聖女の独り言とお年を召したお父様
「もう何が正しいのか私には分からないんだ」
そう呟きながらソフィアは月明かりの下、学園の屋上に一人佇む。
屋上の手すりの向こうには、深夜にも関わらずポツポツと光る王都の光が見える。
助けたかった人がいた。
守りたかった人がいた。
応援したかった人がいた。
でも、もうそれが正しい事だったのか自分では分からない。
優しい人もいた。
楽しい人もいた。
怖い人もいた。
悲しい人もいた。
でも、もう誰もいない。
皆、化け物にされて殺された。
死神があの人達を連れて行ってしまったのだ。
あの日、建国祭のあの会場。
ソフィアが覚えているのは、その瞬間まで大事な仲間だと思っていた人が大切な傷痍騎士の皆を異形に変えてしまった事。
赤い目をした死神があの人達を恐ろしい唸り声と共にバラバラにした事。
黒雷と白炎の勇者が助けてくれた事。
そしてその日からソフィアの世界は一変した。
足繁く慰問に通っていたヴァリアント退役騎士療養所は瞬く間に閉所し、そこにいた人達も消えてしまった。
職員も診療所に通っていた人達も全員がだ。
彼等がどうなったのか、今はどうしているのか
ソフィアには知る術はない。
その日を境に周りの大人達はいつも何かに怯えるようになった。
それはきっと国であり、あの死神に怯えているのだろう。
輝かしい理想の世界を夢みてキラキラと輝いていた目は暗く落ち込み、熱っぽく教義を語っていた口からは後悔と怨嗟の声が漏れる。
「おかしいよね。今世で積み上げた功徳が来世での幸せになるんだって皆あんなに言っていたのに。」
そんな変わってしまった大人達をソフィアは静かに嗤う。
そして同時に思う。
彼等はまだ立ち止まり、振り返って後悔することの出来る立ち位置にいる。
それはとても幸せな事なのだと。
ソフィアの呟きに応えるように、ゴポゴポと不気味な音を立てて黒い水がソフィアの周囲を取り囲む。
「……分かってる。私はもう止まれない。
もう―――、私は戻れない。」
そう呟きながら、ソフィアの身の丈を超えるほどの太く大きな剣を指揮棒のように掲げる。
その手の甲には赤黒く蠢く不気味な魔法陣が刻まれていた。
「―――私は進むよ。貴方達のやった事は許せない。でも、貴方達を信じたのは私なんだ。」
ソフィアの両目の白眼が漆黒に染まり、瞳孔が紅に輝く。
「大丈夫。きっと上手く行く。
それに、もし失敗してもあの優しい白い炎が私を人として焼き殺してくれる。」
きっとそれは幸福な事なのだ―――。
―――――――――
――――――
―――
「……説明を聞かせて貰えんかのう?」
何やら殺気すら感じる眼力で私を睨みけてくる
狸ジジイ、もとい教皇にして王国南部を支配する公爵。
リチャード・エレンテル・フォン・スフォルツエンド公爵である。
流石に貫禄のあるこのジジイが怒ると中々迫力がある。
まぁ怒るのは仕方がない事である。
なんせ後ろ手に縛られ、椅子に拘束されているからな。
先程まで話をしていた教皇の執務室。
その広い部屋の一角にポツンと置かれた椅子に拘束された教皇が座らせられ、周りを私達に取り囲まれている。
「ふむ。逆に聞くが、テロリストと手を組んだ組織の長の扱いとしては至極当たり前だと思うのだが?」
「何でじゃ!? さっきまで普通に話していたじゃろ! 為政者なら清濁併せ呑む事くらい、いい加減覚えよ! この潔癖症めっ!」
「いや、泥水とか呑みたくないし……。」
「誰が泥水じゃっ!? 泥どころかヘドロを煮詰めたみたいな色をしよってからにっ!」
「中々斬新な遺言だな。」
そう言いながら、部屋の扉の前に控えている
ヴァーリの方を見る。
坊さんを斬りたくてウズウズしているのか、さっきから無表情でカチャンカチャンと刀の鯉口を切っては戻しを繰り返している。
「いやいやいや、何であの猟奇殺人犯を配下にしているのにワシはダメなんじゃ!?」
「いや、ヴァーリはホラ、罪人騎士だし。」
罪人騎士。
この世界の言い方だが、前世でいう懲罰部隊とか囚人兵とかと同じ意味である。
ヴァーリがうちの騎士団に入る事になったのも、賞金首だったヴァーリを捕まえた事に端を発する。
大戦の英雄となった今でもヴァーリの扱いは囚人に準拠しており自由というものはない。
まぁ本人は衣食住が保証されて鍛えたり戦えるなら何も文句はないと言っているが……。
「ほら、流石に子どもの前で親戚の爺を殺すのは教育上良くないじゃろ!? ここは一つ、寛大な心でワシを許さんか? な?」
エドワードとシャル君の方を見ながら必死に訴えかけて来る教皇。
ぬ……。確かにそれは教育上よろしくないか。
そう思い2人を見ると―――。
「スプラッタは嫌だけど、まぁでも責任者なんだし、何かしら責任は取らないと駄目よね?」
