12月14日の雪空(2)
とある喫茶店で俺達はとりあえず新木にいろいろと事情を話した
あいつは街で俺の姿を見かけて、友人達と別れて追っていたのだが見失っていたという
一応新木の野郎には色々と言いたい事はあったが我慢した。携帯にこいつのメールがきていたのに無視し続けた俺にも非はある
「へぇ…で、川畑の野郎に絡まれてたのか」
「お前ずっとは俺を追っていたのか…」
「最近連絡よこさねーから直接会うしかないだろーが」
「でも…だからって黙って後を着いていくのはいけないと思います」
「ええっ! 石田さんまでそれを言う?」
大げさに驚く新木だが、あまりウザくなく愛嬌さえ感じさせるのはこいつの人徳のなせる業だろうか?
「わ、私はっ! 樫富君があの人たちに連れて行かれたのが心配で…いざとなったら大声出そうとか…考えてましたし」
新木の野郎は大きくため息を吐いた後、疲れたようにぐったりと肩を項垂れた
ストーカーぎりぎりの尾行をした新木に俺もいろいろ言いたいことはあったが、自分にも非はある
そして、新木が俺の後を追っていなければどうなっていたことか…想像に難くない
(全く…今日はいろいろと運が良いのか、悪いのか…?)
二人に巡り合ってしまったのはまさに神様の悪戯というしかない。結果論になってしまうが
これはこれで良かったのかもしれない。俺はともかく菜穂子の危機が救われたのだ
そして自分がだらしないばかりに、あいつの身を危機に追いやってしまったことを深く反省する
新木が居なければ本当に危なかったのだろう。俺は偶然に感謝するほか無かった
「でも、本当に助かりました。新木君が居てくれて」
「はは、それほどでもないさ。俺は樫富に用があったんだからな」
裏表の無い陽気な笑顔で照れくさそうに新木が笑う。こんな表情が出来るこいつが羨ましい
俺は株にぶち当たるとついついウジウジと悩んでしまう癖がある。詰まらない事に目が行くのだ
しかし、こいつはそんなことお構いなしに自分の道を突き進むだけ
もし、俺が新木だったら、あの川畑に舐められず上手く立ち回って無用な諍いを起こさなかったかもしれない
文也叔父さんとも上手くやれてあんな事にもならなかっただろうし、聖亞すら救えたかもしれないのだ
それに比べて、俺はなんて情けなくて惨めな存在なのだろうと思う
世の中とも上手く向き合えず、少し困難の壁に直面したら逃げてしまう後ろ向きな思考
「どうしたの…樫富君」
この世は俺にとって余りにも生き辛くて、残酷な世界だった
無辜に生きていた人間を巻き込むような悲しい出来事や、他人の命を軽く考える無責任な人間が多すぎる
俺を含めて、己の幸福しか考えない人間が多すぎるのだ。新木や菜穂子、そして文也叔父さんのような人達が大多数を占めていたとしたら
世界はどんなに過ごしやすいのだろう? 普通の人間が生を全うするにも世の中は厳しかった
「おい、樫富。お前は何で今更外に出てきたんだ?」
「……済まない。理由は話したくないんだ」
俺は徐々に銀世界に染まっていく窓の外を見ながら答えた。まともに顔を合わせることも出来ない俺を新木はどう思ったのだろうか?
「そうなのか、分かった」
新木は何かを察したように一言だけ呟いた。俺の横顔を見ただけで何かを察したのか?
「樫富君。何か悩みがあるならみんなで相談したほうが…」
菜穂子の提案に新木が割り込む、そして彼女に向かってゆっくりと首を振った
「いいんだ。こいつはそこまで弱くない」
「…新木」
心の中で俺は新木に例を言った。困ったら相談には乗るし、夏休みのようなケースもあるかもしれないが
下手に人のプライバシーに踏み込んで争うとしないのがこいつの良い所だ
それでも、菜穂子の愛嬌と可愛らしさを秘めた大きめの瞳が、微かに揺れつつ俺の方に視線を寄せていた
いろいろと回りに心配をかけてばかりだな。と思い、罪悪感に溢れそうになる
今までにもいろいろな人間に迷惑をかけてきたことは否めない。お袋、叔父さん、新木、そして菜穂子…
自分で問題を解決できない俺の事なんて放って置けば良いのにと思うことがある。寄せられる優しさを疎ましく思うことも
だが、ここまでにも俺の周りには優しい人達が見守っているのだ。悪いところばかりに目が行き過ぎて世間に絶望していた
ふと、新木がスマートフォンを開いた。最近買ったのかその機種は真新しく、傷が無い
「スマン…俺、多分友達待たせてるから帰るわ」
新木が上着の中にスマホをしまい、マフラーを首に巻きなおす
そしてあいつは俺に意味ありげな視線を送っていた。その意向を俺は即座に読み取った
「…そうか、色々面倒に巻き込んで済まなかったな」
「ごめんなさい…新木君」
「じゃあなお二人さん。おい樫富、ちゃんと石田さん送っていけよ」
「……ああ、わかった」
「それと、早く学校に来いよ。今度あの馬鹿がイチャモン付けて来たら俺に言え」
俺はその問いにすぐには答えられなかった。だが、それでも曖昧な返事をあいつは許容してくれたようだ
「………努力する」
「お気をつけて、路面は雪で滑りやすいですから」
「ありがとう、支払いは俺がやっとく。樫富…俺やみんなは待ってるからな!!」
