凛との出会い
この屋上にくるのは2回目だ。
もしかしたら告白かもしれない、そんな淡い期待は一切ない。
告白は告白でも情け容赦ない酷薄のほうかもな。俺の噂を広めたのが凛だとしたら。
放課後、5月は気温がちょうどいい。
熱くもなく寒くもない。ワイシャツにブレザーで、風の強い屋上も心地いい。
俺が例の窓から屋上に出ていくと、凛は既に屋上にいた。
横顔にかかる髪を押さえながら、校庭を眺めていた。
「来たけど」
「──りょうくん」
振り返った凛は、昼休みの時と同じ決意の表情だ。でも俺にはどうしてもそれが泣きそうに見えた。
「告白か? 返事ならOKだけど」
普段の凛なら取り乱しそうなセリフだが、彼女は苦笑いを浮かべるだけだ。
「……ずっと、ずっと謝りたくて」
震える声は何かに怯えていた、なにかはわからないけど。
「実は凛が噂を広めたとか?」
凛は首を横にふった。
「違うの、そもそもりょうくんがそんな噂を流されるのも、バスケをやめてしまったのも、視線が怖くなっちゃったのも、全部、全部、全部、アタシのせい」
「話が見えない、だってそれは俺が勝手に……」
「違うの! ちゃんと全部話すから……」
そして凛は息を大きく吸った。
「中2の夏休みだったね」
そういって凛はあの時の事を語った。俺が視線恐怖症になってしまったあの夏の出来事を。
今でも鮮明に思いだす。
バスケに打ち込んでいたあの頃を。
*
今日は朝からやけに暑い、夏だけど異常なくらいだし、ニュースでも20年ぶりの猛暑だとか騒いでる。
何も全国かけた決勝の日に、こんな熱くなくてもいいのに。
「お兄ちゃん頑張ってね! 明日になればみんなに自慢しまくれるよ!
わたしのお兄ちゃんは2年生なのにスタメンで、全国大会に出るんだって!」
「あーはいはい、俺は琴葉のアクセサリーになるため頑張りますよ」
まったくこの妹とは明け透けというか、いい根性をしている。
まあ可愛いから許すけど。
「応援しに行くから、活躍してよね!」
「へいへい」
そういって家を出たのは良かったんだけど、途中でバッシュを忘れていることに気づいた。
琴葉に持って来てもらうにも、家を既に出てるだろうし。
「ヤッベ戻らなきゃ、時間は……ギリ間に合うな」
これが俺の分岐点。
バッシュを忘れたか、それとも忘れてなかったか、それだけだ。
「あぶね、これなら十分間に合うな」
携帯の時間を確認しながら俺は走った。だんだんと人が増えてきて、見覚えのある制服の学生が増えてくる。
地元の学生だ。関東大会なんてめったに見れないからって、応援に来ているんだろう。
だんだんと気持ちのいい緊張感が、胃の中をムズムズとさせてくる。
そのまま走ってると、裏道だけど近道になりそうな通りを見つけた。
「絶対かつぞ」
小さく呟いて、速度を上げてその道を走っていくと。
か細いSOSが俺の耳をうつ。
「や、やめて!」
見覚えのある制服に身を包んだ少女が、数人の男子生徒に囲まれていた。
近くの中学の制服だよな、あれ。
「別にそんな嫌がることねーじゃん、ちょっと話そうって言ってるだけだし」
「あ、アタシ行くところがあるんです……」
同い年くらいの少女はおかっぱっぽい頭で、小柄な少女。
丸っこい目が可愛くて、胸が大きかった。だからナンパしてるんだろうけど、強引すぎる。
「ちょっとだけだしさ!」
4人の男子生徒は知らない制服で体格的に、恐らく1つ上だ。
マジかよ、どうすんだよ。あんなのに関わってたら間に合うもんも、間に合わねーぞ。
つか普通に怖いし。
えーと金髪? ヤンキーだなあ。
金髪が許されるってどんな中学だよ……。
「い、いたい!」
少女の腕を金髪の男が取って、悲鳴が上がる。
周りに人が……いない。
俺が行くしかないらしい。
「お、琴葉いたいた。すいませんうちの妹が世話になったみたいで、よし早くいくぞ琴葉」
咄嗟に出てきたのは妹の名前。
これで丸く収まるのがテンプレのはずだけど。
「お前の妹? 制服違うじゃねーかよ」
奴は少女の手を離してはくれなかった。勘もいいし、めんどくさい奴だ。
「い、いやあ両親がいろいろあって複雑で、さあ琴葉いくよ」
「お前ナメてんのかよ」
