8月15日の遭遇
俺は逃げていたのかもしれない。迫る恐ろしく巨大な何かと―――
逃げる。と端的に言っても物理的な意味ではない。家を出るにしても適切な年齢になればそうしただろう
未成年で高校生と言うものは、暇はあるが金が無い。金が無いということは世間的には無力なのだ
自分を取りまく環境から逃れえるとしたら、仮に金があったと仮定しての話なのだが
もし、自分に金と力があれば日本と反対側のブラジル、もしくはハワイにでも向かったかもしれない
しかし、それもあくまで仮定は仮定であり。願望…もしくは都合のいい妄想に過ぎない
それは解っている…解っているつもりだった。しかし降り注ぐ現実と言う冷たい雨から、逃れられる術を俺達は持たない
現実から開放される時があるとすれば、それは俺が死ぬ時だろう。命を絶つ手段はこの国にありふれたものだった
だが、自殺する毎年三万人の中に俺は入る気が無い。善悪の感情や、キリスト教徒であるという理由でも無い
おれは、自分の命が誰よりも惜しかったのだ。俺自身が傷付くことを恐れていた
そうするくらいなら他人に暴力を振るい鬱憤を晴らす…俺はそんな男なのだ
だからこそ、菜穂子に俺の本性を見られてしまった時は目の前が真っ黒になってしまった
俺をきっかけにして夢を掴もうとした彼女が、醜く本性を曝け出した俺を見てしまう
それで、彼女から拒否されるのが怖かったのだ。俺はただの臆病者でしかない、河畑の奴と同類だと認識してしまう
どちらかと言うと、暴力は振るわれるより振るう方が大好きな人種なのだ。軽蔑されて当然だ
そして、新木のことも裏切ってしまった。奴は怒っていないと言ったが、俺からすれば裏切りの事実そのものが大罪なのだから
新木は俺を殴る権利があったから、あいつは俺を殴った。しかし、奴は自分自身じゃなくて菜穂子のために俺に制裁を下したと言った
今思えば、新木は俺を信頼していたのだろう。だからあまり口出しをしなかったのだろうか?
もしそうなら、有り難かったと思う反面に迷惑だと言う気持ちが有るのを認めざるを得ない
いっその事縁を切ってくれれば解り易かった。あいつ敵にもその方がずっとやり易いはずだである
だが、新木はそうしなかった。叔父さんに罵倒をぶつけて家を出た俺にあいつは三度手を差し伸べてくれたのだ
「オイ! 何ぶつかっといといてシカトこいてんのや? チャリから下りて謝らんかいボケ!」
自転車で気晴らしに街に出た時、派手な服を着た不良達の脇を通り過ぎた際に俺にいちゃもんを付けて来た
ニット棒、ピアス、ピンク髪、モヒカン…個性的といえば個性的過ぎる連中で、街でも珍しく滅多に見かけない奴らである
ある意味では行き過ぎた現代の個人主義とやらを象徴しているのかもしれない。内面がガキの癖に体だけはデカイという奴だ…俺も他人のことは言えないが
連中が気に召さないのは、どうやらチャリのハンドルがかすかに接触したかららしい。あろうことか怪我をしたので謝れなどと寝言をほざいてきやがる
四人の不良に囲まれる俺。特別体格が大きかったり、背の高い奴はいなかったが数と言うのはそれなりの威圧感を相手に与えられるのは確かだ
つるむのが好きなのか、それとも脳みその容積が狭い低次元の馬鹿は、集団でないと不安になって死ぬ法則があるのかは解らない
(本当にうるさい奴らだ…気晴らしにボコるか?)
もし、俺が文也叔父さんに何も言われなかったとして平常な時に連中に出会っていたら即座に逃げ出したかもしれない
そして、その時の俺は非常に気が立っていた。それに憂さ晴らしで切る相手が欲しかった
絡まれたのは絶好の機会だった。今思えば無謀に過ぎるのだが双方とも険悪な雰囲気に成りつつあったらしい
しかし、互いが血を見ることはないまま、不穏な空気は平和的に収まってしまう
そう、再び新木の奴が俺の前に現れたのだ。まるで計ったような運命的なタイミングで
「ああ、すみません。俺の連れが何かしましたか?」
にこやかに新木は笑みを浮かべて四人を見下ろす。体格の差か、連中は少し警戒した
「おい、新木…」
喧嘩を売られたのはこっちだと言わんばかりに、俺は新木の服を引っ張るが
あいつは俺に黙っていろといわんばかりの視線を返す。怯んだ俺は即座に言葉を引っ込めた
「チィ…今度から気を付けろや、アホな相方のしつけもしっかりしとくんやで!」
数の上では勝っているが、流石に体格差で敵わないと思ったのか連中は足早に去っていく
俺一人をカツアゲしようとしていたのか、それとも確実に勝てる喧嘩しかしたくなかったのか連中は逃げていった
自分達は倍の人数を揃えているのに、少しでも勝算が崩れると退散する奴らはまさにハイエナと呼ぶに相応しい
「おい、余計な事すんな。あんな奴らなんて俺一人で…」
「お前、本気か? それとも馬鹿なのか?」
「まぁ、いい。とにかく付いて来いよ、もしかしたらいいものが見れるかも知れない」
「…?」
俺を宥めつつ言った新木の言葉がどうにも気になるので、こいつについていくことにする
どうせ、暫く家に帰るつもりは無いのだ。半分やけくそのような気持ちだった
今はどうしても叔父さんと顔を合わせたく無かった。ええい…破れかぶれだ、ゲーセンでもどこでも良いので行ってやるよ!
