17-7 東京
あの後…霊愛は一言も発さずに自分の経営しているラーメン屋へと帰って行った。
勇は…神有街で一番有名なラーメン屋に行こうと思っていたが…あいにく今日は臨時休業でやってなかった。…ずっと開店待ちしていたのが恥ずかしい。東京の人は冷たい…雨が当たってるからかもしれないケド…
ずぶ濡れの制服のまま家に帰ってきた勇。
玄関の前で少しだけ家の中の様子を探る。…杏と姉、母親の楽しそうな声が響き渡っている。父親は今日休みだけど、全く声がしないのは…あんまり触れちゃダメなんだと思う。
今の母親は上機嫌だと見た。
…つまりチャンスはここしかないということ…!
勇は一縷の希望に賭けて足を踏み出し玄関の扉を開く。
「ただいま〜」
できるだけ母親の気に触らないような正統派なご挨拶。例日によれば…母親は今酒が回っている頃だ。
「…そ〜とそ〜と」
「まずは風呂に入らなきゃな…」
「そのために脱衣所に行きましょうか…」
焦っている時ほど独り言が止まらない。
大きな声とは正反対にそろりそろり…と脱衣所へと向かっていく。その間にもTシャツを脱いだり、風呂に入るための準備を整える。
「…た!辿り着けた…!」
思わず歓喜の声を上げてしまった無邪気な勇。
喜びの表情を見てみたい!と洗面台を除いてみると…そこには笑顔の勇ではなく、単純な鬼がいた。
「…え…えとマミー…?」
「…ねぇ勇…」
「あなた最近制服破れたりしてるから絶対に濡らしたりしないでって言ったよね?」
「あ…はい…」
「もう一着しかないよって前に言ったよね?」
「はい…」
「じゃあなんでこんなことになってんのよっ!」
バンッ!
洗面台近くの棚がマミーに叩かれて悲鳴を上げている。相当強い力で叩いたんだろう、木の棚にヒビが入ってしまっている。
もう怖いから鏡越しでしか話すことができない。
「ごめんなさい…」
「ごめんなさいじゃないでしょっ!」
「ひょえッ!」
クソ雑魚ボイスと共にぴょこんと体が跳ね上がってしまう。前世はウサギなのかもしれない。
散々怒られて…30分後にやっと風呂に入れた勇は、風呂から上がると足早に自室へと向かう。
最近はドライヤーをかけていない。暑くて暑くてしょうがないからだ。
ウキウキ気分のまま事実の扉を開くと…
勇より先に風呂に入り終えた杏がいた。
しかも新しいパジャマでお出迎えだ。
「え…えと杏さん…?」
「本日はどう言ったご用件で…?」
「ん〜?別に〜?」
「ただ久しぶりに一緒にゲームしたいな〜って思っただけ〜」
テレビ棚からコントローラーを二つ取り出しウキウキでこっちに持ってくる杏。
お家デートをしているように感じれて…これだけで幸せを感じれてしまう脳みそはきっと…臆病者で呑気な幸せもんだろう。
「可愛いな…」
「え?なんてった?」
しまった…声が漏れ出てしまった。
しかも結構えげつない本音だ。
杏は本当に良く聞こえなかったようで、少し勇の目線の下でキョトンと首を傾げている。
….危ないまた声が漏れ出てしまうところだった。おじいちゃん並みに口がゆるゆるだ。口も膀胱もだが…
「い…いえ何も言ってないですけど」
「むぅ〜本当かな〜!?」
「あ…あんまむぅ〜って言わない方がいいぞ」
「舞ちゃむみたいにウチ可愛くないからね〜」
「い…いやめちゃめちゃ可愛いけど…」
…また口を滑らせてしまった。
なんてお茶目な口なんだろう。
「え?」
今度は確実に絶対に聞こえていただろう。
だって杏はこんなにニヤニヤと顔を近づけてきているんだもん。聞こえてなくてこれなら怖すぎる。
「ん〜?なんてった〜?」
目を瞑ってさらに顔を近づけてきている杏。
どれだけ男として舐められているのが分かる。…今一回キスしたらどんな反応をするのかが気になる。…そんな度胸はないんだけど。
「さっ!早くゲームしましょ!」
「さささ!」
腕を掴まれて地べたに座らされた勇。
杏は勇のゲーミングチェア兼勉強机に座っている。…ちなみにゲーミングチェアとは言ってるがPCはない。それはそうと来週から勉強をしようと思う。
「わぁぁ!」
「うぉぉッ!」
今現在大好評発売中の[パリピカート]をやっている。音に乗りながらカートで戦いをするゲームだ。楽しいよ。
…勇はこのゲームかなりやりこんでいるんだが、今現在杏がトップを独走中。
杏はこのゲーム初めてだというのに…やはりどの分野にも天才というものは存在する。
「く…くそ!」
「よわ〜!」
舞直伝のメスガキつよつよボイス。
…ちょっとメスガキ感がない本当に馬鹿にしている感があるのだが…
そうして第3レースが始まった頃。