ダメだ、まったく引くきはないらしい。
「ひっ……」
少女は完全に怯えきっているし、どうすんだよ。
「落ち着いて、手が痛いみたいだし、離してもらえませんか?」
「お前らコイツやっちまおうぜ」
「よっしゃ」
「いけいけ!」
げ!? マジかよ、イカれてんのかよコイツら。
ただ金髪の男が俺を殴ろうとして、少女の手を離していた。
大振りのパンチを避けて、おもいっきり体重をのせたタックルで金髪を突き飛ばす。
「いてえっ!」
タックルで吹き飛んだ男の声で、他の奴らは全員止まって、金髪の男を見ていた。
そしてその隙に俺は少女の手を取って駆け出した。
逃げながら後ろを振り返ると、金髪の奴が後頭部を触って手を見る。
その手は血で染まっていて、全員が駆け寄った。
「お前! ぜってーゆるさねーからなああ!!」
それでも金髪は怯まずに大声で啖呵を切る。その顔は狂気を孕んでいて、マジで怖かった。
やべえ、血でてたけど大丈夫だよな。
ざまあ見ろって気持ちより、俺は内心で臆病風が吹いていた。
あの男に何か異常でもあったら大変だ。
「はあ、はあ」
夢中で走っていると、少女は息を切らしていて俺は焦って止まった。
小柄な少女にはきつい距離を走っていたらしい。
「あ、ゴメン! ここまでくれば大丈夫だと思う」
「あ、あの」
「悪いんだけど俺は大事な用があるから行くけど、気をつけてね!」
俺は少女の言葉を遮った。申し訳ないけど、こっちも絶対にはずせない予定があるからな。
あいつらも追ってこれないだろ。
つか、マジで間に合わねーよこれ、反対に走っちゃったし。
俺はその後、完全に遅刻して先生に一喝される。試合はまだ序盤だったけど、かなり点差をつけられて負けていた。
「いけるな、川上」
「いけます!」
そして途中から交代して入った俺は、先輩達と連携して点差をどんどん縮めた。
そしてアラートがなる直前。
俺の3ポイントシュートで逆転、紛れもないブザービートだ。
「よっしゃああああ!!」
部員が集まって、抱き合う。観客は立ち上がって拍手する。
もみくちゃでわけがわからない状態だけど、その光景を見た瞬間、足がすくんだ。
不穏な少年が1人、相手の教師陣の中に入っていったのだ。
金髪で頭に包帯を巻いている少年が。
その後、帰り支度をしている最中に先生に呼ばれて、控え室のような場所に連れていかれる。
そこにはやっぱりあの少年がいて、他にも偉そうな男性が厳然と佇んでいた。
「校長先生お待たせしました。川上、お前この少年を殴ったのか?」
「……い、いえ、殴っては」
「父さん! 俺そいつに突き飛ばされたんだよ!」
金髪の男子生徒は対戦校の学生だったらしい。しかも父さんというのは校長先生だったみたいだ。
「ふむ、突き飛ばしたのは事実ということかね?」
俺に直接聞いてきたのは金髪の親、つまり校長だ。
「そうですけど、そいつが女の──」
「さあ! どうしてくれるんでしょうか、我が校の大事な生徒は頭を割る大怪我です! そのような暴力的生徒が試合に出ていたとなると、試合が公正に行われたとは言えませんね。むしろそこの生徒に我が校の生徒が脅されていた、なんてこともあるかもしれませんね?」
俺の言い分は遮られ、相手のいいように話しが進んでいく。
「す、すいません、コイツにはしっかりいいつけるので」
先生が頭を下げた。
でも相手はそんなものじゃ納得しない。
「まあ、いいところ全国大会の辞退ですね、我が校の生徒が脅されていたとなれば、それ相応の機関に申し出るしかないですし、私も大人ですから、子供の失敗を大々的に責めたくはないですしね」
いいから全国大会を辞退しろ、そうすれば事は荒立てないそうゆう話しだと思う。
「わかりました、我が校は全国大会を辞退したいと思います、我が校の生徒が大変迷惑をおかけしました。おい、川上!お前も頭を下げろ!」
俺はわけがわからないまま、先生に頭を押さえつけられた。
「ざまあみろ」
金髪の一言が耳から離れない、何で俺がそんなこと言われるんだよ。
悪いのはお前のほうだろ。
そして学校へ帰り、部室に入った後、先生とその話を部員全員の前でさせられた。
「てめえ川上!」
