杏梨の決意
この数日でとある噂が流れ始めた。
2年の髪が長い変な奴が、同じクラスのギャルにイジメられて、ついに不登校になったらしいと。
そして2年のギャルといえば島崎杏梨だ、やはり彼女がやったのだろうともっぱらの噂らしい。
人の噂も七十五日などと言うが、渦中の人間はたまったもんじゃない。実際は髪を短くしただけだ。
俺に被害はないが杏梨が可哀想だ、せっかく清楚を目指して努力してるのにギャルとしての箔がついてしまった形だ。
ギャルの箔が陰キャを不登校することかどうか知らんけど、悪評だな悪評。
それに反して杏梨の努力は少しづつだが実を結んでいる、最初にやった追いかけっこも今はしてない、たまに小突かれる小さな戯れはあるけど。
見物だったのは矢神に促されて杏梨が黒ストッキングを履いて来た時だな。杏梨の黒ストッキング姿は悪くなかったんだけどな、どうみても悪役令嬢っぽい見た目になってた。似合ってるもんは似合ってるって感じだ。
どうにも清楚系とは縁遠い雰囲気を持ってしまっているよね。矢神も杏梨をみて黒ストッキングを誉めてはいたんだけどな。杏梨じゃなくて黒ストッキングを誉めてたし、なんか違う。それでも杏梨は満更じゃなさそうだった。
矢神もストッキングが絡むと人が変わったみたいになるからな、いつも高圧的で近寄りがたい男なのに、その話しをしてると俺でも話しかけられそうなテンションになる。
怖いから行かないけど。
バスケの練習も概ね順調といっていいだろう、教える相手が増えたけど、どうしようもないレベルだった桃花と渚、あと個人的に肩入れしてる杏梨に重点的に教えて、あとの人達には流すようにレクチャーしてる。
そういえば阿久津と工藤も1日だけ凛に連れられて練習に来た。2人とも運動が嫌いそうだったので苦手なのかと思っていたが、普通に動けていた。阿久津はなんとなくわかるけど、工藤は意外だったな、すっとぼけた表情のまんまシュートを決めるんだぜ。
といっても工藤は直ぐ座りこんでスマホをいじりだしたけど。
ただ阿久津は凛に煽られてずっと1on1をやっていた、負けず嫌いなのか永遠にやっていた、ことあるごとに1on1を迫ってくる凛を飽き飽きさせるほどに。1度熱が入ると凄い熱中する人なんだな。
だけどそれが助かった、阿久津と杏梨を合わせないですんだからな。混ぜるな危険のマークが必要ですよこの2人は、ただでさえ工藤がだらけてるのを見てイラついてたしな杏梨のやつ、そこでキレなかったのは俺との修行の成果だと思いたい。
練習といえば桃花のお菓子だな、ここ数日で唯一の癒しの時間だった。杏梨に殴られても桃花お手製のお菓子があるってだけで、俺はいくらでも杏梨の面倒がみれていたんだ。もしあれがなかったらとっくに投げ出してたね、断言できる。
むしろ桃花が杏梨の為に俺を引き留めようとやってるじゃないかと思うくらいだ。だとしたらとんだ策略家だけどな、むしろ彼女の策謀に乗せられたい。
こんなアホな思考ができるくらいには、俺も余裕があるってことだ。バスケや杏梨の修行と平行して自分の修行も渚としていたから、また少し耐性アップしたんじゃないかと思う。
こうして俺はなにもかも順調に進んでいる愉悦からか、学校に来るのが楽しいなどと考えていた。ちょっと前は憂鬱で仕方なかったのにだ。これだけ練習に重ねる練習、努力は報われると信じている俺にとって大変な日常は有意義であって警戒心を麻痺させていた。
楽観視してしまっていたのだ、入念な下準備の過程である現状、それにまだまだ俺は満足していない。けれどだ、それは皆が同じ考え方なのだろうか、いや違う、現状で満足するものもいれば、俺のように万全を期すことに力を注ぐもの、多種多様だ。
