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空を翔ける辺境令嬢 ― 漆黒の瞳に映る、新しい世界 ―  作者: さざ波和音


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第十九章 森に眠る古き石碑 ― 二千年前の記憶

一 森から届いた知らせ

 春の陽射しが深まるにつれ、ヴァルデン領の森にも新緑が広がっていた。


 雪解け水を含んだ土は柔らかく、木々の根元には小さな草花が顔を出している。鳥たちの声が枝から枝へと渡り、冬のあいだ静まり返っていた森には、少しずつ命の気配が戻ってきていた。


 その日の午前、屋敷の執務室に一通の報告書が届けられた。


 差出人は、森の管理を担うヴィルヘルム・ホルツナーだった。


 報告書には、北西部の森林地帯で古い石造物らしきものが見つかったと記されていた。


 発見したのは、森林道の補修に出ていた作業員たちだった。


 倒木を片づけ、斜面に流れた土砂を取り除いていたところ、土の中から人工的に加工された石の一部が現れたという。


 最初は古い境界標か、かつての山道に使われた石材だと思われた。


 しかし、周囲の土を少し取り除いてみると、そこには石を積み重ねた壁のようなものが続いていた。


 さらに、壁の一部には、見慣れない文字らしき刻み目が残されていた。


「古い遺構かもしれませんな」


 報告書を読み終えたエドガーが言った。


 隣にいたアルベルトも、書面を覗き込む。


「この森に、昔の建物があったのでしょうか?」


「可能性はある。だが、いつの時代のものかは分からない」


 エドガーは地図を広げた。


 発見場所は、領都から北西へ数日かかる森林地帯だった。人々が普段薪を集めたり、木材を切り出したりする場所よりも奥にある。


 それでも、魔の森の深部に踏み込むほど遠くはない。


 人の往来が少なく、古い道もすでに失われている地域だった。


「ヴィルヘルム殿には、周囲を荒らさないよう伝えてあるそうです」


 セバスチャン・ヴァルケンが報告した。


「石を動かしたり、刻まれた文字を削ったりしてはおりません。現在は発見場所を目印で囲い、必要以上に人が立ち入らないようにしているとのことです」


「よい判断だ」


 エドガーは頷いた。


「古いものなら、そこに残されたもの自体が大切な記録かもしれない。まずは状態を確かめよう」


 アルベルトが地図上の場所を指で示した。


「このあたりは、以前から人があまり入らない地域ですね。森の管理記録にも、古い道があったという記述はありません」


「だからこそ、何が残っているのか分からない」


 エドガーは少し考えたあと、アリアのほうへ視線を向けた。


「アリア。以前、古い歴史に興味を持っていたね。今回の調査に同行してみるかい?」


 アリアは目を輝かせた。


「石碑を見られるのですか?」


「まだ石碑と決まったわけではない。古い建物の跡かもしれないし、ただの石積みかもしれない。危険がないと確認できる範囲で見せよう」


「はい。ぜひ行ってみたいです」


「ただし、森の奥へ入る。グレゴール殿たちの指示には必ず従うこと。勝手に離れてはいけないよ」


「分かりました、お父様」


 ミーナは少し心配そうにアリアを見た。


「防寒具と歩きやすい靴をご用意いたします。森では足元が滑りやすいですから」


「ありがとう、ミーナ」


 こうして、遺構の調査に向けた準備が始まった。


二 森を知る者たち

 翌朝、一行は屋敷を出発した。


 同行するのは、エドガー、アルベルト、アリア、ミーナ・ベル、グレゴール・ドラーヴェン、そして森の管理責任者ヴィルヘルム・ホルツナーだった。


 荷物には食料、水、救急用の道具、縄、測量用の道具、記録帳などが積まれている。


 大人数ではないが、森の中で必要になるものは揃えてあった。


 レオンは北方の砦で訓練と巡回に参加しており、今回の調査には同行していない。


 出発前、アルベルトが弟から届いた手紙をエドガーに渡していた。


 北方の巡回路は雪解けでぬかるんでいるものの、大きな問題はないという報告だった。


「レオンは、もう少し北の道を覚える必要があるな」


 エドガーは手紙をしまいながら言った。


「本人も、砦で学ぶことが多いと書いていました」


 アルベルトが答える。


「そうか。あの子らしいな」


 馬車で進めるのは森林道の入口までだった。


 そこから先は道が細くなるため、徒歩で進むことになる。


 ヴィルヘルムは先頭に立ち、木々の間に続く道を確かめながら歩いた。


「このあたりは、昔から木材を採る場所ではありません。斜面が急で、木を運び出すにも手間がかかります。水源に近い場所もありますから、むやみに木を切らないようにしています」


