四 誇りだけでは領地は守れない
その日の夕刻、エドガーの執務室には、領地の主要な役職を担う者たちが集まっていた。
家令のセバスチャン、会計責任者のマティアス、鉱山管理者のヨハン、騎士副隊長のグレゴール、そして嫡男のアルベルトである。
机の上には、村々から届いた報告書と財政帳簿が広げられていた。
「まず、今年の収穫について報告を」
エドガーが促すと、マティアスが一枚の書類を差し出した。
「昨年の秋の長雨の影響が残っております。穀物の収穫量は平年より約二割少なく、冬に備える備蓄も、種として残す分を差し引けば、例年の半分ほどでございます」
「農村への支援は?」
「現時点では、深刻な不足に陥った村はございません。ただし、冬が長引けば、備蓄の少ない村から順に厳しくなる可能性がございます」
エドガーは頷いた。
「備蓄を確認し、必要な村には早めに支援を行う。無理に税を増やすことは避けたい」
「承知いたしました」
次に、ヨハンが報告した。
「北東の鉄鉱山についてですが、崩落した坑道の復旧は、まだ完了しておりません。幸い死者は出ませんでしたが、採掘量は以前の七割ほどに落ちております」
「修繕費は?」
「坑道の支柱、排水設備、作業用の木材、人手を含めて、金貨十五枚ほどと見積もっております」
アルベルトが書類を確認した。
「銀貨に換算すれば三百枚ですね」
「そのとおりです」
この国では、銅貨十二枚が銀貨一枚、銀貨二十枚が金貨一枚と定められている。
日々の買い物や小さな取引には銅貨が使われ、一般の商取引や賃金には銀貨、大きな取引や土地、軍備などには金貨が用いられる。
鉱山の修繕に必要な金貨十五枚は、決して小さな金額ではなかった。
「修繕を先延ばしにすれば、採掘量が戻らないだけでなく、再び崩落する危険もあります」
ヨハンの言葉に、エドガーは険しい顔をした。
「安全を犠牲にしてまで採掘を続けることは許さん。必要な支柱と排水設備を整えることを優先する」
「かしこまりました」
「ただし、修繕の順序と費用は慎重に詰めてくれ。使える木材をすべて新しく買う必要はない。安全を損なわない範囲で、再利用できるものを確認してほしい」
ヨハンは深く頭を下げた。
続いて、アルベルトが口を開いた。
「父上。鉱山から運び出された鉱石の量と、精錬所へ届けられた量に差があるようです」
「どの程度だ?」
「まだ調査の途中ですが、帳簿上の採掘量と運搬記録が一致していません」
「盗難と決めつけるには早いな」
「はい。輸送中の積み替えや、計量の違いも考えられます」
「ならば、採掘場、運搬人、精錬所の三つの記録を照らし合わせる。誰かを疑う前に、事実を確かめることだ」
「承知しました」
グレゴールが、国境警備について報告した。
「北の砦に大きな異常はございません。ただ、冬を前に街道の一部が傷んでおります。荷車が通りにくく、物資の運搬に時間がかかっております」
「補修が必要な場所をまとめてくれ。騎士団の人員を出せるかも検討する」
「はっ」
セバスチャンが帳簿を開いた。
「今年度の収入と支出について、整理したものがございます」
マティアスが説明を引き継いだ。
「領地の収入は、農地の地代や領内の徴収分が金貨換算で二百八十枚、鉱山から百七十枚、森林資源から八十枚、牧畜から六十五枚、市場や通行料などから五十五枚、その他が三十枚でございます」
エドガーは帳簿を見た。
「合計六百八十枚か」
「はい。支出は、騎士や兵士の給与に百九十枚、食料や馬の飼料、装備に百五枚、砦や街道、橋の維持に九十枚、屋敷と行政の運営に六十五枚、鉱山や施設の維持に五十五枚、村々の備蓄と救援に三十五枚、その他が二十五枚でございます」
アルベルトが数字を追った。
「合計五百六十五枚ですね」
「そのとおりでございます。帳簿上では、差し引き百十五枚が残ります」
エドガーは、しばらく黙っていた。
「その全額を自由に使えるわけではないな」
「はい。冬の災害、急な軍備の補充、鉱山の修繕など、予測できない支出がございます。収入も毎年同じとは限りません」
「鉱山の復旧だけで金貨十五枚。さらに街道の補修も必要だ。余裕があるとは言えんな」
アルベルトは、父の言葉を聞きながら帳簿を見つめた。
「王国への納税がないとしても、領地の支出は多いのですね」
「そうだ。辺境伯家は国境防衛を担うため、王国への納税を免除されている。だが、それは領地の収入を自由に使えるという意味ではない」
エドガーは、窓の向こうに広がる山々を見た。
「砦を守り、兵士を養い、道を直し、村々が困窮したときには支えなければならない。国境を守るための費用は、私たちが負うべき責務だ」
セバスチャンが静かに頷いた。
「建国の誓約によって与えられた特別な立場には、それに見合う責任が伴います」
「そのとおりだ」
エドガーは、帳簿を閉じた。
「ヴァルデン家の誇りは、古い血筋や紋章にあるのではない。人々の暮らしを守り、国境を守り、誓いを果たすことにある」
その場にいた者たちは、静かに頭を下げた。




