第二十二章 黒鋼の鷹と銀の狼 ― 八家を結ぶ絆
一 王都から届いた返書
ヴァルデン城に、王都からの返書が届いたのは、朝霧が北の山々を覆い、城の尖塔に淡い陽光が差し始めた頃だった。
執務室では、エドガーが領地の報告書に目を通していた。机の上には、鉱山の修繕費用、春の農作業に必要な種子の数量、橋の補修計画、北方の砦への物資輸送に関する書類が広げられている。
領地の人口は約四万人。
その一人ひとりが暮らしを営み、村や町をつくり、農地を耕し、山から鉱石を掘り出し、森の恵みを利用している。
領主にとって、四万人という数字は単なる統計ではなかった。
冬の食料を必要とする人々であり、春の種を待つ農家であり、鉱山で働く者であり、北の砦を守る兵士たちでもある。
そこへ、執事セバスチャン・ヴァルケンが静かに入室した。
「エドガー様。王都より正式な返書が届いております」
「ご苦労。こちらへ」
セバスチャンが差し出した封書には、王家アウレリア家の紋章が押されていた。
エドガーは封蝋を確かめ、慎重に封を切った。
書状には、先日の返答への謝意と、王都で開催される八つの辺境伯家による協議への出席を求める内容が記されていた。
建国時に交わされた誓約について、各家が改めて確認すべき事項があるという。
「やはり、八家すべてを集めるつもりか」
エドガーは書状を机に置いた。
「王家からの正式な要請でございます。ほかの辺境伯家にも同じ書状が届けられているものと思われます」
「八家が一堂に会するのは、そう頻繁にあることではない」
セバスチャンは静かに頷いた。
八つの辺境伯家は、王家に仕える単なる地方領主ではない。
王国を築いた時代から続く、古い血脈を持つ守護家である。
王家と八家は、建国時に魔法による誓約を交わした。
その誓約は、王国の統治と国境の防衛を互いに担い、どちらか一方が他方を一方的に支配しないことを根本としている。
その誓約に関わる協議であるなら、簡単に済む話ではないだろう。
「アルベルトにも知らせよう。領地の管理について、出発前に確認しておかねばならない」
「承知いたしました」
「それから、グラーフェンハルト家にも連絡を取る。北方の状況について、王都へ向かう前に話しておきたい」
エドガーは、再び書状へ目を落とした。
王都からの招きは、単なる儀礼ではない。
古き誓約が、再び人々の前に姿を現そうとしていた。
二 五百キロの王国
その日の午後、アリアは父の執務室を訪れていた。
机の上には、大きな地図が広げられている。
アルセリア王国の全土を描いた地図だった。
「お父様、この地図を見てもいいですか?」
「ああ。こちらへおいで」
エドガーが椅子を寄せる。
アリアは地図の端から端まで、ゆっくりと目を動かした。
アルセリア王国は、東西およそ五百キロ、南北およそ五百キロの国土を持つ。
人々が暮らす大陸の南部地域、その中央南寄りに位置し、東方諸国に比較的近い場所にある。
国の南側には海が広がり、南の辺境伯領には港を抱える地域も存在する。
王国の北側には山岳地帯と森林が広がり、そのさらに向こうには人々が容易に立ち入ることのできない広大な魔の森が続いていた。
東方には複数の国々があり、西方にも独自の歴史と文化を持つ国々が存在する。
南方には海の道を使い交易相手がいる一方、人口五百万人を抱える軍事国家、アイゼンガルド帝国のような強大な国もあった。
アルセリア王国は決して大陸を支配する大国ではない。
しかし、約三百万人の人々が暮らし、八つの辺境伯家が国境を守る、歴史ある王国だった。
「王国は、こんなに広いのですね」
「そうだ。東西も南北も、およそ五百キロある。馬車で端から端まで移動するとなれば、道の状態にもよるが、かなりの日数が必要になる」
