8月15日の図書館
「おい、ここって…汚職の金で市長が改築した場所じゃねーか!」
俺は新木が自分を連れてきた場所を見て辟易した表情が浮かぶのが解る。そこは今俺が行く意味すらない場所――――
すなわち、街の外側に位置する十年前という比較的に改装された図書館だったのだから。来ること自体久しぶりである
無駄に金をかけたであろう、県庁並みに小奇麗な建物は三階建ての構造になっていて敷地はちょっとした学校よりも広い
流石に大学までとはいかないが、国民の血税が費やされているのはどうかと思った
建った頃に赴任していたであろう、五年前に前市長は大々的にマスコミで扱われた汚職事件で逮捕され
当時大きなニュースにもなっていたことは、世間に疎い俺でも知っていた
それはそうだろう、連日連夜一ヶ月近くも報道していたのならば誰にだって耳の中に入る
お袋が愚痴交じりに話した事を思い出すと、罪状は親族の建設会社に入札を無視して仕事の不正発注を行っていたということだった
俺には難しい単語はわからないし読めないのだが、要は親戚の会社に税金を流して仕事を投げていたらしい
それが発覚して県民が怒り、当時ニュースのネタに困っていた全国ネットのマスコミが便乗して叩きのネタに祭り上げたのだ
しかし、市長は県民から比較的感謝されているのだという
何故なら、彼の指示で建てられた病院や公共施設は多く駅前の都市も比較的賑わう様になったからだ
政治家と業者の癒着が強くあまり良いイメージが持たれない公共事業だったが、他の人が助かるのならばそれで良いんじゃないかと思う
ややこしい政治なんかに関心の無い俺は人事のように捉えている。尤もそれを言うと怒る人間は要るだろうが
ちなみに俺が最後に図書館を訪れたのは二年も昔の受験の頃だ。勉強が嫌いだったのだから仕方が無い
何しろ漫画やゲームテキスト以外の文字を読むと眠くなるのだから。良くこんな状態で高校に通ったものだと寒心する
「まぁ、気にすんな。建てられたモノに罪は無いんだ」
「それは判った。けどなぁ…俺は夏休みの宿題がしたいわけじゃねぇんだ」
「まぁ、そういう事じゃないから取り合えず来いって」
「碌でも無い事につき合わせたら、即効で俺は帰るからな」
「まぁまぁ…落ち着けよ」
綺麗に舗装された石畳の道を回れ後ろとする俺を、新木は引きとめながら図書館への道を歩んでいく
とてもではないが力や体格では敵わないので、俺は引きづられるようにして新木に連行されていった
まったく…この悪友が何を考えているのか俺には理解できない
だが、直感とも言うべきものなのだろうか? 何か予感めいたものがあるのは事実だった
得体の知れないそれの正体が何であるのかは、俺には明確に解らなかったのではあったのだが…
図書館に入ると床が靴を押し付けてくるような、ふんわりした感触に俺はびっくりした
なんと、床が灰色の絨毯なのだ…いや、正確に言うと違うのだが
不思議に思って後で【あいつ】に聞いたところによると、抗菌加工のフローリングカーペットというやつらしい
普通のやつに比べて手入れや掃除が難しそうなのだとは思う。ガムを落としてしまった場合取るのが大変だろう
老人や子供が利用する事が多い図書館での転んだ場合の対処なのかもしれない
流石に前市長が金をかけただけの事はある。市民の税金を使っているのはアレだが…感謝する人間が多いのも頷ける
「痛ッ!」
「…おい、大丈夫か?」
いきなり横から走って来た九歳くらいのガキが俺にぶつかって転んだ
言っておくが、俺はクソガキが大嫌いだった。目の前で転んだ奴も髪が染められていてまともな家庭の子とは思えない
倒れたそいつに手を差し伸べようとしたが、俺の手をガキは速攻で振り払った後に
俺を上目遣いで睨みつけ、自力で立ち上がり母親らしき女の元へ走って行った
「聖亞…怪我は無かった?」
髪をべとつくような金色で染め上げ、化粧も濃く、香水の臭い匂いもぷんぷんさせ…
派手な服を纏い、水商売のようにけばけばしい格好をした女は化粧さえ落とせば俺達より少し若く見えた
見てくれだけ見れば少し勘違いした女向けのファッション雑誌のモデルに見えなくない程度に、顔の造詣自体は整っているようだ