「古い石造物が見つかったのは、その先ですか?」


 アルベルトが尋ねた。


「はい。少し開けた場所です。倒木と土砂が重なっていて、今までは気づきませんでした」


「人が暮らしていた場所なのでしょうか」


 アリアが尋ねる。


 ヴィルヘルムは少し考えてから答えた。


「それはまだ分かりません。建物の跡なら、人が使っていたのでしょう。しかし、何のために作られたのかまでは見当がつきません」


「森の中に、昔の村があったのかもしれませんね」


「そうかもしれません。ですが、今のところ家屋の跡や畑の跡は見つかっていません」


 ヴィルヘルムは、森の斜面を見上げた。


「森は、長い年月のあいだに姿を変えます。人が使わなくなった道は草木に覆われ、建物は崩れ、石さえ土に埋もれてしまいます。ここが昔どんな場所だったのか、すぐに答えを出すことはできません」


 アリアはその言葉を聞き、静かに頷いた。


 森の中では、何百年という時間も、何千年という時間も、人間の暮らしとは違う速さで積み重なっていくのだろう。


三 土の下から現れた石壁

 昼前、一行は発見場所に到着した。


 そこは、周囲の木々が少しだけ途切れた緩やかな斜面だった。


 大きな樹木の根が地面を覆い、苔むした石があちこちに顔を出している。


 その中央に、人工的に積まれた石壁が残されていた。


 壁の高さは、地面から見える部分だけで人の腰ほどある。


 しかし、下部はまだ土に埋もれているらしい。


 石の表面には苔が厚くつき、長い年月を経て角が丸くなっていた。


「ここです」


 ヴィルヘルムが指し示した。


「作業員たちは、この石壁の端を見つけました。周囲を少しだけ確かめたところ、壁がさらに奥へ続いていることが分かったそうです」


 グレゴールは先に進み、周囲を注意深く確認した。


「足元に崩れた石があります。ここから先は、私の指示に従ってください」


「分かった」


 エドガーが答える。


 アリアもミーナの手を握り、ゆっくりと石壁へ近づいた。


 石壁の一部には、細かな模様が刻まれていた。


 曲線が幾重にも重なり、その間に小さな記号のようなものが並んでいる。


 文字なのか、装飾なのか。


 アリアには判断できなかった。


「これは、何かの文字でしょうか?」


 アルベルトが石壁を見つめながら尋ねた。


 ヴィルヘルムは首を横に振った。


「私には分かりません。村の古老にも見てもらいましたが、見覚えはないそうです」


 エドガーは石の表面に手を伸ばしかけ、途中で止めた。


「触れずに見ておこう。崩れる可能性もある」


 フリードリヒ・クリスタルヴェルクも、この調査に呼ばれていた。


 彼は石壁の前にしゃがみ込み、刻まれた模様を注意深く観察していた。


「文字である可能性はあります。ただ、現在使われている文字とは、形も並び方も違いますね」


「魔法に関係するものか?」


 エドガーが尋ねる。


「それも分かりません。模様の一部には、魔石の加工に使われる刻印と似た形があります。しかし、似ているからといって、同じ意味だとは限りません」


 フリードリヒは、手帳に模様を写し取った。


「石を削って調べることは避けたいですね。まずは全体の形を記録し、周囲に何が残っているかを確認するべきです」


 そのとき、アルベルトが石壁の向こうを指さした。


「父上、あちらにも石が続いています」


 石壁の先には、地面に半ば埋もれた平らな石が並んでいた。


 それは、かつて床として使われていたようにも見えた。


 さらに奥には、倒れた柱のような石材が横たわっている。


「建物の跡かもしれないな」


 エドガーが言った。


 ヴィルヘルムは周囲を見渡した。


「ここは斜面の水が集まる場所ではありません。建物を造るには、比較的安定した地面だったのでしょう。ただし、今の状態で全体を掘り出すのは危険です」