杏がテレビから目を離してこっちを見てきている。…それなのにトップを独走しているのはなんでなんだろう。
「…ヴェール族のあの二人に会ってきたの?」
「…い…いや俺は会ってないけど…霊愛があったみたいだよ」
「…霊愛さん大丈夫だったの?」
「大丈夫…っていうかいつもより霊愛は優しい顔をしてたよ」
「…ねぇ杏」
「なに?」
「今から言うことは杏が嫌だ!って言ったらもう二度と言わないから聞いてほしいんだけど…」
「今度一緒にヴェール族の夫婦に会いに行かないか?」
「…嫌だ」
「あ…嫌なんだ」
「うん…嫌だ」
「ウチが嫌だって言ったら辞めるんでしょ…?」
「いや…ちょっと待って…!」
杏の思わぬ反応にテレビから目線を逸らしてしまって、知らず知らずにダートに突っ込んでしまってた。
それを戻してからまた杏を見る。
こういう時は目と目を合わせて話せば何か大事なものが伝わるっておばあちゃんが言ってた。…言っていたと言っても向かいの家の負俣さんのおばあちゃん。
「あの卑屈でクール天使ぶった冷笑悪魔が優しい表情をしてたんだよ!?」
「ウチ霊愛さんのこと詳しく知らないし…」
「まぁでも性格はあんまりよくなさそうだよね…」
「じゃあ!」
「でも嫌だ…」
「…霊愛さんは男だし…天使のオーラがあるから狙われなかっただけな可能性もあるし…」
「それに…ヴォアは自分の性欲のためならなんでもするんだよ!?」
「ヴェール族の人たちが…ウチを騙そうって優しくしてる可能性だってあるし…!」
「…やっぱり無理か」
「…うん」
「仕方ない…諦める…」
「え…素直だね…」
「…これ以上ネチネチ交渉して杏に嫌われたくないし…」
「ふ〜ん…」
「えいっ!」
コツっ…と杏の華奢な腕を引っ提げる肩と…勇の怠惰な腕を精一杯引っ張る肩がぶつかる。
香水とか何も匂いのするものがないというのに…杏からめっちゃいい匂いがする。シャンプーもおんなじの使ってるのに5倍いい匂いがする。
「勇はウチがこの家からいなくなった方が嬉しいの…?」
正直に言ったらいなくなったら悲しい。
でもこういうのをはっきりと伝えてしまったらモテる男ではない。…そうダンディな俳優が言っていたような気がする。
勇は小さい脳みそをフル稼働させる。多分ドラム式洗濯機くらい回っている。
「…う…う…!」
「嬉しいの…?」
「う〜ん…!」
「いや…悲しい…」
「めっちゃ悲しいよ!」
「宿題写させてくれるし…たまにお菓子分けてくれるし…杏の買ったアイス食べれるし」
「食べるな〜っ!」
「…ていうかそれだけなのっ!?」
勇は働いている脳みそに釣られるように首を横に振る。もうこんなん目が悪い人が見たら犬だ。
「まぁそれもなかなかに強いけど…」
「たまにこうやって杏とゲームできて…」
「…むっ!」
また杏がムッとしてしまっている。
女心というのはわからないが…今自分が失言を繰り返してしまっているということは分かる。
「杏とゲームできて〜素の杏の笑顔が見れたり…意外とつまみ食いとかするし…料理も上手なのも知れたし…」
「…あと結構いびき掻くし…勉強頑張ってたし…意外と動画見てると声出して笑うタイプだし…」
「交互に褒めたりしてればいいと思ってないっ!?」
「で…でも杏がいたら嬉しいのは本当だぞ…!」
「とにかく杏と一緒にいれて嬉しい…」
「…な…なにぃそれ!?」
ちょっと視線をテレビに映してみると…今のところ向かうところ敵なしだった杏はみるみる間に順位を落としていってる。1位から8位だ。
ちなみに…1日3時間やっている勇くんは11位を独走している。一生12位の人に赤甲羅を投げている。
そんなことより杏だ。
「ど…どうした?」
「い…いやちょっとびっくりしただけ…!」
「ウチと一緒にいれて楽しい…!?」
「えぇっ…!?それって…どういう意味なの…!?」
「さ…最近のウチ変だよ…!」
なんだこの可愛らしい生き物は…
普通に天然でやっている舞の可愛さとは違う…杏のクールな雰囲気でのこの可愛さは…破壊力が強すぎます。
「…ウチって本当に臆病だよね」
「…ヴェール族の夫婦の人にも本当は会ってみたいのかも知れないのに…昔のことに拘って…」
「そしてこの気持ちの正体にも…気付いてる気もするのに…ずっと誤魔化してるし…」
「ん〜仕方ないでしょ!」
「し…仕方ないの?」
「人間臆病な方がちょうどいいと思うよ」
「…ありがとう」
…そうしてまた独走を始め出した杏。
勇はその背中を追いかけることしかできない。
「勇が一緒ならいいかなぁ…」
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