「王都から北のヴァルデン領までも、遠いのですか?」
「近くはないな。王都から北へ向かう街道を進み、いくつもの町や村を通り過ぎて、ようやくこの領地へたどり着く」
エドガーは地図の中央を指した。
「ここが王都だ」
王都は王国の中央部に位置し、王城を中心に広がる大きな都市である。
その外側には、都市を囲むように環状街道が整備されている。
さらに、環状街道から八つの主要街道が各方向へ伸び、それぞれの辺境伯領へと続いていた。
「八つの道があるのですね」
「そうだ。建国の頃から、王都と八つの守護領を結ぶために整えられてきた道だ。今では交易にも使われている」
「道があるから、遠くの人たちとも物を交換できるのですね」
「その通りだ。だが、道を維持するには費用も人手も必要になる。橋が壊れれば修理しなければならないし、山道が崩れれば通れるようにしなければならない」
アリアは地図を覗き込んだ。
王都を中心に、八つの辺境伯領が国境に沿って配置されている。
それぞれの領地は、国境から王国の中央へ向かって、およそ百キロほどの奥行きを持つ。
「辺境伯様たちの土地は、国境からずっと王都の近くまで続いているのですか?」
「すべてが同じ形ではないが、おおむね百キロほど内側へ広がっている。山や川、森の形に合わせて境界を定めているからな」
「では、王都の近くは誰の領地なのですか?」
「王家の直轄地や、ほかの貴族の領地がある。辺境伯家の土地が王都を取り囲んでいるわけではない」
アリアは、地図の中央にある王都と、その周囲の土地を見つめた。
王国の中央には、王家や貴族、商人、職人、農民など、多くの人々が暮らしている。
そして国境には、それぞれ異なる土地を守る八つの家がある。
「八つの家は、みんな同じくらい大きいのですか?」
エドガーは少し考えてから答えた。
「いや。土地の広さも人口も、かなり違う」
三 人口の違う八つの守護領
エドガーは地図の北側に指を置いた。
「まず、北方には三つの辺境伯領がある」
「三つですか?」
「そうだ。中央北部が我がヴァルデン家、北東がグラーフェンハルト家、北西がアイゼンヴァルト家だ」
アリアは、それぞれの領地を順番に見た。
「北は三つの家で守っているのですね」
「北方は山と森が多く、平地が少ない。冬も厳しい。領地そのものは広くても、村や町を築ける場所は限られている」
ヴァルデン領の人口は、およそ四万人。
隣接するグラーフェンハルト領も約四万人、アイゼンヴァルト領も同じく四万人ほどである。
北方三領を合わせても、人口は約十二万人にとどまる。
それでも、守らなければならない土地は広大だった。
山道の見張り、森林の管理、砦の維持、鉱山の安全確保、冬季の物資輸送。
人口の少なさは、決して仕事の少なさを意味しない。
むしろ、少ない人手で広い土地を守らなければならない厳しさがあった。
「では、ほかの五つの家は?」
「東に二家、西に二家、南に一家だ」
エドガーは、東方の境界を指した。
東方のフェルゼンリート家と、東南方面のシュタールヴァルト家。
西方にはリューネンベルク家、西南にはローゼンハイム家。
そして南にはゾンネンフェルト家がある。
それぞれの領地人口は、おおむね十万人ほどだった。
「どうして、南や東や西の領地は人が多いのですか?」
「土地の性質が違うからだ。東には鉱山と街道があり、西には河川と農地がある。南には温暖な平野や港があり、交易も盛んだ」
「北は山が多いから、村をたくさん作れないのですね」
「そういうことだ」
アリアは、北方の三領を見つめた。
