は、希少資源が眠るというデマのせいで初心者がこぞって罠にハマる、通称「初見殺し(ヌーブ・トラップ)」と呼ばれる無価値な星だ。
太陽系をわざわざ秘密裏に横断してまで、そんな「おバカさん用のトロフィー」を手に入れる価値など本当にあったのだろうか?
対戦相手のディメンションD(DD)もまた、ジムが致命的なミスを犯したと判断し、苦し紛れの悪あがきに出たのだと踏んでいた。
――あの天下の『KingJim』も、ついに焼きが回ったか?
DDは、冥王星に築かれたジンボのささやかな開拓基地を根絶やしにすべく、小規模な討伐艦隊を差し向けることにした。
DDの放ったスペースマリーンの第一陣が着陸するのを見て、ジムは口の端にニヤリと笑みを浮かべた。
巨躯を誇る気高き海兵隊員たちが、軍旗を掲げて重機関銃を乱射しながら突撃していく……だが次の瞬間、自動迎撃タレットの十字砲火と地雷原の爆発によって、彼らは呆気なく木っ端微塵に吹き飛んだ。
タレットの弾薬と地雷が尽きると、さらなる増援のマリーンたちが降下し、基地への銃撃を開始する。しかし基地の内部では、ジムの入植者たちがレゴリス(堆積物)を精製する重機をフル稼働させ、次々と防護装甲板を張り替えて要塞化を進めていた。
その光景は、まるでジムが冥王星で何か途轍もない秘密兵器を建造しているかのような錯覚を抱かせた。『カルダックス 10,000』のプレイヤー誰もがまだ知らない隠された要素、あるいは開発者が仕込んだイースターエッグか何かを。
だが、真実といえば……。
冥王星には、何もない。
ただの役立たずの岩塊であり、せいぜいレゴリスの貯蔵庫にしかならない星だ。
一分、また一分と時間が経過するにつれ、一向に突破口を開けない敵が焦りを募らせていく様を、ジンボは愉悦とともに眺めていた。
業を煮やしたDDは、ついに準惑星へ向けて本格的な小軍勢を投入する決断を下す。
なんという無駄で莫大な戦力の浪費か。ましてや現在、もう一人の強敵『Art3misamisa』との全面戦争の真っ只中だというのに。
一方のアルテミスは、ロボット・ヴァルキリーの軍団を最前線に配置し、全戦力の50%を投じて土星への侵攻を開始していた。さらに木星の衛星群に10%、火星に10%を駐留させ、残りの戦力は地球の周囲に惑星防衛リングとして展開させている。ジンボが漁夫の利を狙って奇襲を仕掛けてきた場合に備えての布陣だ。
「賢い女の子だな」
ジムは広い顔に、獰猛なサメのような笑みを浮かべて呟いた。優れた捕食者である彼は、いつ牙を剥くべきかを完璧に理解している。
このマッチにおける最大の脅威はアルテミスだ。ジムが攻勢に出るためには、彼女がDDとの戦争でリソースをすり減らし、疲弊してくれることがどうしても必要だった。
二人が潰し合っている間に、ジムは自軍のリソースを一点集中させ、太陽の周囲にエネルギーを独占するための「プロト・ダイソン球」を建造するつもりなのだ。
カジュアルマッチですら至難の業とされるダイソン球の建造――もし公式のプロ大会でこれを成し遂げれば、史上初の快挙となる。
ジムはすでに勝利を確信していた。この試合は、始まる前から勝負がついていたのだ。
「……ん?」
ジムはふと、コメント欄の異変に気がついた。
ベッドの脇に置かれた黒い長方形の家電――空気清浄機の名前を叫ぶ、無数の感嘆符(!)付きのコメントが猛烈な勢いで流れているのだ。
ジムは、スポンサーへの配慮もプロの仕事であることを思い出した。
「『エレクトロニック・エアーズ』の空気清浄機は、市場で最も優れた信頼性抜群の製品だ。マジな話、みんな、俺もこれを手に入れるまでどうやって息をして生きてたのか分からないくらいだよ。しかも今なら、概要欄のリンクから注文してプロモコード『KingJ』を入力すれば、なんと30%オフになる! このチャンスを逃すなんて馬鹿のすることだぜ。さあ、買え! 金を落とせ! 買いまくれ!」
しかし、コメント欄の勢いは止まるどころか、さらに加速していく。
『空気清浄機!!』『空気清浄機ヤバい!!』『後ろ見て!!』
ジムは「いい宣伝ができた」と満足げな笑みを浮かべた。これだけコメントが盛り上がれば、スポンサーからたんまりと臨時ボーナスが振り込まれるに違いない。
だが、自軍の監視衛星が敵の侵入を告げるアラートを鳴らした瞬間、彼の顔から笑みが消えた。
一隻の小さな白い偵察船が、ジムの支配宙域へと入り込んできたのだ。アルテミスの船である。
ジムは眉をひそめた。宇宙船からは救難信号と、絶え間ない通信リクエストが送られてきている。
ジムは特定のショートカットキーを叩き込み、即座に攻撃命令を下した。監視衛星から放たれたレーザー光線が空間を貫き、小さな偵察船を文字通り星屑へと変える。
「冗談じゃないぜ! お前が女の子だからって、この『運営の王』様を騙せるとでも思ったか? 無害そうな船に偽装して反物質爆弾を密輸しようなんて手口、俺が初めて見るとでも? 俺様を出し抜こうなんざ、まだ百年早いんだよ!」
ジムは高らかに叫んで大笑いし、自分のこの完璧な判断に視聴者たちが大喝采を送っていると信じて疑わなかった。
――だが、異様な焦げ臭さが鼻をついた瞬間、彼の顔から歓喜の色が消え失せた。
彼の背後で、黒い長方形の箱が激しく火花を散らし――やがてそれは、紅蓮の炎へと変わった。