「まずは崩れない範囲で調査する。人手を増やす場合も、専門家の意見を聞いてからにしよう」


 エドガーはそう決めた。


四 古き石碑に刻まれた言葉

 午後、石壁の奥で、一枚の大きな石板が見つかった。


 それは、倒れた柱の陰に隠れるようにして横たわっていた。


 石板の表面には、石壁と同じ模様が刻まれている。


 しかし、こちらには明らかに文字と思われる記号が、何段にもわたって並んでいた。


 フリードリヒは、息を呑んだ。


「これは……石碑でしょうか」


 石板の幅は大人の背丈ほどあり、厚みもかなりある。


 表面は風雨にさらされたように摩耗していたが、文字の一部は今も読み取れそうなほど残っていた。


「何が書かれているのでしょう?」


 アリアが尋ねる。


「残念ながら、今の私たちには読めません」


 フリードリヒは答えた。


「古い文字の研究をしている学者に見てもらう必要があります。ただ、ここに残された文字が、単なる装飾ではないことは確かでしょう」


 アルベルトは石板の周囲を観察した。


「文字の大きさが揃っていますね。何かを記録するために刻まれたように見えます」


「そうだな」


 エドガーが頷く。


「誰かが、後の時代に伝えたいことを残したのかもしれない」


 フリードリヒは、石板の表面を傷つけないよう、少し離れた場所から模写を始めた。


 そのとき、彼の視線が一つの記号に留まった。


「この形……」


「何か分かったのか?」


「いえ。以前、古い魔石の表面に似た刻印を見たことがあります。ただ、それが何を意味するのかは分かりません」


 彼は記号をもう一度確かめた。


 石碑の中央付近には、三つの大きな円のような図形が刻まれていた。


 その三つは、細い線で互いにつながっている。


 さらに、その下には大きな一つの円を思わせる図形があった。


「三つの円と、一つの円……」


 アルベルトが呟いた。


「何かの地図でしょうか?」


「そうかもしれません。あるいは、何かの象徴かもしれない」


 フリードリヒは慎重に答えた。


 アリアは、三つの円を見つめた。


 前世の知識が、彼女の記憶の奥で小さく揺れた。


 地図。


 大陸。


 地形の変化。


 けれど、この世界の歴史を彼女はほとんど知らない。


 三つの円が何を示しているのか、今の段階で推測することはできなかった。


「この石碑は、いつ頃のものなのでしょう?」


「まだ分かりません。石の種類や加工方法、周囲の土の状態などを調べる必要があります」


 フリードリヒは、石碑から目を離さずに言った。


「ただ、少なくとも現在の王国が建国されるより、はるかに古いものかもしれません」


五 二千年前の大災厄

 夕刻、調査隊は屋敷へ戻った。


 その夜、執務室にはエドガー、アルベルト、フリードリヒ、そして家庭教師のローレンツ・ヴァイスフェルトが集まっていた。


 ローレンツは、石碑の模写を一枚ずつ確認していた。


 彼は長年、歴史や地理、古い記録を研究してきた学者でもある。


「この模様は、現在のアルセリア王国で使われている文字とは違いますね」


「読めそうか?」


 エドガーが尋ねた。


「すぐには難しいでしょう。文字の形が分かっても、その意味を知る手掛かりがありません。現在の言葉と同じ系統なのか、それとも全く別の言葉なのかも分かりません」


 ローレンツは三つの円が描かれた部分を指した。


「ただ、この図形には興味深い点があります」


「三つの円か」


「はい。古い伝承には、二千年ほど前に三つの大陸が存在していたという話があります」


 アルベルトが顔を上げた。


「三つの大陸ですか?」


「ええ。現在の大陸が一つになる前、この世界には大きな大陸が三つあったと伝えられています。それぞれの大陸には、いくつもの国があり、魔法を使う者たちが高度な文明を築いていたそうです」