人口だけを比べれば、南・東・西の五家の領地には、北方三領の四倍以上の人々が暮らしている。
しかし、北方の三家が守る土地は、決して小さくない。
「北の人たちは、少ない人数で頑張っているのですね」
「そうだな。だからこそ、隣の領地との協力が重要になる」
エドガーは、ヴァルデン領とグラーフェンハルト領の境界を指でなぞった。
「隣り合う領地であっても、必要なものは同じではない。互いの事情を理解し、助け合わなければならない」
アリアは、地図に描かれた境界線を見た。
一本の線で分けられた土地の向こうにも、同じように暮らす人々がいる。
四 黒鋼の鷹からの返書
数日後、グラーフェンハルト家から返書が届いた。
黒い封蝋には、翼を大きく広げた鷹の紋章が刻まれている。
エドガーが封を開くと、ヴォルフラムからの簡潔な返事が記されていた。
王都からの招集を受け、出席する意向であること。
その前に、北方三領の防衛状況について話し合いたいこと。
そして、可能であればヴァルデン城を訪れたいという申し出だった。
「ヴォルフラム殿も、王都へ向かう前に話をしておきたいようだ」
エドガーは書状を読み終え、アルベルトへ渡した。
「北方三家で、事前に情報を共有しておくのは大切ですね」
アルベルトは書状に目を通した。
十五歳の彼は、次期領主として父の仕事を学び始めている。
領地の財政、農業、鉱山、砦の管理。
一つひとつの問題に目を向けるたび、領主という立場がどれほど多くの責任を伴うものかを知るようになっていた。
「北方の砦の状況も、まとめておいた方がよさそうですね」
「そうだ。特に、雪解け後の道路と橋の状態は確認しておきたい。鉱山の修繕もまだ終わっていない」
「わかりました。マティアスにも協力を頼み、必要な費用と物資を整理しておきます」
そこへ、アリアがミーナ・ベルとともに入ってきた。
「お父様、お客様がいらっしゃるのですか?」
「ああ。グラーフェンハルト家のヴォルフラム殿が来られる」
「黒い鷹の紋章のお家ですね」
「そうだ。以前、北の砦で会ったことがあったな」
アリアは頷いた。
大きな身体と落ち着いた声。
黒い鋼の鎧を身につけ、鋭い灰青色の瞳で遠くを見つめる男性。
アリアにとって、ヴォルフラムは強く、少し近寄りがたい印象の人物だった。
「今度は、お城にいらっしゃるのですね」
「そうだ。北方の守りについて話をする。お前も、無理のない範囲で同席してよい」
「ありがとうございます」
アリアは、地図の上に描かれた黒い鷹の紋章を見つめた。
銀の狼と黒鋼の鷹。
違う紋章を掲げながら、同じ北の土地を守る二つの家だった。
五 黒鋼の鷹との再会
ヴォルフラム・グラーフェンハルトがヴァルデン城を訪れたのは、数日後の昼過ぎだった。
城門の前には、少数の騎士と護衛を伴った一団が到着していた。
黒鋼を思わせる落ち着いた色の鎧。
馬具にも黒と銀の装飾が施され、騎士たちの胸には翼を広げた鷹の紋章が輝いている。
出迎えたエドガーは、ヴォルフラムの前へ進み出た。
「遠路はるばる、ようこそヴァルデンへ」
「歓迎に感謝する。北の道は、今年も雪解けの影響を受けているようだな」
「まだ完全には落ち着いていない。橋も道路も、順番に確認しているところだ」
二人は固く握手を交わした。
ヴォルフラムは四十代半ばほどの男性で、背が高く、肩幅も広い。灰色を帯びた濃い髪と、鋭い灰青色の瞳が印象的だった。
彼の表情には厳しさがあるが、エドガーを見る目には長年の信頼が感じられた。
「アルベルト殿も、久しぶりだな」
「お久しぶりです、ヴォルフラム様」
「以前より、ずいぶんと領主らしい顔になった」
「まだ学ぶことばかりです」
「その心構えを忘れなければよい」