笑顔を返すと、新木は伝票を握り締めテーブルを立ち出口に向かっていく
その大きな後姿を俺と菜穂子は視界から消えるまで見守っていた
あいつが居てよかったと俺は実感せざるを得ない。あいつは掛け替えのない友達だ
雪の降る外で俺達は駅に向かって歩いていく。降り積もって雪で白く染まった路面とは対照的に空は冬の夜天の色に染められていた
こうして思いを寄せ、冬の空に思いを馳せるのは久しぶりのような気がしなくも無い
七時を過ぎた夜空に沢山の宝石のように散りばめられた星を見ると、詩人でなくとも銀景色に見蕩れて鑑賞に耽るのは仕方ないだろう
薄雪を踏みしめながら俺が天に顔を向けながら歩いていくと、ふと菜穂子が話しかけてきた
「男の子って羨ましいですね…」
「…どうしたんだ?」
「だって、言葉が無くても視線で会話できるじゃないですか」
菜穂子はその小さな顔をマフラーで隠すようにして恥ずかしがるように言った
今は彼女の笑顔を見るのが楽しかった。裏表の無い菜穂子の太陽の光のように暖かな微笑みは
俺の心を凍りつかせていたものを、路上の雪のように氷解させていくような不思議な力がある
どうして俺は彼女の魅力に気付かなかったのだろう。昔のこいつはこんなのじゃなかった
彼女がなぜ変われたのか知りたかった。もしかしたら、女という生き物は男に比べて案外強いのかもしれない
「女の子だって出来るんじゃないのか?」
「男と女の違いってとても難しいんですよ。余り口には出したくありませんが…」
「ふーん。そうなのか?」
「そうなんです。信じてください!」
真摯そうに呟く菜穂子の大きな瞳に邪念の類は見えなかった
川畑のように他者を支配して愉悦に浸るような嫌らしい輝きも、文也叔父さんの様に世の中に対し諦観したような光も無い
彼女の視線はまるで未来そのものを垣間見ているような気がした。純真な瞳に俺がどう映っているのか気になる
「じゃあ…信じてみるか。石田が嘘をつくようには、見えないからな」
「ありがとうございます。樫富君!」
マフラー半分埋もれた白く瑞々しい頬が喜色からか、淡紅色に染まった
こいつが俺は雪に覆われたこの町に降り立った妖精のように思えて仕方が無い
よく目を凝らしてみると、半透明な羽が見えるかもしれないとも思う。…我ながら下手糞な例えではあるのだが
「なんかもう駅についちゃいましたね…」
「お前、そこから家は近いのか?」
「はい…ここから三つ分くらい先にアパートがあります。高校にはここからまたバスで向かうんですよ」
俺は迷ってしまう。このことを言うと菜穂子にものすごく負担がかかってしまうのではないかという罪悪感が沸くからだ
だからといって、このまま戻るには覚悟が足りなかった。俺はどこまでも臆病だ
臆病で他人を信じ切れていないからゲームや漫画の世界に逃げ込んで、挙句の果てに敵対する人間を暴力で黙らせていった
文字通り、他人を傷つけるだけの最低の人間でしかない。そして新木や菜穂子さえも傷つけてしまった
「俺…家に帰りたくないんだ。だから…今日一日泊めてくれないか?」
「え……?」
すがるような視線であいつを俺は見つめるが、菜穂子はしばらくの間沈黙している
恐らく、断るだろうと俺は踏んでいた。こんな暴力男なんて家に入れようとしないのが普通なのだ
それに彼氏でもなく一方的に俺が好意を寄せているだけなのに菜穂子が良くても彼女の家族が承諾するとは思えない
今にして思えば、新木にでも頼むべきだったとは思う。でもあいつは何故か帰ってしまっていたし
旧友の数が圧倒的に少ない俺は菜穂子くらいしか頼める人間しか居ないのが事実なのだ
「別に…良いですよ」
「えっ!」
今度は俺が驚く番だった。まさかここまで簡単に快諾が得られるとは思わなかったからだ
それと同時に心配になってしまう。彼女の両親などの問題は大丈夫なのだろうか?
俺のせいで家族の間に亀裂が走るかもしれないのだが、菜穂子の返答は斜め上を行くものだったからだ
「実は、一人暮らしなんです。家族は隣の県で過ごしていて私しか居ないんです」
「そ…そうか。でも、本当に泊まっていいの?」
「はい、部屋の中にそこまで家具は置いてませんし、少し見られたら困るものとかはあるんですけどね…」
あいつは寒いのか、俺から目を背けつつ顔をマフラーで隠しながら言う
走行している間に駅は目の前にあった。手持ちの金でもここから三区画分の電車なら行き帰りで十分に足りるはずだろう
「ゴメン、このお礼はきっと後でするからさ。とにかく有難うな」
「別にかまいませんよ。それに私は――――――」
菜穂子の声がいきなり小さくなり聞き取れなかった。いったい何を言ったのだろう?
デリカシーが無いと分かっていながら、思わず気になって俺は尋ねてしまう
「え、今何か言ったのか?」
「ごめんなさい…それはひみつ、です」
だが、あいつは答えてくれなかった。何を言ったのかは今からずっと経った後に知ることになったのではあるが
とくに無理して聞くことは無いだろうということで、俺も追求することは無かったのだけれども
とにかく今は好意に甘えさせてもらう事にする。家にはまだ戻る気になれない