3年のキャプテンは、俺の言い分を話しても、ただの言い訳だといって、さらに逆上した。
そして彼から振るわれた拳を俺は避けようとも思わなかったし、その気力すら失われていた。
誰かを助けることより、彼らには全国大会の切符が大事だし、俺が裏切ったような感覚だったんだと思う。
倒れて見上げた、そこにあるものは"目"たくさんの怒りに燃えた目だ。共に汗を流した者に向ける目じゃなかった。
気持ち悪い吐き気がひどい、人の視線がこんなにも怖いものだなんて考えもしなかった。
その後はもう謝罪の連続で、わけがわからなかった。
職員室には謝りに、校長先生には直接、そしてあろうことかあの金髪の生徒の家にまで謝りにいかされた。
そして俺は人と目を合わせることができなくなっていた。見られるのも辛い、目を合わせると体が震えて、吐き気が込み上げてくるようになった。
教室にいけば好奇の視線。部活の生徒に会えば凄い形相で睨まれて、罵られる。話したこともない生徒に罵られることだってよくあった。
最後の大会だった先輩達からは、罵詈雑言のリンチにあい、部活ももちろん辞めさせられた。
視線を怖がる俺に仲の良かった友達は全員離れていった。
そして誰も信用できなくなった。
それから自分をさらけ出せるのはゲームの中だけになり、プロにまでなった。
これが俺の過去だ。
*
「じゃあ凛は……」
「う、うん、あ、あの時りょうくんに助けてもらったのがアタシ……」
凛の声は震えて、むしろ身体も震えていた。
あの時の少女のような怯えかただ。
「いや嘘つけ、あんときの女の子はこんなちっこかったんだぞ」
俺は膝下に手のひらを向けた。ホントなら2頭身くらいだな。
「ええ!? そんなに小さくないと思うけど」
「ああそう? でもあれが凛とは思えないんだよな」
身長は140センチくらいだったし、おかっぱっぽい髪型だったしな。にてるのは胸だけ?
「……じゃなくて! 怒らないの?」
「はあ? どこに怒る要素があるんだよ」
それにもう終わったことだし。
「だって私があの時にりょうくんに助けられたって、名乗り出てたらりょうくんはひどい目に遭わされなかったんだよ?」
「そんなことかよ、あれは中2だった俺の黒歴史だな、美少女を助けて彼女にしたいって下心しかなかったし、でも助けたけどリターン0で参ったわ」
俺はなんてことなかったように笑い飛ばす。
「ヒドイ……憧れてたのに」
怯えと悲しみで凛は震えている。
けど彼女を自責の念から解放するには、俺が平気な顔をしてないといけないんだ。
「憧れ?そういやあの日はうちの応援に来てたのか?」
近所の中学の制服だったし、俺のことを知ってたのか。
「そうですよ!ていうかりょうくんの応援にいってたんだからね、アタシ!」
語気が荒く、凛は俺を指差した。
さっきまで震えていたのに、なんか怒ってないかこれ。
「マジで?」
「だってあの頃のりょうくん2年なのにスタメンだし、一番活躍しててカッコ良かったんだから! おんなじ2年なのに凄いなあって思ってて、あの日りょうくんに助けられて凄く嬉しかったんだから!」
凛はずかずかと歩み寄って俺の胸を指差す。
ほぼ怒鳴られてるような感覚だ。
「お、おおサンキューな」
調子が戻ってきたのはいいけど、勢いが凄い。
それに相変わらず近い。
「そ、そ、それなのに……ヒッ…ヒッ…」
凛の目からは大粒の涙がこぼれ、頬を濡らしはじめた。
──ヤバイ。な、なんで急に泣きだすんだよ。
また女の子を泣かせちゃったんだけど、どうすればいいんだこれ。
「ゴメンね、ゴメン、あの時、こ、怖くて名乗り、出れなぐで……」
凛は泣きながら俺の胸にもたれかかってくる。
そうか、確かにあのころは助けた女の子がかばってくれたりしないかな、とか考えたこともあったな。
でもそれは違うんだよ、助けようとして助けられたんじゃ、カッコ悪いんだから。
「ああもう大丈夫だから、もう別に視線恐怖症なんて治ったし、あんときはホントに俺の判断で助けただけだから! だから泣くなって」
──クソ、もう知らないからな俺は。
もたれかかってきてる凛の背に手を回し、優しく叩いてやる。
俺は凛を抱きしめた。