ヴォルフラムは、アルベルトの肩に軽く手を置いた。
そして、エドガーの傍らに立つアリアへ視線を向けた。
「アリア嬢も元気そうだな」
「お久しぶりです。ようこそ、ヴァルデンへ」
アリアは、小さく礼をした。
「こちらこそ。再び会えて嬉しい」
ヴォルフラムは、わずかに目元を和らげた。
「以前、砦で会った時より、少し大人びたように見える」
「そうでしょうか?」
「子供は、気づかぬうちに成長するものだ」
その言葉に、エドガーが小さく笑った。
一行は城内へ案内され、会議室へと向かった。
六 鷹と狼、それぞれの誇り
会議室には、北方の地図が広げられていた。
壁際には、ヴァルデン家の銀の狼の紋章旗が掲げられている。
ヴォルフラムはその旗を見上げ、静かに言った。
「いつ見ても、よい紋章だ」
「我が家が大切にしてきたものだ」
エドガーは、銀の狼が描かれた旗を見た。
「狼は一頭ではなく、群れで生きる。互いに支え、弱った仲間を見捨てず、群れ全体で生き延びる。ヴァルデン家が大切にしてきたのは、その姿だ」
「なるほど。だからこそ、領民との結びつきを重んじるのだな」
「領主だけで領地を守れるわけではない。兵士だけでも、騎士だけでもない。農民も、職人も、商人も、それぞれが自分の役割を果たしている。誰か一人が欠けても、暮らしは成り立たなくなる」
ヴォルフラムは、頷いた。
「我が家の鷹は、少し違う」
彼は自分の胸に刻まれた紋章を指した。
「鷹は高く飛び、遠くを見渡す。危険が迫る前にそれを見つけ、仲間へ知らせる。敵を見つけるだけが役目ではない。雪崩の兆し、山道の崩落、森の異変、川の増水も同じだ」
「遠くを見ることで、仲間を守るのですね」
アリアが尋ねると、ヴォルフラムは彼女を見た。
「その通りだ。危険が目の前に現れてからでは、間に合わぬこともある。遠くを見る者がいれば、備える時間を得られる」
「でも、見つけたことを知らせなければ、みんなには伝わらないのですね」
「よく気づいたな。見つけることと、伝えること。その両方があって初めて役に立つ」
アリアは、黒鋼の鷹の紋章を見つめた。
遠くを見て危険を知らせる鷹。
仲間を支え、群れを守る狼。
二つの家の考え方は異なるが、どちらも人々を守るためのものだった。
「狼が群れを守り、鷹が遠くを見て知らせる。北方を守るには、どちらも必要だな」
エドガーが言った。
「その通りだ。どちらか一方だけでは、北方の守りは成り立たない」
ヴォルフラムは、地図へ視線を戻した。
「北には、我ら二家だけでなく、アイゼンヴァルト家もいる。三家の連携を、今まで以上に確かなものにしたい」
七 異なる領地、異なる願い
会議が始まると、エドガーはヴァルデン領の現状を説明した。
昨年の長雨による農作物の減収。
村々に残る食料備蓄の不足。
北東の鉄鉱山の一部崩落と、生産量の低下。
修繕には金貨十五枚相当の費用が見込まれているが、安全を優先するため、作業を急ぐことはできない。
また、雪解け後の橋や道路の点検も必要だった。
ヴォルフラムは、一つひとつの報告に耳を傾けた。
「我が領地でも、農地の収穫は十分ではない。山間部の集落では、冬の長さが食料事情に影響している」
「北東の砦への物資輸送はどうだ?」
「今のところ問題はない。ただし、山道の一部は雨が続けば危険になる。補修が必要な場所を調べているところだ」
「我が領地の北西側では、森林から流れ出る水によって小さな橋が傷んでいる。アイゼンヴァルト家にも確認を頼みたい」
「それはよい。三家で情報を共有すべきだ」
ヴォルフラムは、地図の北方に目を向けた。