それに時間は待ってはくれないし、定める目標が前に進めばいくら縮めようとも結局近づかない。それを見せつけられていたら焦ることだろう。だが俺は日々の訓練に必死すぎて相手の立場に立って考えるということを疎かにしていた。
人の気持ちの機微に聡いと自信で評価しておきながら、嘆かわしい鈍さである。
球技大会を翌日に控えた早朝、顔を合わせたのもつかの間、杏梨が1つの決断を口にしたのだ。
「明日、球技大会で優勝したら剛に告白する」
「「えっ!?」」
桃花のフォークからポトリと黒いケーキが落ちる。ザッハトルテというらしく、全部チョコで出来てるんじゃないかと勘違いしてしまうほど、濃厚なチョコケーキだ。昨日から仕込んでいたらしく、とても美味だ。
俺と桃花は互いに無謀だと言いたげな表情で目を合わせる。杏梨には申し訳ないけど、正直いって絶対失敗すると思う。桃花も同じ意見だろう、心配そうに杏梨を見つめている。
「これ以上ダラダラしてたら渚に先越される、あたしが腑抜けてなんも出来なかったなんてアイツに思われるなんて絶対やだ。だから先に告白する」
なんでそんなところまで負けず嫌い発動しちゃうんだよ……。
渚から告白はあり得ないし、矢神が告白したとしても成就しない。なぜなら渚にその気がないからな、だから今は矢神に好かれるためのスキルを磨くべきなのだ。なにも矢神が渚に熱中してる時に告白することはない、時間を空けるのが最善なんだ。
「いやタイミング考えようぜ?お世辞にも杏梨と矢神が仲良さそうには見えないし、もう少し時間かけて矢神と仲良くなったほうがいいんじゃないか」
「付き合ってから幾らでも時間あるじゃん」
楽観的だな。矢神を前にした途端にモジモジしたり恥ずかしいからって攻撃的になる奴とは思えないね。
そしてもう1人、渚の本質を見抜けていない桃花が暢気な声を上げた
「そもそも私は渚がそんなこと考えてるとは思えないけどなー」
「それは考えてると思うぞ」
「嫌味ったらしく笑ってそうじゃない?あの女」
口々に否定の内容がノンタイムで吐き出たな。こーゆー時に逆に信頼感があるのが渚さんですね。
俺達の全否定に桃花は苦笑いしながら口を紡いだ。いい人ほど騙されやすい、悪いやつほど得する嫌な世界ですよ。風見くんはしっかしと桃花を見ていてくれないとな。
「それはそれとして、渚に矢神と付き合う意志はないんじゃないか、だって今まで数ある告白を全部断ってきたんだろ?」
なんで俺が知ってることを知らないかのように話さなきゃいかんのだ。つかこれくらい誰でもわかるだろ。
「そんなのわかってるし、だから言ってんじゃん。もし先に剛が渚に告白したらそれこそあたしがヒヨったみたいで負けたみたいになるし。渚にはあたしが……そ、その、剛のこと好きなのバレてるっぽいしさ!」
剛が渚にぞっこんなのも、渚が誰とも付き合うつもりがないことも分かってる上でってことか。てことは尚更説得は不可能だな、面倒な奴だ。つか渚にしかバレてないと思ってんのか、かなりの人にバレてると思うけど。凛と工藤もそんな話ししてたよな……可哀想だから黙っといてやろう。
「じゃあ絶対なのか?」
「これだけあたしと話してればわかるっしょ」
「はあ。わかりたくもないけどな」
「あ?」
「はい、アウトー」
結局のところ本質が変わるもんでもないからなこの練習。言ってしまえば付け焼き刃、キレて襲いかかってこないだけでも進歩だな。
「あはは、2人ともかなり仲良くなったよね!」
まったく、杏梨は言い出したら聞かないからな、こっちが引くしかない。それがわかっただけで仲良くなったと言っていいのかわからないけど、多少はなれたのかもな桃花がいってくれてるなら。