無心だ。これは悲しんでる友達のため、情欲をここで感じるのは不誠実だ。
「……入学したとき名前ですぐりょうくんってわかって、でも別人みたいでビックリして、色んな人に聞いて回って色々わかって、ずっと謝りたかった……ヒック」
身体から直接伝わってくる鼻をすする音や、しゃっくりで動く上半身。凛は凛で苦しんでいた、それが言葉だけでなく彼女の身動ぎでも伝わってくる。
「そっか」
「でもあんなになっちゃったりょうくんが、許してくれるわけないって、だから先に仲良くなろうと思って、毎日りょうくんに話しかけてて、アタシ凄く卑怯で」
凛の本心は決して美しいとは言えなかった。
いつもの笑顔とノリで隠された黒い部分、打算で許して貰おうとした努力。
でもそれは凛が人間らしい行動をとっただけ、むしろ俺のためにここまで身をさいてくれたことに感動していた。
「だから前に自分で卑怯だっていってたのか」
「……うん、軽蔑したでしょ」
「ちょっとな。けど卑怯なことを続けられるような人間じゃなかったんだろ?だから今話してるし、凛はいつも俺の話しになると普通じゃなかったし」
凛はただ頷いて顔を埋める。
俺は助けたはずの女の子を泣かせてしまったらしい。せっかくカッコつけたのに、逆に1年以上もカッコ悪いとこを見せつづけて、しかも彼女の心を蝕んでいた。
軽蔑されるのは俺のほうだ。
凛の震えが少しづつ治まってくる感触が伝わってきた。
ずっと伝えたいと思ってできなかったことを、達成して少し落ち着いたのだろう。
「……でも話したかったのはホントなんだよ?ずっと憧れてた人がおんなじクラスで嬉しかったんだから」
「わかってるよ。罪悪感だけで毎日話しかけられるほど、俺のこじれっぷりは半端じゃなかったしな! 今考えると凛には悪かったと思ってる、むしろよく軽蔑しなかったな?」
今の俺は普段の凛くらいハキハキ喋ってるかもしれない。
これくらいの方が安心してもらえるかもしれない。
……もしかして凛も同じ気持ちで俺に。
「自信の方向性が間違ってるような……」
「まあ全部凛のせいだしな」
「え!?」
自戒するようなこと言っていたのに! と凛の心の声が聞こえるような反応だ。
「嘘だよ、てかもう泣いてないよな?」
「……うん」
ちょっと睨まれてる気配を感じる。
「じゃあ離してくれない?」
「え!?ダメだよ、顔がすごいもん」
凛は胸に置いてあった手を俺の後ろにまわして、更に密着した。
俺の視界には凛の髪と屋上しか見えていない。でも感触や匂いで凛の全てを感じ取っていた。
押し付けられた胸が変形しているし、首にかかる吐息がくすぐったい。回された腕に力が入ってるし、髪から鼻に抜ける匂いはクラクラする。
「凛はさ俺に嫌われるのが怖かったんだよな」
「うん」
「じゃあ言っとくけど、それはないから」
「そうなの?」
たずねる声は嘘かもという懸念を含んでいて、小さかった。
「前はクラスでいちばん苦手だったけどな」
「うそ……」
苦手という言葉に強く反応した凛。きっと理由を考えてるに違いない。たしか前にもグイグイ来すぎだって話しをしたな。
「視線恐怖症だった俺の顔を無理矢理みようとするし」
息を飲む凛。凛の驚いている顔が手に伝わってくるようだ。よかれと思ってやってたことが逆効果だったんだからな。
「……それはたまに本物かどうか確かめたくなっちゃって、目を見られるのが嫌だって知らなかったし」
「わかってるよ、でも今は友達だろ?」
「うん。でもなんで?」
「色々あったんだよ」
俺は全てを凛に話すことにした。あの後ゲームばかりやってプロになったこと、渚が同じ高校に通っていたこと。
そして今の俺はそのおかげであるんだってこと、凛と友達になれたのはそのおかげだ。
もういいんだ昔は、今俺は本気で生きている。
「──だから昔のことは許すよ」
「ありがとう……許してくれて」
すっかり落ち着いた凛は、もう大丈夫そうだ。
ちょっとからかってやるか。
「仲良くしとけば許してもらえるって作戦、うまくいったな?」
「う……りょうくん根に持ってるよね?」
「今"うん"って言おうとしたよね?」
「「……………」」
俺達は同時に吹き出した。