「それは、確かな記録に残っているのか?」


 エドガーが尋ねる。


「残念ながら、確かな記録はほとんどありません。現在の王国が建国されるより、さらに千年以上も前の話です。多くは古い伝承や断片的な記述によるものです」


 ローレンツは別の紙を取り出した。


「伝承によれば、その時代には魔法が今よりもはるかに広く使われていたそうです。魔法を扱う者たちは、遠く離れた場所と連絡を取り、巨大な建造物を造り、自然の力さえ操ったとされています」


「それほどの力があったのなら、なぜ文明が滅びたのですか?」


 アルベルトの問いに、ローレンツはしばらく黙った。


「二千年前に、大きな災厄が起きたと伝えられているからです」


 部屋の空気が静かになった。


「魔法を使う者たちが、その力を過信した。あるいは、禁じられた術に手を出した。その結果、世界そのものに大きな変化が起きたという話があります」


「世界に変化?」


「三つの大陸が一つになり、多くの土地が失われた。人々の数も大きく減り、魔法を扱う知識の多くが失われたとされています」


 フリードリヒは、石碑の模写を見つめた。


「それが本当なら、魔法の技術も、魔石の扱い方も、今とは比べものにならないほど進んでいたのでしょうか」


「そうかもしれません。しかし、どこまでが事実なのかは分かりません」


 ローレンツは言葉を選んだ。


「ただ、現在の私たちが使っている魔法や魔道具の技術は、古代の知識をそのまま受け継いだものではありません。大災厄のあと、長い年月をかけて、人々が少しずつ見つけ直してきたものです」