新木にいろいろ話してしまったのは、俺の中でこいつに対する一定の信頼があったからだろうと思う
少なくとも新木は、他人の秘密を面白おかしく吹聴するような人間ではない
こいつは図体がでかいが、心も同じくらい広く理不尽を憎む程度には真っ直ぐで俺はそんな新木が羨ましかった
「ふーん。お前のお婆ちゃん亡くなられたのか?」
「ああ、そのせいで色々ごたごたがあってさ…叔父さんを引き取る事に…なったんだ」
「その叔父さんと何かあったのか?」
思った以上に新木は鋭い。これ以上突っ込まれない為に俺は話を逸らす事になる
「まぁ、家庭の事情って奴だ。お前には関係ない」
「そうか…なら何も言えないな」
意外に早く引き下がった新木。ああ、こいつはこういう奴なんだと俺は再確認する
下手に人の事情に踏み込まず、なるべく相手の意思を尊重する男。それが新木英昭なのだ
「お前さ、将来なりたかったものはないか?」
なりたかったもの、確かにそれは俺にはあったのだ
しかし、それはもう菜穂子が目指してしまっている。その事を突っ込まれるのが嫌だったので別のことを口にする
「…まぁ、有るとしたらプロゲーマーかな」
「それってなんなんだ?」
「ゲームのスーパープレイでテレビ番組に出て賞金を貰う人たちの事。あんま好きじゃねーけど、隣の国にはあるんだよなぁ…
日本じゃ一部の開発者がネタ的な意味で有名になったりするけど、マスコミがアホみたいにサブカル全般を叩くから一般的にあまり良いイメージは無いだろうな
まぁ、ネット対戦やってると俺なんかより上手い人間なんてゴロゴロしてるんだけどさ」
「ふーん。で、それで食っていけそうなのか?」
「全く見込みなし。っていうか最近のテレビ、費用対策でつまんねーバラエティばっか増えてんじゃん
ほら、ひな壇で芸人が自分の身の上話したり食い物食いながら下品に笑ってる奴。何故か売れている事になってる出っ歯の女優モドキや
馬鹿がCD買ってる水準が低いブスアイドルなんかが大声でぎゃーぎゃーうるせえのよ。アレを飯食ってるとき見たら食欲減退必死だぜ?
こんなんじゃ企画通すようなテレビ局なんて無いよ。ネット放送が広まったら解らないけどな」
「色々あるんだな…俺も最近はSNSばっかだけど。けどアイドルの悪口を人前で言うのは止めとけよ、好きな連中もいるんだから」
「わかったよ…そうだ、お前は何になりたかったんだ?」
本屋近くのラーメン屋を離れた辺りで聞いたとき、新木は顎に手を当ててしばし悩んでから言ったのだ
「ああ、俺? そうだな…自分で作ったロボットに乗って宇宙に行きたかった」
「…は?」
俺は思わず口をあんぐりと開けてしまう。優等生であるこいつから予想外の回答が飛び出したせいである
優等生で人望が厚い新木がロボットだと…? 二点を結ぶ線の存在がどうしても浮かばないから
「俺、高専を出たらアメリカの企業に行ってロボット作りたいんだ。その為に今勉強してる」
「あ、ああ…凄いな。頑張れよ……」
素直に俺は驚いていた。新木は荒唐無稽の夢物語を語っているように見えたがその表情は何時になく真面目だ
それにどうやって自分の夢を完遂する手間の進路も決めている。何も考えず適当にアルバイトにでも就ければ良いと考えていた俺とは大違いだ
菜穂子が漫画家、新木が宇宙飛行士(?)……そして俺には何も無い
「学生っていいよな。時間は一杯あるから色々考えられる」
「金は無いけどな」
「まぁな、でも今の世の中でもさ、生きていくだけなら金を稼ぐには困らないと思うぜ」
「お前、簡単に言うなよなぁ…」
俺たちは街を無意味に歩いていく様に見えて。しかし新木は俺を何処かに連れて行きたいかのようだった
こいつが何を考えているのかはわからねぇ、だが今の俺は投げやりなムードで成り行きが動だろうが構わなかった
一応、聞いておくことにする。荒木に限って変な場所に俺を連れ込むことは…無いだろうが
「おい、お前どこに行くつもりなんだ?」
「樫富、どうしたんだ?」
「いや、俺を変な場所に連れこむなんて考えてるんじゃ無いだろうかって思ったからさ」
新木はニヤリと意味深な笑みを浮かべた。全てを知った上で詐欺師の術中にはまりそうな奴を見るような笑み
俺は背筋がゾクっと疼いて、こいつから距離を取った。新木が何かとんでもない事を考えている気がしたからだ
こんなときの新木は何か企んでいると見える。少なくとも経験上ではそうなのだ
「お前、なんか可愛いな」
「はぁ……帰っていいか?」
「冗談だよ」
真顔に戻って新木の奴が言う。まったく…こいつは本当に食えない奴だぜ
だが、最高の友人だと思う。俺の中でこいつだけは味方でいてくれると信じているから