「はあ?だれがこの陰キャと」
「はい、淑女はそんな言葉使いしませんアウトー」
平気で人が傷つく言葉使いやがって、でも確かに桃花がいつもこんな調子で別に怒ってるわけじゃないってのは分かってきたな。
「ねえ桃花、こいつあたしのこと舐めてない?」
「あははー!私にはわからないかな!」
桃花はよく浮かべる苦笑いじゃなく純粋に嬉しそうな笑みで答えた。杏梨が本気で怒ってないことがわかるのだろう。それを見て杏梨は小さく舌打ちしたので、俺が指を差してアウト宣言しようとしたら杏梨に睨まれた。苦笑いするのは俺の番らしい。
どうせ告白するなら成功して貰いたいんだけどな、せっかく本気で手伝ってるんだし。まさかこんな短期決戦になるとは思いもよらなかった
。時間をかけて矢神を攻略していくもんだと思ってたんだが、告白は明日もう出来ることなんて何にもない。せいぜい杏梨を応援するくらいだ。
「──でも負けたら告白しないのか」
「絶対勝つけどね、男子も絶対勝てよ良介」
俺の呟きに反応した杏梨はすげー眼光だ。こりゃ負けでもしたら大変なことになるな。頑張らないと。
「男子が負けでも告白しないの?」
桃花の確認だ。そりゃ俺も気になってた。
「女子が勝ったら告白する」
男子の勝敗は関係ないと。女子が勝てばいい、むしろ杏梨が活躍して矢神の目に止まればそれでいいんだ。でもそうなってくると。
「勝つ勝たない関係なくないか?」
「あるに決まってんじゃん、やっぱバカだな良介」
「そうだね、ちょっと鈍いよね、男の子なんだから女の子の気持ち考えなきゃダメだよ!」
「なんだよこの総スカン」
カッコいい彼のために頑張ってる私って可愛いってやつだろ。それで結果が出たら告白って半分ゲン担ぎじゃねーか。告白の勇気出すための儀式だなこりゃ。でもこんなこと言ったら杏梨はおろか桃花にも殴られそうだ。
「これだから女っ毛のない陰キャはダメなんだよ」
「友達にそこまでいうの?」
「だから言ってやってんじゃん、どうでもいい奴に文句言わないし」
てことはなにか、もっと女と絡めってことか。でもよく考えたらむしろ女子とばっか話してて、男友達が1人もいない状態なんですけど。
「とかいいつつ最近の練習で良介に好き放題言われてるうっ憤を、ここぞとばかりに晴らしていく杏梨なのでした!」
「余計なこと言わなくていいし」
どうでもいい奴じゃないって言われてちょっと嬉しかったのに、そんなことだと思ってましたよ。
俺は練習で杏梨をバカにしたりするたびに殴られてたんだぞ。今度は言葉の暴力かよ、やられっぱなしじゃねーか。
──でも。
「成功にしろ失敗にしろここでの練習は今日で終わりか」
「なんだよあたしに会えなくなんのが寂しいのかよ良介」
正直に言えば寂しいのかもしれないな。この何日か充実してたのは確かだし、忙しいのも悪くないって思えた。ただこのニヤついてる杏梨に素直な気持ちを打ち明けようとは思わないけどな。
「やっとギャルにイジメられなくなって助かるなって。なんせ不登校にさせられたんだからな」
髪の長い俺がな。ちょっとした嫌味のようなものだけど、杏梨は眉をピクピク動かして怒りを納めようと努力している。こっちはいつ爆発するかとヒヤヒヤもんだよ。
「怖いもの知らずだなあ。もしかして普段の鬱憤をここぞとばかりに晴らしてたのは良介のほう?」
ひとり言のように顎に手を当てて呟いている桃花はまるで探偵にでもなった気でいるのだろうか。顔に陰影が差して、まるで犯人を探しているかのように辺りを見回している。
そこまでやったらもう杏梨を俺に差し向ける演技といっても過言じゃない。