「聖女なんて教会の金看板を管理出来なかったんだから責任者としてはまぁ処刑されても致し方ない気もするな。」
残当と言わんばかりの顔をするシャル君とエドワード。
実に最近の若者らしいドライな意見だ。
シャル君は中の人アラフォー疑惑があるが。
コンコンコンとノックの音がして、青い髪をした年嵩の修道女が入って来た。
「おぉ! シスタールチア! 誰か人を呼んでくれ! 公爵がご乱心じゃ!」
「拒否。先程、周辺の人払いは済ませてウチの部隊の人間を潜ませた。多少騒がしくしても誤魔化せる。」
冷たく教皇に言い放ち、私に状況の説明をする年嵩のシスター。
「し、シスタールチア? 」
事態が呑み込めずフリーズする教皇。
まぁそうなるわな。
なんせ、このシスタールチアなる年嵩の修道女は20年以上教会に務めた古参だ。
シスターの表面が波打ち、老女のシワが消え、
目元や口、鼻の配置が変化する。少し曲がっていた腰が真っ直ぐになり、身長も少し伸びる。
「こちらの姿では初めてだったか……。
公爵家第三騎士団、潜入工作部隊、D隊。
隊長のルシンダ・メリクリウス・フォン・アランソン侯爵。ウチの連中は私の事を『貌なし』と呼ぶ。」
「い、今までずっと潜入していたのか……! 」
「そう。大戦中、戦火から南部に逃げて来た老婦人なんて設定だった。20年もいると色々と内情がよく分かる。」
この女の怖い所はここだ。
正体をバラす時はシレッと簡単にバラす。
何せこの女の貌は一つではない。
私が知るだけでも、まだ教会に5つの貌で潜伏している。
そしてまた違う服を着るように、新たなカバー先に潜むのだ。
こんな事が出来るのも、この女が人体操作を極めた水系統魔法使いだからだ。
分かりやすく言えば、この女はファンタジーでよくあるスライムとかターミネーターのT-1000みたいなゲル状生物みたいなものだ。
変身、分裂、合体、何でもござれだ。
恐らく今いるこの貌なしも本体ではない。
どこにでもいてどこにもいない。
チャシャ猫の様なこの魔女の秘密である。
「―――ねぇ。何か失礼な事考えてない?」
「気の所為だ。で、潜入した結果はどうだった?」
さらっと貌なしの追求を交わして本題に話を進める。
「教皇の言う通り。魔族と繋がっているのは聖女派閥。でもそれなりに教皇も動いていた。」
「ほう?」
チラリと縛られている教皇を見る。
サッと視線を逸らす狸ジジイ。
「主に隠蔽工作。テロリストと教会の関連を執拗なまでに消し去っていた。ヴァリアント退役騎士療養所の閉所なんかが良い例。」
そう言いながら貌なしが私に資料の束を渡してくる。
「隠蔽犯はやはり教皇だったか……。」
ヴァリアント退役騎士療養所。
指揮者やネビロスが潜んでいたと思われる施設だ。
建国祭の事件の後、私達は事件の調査に乗り出したのだが、この施設だけ妙に何も情報が集まらなかったのだ。
施設は当然の様に閉所。
入院患者や施設職員、出入り業者に至るまで
不自然なほど何の情報も得られなかったのだ。
王国関係者が間違いなく絡んでいると思っていたのだが……。
資料から教皇に視線を移す。
冷や汗をダラダラ流す狸ジジイが見えた。
このジジイ。自己保身の為に隠蔽工作をしてやがったな……。
「このジジイにはまだ聞く事が多そうだな。
……連れて帰りたいが、コイツの不在をまだ知られたくない。貌なし。やれるか?」
「一応。性別変化は大変だから分身かな?」
そう言うと貌なしの周囲にゴポゴポと水球が現れ人の形を成す。
さらに形と色が変化し、派手な金ピカの司祭服を着たでっぷりとした身体に変わる。
瞬く間に教皇と瓜二つの水人形が現れた。
「完了。とりあえずこれで取り繕いは出来るけど、そう長くは持たないと思って欲しい。」
教皇人形の口から貌なしの声が響く。
……こいつの二つ名は人形使いでも良かったかもしれんな。
「2日、3日くらいかな? まぁそう長くはかからんよ。欲しいものは手に入ったしな。」
書類束の中から1枚の紙を取り出した。
療養所に入所していた傷痍騎士達のリストだ。
建国祭のステージで私が殺した傷痍騎士達の名前がズラリと並んでいる。
事件の調査と並行して彼等の事も調べさせていたのだが、何せ肉片も残っていないのだ。
調査は当然難航していた。
「……殺した相手に謝罪でもする気? 単なる自己満足の偽善だと思うけど。」
「耳の痛い話だな。しかも何をしたいか自分でもよく分かっていない体たらくだ。」
昔何だったかの漫画であったな。
これも魂にこびり付いた脂肪というヤツだ。
「―――しかし、訳知り顔で殺めた彼等に何もしないのも私は嫌なのだ。」
歳を取ればどうしても脂肪は付く。
どうやら私はそんな変化が嫌ではないようだ。
……て言うか、教皇の顔で話すのやめない?
何だかめちゃくちゃ腹が立つんですけど?