しかし、無駄に飾りのついたピンク色のけばけばしい服はこの若いヤンママにメンヘラのようなイメージを抱かせる
それだけならば只のケバくて危ない女なのだが、そいつはキラキラネームらしき息子を抱きかかえると
あろうことかアイシャドウを濃く塗った顔をこちらに向けて、ガンを飛ばすような視線を送ってきやがったのだ
その目つきは息子と同じように、教養を知らない底辺だけが持つ野良犬みたいな負け犬の目付きに見えやがる
類似するものを知っている中で挙げれば河畑の眼光に似ていた。成程、あの女の伴侶は奴と御同類らしい
「おい、樫富…怒るなよ」
耳元で新木の野郎が俺に告げる。まったくどいつもこいつも俺を何だと思っているのか…
まるで人を時限爆弾のように扱いやがる。無理もないが…おれが河畑の野郎をぶちのめしたのは昔の因縁と奴が挑発してきたからだ
小学生高学年の頃ならともかく、今の俺はそう簡単に爆発しねーよ
「あんだけで俺はキレねーよ。むしろ今後の日本の未来が心配になってきたぜ…」
「……ああ、そうだな」
「まぁ、一言くらいは謝ってほしかったけどな」
否定しない新木の真情に苦々しいものを感じ取りながらも、俺達は階段を上り二階に向かった
新木にあえて何も尋ねなかったが、俺は半ば確信していた
あえて言うのなら直感のような…いや、違うな。予感めいたものが俺を突き動かしていた
運命とは変える事の出来ない、神の作った道しるべをあらかじめ無意識の内に読み通ったように
「着いたぞ」
「…予感って言うのもあながち馬鹿に出来ないモンだな」
そして自習室の一室に入ると、後ろの方でマフラーを巻き白いセーターを来た同年代の女
机に向かっているあいつの後姿を確認した後で俺は確信に至った
そいつの正体が石田菜穂子であり、ある意味では俺が今一番会いたくない相手であったということなど
「や! 石田さん元気?」
やっぱり悪い予感が当たった。こいつが決まって俺を連れ出すときは石田菜穂子に遭遇してしまう
菜穂子は新木の野郎の声に振り向いてこちらに視線を送った直後、俺の姿が目に入ると
気恥ずかしそうに即座に視線を逸らしつつ新木のほうに固定した。俺も顔を微妙に背け、あいつの方を見ないことにする
「あ…新木君、一人じゃなかったんですか?」
「こちら絶賛登校拒否中の樫富早岳君です! あの…今日は都合悪かったかなァ?」
「新木、てめぇ……」
嵌められたと、俺は確信した。こいつの悪魔のような計略に
そうだ、思えば元旦の時も古本屋近くの公園に菜穂子が居て都合よくノートなんざ持ってきた時も
こいつの計略が裏にあったからに違いない、今の今まで気付かなかったのは俺の不覚だった
「あ…おれさ、用事思い出したからさ。お二人さんはよろしく」
「ち…ちょっと待ってください。勉強教えてくれるっていったの新木さんじゃないですか!」
「ま、こいつも宿題教えて欲しいらしいから一種に勉強してくれよ。忙しくてホントにゴメン!」
自分勝手な屁理屈を並べ立てる新木は、後ろ向きで入り口の方まで歩いて逃げる準備を始めている
こいつ…いろんな事の尻拭いを俺に押し付ける気だな、最初からそのつもりだったのは間違いない
俺は新木の野郎を引きとめようと、奴に抗議したのだが…
「おい待てよ! 俺は勉強する為に来たんじゃねーぞ」
「じゃあな、俺宿題終わっているから! また遊ぼうぜ」
言うなり、さっさと新木の奴は退散して行った。俺は呆れと怒りと…絶望が無い混ぜになった表情になりながら溜息を吐いた
俺も運動だけはそこそこ出来る方だったが、引き篭もって体力の落ちた今では新木を捕まえる事は至難だ
それにあいつは体育祭の徒競走はいつも一位だと言っていた。脳筋馬鹿ではないのだ
「あーあ、行っちゃったよ…新木君」
「ああ、そうだな。なんて無責任なやつなんだ…」
俺と菜穂子は二人同時に溜息を吐いた。まさかデートの後の再会がこんな形になろうとは思わなかった
互いにあの理不尽を押し付ける新木の所業に対して呆れているところは二人一緒である
それでもあまり腹が立たないというのは、悔しい事にあいつが持つ人望そのものに他ならないのかもしれない
残された俺達は互いの顔を見て、共通の友人に対する破天荒さに呆れ同時に溜息を吐いたのだった