「我ら北方三家は、人口だけなら南や東西の辺境伯家に及ばない。だが、守らねばならない土地は広い。村と村の距離も遠く、物資を運ぶだけでも時間がかかる」
「だからといって、兵士や騎士を増やし続けるわけにもいかない」
エドガーは、机の上の予算書を指で押さえた。
「領地の収入には限りがある。防衛費を増やせば、道路や橋、農地の整備に回せる費用が減る。領民の暮らしを圧迫すれば、長い目で見て領地そのものが弱くなる」
「その通りだ。兵士を養う食料も、馬の飼料も必要だ。武具は作れば終わりではない。修理や交換にも費用がかかる」
ヴォルフラムは、少し考えてから続けた。
「だから、三家で同じものを別々に整えるのではなく、共同で利用できるものを考えてもよい。街道の補修に必要な資材、砦への物資輸送、山道を知る案内人。互いに融通できるものはあるはずだ」
「ただし、どの家も自領の責任を果たすことが前提だ」
「もちろんだ。助け合いとは、相手に負担を押しつけることではない」
アリアは、二人の話を静かに聞いていた。
領地が違えば、困っていることも違う。
ヴァルデンには鉱山の問題があり、グラーフェンハルトには山道と砦の問題がある。
それぞれが自分の領地を守りながら、必要なときには協力する。
簡単なことではない。
それでも、互いの事情を知ることから始めなければ、助け合うこともできないのだろう。
八 建国の誓約に刻まれたもの
話題は、やがて王都から届いた書状へ移った。
ヴォルフラムは、懐から王家の書状の写しを取り出した。
「今回の招集は、単なる定例協議ではないようだ」
「私もそう考えている。王家が建国時の誓約を改めて確認したいというのは、何か理由があるのだろう」
「誓約に関する古い記録を、王城で調べ直しているという話も聞いた」
エドガーは、わずかに眉を寄せた。
「その話は初めて聞いた」
「まだ確かな情報ではない。だが、八家すべてを招集する以上、何らかの確認事項があるのだろう」
ヴォルフラムは、会議室の壁に掲げられた銀の狼の旗を見た。
「我らの祖先が王家と誓約を交わしたのは、約七百八十年前だったな」
「そうだ。王国が成立した時だ」
建国以前、この地域には複数の領主や小国が存在していた。
王家アウレリア家の祖先は、それぞれの土地を守っていた八つの古い家系と協力し、王国を築いた。
その際、八家は王家の臣下として土地を差し出したのではない。
それぞれの土地と血脈を守りながら、王国全体を守るための約束を交わしたのである。
王家は王都と中央の統治を担い、八家はそれぞれの国境を守る。
互いの権利を侵さず、互いの責務を果たす。
その誓約は、魔法によって結ばれた。
「誓約が破られれば、王家と王都の貴族たちの血脈が絶え、国土には災厄が訪れると伝えられている」
エドガーの声は静かだった。
「だからこそ、王家は八家を一方的に従わせることができない。逆に、我らも王家を軽んじることは許されない」
「王国は、王家だけで成り立っているのではない」
ヴォルフラムが言った。
「八家だけでも成り立たない。中央の貴族も、町の商人も、農村の人々も、それぞれが役割を担っている。誓約は、そのすべてを支える土台の一つだ」
「建国時の約束を、今の時代にどう受け継ぐか。それを確認する必要があるのだろう」
「そうだな。王都で何が話し合われるにせよ、我らは誓約の意味を忘れてはならない」
アリアは、二人の言葉を聞いていた。
王家と八つの家。
それぞれが違う土地に暮らし、違う仕事をしている。
それでも、一つの約束によって結ばれている。
「お父様」
「どうした?」
「八つの家は、みんな同じ考えではないのですよね?」
「もちろんだ。土地も違えば、暮らしも違う。必要なものも、考え方も異なる」