「良介も桃花もいい度胸じゃん?」
ほらな、見え透いた演技をするから杏梨にバレるんだ。握りこぶしを持ち上げた杏梨に俺達は後退りする。
「落ち着けって、せっかくの清楚系美人がもったいないぞ」
「うんうん!悪役令嬢みたいな顔になってるよ!」
俺達の説得が届いたのかこぶしを下げた杏梨は、大きく深呼吸して自信を落ち着かせている。褒めとけば大人しくなるからな、可愛いもんだよギャルってのも。
「はあ、昔に比べたらあたしも丸くなったもんだな」
おでこを手のひらで包むように押さえた杏梨が呟いた。何を言っているのだろうか、ここは仲良くなったよしみだ1つ注意してやろう。
「お前何歳だよオッサンくさ、まだ女子高生だぞ」
「…………」
おっとこれ以上は危険だ。黙った時は限界寸前だ、俺も学習してるからな。
「私さ、良介のこと勘違いしてたかも……」
引きながら驚愕してるような顔で桃花は俺を見ている。猛獣と素手で
戯れるかのような行動になにか思う所があるのだろうか。
「あーなにが?」
「だって杏梨にここまで言える人ってあんまりいないのに、ちょっと前までモサッとしてた良介が平気でイジってるって異常だよね」
というより今の状態が普段通りになってきているってのが正解だな。この2人とこんなに早く打ち解けられるとはね。
「杏梨が親しみやすいからかな」
「……あたし親しみやすいとか初めて言われたんだけど」
薄気味悪いものでも見るような視線。俺が勝手に親近感を抱いて近づいたっていうのが大きいのか。最初こそかなり拒まれてたしな。
「あはは!杏梨と親しみやすいとか、変わり者だね良介」
もちろんこの言葉に反応するのは俺じゃなくて杏梨だ。
「なにそれ、どうゆういみ?」
「あははー」
「笑って誤魔化そうとすんな」
「あ!そろそろ教室行かないと遅れちゃうよ、いそげー!」
立場の悪くなった桃花はそそくさと料理部の部室を後にした。
「あ、ケーキの皿洗わないと」
急がないと授業に遅れてしまう、桃花がいない以上俺が全部片付けないと。立ち上がって皿を集めていると杏梨が自分の皿を重ねてきた。
「あたしも手伝う」
「え!?」
──マジで?
デレ期か?まさかついに心まで清楚になったのか。
「なに驚いてんの」
「いやまさか杏梨が手伝ってくれるとは……」
「別にいいじゃん、気まぐれだし」
「そ、そうだよな」
それでもビックリだよ、自分が損する行動はしないと思ってたからな。ギャルとかヤンキーは舐められないように自分が不利な立場になることは意地でもやらない連中だからな。いやホント驚いた。
「──あの、さ」
2人でシャカシャカ皿を洗っていると、杏梨がどうにも歯切悪く話しかけてきた。
「ん?」
「あの……今までの特訓……悪くなかった」
小さな声だ、お礼を言い慣れてない杏梨は恥ずかしいのだろう。耳が赤くなってきている。彼女らしからぬモジモジした態度はギャップがあってとても可愛い。どうやら聞き間違いじゃなさそうなので、俺も素直な感想を伝えておこう。
「……可愛いな。いつもそんな顔してたらマジでモテると思うけど」
「──うるせっ!!」
さらに顔を赤くすると痛くない程度の力で肩をパンチしてきた。まさか攻撃を加減できる日がくるとはな。杏梨があまりに顔を赤くするのでこっちも恥ずかしくなってしまう。
やっぱり誉められるのに慣れてないらしい。
できる限りの支援をしよう。うつむいている杏梨にはそれを決意させるだけの魅力があり、ギャルらしさはなかった。ただ俺の胸の内では残念だけど告白は上手く行かないとだろうという確信が渦巻いている。だれがどうみても矢神が渚にお熱なんだ。
──どうにかしないとな。