 エドガーは腕を組んだ。


「三つの大陸が一つになったという伝承と、この石碑の図形が関係している可能性はあるな」


「はい。ただし、図形だけで結論を出すことはできません」


 ローレンツは石碑の模写を丁寧に揃えた。


「この石碑が本当に二千年前のものなら、現在の歴史を考えるうえで重要な手掛かりになるでしょう」


六 失われた知識の影

 翌日、ローレンツはアリアにも石碑について説明した。


 アリアは机の上に置かれた模写を見つめていた。


「先生。この石碑には、魔法のことが書かれているのでしょうか?」


「その可能性はあります。しかし、まだ分かりません」


「二千年前の人たちは、今よりもたくさん魔法を使えたのですか?」


「伝承ではそうなっています。今では一部の人しか使えない魔法を、多くの人が生活や仕事に利用していたとも言われています」


「それなら、どうして今は使えなくなってしまったのでしょう?」


 ローレンツは、すぐには答えなかった。


「大災厄によって、魔法に関する知識が失われたからだと考えられています。けれど、それだけでは説明できないこともあります」


「説明できないこと?」


「古い記録には、魔法を使う者が突然力を失ったという話もあります。魔法の知識だけでなく、魔法そのものに関わる何かが変わってしまったのかもしれません」


 アリアは考え込んだ。


 前世の世界では、魔法は物語や想像の中にあるものだった。


 しかし、この世界では実際に存在している。


 それなのに、二千年前には今よりもはるかに多くの人が魔法を使い、その力を失ったという。


「先生。大災厄で、関係のない人たちも被害を受けたのでしょうか?」


 ローレンツはアリアを見た。


「ええ。そう考えられています。禁じられた術に関わった者だけでなく、何も知らずに暮らしていた人々も、多くが災厄に巻き込まれたのでしょう」


「それは、悲しいことですね」


「そうですね。歴史を学ぶのは、過去の偉大な出来事を知るためだけではありません。何が人々を苦しめ、何を守れなかったのかを知るためでもあります」


 アリアは石碑の模写を見つめた。


 そこに刻まれた文字を読むことはできない。


 けれど、誰かが何かを伝えようとして、この石に文字を刻んだのだ。


 その人たちは、何を見て、何を恐れ、何を後の世に残そうとしたのだろう。


「先生。いつか、この文字を読めるようになるのでしょうか?」


「簡単ではありません。しかし、手掛かりが増えれば、少しずつ分かることもあるでしょう」


「私も、読めるようになりたいです」


 ローレンツは微笑んだ。


「ならば、今学んでいる文字や歴史を大切にしなさい。知らないものを理解するには、まず知っていることを増やす必要があります」


「はい」


 アリアは、石碑の模写をそっと机に戻した。


七 石碑を守る者たち

 数日後、エドガーは石碑の保護について正式な指示を出した。


 発見された場所は、当面のあいだ立ち入りを制限することになった。


 森の管理責任者ヴィルヘルム・ホルツナーが、現地の保護と見回りを担当する。


 グレゴール・ドラーヴェンの部隊からも、必要に応じて巡回の協力を受けることになった。


 ただし、兵を大量に送り込むような措置は取らない。


 現在のところ、遺構に危険があるという報告はなく、周辺の森を必要以上に荒らす理由もなかった。


 フリードリヒは石碑の模写を整理し、ローレンツとともに古い文字や記号の研究を始めることになった。


 また、王都の学者に報告するかどうかについても検討が行われた。


「王都へ報告すれば、研究者を派遣してもらえる可能性があります」


 セバスチャンが言った。


「しかし、まだ発見されたものの全体像が分かっていません。調査が不十分なまま情報を広めれば、好奇心から人が集まることも考えられます」


 マティアス・クロイツフェルトが慎重に意見を述べた。


「人が集まれば、食料や宿泊場所、護衛の費用も必要になります。領地の財政には余裕がありません」


「急ぐ必要はない」


 エドガーは答えた。


「まずは現地の安全を確保し、石碑の記録を整える。価値が明らかになれば、王都への報告も考えよう」


 アルベルトは、父の言葉を聞きながら書類に目を通していた。


「石碑の保護と調査に必要な費用を、鉱山の修復費や橋の補修費と分けて管理したほうがよさそうですね」


「そうだな。調査のために、領民の暮らしに必要な費用を削るわけにはいかない」


 エドガーは息子の提案を認めた。


 この遺構がどれほど重要なものなのかは、まだ分からない。


 けれど、分からないからこそ、慎重に守らなければならなかった。


八 森の奥に残されたもの

 春の夕暮れ。


 アリアは屋敷の庭に立ち、遠くの森を眺めていた。


 森の向こうには、さらに深い森が広がっている。


 人々が薪を集め、木材を切り出し、獣を追う森。


 そして、その先には、人の足がほとんど届かない魔の森がある。


 今回見つかった石碑は、魔の森の中ではなかった。


 けれど、そこに刻まれていたものは、今の人々が知らない時代へとつながっている。


 二千年前。


 三つの大陸。


 魔法文明。


 そして、大災厄。


 それらは、まだ断片的な言葉でしかなかった。


「アリア様」


 ミーナが庭へやってきた。


「少し冷えてまいりました。お部屋へ戻りましょう」


「ミーナ。二千年前の人たちは、今の私たちと同じように暮らしていたのでしょうか?」


「どうでしょう。今よりも便利な道具があったのかもしれませんし、違う暮らしをしていたのかもしれませんね」


「その人たちも、家族がいて、食事をして、働いていたのでしょうね」


「きっと、そうでしょう」


 アリアは森を見つめた。


「石碑を作った人は、何を伝えたかったのでしょう」


「いつか分かるかもしれませんね」


 ミーナは優しく答えた。


「そのためにも、アリア様が学んでいかれることが大切なのだと思います」


「はい」


 アリアは小さく頷いた。


 その夜、屋敷の書庫では、ローレンツが石碑の模写を見比べていた。


 三つの円。


 それらをつなぐ線。


 そして、一つの大きな円。


 彼は古い地図を取り出し、現在の大陸の形と照らし合わせた。


 けれど、そこにはまだ答えはなかった。


 石碑に刻まれた文字も、三つの円が示す意味も、二千年前の大災厄の真実も。


 すべては、長い歴史の奥深くに眠っている。


 そして、その眠りを妨げることなく、少しずつ手掛かりを集めていく必要があった。


 森に残された石碑は、ただ古いだけの石ではないのかもしれない。


 それは、失われた時代から現在へ向けて、誰かが残した声なき言葉だった。


 アリアがまだ知らない世界の歴史は、静かにその扉を開き始めていた。


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