「それでも、約束を守るのですか?」
エドガーは、アリアの目を見た。
「意見が違うことと、約束を守ることは別だ。違う考えを持つからこそ、話し合わなければならない」
ヴォルフラムも頷いた。
「意見が一つになるまで待っていては、守れるものも守れなくなる。互いの違いを理解し、譲れるところと譲れないところを確かめる。それが協議というものだ」
アリアは、地図の上の八つの領地を見つめた。
同じでなくても、共に歩くことはできる。
そのためには、相手の暮らしを知り、話を聞くことが必要なのだ。
九 鷹と狼の約束
夕刻、ヴォルフラムは帰路につく前に、エドガーと再び向き合った。
「王都では、北方三家の立場を確認しておきたい。特に、人口の少ない北方の事情が、中央に正しく理解されているかどうかだ」
「私も同じ考えだ。人口だけを見て、防衛の負担を判断されては困る」
「南・東・西の五家は、それぞれ十万人ほどの人口を抱えている。北方三家は、それぞれ四万人ほどだ。だが、人口の違いだけで国境の重要性を測ることはできない」
「その通りだ。北方の地形と距離、冬の厳しさ、砦の維持費。それらを含めて考えなければならない」
二人は、しばらく地図を見つめた。
「王都での協議がどう進むかは、まだわからない」
ヴォルフラムが言った。
「だが、北方三家だけでなく、八家全体が互いの事情を理解する必要がある。国境を守る家同士が争っていては、守れるものも守れなくなる」
「同感だ」
エドガーは手を差し出した。
「ヴァルデン家は、グラーフェンハルト家との協力を続けたい。北方の道を守り、互いの領民を守るために」
ヴォルフラムは、その手を強く握った。
「グラーフェンハルト家も同じだ。鷹は遠くを見て危険を知らせる。狼は群れを守り、互いに支える。異なる誇りを持つ二つの家だが、守るべきものは同じだ」
「これからも、よろしく頼む」
「こちらこそ」
二人の手が離れる。
窓の外では、夕陽が北の山々を赤く染めていた。
黒鋼の鷹を掲げるグラーフェンハルト家の一行は、やがて城門をくぐり、北東へ続く道へと進んでいった。
その姿が見えなくなるまで、エドガーとアルベルトは城門の近くに立っていた。
アリアも、ミーナの傍らで遠ざかる騎士たちを見送った。
「お父様。王都には、ほかの辺境伯様たちも集まるのですね」
「ああ。八つの家が、それぞれの領地から集まることになる」
「どんな方たちなのでしょう」
「それぞれ違う。山を守る家もあれば、鉱山を守る家、河川を守る家、農地を守る家、海を守る家もある」
「みんな、違うものを守っているのですね」
「そうだ。そして、それぞれが守るものを持ち寄ることで、王国全体を支えている」
アリアは、遠くに見える山並みを見つめた。
ヴァルデン家の銀の狼。
グラーフェンハルト家の黒鋼の鷹。
まだ見ぬ六つの家にも、それぞれの歴史と誇りがあるのだろう。
彼らは同じ王国に暮らしていても、同じ土地を見ているわけではない。
雪深い北の山々を見つめる者もいれば、鉱山の火を守る者、広い農地を守る者、川の流れを見守る者、海の向こうを見つめる者もいる。
それぞれの土地で、人々の暮らしを守っている。
アリアは、胸の内に小さな思いを抱いた。
いつか、その人たちの話を聞いてみたい。
どんな土地で暮らし、何を大切にし、どんな困難を乗り越えてきたのか。
そして、八つの家を結ぶ古い誓約が、なぜ今になって改めて動き始めたのか。
王都へ向かう日が近づいていた。
北の銀の狼は、南へ続く長い道を見つめている。
その先には、王家と七つの守護家が待っていた。
建国から七百八十年。
古き誓約に結ばれた八つの家が、再び一つの場所に集おうとしていた。




